第2回 父親との相対・誠意
「性懲りもなく私の前に再び姿を見せるとはな。その蛮勇だけは、褒めてやろう」
城にある応接室で、眼光鋭く僕を睨みつける十獅郎さん。
見た目は老紳士然としているが、僕に向けられる感情はどこまでいっても敵対的だ。
殺意にも似た恐ろしい気配に気圧されながらも、僕は十獅郎さんに向かって頭を下げる。
「お会いしていただき、ありがとうございます」
「ふんっ! 貴様のためじゃない。愛しい愛しい娘の頼みでなければ、二度とこの城に足を踏み入れさせなかったは!」
瑠璃さんの父、
そもそも城のある島の正確な位置すら僕は知らない。まさか、世界中を徒歩で探し回るわけにもいかなかった。
瑠璃さんを助けると口にした舌の音が乾かない内に、彼女に助けを求めるという情けない男ムーブ。十獅郎さんに会う前から精神的ダメージを負ってしまった。
瑠璃さんに無理をしてもらったからには、必ず十獅郎さんを説得しないとと決意が漲る。
「それで、私に話とはなんだ? くだらない話だったら、今度こそ獣の餌にするからな?」
「理解しております」
瑠璃さんが止めなければ、この人は本当に言葉のまま僕を獣の餌にするかもしれない。それほどまでに、娘である瑠璃さんを可愛がっているのは、一度会っただけでも理解させられた。
例えそうであったとしても、今回僕は覚悟を持って臨んでいる。ここで引くつもりはない。
「十獅郎さんの娘、天戸瑠璃さんとVtuberの活動を続けることをお許しください」
「なぁにぃっ?」
十獅郎さんの声に怒気が混じる。
それでも僕は怯むわけにはいかない。
「Vtuberになることは、瑠璃さんの夢なんです。私はその夢を応援したい。彼女の支えになってあげたい。だから、どうかお願い致します」
「くだらんことをほざくな」
十獅郎さんは吐き捨てるように言う。
「瑠璃がVtuberを続けたいというのであれば、それはいい。続けさせるし、万全のサポート体制も用意しよう。貴様のような娘の可愛さに吸い寄せられた害虫なぞお呼びではない」
「……っ」
分かっていたことではあった。
十獅郎が怒っているのは瑠璃さんがVtuberをしていることではない。男である僕が彼女の傍にいるからだ。ただその一点が十獅郎さんには許せない。
きっと、彼は言葉通り瑠璃さんがVtuberを続けたいと言えば、ありとあらゆる助力を行うだろう。どんな高価な機材でも、どんな広告でも、どんな人材であっても思いのままだ。瑠璃さんが望むのであれば、その方がきっと、人気Vtuberへの近道に決まっている。
けど、それじゃあきっと瑠璃さんはVtuberを続けない。
瑠璃さんは僕やクレオールさんが居て初めて、Vtuberを続けようって思うはずだから。僕たちがいなくなってしまえば、きっと辞めてしまう。
これまでの瑠璃さんの努力が無駄になるような、そんな悲しい結末だけは避けなければならない。
なにより、瑠璃さんをまた暗い一人きりの部屋に閉じ込めさせるわけにはいかなかった。
けど、どれだけ言葉を尽くしたところで、十獅郎さんは僕の存在を認めはしないだろう。
そう考えた僕は椅子から立ち上がると、対面に座る十獅郎さんの横に移動する。
「なんだ? 諦めて帰るか? ふんっ……結局気概もなにもない害虫――なに?」
「――お願いします。どうか、瑠璃さんと一緒にVtuberの活動を続けさせてください」
僕は膝を床に付けると、額を赤いカーペットにぶつける勢いで頭を下げた。
――土下座なんて、格好悪いなぁ。
王子様なんて見栄を張って、この様だ。とても瑠璃さんには見せられない。
本当ならもっと格好良く出来ればよかったけれど、残念ながら僕にはなにもなかった。
お金はない。
地位もない。
名声だってない。
今では仕事もない、本当に空っぽの僕だから。
こうして、誠心誠意頭を下げてお願いすることしか、僕にはできなかった。もう僕には、瑠璃さんの夢を叶えてあげたいという気持ちしか残っていないから。
「……」
なにも言葉は降りてこない。僕はひたすらに頭を下げ続ける。
すると、はんっと鼻で笑う声が聞こえた。嘲笑うかのようであったが、その声音はどこか好意的な印象を受けた。
「周囲に流されてばかりで芯のない、私が一番嫌いな奴かと思っていたが、存外気概だけはあったか」
「そ、それでは……っ」
許してくれるのか。そう思ったけれど、現実は土下座したところで覆ったりはしない。
「――が、それとこれとは話が別だ」
切り捨てるように、その言葉はどこまでも冷たかった。
「私は可愛い娘に男が近付くことが我慢ならん。絶対に許せん。絶対にだ。いいか? これは理屈でも利益でもない、私の感情だ」十獅郎さんは淡々と続ける。「下手に理屈をこねず、同じように感情で訴えてきたのは良いが、男という存在を許せん時点で、君個人がどうこう言ったところで私の判断はなにも変わらない」
「……っ。それでも……!」
「そうだ。それでもと君は会いに来た。こうなる結果を予想しながらもな」
僕の言葉を遮り、十獅郎さんは僕の敗因を告げる。
「準備不足だ。諦めなさい。猪のようにがむしゃらに突き進むのは若者の特権だが、勢いだけでは壊せない壁もあるということだ」
そうだ。分かっていたことだ。
言葉で訴えかけたところで、十獅郎さんが認めてくれない可能性があることは。むしろ、そうなる可能性の方が高かった。
以前の僕ならその時点で諦めていた。もっと無難な選択肢を選んだはずだ。
それでも、今回ばかりは諦めるわけにはいかないと挑んだ。けれど、結果はなにも変わらなかった。
「ただ、不可能だからと諦める者より、それでもとぶつかりに行く気概だけは認めよう。もう二度と瑠璃に会えないよう島の獣に食わせようと思ったが、止めてやろう。行きはマッハの出る機体のGで潰してやろうとしたが、帰りは優雅な旅を約束しよう。私なりの選別だ」
十獅郎さんの声は幾分優しさが含まれている。
最初の頃よりは認めらたのかもしれない。
けど、それになんの意味がある……ッ!
