第2回 配信ボタンを押しても、キャラは動くが声は乗らない。


時刻:20:00


[人魚民]:はじまた!

[灰姫ルリちゃんガチ恋勢]:好きです

[るあぁ]:初配信でもうガチ恋勢が。

[W/D]:こんばんは~

[りゅうおう]:こんばんわ

[SNOWMAN]:ペンライトは持ってきた/


 …………


時刻:20:10


[peco]:あれ……まだ始まらない?

[Angle]:キャラは動いてる

[YMD]:かわいい

[田中]:かわいい

[レモン色の初恋]:かわいい


 …………


時刻:20:15


[ブラッククロウ]:事故った?


 ■■


「瑠璃さん……っ!」


 ガラスの向こう側。瑠璃さんは白い顔を真っ青にし、震えて動けずにいた。

 配信前から積もり積もった緊張が、爆発したのかもしれない。特に、向こう側に人がいると実感できる生のコメントというのは、例え対面していなくても配信者に大きな影響を与える。

 なんて言えばいいんだろうか。気分を悪くしないだろうか。

 そうした緊張や不安から、喋る内容がガチガチに固まってしまうのは良くあることだ。僕もそうだった。


 けど、これは一番マズイ状況だ……!

 キャラが少し動いて、ずっと黙っているだけ。視聴者はなにが起こっているかわからないし、落胆も大きいだろう。

 けど、問題は視聴者よりも瑠璃さんだ。今でさえ、人と接するのが怖くてこんな無人島に閉じこもってぐらいなんだ。この件がトラウマになって、二度と部屋から出てこなくなったら……。

 僕は椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。


「燕様、いかがされましたか?」

「いかがされました、って! 今の瑠璃さんの状況見れば、配信続けらないのはわかるでしょう!? 止めてきます」

「ここで止めれば、瑠璃様は心に消えない傷が付くかもしれません」

「……っ。そうですけど! 今止めなかったら、それこそ立ち直れなくなりますよ!?」

「瑠璃様の頑張りを泡沫の夢にすると仰るのですか?」

「――じゃあどうしろって言うんだっ!?」


 言って、慌てて口を塞いだ。感情的な自分の怒声に、僕自身が一番驚いた。

 最悪だ。上手くいかないイライラを他人にぶつけるなんて。

 後悔の念でいっぱいになるけれど、今は反省している時間も惜しかった。


「……すみません」

「いいえ。お気になさらず」


 クレオールさんは、そう言って金の瞳を細めた。

 怒ってはいない。どころか、こんな状況なのに嬉しそうに見えた。


「けど、僕にはもうわかりません。瑠璃さんがこの日を目指して頑張ってきたのは知っています。あんなに臆病で人見知りなのに、一生懸命配信の練習をして、ようやく1人で話せるようにもなってきたんですから。けど、このままにしたら、瑠璃さんが潰れちゃう……」


 例え、瑠璃さんの頑張りを否定することになってしまっても、配信を止めよう。

 僕が悲壮な決心をした時、クレオールさんが場違いなことを言い始めた。


「コンシェルジュとは、お客様のリクエストには決してノーとは言わない職業です」

「……へ? 急にどうしたんですか?」

「どのような無理難題なリクエストであれ、あらゆる手を駆使して必ず達成するのが、コンシェルジュの誇りでもあります」


 金色の鍵型の髪留めに、クレオールさんが触れる。


「けれど同時に、コンシェルジュは仲介役でしかありません。ホテルの予約にしても、商品の購入にしても――Vtuberになるにしても、私はあくまでその道のプロに渡りを付けることしかできません。故にこそ、優秀なコンシェルジュとはお客様のリクエストを叶えるため、あらゆる状況を想定し準備しておくものなのです」


 真っ直ぐに、宝石のように瞬く瞳が僕を捕える。


。今、私にできることはございません」

「……っ」


 後はわかりますね?

 言葉にせずとも伝わってくる問いかけに、僕は声を詰まらせた。

 クレオールさんは最初からこの状況を想定していた? 渡りを付けたプロっていうのは僕のこと? けど、配信が始まった今、僕になにができるって言うんだ。


 どれだけ考えても、答えなんて出てこない。

 瑠璃さんのために僕はなにができる?

