第7回 デートの舞台裏で大人な会話


 あの夜。震える仔ウサギのような瑠璃を部屋に招き入れた御影は、彼女にお茶を淹れてあげる。

 湯気立つ緑茶の前で、座布団の上で肩をすぼめて座る瑠璃は、借りてきた猫のようであった。


「あ、ありがと……」

「いえいえ。この程度、構いません。それで、ツバメさんと仲良くする方法、でしたか?」

「……っ(こくこく)」


 一生懸命頷く姿は小動物のようで愛らしく、写真を撮りたくなった御影であったけれど、瑠璃一人の時にそれは宜しくないだろうと自重する。

 ここにブレーキ役の燕がいれば自重もなにもしなかっただろう。御影は自他共に認める変態であったけれど、時と場所は弁えている変態淑女であった。


わたくしがお見受けした限り、十分仲は良さそうでしたけれど」

「も、もっと!」


 瑠璃が勢い良く顔を上げる。

 大きな声に驚いた御影が目を丸くするのを見て、瑠璃は己の行動を恥じた、頭からぷしゅーっと煙を上げて俯き直す。

 先ほどまでの勢いを殺し、ボソボソと掠れて消えそうな声で話す。


「……い、今よりももっと、仲良くできたらなって。そう……思って」

「それは、タレントとマネージャーとしてではなく、個人的に仲良くしたい。そういう意味で宜しいですか?」

「……っ(こくこくこく)!」


 肯定。首が取れそうな程縦に振る瑠璃を見て、御影は困ったようにグローブを嵌めた方の手を頬に添えた。そして、瑠璃に聞こえない程度の声量で、小さく呟く。


「……困りましたね。Vtuberならいざ知らず、そうした方面のお手伝いは避けたいところなのですけれど」

「あ、あの……どうか、した?」

「……いいえ。わたくしはつくづく、可愛らしく頑張る女の子に弱いな、と思っただけです」

「?」


 言葉の意味が分からず、コテンと首を傾げる瑠璃。

 あぁ、その姿も写真に撮りたな。湧き上がる欲求を抑えながら、御影はメモとペンを持ち出した。


「では、お一つ。瑠璃さんにご助言と、お手伝いを致しましょう」


 ニッコリ笑った御影は、瑠璃に燕とのデートを提案する。

 驚き、顔を火照らせる初心な少女の姿に恍惚としながらも、ただデートに送り出すだけでは瑠璃はなにもできないだろうと思い、彼女にいくつかの指令を下す。


 1.デート中は手を繋ぐこと。

 2.薄暗くなった映画館内で手を握ること。

 3.食事は手ずからあ〜んと食べさせること。

 4.服飾店で洋服の好みを尋ねること。

 5.腕を抱きしめること。


 5

 この提案に始めこそ抵抗を見せる瑠璃だけれど、最後には俯きがちながらも頷き、御影をニッコリさせていた。

 瑠璃が部屋に帰った後、御影は晩酌の準備を進める。そして、如才無く燕を呼び出し、酒に酔わせてノックダウン。翌朝、予定通り二日酔いに苦しむ燕の介抱をし、デートを断れなくさせたのである。


 昨夜の出来事を思い出していた御影は、心配だというように思い耽る。


「ツバメさんはもう少し女性への免疫と、人を疑うことを覚えるべきでしょうね。あれでは、いずれ悪い女性に騙されてしまいますわ」


 などと、色香で惑わし、良心に付け込み、恙なく騙してみせた悪い女筆頭は、白々しく燕の心配をする。彼が女性の怖さを知るのは、決まって御影の手によるものなのだけれど、彼女は露程も自覚はない。