血が滲むほど拳を強く握る。
頑張ったからじゃダメなんだ。それじゃあなにも変わらない。今度こそ、変わろうと思ってきたのに。瑠璃さんのために、僕がやらなきゃって。なのに僕はっ。
目から涙が零れる。悔しくて悔しくて溜まらない。
泣けばどうにかなる。そう相手に思わせる態度を取ってしまうことが許せない。
唇を噛み、必死に体の震えを抑えようとする。塞ぎかかっていた唇の傷から血が滴り落ちてしまうが、気にする余裕なんてなかった。
「……っ……っ」
「私はこれで失礼する。君は暫くここで休んでいなさい」
僕の脇をすり抜け、退室しようとする十獅郎さん。
彼を引き留めることもできず、僕は床に蹲り続ける。
そのまま、十獅郎さんがいなくなるのを黙って見過ごすしかない。そう思っていたのだけれど――
「――お父様!」
突然、応接室の扉が開き、瑠璃さんが入ってきたのだ。
慌てて起き上がると、開け放たれた入り口の傍で、真っ赤な顔をした瑠璃さんが立っていた。その腕の中にはツバロウ君がおり、苦しそうに抱きしめられている。
僕と同じように驚いた様子の十獅郎さんはたじろぐ。
「る、瑠璃? なんの用だ。話なら――」
「わたっ、わたしは! ツバメさんと配信を続けるよ! お父様がダメって言ったって絶対に続けるから!」
「なにを言っているんだ瑠璃!? そんなことお父様は認めないぞ!?」
「……っ」
突然の娘の叫びに、先ほどまで僕の前で見せていた冷静は消し飛んでいた。
動揺しながらも、詰め寄って問い質そうとする十獅郎に向かって目尻をキッと吊り上げた瑠璃さんは、普段の物静かで大人しい姿から想像できない大声で叫んだ。
「お父様なんてだいっきらい……ッ!!」
「――ッ!??!!?」
年頃の娘に最も言われたくないであろう台詞を突き付けられた十獅郎は、石化したように固まってしまう。
そこから、力尽きたように膝から崩れ落ちると、四つん這いになってうわ言のように呟く。
「だ、だいっきらい……? そ、そんな……わたっ、私の可愛い可愛い娘が、お父様を嫌いなんて……」
……なんというか、とてもいたたまれない。
僕と相対していた時にあった威厳は欠片もなく、そこには娘に嫌われて世界が終わったかのように消沈し、今にも消えてしまいそうになる父親の姿があった。
涙で濡れた目を拭うのも忘れて十獅郎さんの行動を注視していると、彼は不意に立ち上がり般若の仮面を被ったかのような形相で僕を睨みつけてきた。僕はぎょっとする。
「――ッ!! それもこれも全部貴様のせいだぞ!?」
「そっ、それは八つ当たりでは!?」
「うるさいうるさい黙れっ!? ええいっ、前言撤回だ! 諸悪の根源たる貴様はやはり島の獣に食わせて――」
「そのあたりにしたらいかがでしょうか。みっともありませんよ」
室内に響き渡る清涼な声。
あれだけ騒がしたというのに、その声はこの場に居た全員に届いたのだろう。
まるで、聞き逃すのが悪だというように、誰もが口を閉じ、耳を傾ける。
そんな清らかさと威厳を兼ね備えた声と共に現れたのは、銀に近い白髪を清流のように流した美女だった。
雪の美しさを集めて作り上げられたかのような美女。僕は目を奪われる。
けれど、それは見惚れたからというだけではなかった。
……は、
その姿が瑠璃さんが配信時に操るVtuber灰姫ルリにあまりのも酷似していたからだ。
「「お母様(我が妻)っ!?」」
「へ?」
瑠璃さんの……お母様っ!? お姉様とかではなく!? はぁっ!? 若すぎないっ!?
瑠璃さんと十獅郎さんの絶叫に、僕は目を剥く。
確かに灰姫ルリは、現実世界の瑠璃が成長したらというコンセプトで御影さんが描いたものだ。その姿が母親に似ることはあるのかもしれない。
けど、あまりにも若々し過ぎでしょうよ……。
まるで未来の瑠璃さんと相対しているかのようだ。
あまりの驚きに惚けて見つめていると、瑠璃さんのお母様が僕に顔を向ける。そして、心根の優しさが伝わってくる微笑みを浮かべた。
「どうも初めまして。瑠璃の母、アルヴィナと申します。娘が大変お世話になっているそうで、お礼を申し上げます」
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