第5回 始まり祝う鐘の音は、魔法が解ける合図だよ。


 瑠璃さんのお父様に続いてクレオールが入ってくる。

 足音すら立てない完璧な所作。けれど、その表情にいつもの笑顔はなく、感情は見受けられない。


十獅郎じゅうしろう様。落ち着いてくださいませ。どうしてこちらにおられるのですか?」

「クレオール……私を舐めるな。僅かな声だけであろうと、我が愛しい娘の声を聞き間違いはしない。ネットで流れる広告で瑠璃の声が聞こえた時は驚いたぞ?」


 ネット広告で流していた宣伝動画を、瑠璃さんのお父様――十獅郎さんは目にしていたようだ。

 どうにかこうにか挨拶をしただけの短い動画で瑠璃さんだと確信を得るとは驚きだ。事前に知っていなければ、僕は疑いはしても確信にまで至らなかったはずだ。


「それはいい。Vtuberであろうとアイドルであろうと、女神に負けぬ美しさを持つ瑠璃であれば、大成するのは間違いからな。本人がやる気であれば好きにさせた――が」


 激しい怒りに燃える目がギョロリと僕を捕えて心臓が縮む。


「どうしてここに男がいるっ!? 瑠璃の配信にこの男が割って入った時、心臓が止まりかけたぞ!?」

「この件につきましてはご報告が遅くなり申し訳ございません。Vtuberになりたいという瑠璃様の願いを叶えるため、私が独断でお連れ致しました」

「それがどうして男になった!? 貴様、まさか私の言ったことを忘れたわけではないな!? 言ったはずだぞ? この城に男を連れてくるなと!」

「理解しております。その上で、お連れ致しました」

「開き直るつもりか?」

「いいえ。ですが、瑠璃様には燕様の助けが必要だと、私が判断致しました。申し開きのしようもございません」

「貴様の判断なぞ海にでも捨てておけっ! ――お前もだ! いつまで私の娘を抱きしめている! 挽肉にして島の獣に喰わせるぞ!?」

「す、すみません……っ!」


 僕は瑠璃さんを起き上がらせると、慌てて立ち上がった。

 冗談でもなんでもなく、言う通りにしなければ本当に殺されかねない。それほどの怒気を放つ十獅郎さんに、僕は情けなくも怯えていた。

 細身だが、服の上からでもわかる鍛え上げられた体。身長は僕よりも10cmは高いだろうか。見下すように睨みつけられた僕は、地獄の閻魔を前にした罪人の気分であった。


「ふん! なよなよと情けない! 取り繕っているが、私を怖がっているのは丸わかりだぞ?」

「そ、そんなことは……」

「貴様の返答なぞ求めてない! 全く、これのどこに価値があるというのか。クレオールの目も節穴だな」


 ふんっと鼻を鳴らし、十獅郎さんは不機嫌を隠そうともしない。

 見出したというのであれば、クレオールさんではなく瑠璃さんであり、遠回しに自身の娘の目が節穴だと言っているんだけど、いいのだろうか?