 ガラスの向こう側で縋るようにツバロウ君の抱き枕を抱きしめる瑠璃さんを見て――あぁ、と氷解する。僕の手は自然と、ポケットのスマホに触れていた。

 それはもう2度と使わないだろうと思っていたもう1人の自分。


「……僕の気持ちも、この状況も、全部が全部予想通りですか?」

「コンシェルジュとはあらゆる状況を想定して準備をしておくものです」

「手の平で転がされた気分ですよ」

「全ては瑠璃様のお気持ち次第です」

「僕のじゃないんですねぇ……」


 クレオールさんらしいと言えばらしい答えだ。

 僕はブースに続く扉に手をかけると、一気に開け放った。配信を止めるためじゃなく、続けるために。


「――瑠璃様のことを宜しくお願い致します。


 ■■


 頭の中は真っ白だった。

 涙で前は見えなくって、今にも大声を出して泣きたかったけれど、マイクに音が乗るのが怖くて声も出せなかった。


[ジンギスカン]:大丈夫?

[錬金術師]:がんばれ~

[冷やしそうめん]:ルリちゃ~ん!


 コメントには、まだ一言も喋っていないのに、わたしを応援する言葉で溢れていた。

 その気持ちに応えたくって、声を出そうとするんだけど、


「――――っ――――――……ぁ」


 掠れた吐息が零れるだけで、音にすらなってくれなかった。


 やっぱり、わたしがツバメさんみたいになるなんてムリだったんだ……っ。


 人と話すのが怖くって、お父さまがくれたお城のお部屋でずっと閉じこもっていた。

 お父さまはそれでいいっていう。悪いのはみんなで、わたしじゃないって。

 けど、わかってた。一番悪いのは、みんながわたしのことを嫌ってるって、勝手に思って逃げてるわたしなんだって。


 ぜったいみんなはそんなこと思ってないのに、勝手に怖がって、引きこもって、泣いた。

 そんな臆病な自分を変えたかった。ツバメさんみたいに変わりたかった。


 ――初めて好きになった人のようになりたかった――


 だけど、もうムリなんだ。わたしはツバメさんのようにはなれない。

 わたしはVtuberに恋をしたただのガチ恋勢で、視聴者の1人でしかない。

 視聴者全体に向けられた『好き』って言葉を、自分だけに向けられたと勘違いして熱狂しているただの厄介なファン。


 少しでもツバメさんに近付きたくて始めたVtuber活動は、いつの間にか過程そのものが目的になっていた。

 だって、しょうがないもん。好きな人となにかをするのが、こんなにも楽しいなんて知らなかったんだから。

 恥ずかしくって、逃げ出してばかりだったけど、楽しい毎日だった。


 ――私はここに誓います。貴女を必ず人気Vtuberにしてみせることを。


 あの言葉が、どれだけ嬉しかったか、ツバメさんはきっと理解していない。他の誰でもない。わたしだけに向けられた、わたしだけの言葉。


 けど、その幸せな夢ももう終わりにしないといけない。

 こんなたくさんの人を巻き込んでしまったんだから、せめて終わりぐらいは自分の手でやらないと。

 わたしは震える手でパソコンのマウスを握る。

 ゆっくりゆっくり、わたしの震えに合わせて揺れるマウスカーソルが、配信終了のボタンに重なる。


 クリックすれば全て終わり。

 Vtuberになる夢も、この幸せな生活も――甘く切ない初恋も。


 わたしみたいな臆病者なんて、鳥かごに閉じこもっているのがお似合いだったんだ。

 涙が零れてマウスを握る手の甲に落ちる。

 カタカタと震える人差し指で、私はクリックをしようとして――


「――大変長らくお待たせいたしました! 現在、無所属の薄幸王子様系Vtuber宝譲ほうじょうツバメと申します。知っている人はご一緒に。こんばんスワロー!」


 ――突然重ねられたツバメさんの手に止められた。

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