第4回 配信終了後――抱き合う男と娘を見る父親の図

「――名残惜しいですが、本日の配信はここまでとさせていただきます。ここまでお送りしたのは、宝譲ツバメと」

「はいっ、灰姫っ、ルリ……っ」

「でした! それではまた次回。お楽しみくださいませ」


 にこやかに笑って、僕は配信を終らせた。

 切り忘れてやしないか、入念にチェック。配信切り忘れで炎上したら最悪だ。

 本当に終わったことを実感し――背中から倒れ込んだ。


「――はぁ――――……ぁああ…………しんどかった」


 台本なしのアドリブ祭。

 大抵の配信が台本なしと言えばその通り。けれど、どういった配信であれ、内容は決まっているし、流れだって大方予定している。

 内容も、流れも、全てがぶっつけ本番というのは、あまりにも心臓に悪かった。

 体中の汗腺からドッと汗が噴き出す。張り付いた前髪を振り払う気力すら残ってはいない。


「けど、どうにか――」

「――ツバメさん……っ!?」

「ふべしっ!?」


 白髪を振り乱したお姫様が落ちてくる。

 いくら軽いとはいえ、小さなウサギとは比べ物にはならない。肺が潰れたかのように、口から息が漏れ出た。一緒に魂まで零れる気分だ。


「ごめっ……ごめんなさいっ! わたっ、わたぁ……わたしのせいでっ!?」

「あー。泣かないで泣かないで。言いたいことも、泣きたい気持ちもわかるけどさ、そういうのは全部置いておこう」


 そう。ごちゃごちゃした感情なんて必要ない。

 後悔も反省も、全部全部後でいい。

 今すべきことは――


「祝! 初配信終了~。お疲れ様~! これで瑠璃さんも名実共にVtuberデビューだ。今はそのことを、素直に喜ぼう? ね?」

「づばめ゛ざん゛……」

「あーあー……そんなに泣き腫らしちゃって。美人さんが台無しだ」


 涙でぐずぐずになった瑠璃さんの顔は酷い有様であった。

 目元は腫れて、鼻を赤くし、髪はぐしゃぐしゃ。妖精のように神秘的な美貌が、人並にまで落ちている。

 瑠璃さんをどけて立ち上がる気力はないけれど、どうにか手櫛で彼女の髪を整える。無造作に絡み合っていると思っていたけれど、触り心地はシルクのように艶やかで、少し梳いただけで水のように髪が流れた。


 女性の髪ってこういうものなのかな?

 心地良い感触に目を細める。いつまでも触れていたくなったけれど、女性の髪に触れ続けるのも失礼だ。僕はポケットからハンカチを取り出すと、瑠璃さんの涙を優しく拭う。


「大分マシになったな、うん」

「……っ」

「ちょっとっ!? 流石にそれは……!」


 首に腕を回し、ぎゅううっと抱きしめられる。

 感極まって感情が爆発したのかもしれないが、この状態はとてもまずかった。

 元より床に転がって重なり合っている状態。そこから抱きしめたとあっては、密着状態はもはや極限だ。


 しかも、瑠璃さんの体は全体的に未成熟だというのに、胸だけは大人にも負けないほどに成長著しいのだ。否応なく、僕の胸板で風船のような2つの膨らみがむぎゅりと潰れる。


「……ありがとうっ!」

「……どういたしましたて」


 謝罪ではない心からの感謝の言葉。僕は素直にその言葉を受け取った。

 泣いて謝るばかりであった少女の小さな成長を実感し、嬉しくなる。

 今ぐらいは好きにさせようか。


 瑠璃さんの感触を全身で受け止め、僕の心臓は今にも破裂しそうだけれど。瑠璃さんは最後まで頑張ったんだ。これぐらい、僕も受け止めてあげないといけないよね。

 慣れない手付きで彼女を頭を撫でる。すると、猫のように顔をすり寄せてきた。


「……んみゅっ」

「んっ……」


 くすぐったい感触に顔をしかめる。


「……ん~――ちゅっ」

「ちょ、ちょっと瑠璃さんっ?」


 そのまま首筋にキスを落とされ、僕は身を捩る。


「えへへ」

「いや……えへへじゃなくって」


 ショッピングモールでデートして以降、癖になってしまったのか、瑠璃さんは隙を見つけてはちゅっと唇を寄せてくる。


『クレオール……ちゅ』

『これはこれは。光栄です、瑠璃様』


 クレオールさんにもしていたので、親愛の表現なのだろう。小動物が懐いて舐めてくるのと同じだ。けれど、異性の僕にまでそういったことをされるのは……少々困る。

 人との付き合い方が下手というか、極端というか。引きこもっていた弊害なのだろうけど、もう少し羞恥心を持ってほしい。


 状況を知らないで傍から見れば、男を押し倒してキスしているようにしか見えない。

 親が見たら泣くぞ、これ。


「ツバメさん。ん~……」

「はいはい。ちゅーはもういいから、立ち上がろうね?」


 薄く色付いた唇を突き出してくる瑠璃さんのおでこを押さえて窘める。

 悪い気もするけど、無理矢理にでもどかすかと強硬手段に及ぼうと肩に手を伸ばしたところで、ガチャリと扉が開いた。

 僕は安堵と疲労を交えた息を吐き出す。


「クレオールさん。ちょっと手を貸して――」

「――これはっ……どういうことだぁっ!?」


 僕はぎょっとする。現れたのはスーツ姿の美女ではなく、怒りを露わにした獣のように鋭い眼光をした白髪はくはつの男であったからだ。

 ムーディーな音楽が流れる夜のバーにでも居そうな大人な男性。渋いオジサマのような雰囲気のある男が、わなわなと肩を震わせて僕を睨みつけていた。


「えぇっと……あのぉ」


 誰?

 人々がごった返す都心とは違い、ここは無人島だ。無関係の人間が迷い込めるはずもないので、関係者なのは間違いない。

 けど、男の使用人は雇わないってクレオールさんが言ってたはず。じゃあ、一体この御方はどこのどちら様なのだろう?


 鼠色のシャツの胸元で揺れる、ダンディな雰囲気に似つかわしくないピンクのウサギ柄ネクタイが目に留まる。それはまるで娘からの誕生日プレゼントを後生大事に身に付けている――


「お父様っ!?」

「そうそう。お父様お父様……あへ?」

 

 お父様? へ? このバーテンダーみたいな恰好をしているオジサマが、瑠璃さんの……


「――お父様ぁぁあああっ!?」

「貴様に父と言われる謂れはない……ッ!!」


 この言動。間違いなく父親だわぁ……。

 納得と共に、僕は状況を振り返る。

 泣き腫らした顔で見知らぬ男を抱きしめながらキスを迫る娘――を見る父親。

 男に捨てられそうになる女の子が、必死に引き留めている図にも見えなくもないこの状況。さて、実の父親がその光景を見た時、彼はどんな心情になるでしょうか?


 ……死んだかな、僕。

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