 つい、余計なことを言いそうになった口を閉じる。触らぬ神に祟りなし。沈黙は金であり、思っていても声にしないのが、社会人としての常識だ。


「お父様っ」

「おおっ、瑠璃!」


 十獅郎さんが歩み寄ってくる瑠璃さんに向けて両腕を広げる。抱きしめようとしているのだろう。

 けれど、彼女は手を伸ばせるぐらいの距離を開け、震えながら十獅郎さんを見上げていた。

 行く先のなくなった両腕を寂しく閉じた十獅郎さんがギロリと僕を睨みつけてくる。八つ当たりだ。


「その……クレオールは悪くなくて」

「うんうん、分かっている。悪いのは全てその害虫なんだな?」

「そ、うじゃなくってっ」

「害虫と一緒の生活など、さぞ恐ろしかったな。だが、もう安心したまえ。二度と瑠璃の前に現れないよう、徹底的に駆除してやろう」

「つばっ、ツバメさんも悪くないのっ!」

「ツバメさん……だとぉ?」


 娘を前にして蕩けていた表情が一変。仏が鬼に変わったかのような変貌ぶりだ。

 殺意に満ちた目が僕を真っ直ぐに射抜く。し、心臓止まりそう。


「瑠璃が……男の名を…………呼んだ、だと? な、なんてことだ……いつの間にか、瑠璃が汚れていた?」

「い、いや……名前を呼んだ程度で汚れはしないと思いますけど」

「黙れぇええっ!?」


 はい、黙ります。ごめんなさい。


「私の天使な娘が穢れていないのは、父親であるこの私が誰よりも理解している! だが! 瑠璃が男の名前なんぞを呼ぶなんてこれまで一度もなかったことなんだぞ!?」

「は、はぁ……」


 異性の名前を呼んだ程度でこの慌てよう。

 世のお父様というのは皆こんな感じなのだろうか。僕には娘がいないから、十獅郎さんの気持ちはわかりようもない。


「お前か……」

「はい?」

「お前が瑠璃を誑かしたのかっ!?」

「は、はぁっ!? 誑かしてなんかいませんよ!?」

「嘘を付くなぁああああああああああああああっ!?」


 えぇ……なに言っても通じないよ。結論ありきの裁判だよこれ。


「お、落ち着いてくださいお父様!」

「誰がお父様か殺すぞぉおおおおおおっ!?」

「あ……つい」僕は咳払いをする。「と、とにかく! 僕は瑠璃さんを誑かすようなことは……ことは……」


 ……いや。デートしたな。

 手を繋いだり、腕組んだり。しまいにはほっぺにチューまで。

 あれ? もしかして、誑かしたと言われても仕方がないようなことしてる、僕?


「うぉい。どうして言葉が詰まった?」

「へ? ……あぁ、いえ。ごほんごほんえほんえほんっ! ――はい。全く、これぽっちも、真砂まさごの一粒だって、手は出していませんよあははははっ!?」

「嘘だったら海に沈めるぞ?」

「……」

「よし殺そう」


 ヤバい。反論の余地がない。

 とはいえ、このままでは死刑直行だ。瑠璃さんがVtuberとしてデビューした喜びしい日を僕の血で赤く汚すわけにはいかなかった。


「と、ともかく! 落ち着いて話し合いましょう! 暴力ではなにも解決しませんよ!?」

「娘に群がる害虫の一匹が消えるのは喜ばしいことだ」

「話を聞いて……っ!?」

「害虫の羽音など、聞くに堪えん――捕まえろ」


 十獅郎さんが言うと、サングラスをかけた黒服の集団がブース内に入ってきた。

 黒服全員が女性なのは、瑠璃さんに気を遣ってのことだろう。

 群がり迫ってくる黒服集団に、最早抵抗の余地は残されていなかった。


「ま――あぐっ……っ!?」


 腕を取られ、床に這いつくばらされる。

 どうにか振り解こうと抵抗するが、女性とはいえ複数人に身体中を押さえられては身動き一つ取りようもない。

 腕を捻り上げられて、痛みで声すら上げられなくなってしまう。


「~~……っ!?」

「――このまま潰してやろう」


 冗談ではない、本気の声に体が竦み、血の気が引く。

 見上げれば、冷たい瞳が僕を見下ろしていた。暗く冷たい、深海のような目。

 有言実行しそうな迫力に、体が震えた。


「お父様……っ!」

「……冗談だ」


 十獅郎が手を上げると、黒服たちの拘束が少し緩んだ。

 逃がす気はないのだろうが、捻り上げられる痛みはなくなった。


「今すぐにでも獣の餌にしてやりたいところだが、娘に嫌われたくはないからな。殺しはしない」

「……だったら、離して欲しいんですけど」

「馬鹿が。離すものか。貴様が娘を誑かす重罪人であることに変わりはない」


 十獅郎さんは黒服の1人が用意した椅子にドカリと座る。

 足を組み、手すりに肘を置いた姿は王様のように尊大で、高圧的だ。

 彼は王に逆らった反逆者に罪状を告げるように、僕に向けて人差し指を立てた。


「――私がなにより大事にしている薔薇の花を盗む害虫を城から追放しろ」

「な――」


 そんな勝手な。

 僕は反論しようとしたけれど、元より僕の意志なんて欠片も反映するはずもない。

 これは王の裁定であり、十獅郎さんが口したことは全てが是とされる城。

 唯一、この決定に異論を唱えることができるとすれば――


「瑠璃さん……っ!?」

「……っ」


 けれど、瑠璃さんは涙を流し、震えるばかりで声も上げられない。

 父親に対して反抗したことなんてないのだろう。ただただ怯え、悲しみに暮れる王女様。

 黒服に連れて行かれる間際、最後の頼みとクレオールさんを見るが、彼女は真っ直ぐに僕を見つめ返すだけで、言葉を発することはなかった。


「――さようならだ。もう二度と娘の前に現れるな」


 最後に告げられた関係を断ち切る言葉。

 大きな音を立て、閉じられた配信部屋の扉が、まるで僕らの関係を暗示しているかのようであった。


 ◆◇◆◇◆◇


 ――12月24日。クリスマス・イブ。

 始まり祝う鐘の音は、魔法が解ける合図だよ。

 サンタは赤服黒く染め、悪い子袋に詰めて去る。

 おとぎの国からご退場。

 世界はまるっと元通り。

 燕は一匹籠の中。

 聖なる夜に寂しくおやすみなさい。

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