第4章 幸福を咥えた燕は灰かぶりの元へ

第1回 初配信直前


 その日は朝から慌ただしかった。

 世間はクリスマスイブ。鼠色の雲から降り注ぐ、真っ白な雪に誰もが心躍らせ、こまねずみのように働いているのだろう。

 かくいう僕もその一匹であった。けれど、世間の人々と異なるのは、クリスマスとは違う理由で忙しいということだ。


「回線も、ソフトも問題なし、と。クレオールさん。配信準備は大丈夫そうなんですけど、瑠璃さんは見つかりましたか?」

「目下捜索中となります。燕様はそのまま準備を進めていただくようお願い致します」

「初回配信でも逃げ出したかぁ」

「とても瑠璃様らしいかと思います」


 12月24日。

 世間的にはクリスマスイブ。僕たちとしては瑠璃さん――Vtuber灰姫はいひめルリの初配信という記念すべき日であった。

 白亜城に拉致され、瑠璃さんのマネージャーになってからおよそ半年。

 始めはまともに会話もできなかった瑠璃さんが、今ではたどたどしさを残すとはいえ、配信部屋で1人話せるというのだから感慨深い。彼女と交わした『人気Vtuber』にするという約束の最初の一歩だ。

 ……こんな日にまで逃げ出す辺り、根本的な部分で仔ウサギ気質は変わっていなさそうだけれど。


「逃げ出すぐらい緊張するのはわかるけどさ、初配信にどれだけ視聴者が来るか。正直、0人だってありえるんですよね」


 ミーティア2期生みたいに、事務所そのものが有名になっていて、企業ブーストで最初から1万人以上の視聴者がいるなんてこともあるけれど、瑠璃さんは企業に属さない個人勢だ。

 恋歌や僕は最初から企業所属だったとはいえ、その時のミーティアは無名の新規企業。1からファンを獲得していく必要があり、初配信は散々たる結果であったの苦くも懐かしい思い出だ。


「視聴者が1人増えたり減ったりするだけで一喜一憂して……。視聴者0人の時に喋ってる意味ってなんだろうって空しくなったこともあったけなぁ」

「懐かしんでおいでなのか、自虐なのか判断に迷いますが、その点であればご心配いりません」

「へ? なんでですか?」

「宣伝活動は十全にしております」

「宣伝って。ササヤイターですか? 確かに。なぜか登録者数は右肩上がりでしたけど、全員が全員視聴者になってくれるかっていうと、そんなことありませんよ?」


 ササヤイターでメッセージを投稿したところで、どれだけの人達が呼び込めるかは未知数だ。

 登録者数100人に対して1人観に来てくれればいいなぁ、ぐらいのもの。

 だというのに、クレオールさんは自信満々のようで、僕の説明を聞いてもその表情に陰りはない。


「各種動画投稿サイトやササヤイターなど、インターネット上で発信できる有料広告枠は粗方利用致しました。ササヤイターの登録者が増加したのも、それが要因かと思われます」

「いつの間に……」


 すっと差し出された携帯端末。


『は、はじゅめましたっ!? ぶ、ぶいっ、ちゅば! は、灰姫るひでしゅっ!!』


 画面には灰姫ルリのアバターが可愛らしく動いて挨拶をしていた。声は瑠璃さんのもので、恐らく配信練習中に録音したものを使っているのだろう。

 まともに挨拶もできていないけれど、その初々しさが功を評しているのか、反応は上々らしい。ササヤイターでエゴサしてみると、可愛い、楽しみ、と好意的な囁きが見受けられた。


「テレビCMも検討したのですが、あまり派手にし過ぎますと瑠璃様が委縮してしまう可能性がございましたので、今回は取り止めました」

「十分派手でしょうに……」


 やってることは企業勢とほとんど変わらない。どころか、人気Vtuberレベルの広告の掛け方だ。そりゃ、人も集まる。

 1ヶ月以上視聴者が一桁だった僕とはえらい違いだ。


「これ、視聴者0人の心配はなくなりましたけど、瑠璃さん、集まった人数見て逃げ出さないか心配ですよ」

「瑠璃様がそれでも良いと仰るなら、宜しいかと」

「相変わらずのコンシェルジュ思考。お客様のリクエストにはノーと言わない、でしたっけ?」

「その通りでございます。瑠璃様がお望みでしたら、人一人証拠も残さず消してごらんにいれましょう」

「怖い冗談言わないでくださいよ…………。冗談ですよね?」

「(ニッコリ)」


 肯定も否定もせず、ただただ笑うクレオールさんに僕は恐怖を覚える。

 そんなわけはない。そう思いつつも、もしかしたらという疑念からこれ以上の追及をする勇気は僕にはなかった。……瑠璃さんの初配信失敗したら消されるとかない、よね?


