第3話「不機嫌な彼」
つんざくような落雷の音がして、スープを飲んでいたティタニアは思わず身を震わせた。
この城館の周囲は深い森に囲まれているから、近くにある木に落ちたのかも知れない。
突然の大きな音に驚いて、つい体が反射的に動いたからだとしても、食器を鳴らすことは食事上のマナー違反になる。
誰かが自分の無作法に気がついていないかと心配になり、伏せがちにしていた視線を上へ上げた。
そうすると、いつから自分を見ていたのか、不思議な色合いの宝石のような青灰色の瞳と視線が絡む。
それは瞬きすら許さないほどの、何かを圧することを目的としたような、そんな光をも秘めていた。
その目を持つ彼の顔はこれぞ、正統派の美形というのだろうか。
王都でも美形三兄弟の声が高かったプリスコット家の三男は、所々に金茶が散った珍しい白金の髪と丸いちいさな獣耳、そして青灰色の目を持ち、噂に違うことのなく恋物語の相手役に描かれる王子様のような、一見甘いとも評されるだろう端正な顔立ちをしていた。
だが、そんな第一印象を裏切るように、その視線は無遠慮に強く不機嫌そうな表情も硬くてあまり動くことはない。
(確か、スノウ・プリスコット様……とおっしゃったかしら。プリスコット辺境伯家の三男。王都で騎士学校を出てから、中央騎士団でエリートである魔騎兵になり二年勤めてから、プリスコット本家に戻る前に、国内を転々と遊学する予定。ここに居るのも、一年間の期間限定)
先程父親のカールが彼らがここにやって来た事情を知らないティタニア達に、軽く説明したことを思い浮かべながら無意識に首を傾げた。
物言いたげなその視線は、何か自分に言いたいことでも、あるのだろうか。
思わず見せることになってしまった自分の無作法が気に入らなかったのかと、焦る気持ちも芽生え、ティタニアはますます彼から目を逸らせなくなった。
イグレシアス伯爵カールは自分達より歴史も長く家格の高い血統を持つ彼らを期間限定とはいえ配下として遇するにあたり、家族も紹介したいし、せっかくだからと今夜の晩餐の席に招待することにした。
彼らは昼間に見たような目立つ白い服ではなく、いかにも貴族的な品格のある暗めの色調の服を身につけていた。
食事の開始からずっと不機嫌そうな表情を見せるスノウの隣に座り、彼の従兄弟だと自己紹介をしたユージン・ライオールは居心地の悪い空気のこの場を盛り上げるように、明るく声を上げた。
「ティタニア様は、雷がお嫌いなんですか? ……確かに、女性でお好きな方も珍しいかな」
そう言って悪戯っぽく片目を瞑る彼は、先程の雷に驚いたティタニアの状況を、正確に把握して場を繋ぐことの出来る気遣い上手であるようだ。
ユージンの優しい言葉にほっと息をついて、ぎこちなく微笑む。
絶世の美女との声が高いスノウの母方の従兄弟で、ユージンは隣に座るちょうど同じ二十四歳だという正統派の王子様のような人とは違う、柔らかい印象の可愛らしい美形だ。
そして、やはり彼も鮮やかな金髪を持ち豹の獣人の証であるちいさな丸い獣耳が、頭の上でぴょこっと動いていた。
「ええ。あんまり、好きではないですね。室内に居れば、大丈夫だとは理解しているんですが、大きな音が突然鳴るのって……心臓に悪くて」
ティタニアが肩を竦めると、わかるわかると彼は鷹揚に大きく頷き、ちらっと隣に座るスノウを見てユージンは明るく言った。
「嵐の夜は星の光もなく、外は真っ暗になりますし、不安で怖いですよね。ここに居るスノウも、子供の頃には」
「ユージン。黙れ」
(あ、思ったより低い声なんだ)
今まであまり声を発することのなかったスノウが発したのは、その容姿を見てティタニアが勝手に想像していたような、少し高めの凛とした声ではなかった。
低くて響きの良い、どこか甘くも聞こえるような声だ。
昼間にじゃれ合う子猫のような動きで木を登っていた二人の動きを見ていたティタニアは、彼ら二人の気の置けないやりとりが微笑ましくて、目を細めた。
「お二人は幼い頃から一緒なんですか?」
ティタニアはこの国での一般的な貴族令嬢の礼儀作法に習い、今まで男性達が交わす会話に口に挟まないようにしていた。
適当な社交辞令やこれからの仕事の話をする流れもひとしきり終わり、もう落ち着いただろうと判断して客人であるスノウとユージンに話しかけた。
「ええ。特に僕達は同じ歳でしたし、伯母と母は元々仲良し姉妹なんです。揃ってプリスコット地方へと嫁いだのもあって、結婚して家に入ってからも良く会っていました。ですので、お互いに家を行き来しては子供を預かったり預けたりが多かったんです。スノウの兄二人ニクスとネージュは、僕にとっても兄のような存在なんですよ」
ユージンはにこにことして、邪気のない明るい笑顔で言った。
隣の仏頂面をしている人と、間違いなく血の繋がりを感じるほどの美しい顔をしている彼が、美形三兄弟と呼ばれている三人の中に混じったとしても、何の遜色もなさそうだけれど。
(きっと両方とも、美人の母似なのね。どことなく似ているもの)
スノウとユージンは、見た人に与える印象などは双方がらりと違うものの、端正な面差しには類似点も多かった。
きっと母親たちは、ティタニアが見たことがない程の絶世の美女なのだろう。
「まあ、私は一人っ子なので、羨ましいわ。兄弟がたくさん居るって楽しそうですね」
社交辞令で場を繋ぐことの多い貴族の会話の中で、ティタニアは思わず本音をこぼしてしまった。
祖父ジェームスが爵位を与えられた時には、もうとうに成人し結婚していた父カールは、未だ居なくなってしまった母を愛していた。
思わず転がり込んできた高い身分を考えると、考えなしに後妻を迎えることも憚られ、結局彼はティタニア一人しか、子どもは作らなかった。
(だから、きっと。心配になったお祖父様は、お金を積んででも、孫の私に力を持った後ろ盾のある婚約者を早々に決めたのよね)
ガタッと隣からいきなり椅子を引く音がして、ティタニアは驚き、その方向を見た。
「……失礼。嵐が酷くなりそうなので、先に帰ります」
正式な晩餐中に席を立つことは、礼儀作法から外れている。
ティタニアは呆然として、自分の婚約者のジュリアンを見つめた。
まさか、こんな不作法を彼が高位貴族であるプリスコット家の二人の前で仕出かすとは、思わなかったからだ。
「ジュリアン……それならば、城に泊まれば良いのではないかね? 別に嵐の日にわざわざ帰らなくても」
この城の主人であるカールがその振る舞いに流石に苦言を呈するが、ジュリアンはその言葉に何の反応もしない。控えていた執事が黙って開けた扉を通り、この場から去ってしまった。
彼の無礼な行いはいつもの事だが、ティタニアはそれを見たプリスコット家の二人が気分を害しないか、それが心配になった。
自分たちは構わない。
ただ隣の領地を持っているという繋がりしかなく、古い貴族の血を引くストレイチー侯爵の次男ジュリアンが、正真正銘ただの庶民であったカールとその娘ティタニアの二人を成り上がりだとバカにするのは仕方がないと思える。
だが、目の前に座っている彼らは、建国からこの国に仕え、世代を超えてこの国を守り続けているプリスコット辺境伯の身内なのだ。
それは、計算高いはずの彼も、絶対にわかっているはずなのに。
(違うわ。あくまでもこの場は、イグレシアス家の晩餐だもの。その場で起こったことは、すべては主催であるお父様の責任。引いてはイグレシアス家とプリスコット家の確執の原因にもなりかねないのに)
それでも別に構わないと、思っているのだ。
決してジュリアンの、自らの、責任にはならないから。
彼の行為へのあまりの悔しさに、ティタニアは膝の上にある両手をぎゅっと握りしめた。
「……確かに。これから嵐は、ますます酷くなりそうだな。ところで、彼はそんな中でどこに?」
特に気分を害した様子は見せずにスノウは、急に出て行ったジュリアンの行く先を淡々とした口調で聞いた。
隣に居るユージンも、ジュリアンの事は驚いた様子ではあるものの、急に黙ってしまったカールとティタニアの二人を気遣わしげに交互に見ている。
(良かった。このお二人は、人の揚げ足を取って喜ぶ類の人間ではなさそう)
思わぬ不幸をほくそ笑むような人間ではけしてない誠実な人柄を感じ取り、ティタニアはその事実に泣きたくなってしまう。
貴族という一見華やかで狭い世界には、そういう悪趣味な人間は腐るほど居て、誰かがみっともなく失敗するのを手ぐすねを引いて待っているのだ。
そうして、誰かの恥ずかしい失態は翌日には笑い話になって知れ渡っている。
庶民から貴族になり、大商人と呼ばれた祖父からの遺伝か幸い商才は持っていたものの、領地経営もすべて一から学び、一人貴族社会でそんな人間たちと渡り合わねばならなかった父の苦労を思うと泣けてくる。
だから、そんな苦労をしている父の足を、娘の自分が引っ張ってはいけないとティタニアは常々思っていた。
自分の意思など何の関係もなく、祖父が大金を使って調えた縁談で幼い頃から決められていた格上の家柄の婚約者がどんな人間だとしても、女性の方から婚約解消を望むのは貴族令嬢としての致命傷になるのだ。
何か明かせないような問題があるのかと、そう周囲に勘繰られてしまう。
いくら結婚すれば爵位が付いてくる未婚令嬢とて、変な噂が付きまとえば良いご縁は望むべくもない。
だから、極力感情を乗せずに、その事実のみを伝えた。
「……ジュリアン様は、城下にご自分の館をお持ちでそちらの方に」
スノウは形の良い片眉を上げた。
どうにも彼はこの場所に来てからというもの、不機嫌そうな顔を崩さない。
元々そういう性格なのか、この場にある何かがひどく気に入らないのか。
「ティタニア殿の婚約者で、次期イグレシアス伯爵になる将来のため領地経営を勉強中という立場で、城下に自分の館ですか」
皮肉気なゆっくりとした口調は、非常識なジュリアンを揶揄するようだ。
ティタニアは、何故かその時示し合わせたかのように、親密な空気で目を合わせたスノウとユージンを見て不思議だった。
一瞬だけで彼らが何か多くを語り合ったような、そんな気もしたからだ。
ティタニアが彼らを興味深く見ていたことに気がついたユージンが、水色の目を合わせてパッと微笑むと、ジュリアンが出て行った一件などまるでなかったかのように話し始めた。
「僕、嵐の夜は音が気になってなかなか眠れないんですよね。ティタニア様はどうですか?」
屈託のない可愛らしい笑顔を向けられると、こちらは笑顔を返すしかない。
なんとか、形通りにデザートまで晩餐を終え、城館の主人カールは喫煙を嗜まないので、名前だけになってしまっている喫煙室へとお酒を飲みながら親交を深めるために消える男性陣を見送ると、ティタニアは一人で自室へと帰った。
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