 身震いし、僕は入念に機材のチェックをする。不備は許されない。


「私は瑠璃様をお連れしますので、配信準備はお任せ致します」

「ま、任せてください! 完璧に準備しておきます!」

頼もしいお言葉に、感謝の念が堪えません不手際があった時は、わかっておりますね?


 ありもしない言葉の裏を読み取ってしまいそうになる。

 ガクブル震えながら、僕はパソコンを操作する。マウスカーソルが定まらない……っ!


「初配信後、瑠璃様や燕様の周囲の状況は様変わりすることでしょう。それでもどうか、最後まで瑠璃様をお願い申し上げます」


 音もなく去ろうとしたクレオールさんが、踵を返して僕に向き直ると、深々と頭を下げてきた。

 大袈裟な態度に、僕は戸惑ってしまう。


「はぁ……? ここまで来て見捨てるつもりはありませんけど……どうかしました?」

「いえ。お気になさらず。コンシェルジュの戯言でございます」


 失礼致しますと部屋を後にしたクレオールさん。

 なんだったんだろう?

 僕はゆっくりと閉じられる扉を見ながら、頭の上に疑問符を浮かべていた。


 ――


「はうぅ……はぐぅ……か、かえりたいぃ。か、かきんしたいぃ……」

「瑠璃さんにとって課金は精神安定剤なのかな?」


 時刻はゴールデンタイム。

 配信予定時刻が迫る中、瑠璃さんもどうにか現着。ゲーミングチェアの上で、ライオンを前にしたウサギのように小刻みに震えているが、どうにか逃げ出さずにいる。

 銀色の瞳をぐるぐるさせて、今にも禁断症状でガチャを引きそうな瑠璃さん。ひたすらガチャを引き続ける初配信というのは、需要があるのか判断に困る。


 僕は近くにあった抱き枕ツバロウ君を瑠璃さんの膝に置いて、ヘッドフォンをかぶせる。

 目を白黒させる瑠璃さん。僕は彼女の頭をポンッと軽く叩いた。


「初配信だからって気負い過ぎずに。失敗したからってなにがあるわけでもないんだから、気軽にやろう」

「……で、でも。待機所に1,000人以上いる」

「……うん、そうね」


 配信予定枠の待機人数が1,000人越え。

 時間が進むごとに増えており、コメント欄は既にお祭り騒ぎだ。

 凄いなーこれ。待機1,000人越えとか初めて見た。うわー、しかも見知ったVtuberや絵師がちらほら。


[海姫レンカ]:ここがあの女のハウスね

[夢国アリス]:初見です


 ……恋歌と涼風さんもなにやってるのよ。君たちのコメントで更に燃え上がってるじゃん。あーあー、待機人数2,000人超えたよ。

 やばい。僕まで緊張してきた。


「だ、大丈夫大丈夫。心配ないない。安心して。平気だから。うん。そう。なんとかなるなるぅ」

「具体性がなにもないよ!?」


 具体性さんは噛み砕き過ぎて原型留めてないだけだから。

 コメント欄の流れの速さを見てダラダラと冷や汗を流していると、瑠璃さんが震える手で僕のシャツの裾を掴んだ。

 配信者本人じゃないってのに、いつまでも緊張してるわけにもいかないか。

 最後の踏ん切りがついた。震える瑠璃さんの手を上から力強く握る。


「大丈夫。なにかあっても僕がどうにするから。瑠璃さんは瑠璃さんのやれることをやればいいよ」

「でもぉ……こわいよぉ」

「『私ですら変われたのですから、貴女が変われないわけありません』」

「……! ツバメさん……!」


 配信でもないのに、キャラを作るのは恥ずかしい。

 けれど、きっと福鉛燕ふくえんつばめの言葉より、Vtuber宝譲ほうじょうツバメの言葉方が彼女には届くはずだ。

 その考えは確かだったようだ。僕の手の中で、彼女の震えが収まっていった。

 瑠璃さんの瞳は不安で揺れているけれど、もう弱音を吐くことはしない。


「ツバメさん……わたし、がんばる、ね? だから、見てて」

「うん。ちゃんと見てる」


 するりと、瑠璃さんから離された手。

 僕は手を振って、ブースに瑠璃さん1人残して、コントロールルームへと移った。

 ミキサーの前にある椅子にどかりと座る。


「はぁああっ……お腹痛い」

「胃薬です」

「準備いいよね、クレオールさん」

「お水です」

「……ほんと良過ぎない?」


 薬と水を流し込み、深呼吸。

 ツバロウ君のぬいぐるみを抱きかかえる瑠璃さん。緊張のせいか、ぎゅうっと力を込め過ぎてツバロウ君の顔がひしゃげていた。惚けた顔が更に酷いなっている。可哀想に……。

 部屋に設置された時計を見る。間もなく短針が8時を指す。


「頑張れぇ……っ」


 両手を合わせ祈った瞬間、『ON AIR』のランプが赤く点灯した。

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