 頭の片隅でしくしく泣く燕を早々に消し去り、次に御影が考えるのは瑠璃のことだ。


「ツバメさんが唐変木なのは今に始まったことではありませんけれど、瑠璃さんも無自覚な様子」


 燕と仲良くなりたい。

 そう御影に訴えかけてきた白亜の城に住む、まるで御伽噺のお姫様のような少女。

 彼女は理解しているのだろうか。仲良くなりたいという己の感情の出所を。その名前を。

 そもそも、瑠璃と初めて相対した時から、御影は不思議でならなかったのだ。


Vtuber? ――その辺り、どのようにお考えですか、クレオールさん?」


 御影の後ろ。スーツ姿で畳に正座する瑠璃のコンシェルジュ――クレオールは折り目正しく床に手を付き頭を下げた。


「本日は、瑠璃様のお願いにお付き合いいただきありがとうございました」

「答える気はない、と受け取っても宜しいでしょうか?」

「お客様のリクエストにお応えするのが、コンシェルジュでございます」

「ふふ。煮ても焼いても食えぬお方ですわね」


 くすりと、御影は笑みを零す。

 元より答えてくれるとは思っていなかったから、引き際もあっさりしていた。


「それについては構いません。貴女が瑠璃さんの味方なのは理解しておりますので」ですが、と御影は言う。「Vtuberはともかく、ツバメさん個人に関しては譲る気はありませんので悪しからず」


 あたかも宣戦布告のように。

 膝を突き合わせた御影は不敵に微笑み告げる。


「私の最推しはレンカさんですから」


 御影の言葉にクレオールは答えない。沈黙を持って返答とする。

 笑顔で美女が向かい合う、一見和やかで麗しい光景。音一つない静寂の中、2人の美女はただただ見つめ合う。

 まるで時が止まったかのように微動だにしない2人。時計の針を推し進めたのは、無機質な携帯の振動音だった。


「申し訳ございません。席を外させて頂きます」

「えぇ。構いませんわ。どなたからのご連絡でしょうか?」


 一礼し、部屋を後にしようとしたクレオールの背に、何気なく問い掛ける。

 返答を期待したわけではなく、凍った空気を入れ替える世間話の一環であったのだけれど、意外なことにクレオールが言葉を返した。


「そうですね」


 扉を前にして立ち止まったクレオールは、震えるスマフォを取り出すと、御影に画面を見せる。


「シンデレラを舞踏会に連れて行く魔法使いと申し上げておきます」


 『奥様』と表示された画面を、御影は不思議そうに見つめていた。


 ――


「――はじっ、はじめまして! あま、あま、天戸るりにゃんっ!?」


 ブース内で詰まったり噛みながらも、どうにか話続ける瑠璃さん。

 デート特訓の成果が出た……と言いたいところなのだけれど、現実の無情さに僕はコントロールルームで打ちひしがれていた。


「……はぁ。結局、母は強しってところかぁ。ははー……空しい」

「うふふ。良いではありませんか。瑠璃さんとでぇとをして楽しんだのでしょう? 役得ではありませんか。あぁ……また噛んで、可愛いですわねぇ」

「役得なのは御影さんでしょうよ」


 悦に浸る御影さんを横目に、僕は再び小さくため息。

 僕も詳細は知らないのだけれど、普段仕事で海外を飛び回っている瑠璃さんのお母様から連絡があったらしい。


 電波の繋がらない場所にいることも多く、こちら側から連絡する手段がほとんどないそうだ。

 そのせいか、瑠璃さんは久方ぶりのお母様との通話に大興奮。

 配信を観てくれる約束もしたそうで、瑠璃さんは奮起。あれだけ嫌がっていた配信ブースに自分から入り、配信練習を頑張っていた。


 これまでの苦労は一体なんだったのか。

 一人相撲の空回り。残った物と言えば虚しさだけで、苦労ばかりが偲ばれる。

 ただ、御影さんからすると、違う印象であるらしい。


「全く意味がなかった……ということもないでしょう?」

「……? どこが?」


 素直な疑問だったのだけれど、御影さんから呆れた目を向けられた。解せない。


「ツバメさんは、相変わらずの唐変木のとんちきーでありますね。これでは、レンカさんや瑠璃さんが可哀想で可哀想で……うぅ」

「迫真の泣き真似止めてくれない?」


 しくしくと薄桃色の着物の裾で涙を拭うフリをする。その泣き真似は真に迫り、思わず慰めたくなる切実さがあった。

 けど、これ慰めたら御影さんの思う壺なんだよなぁ。

 努めて気にしないようにする。


 暫く泣き真似を続けていた御影さんだったけれど、僕が相手をしないと悟ったらしい。

 俯いていた顔が上がる。その表情に涙の痕は少しもなかったけれど、笑みすら引っ込めた真剣な表情にドキリとする。


「……レンカさんのことも、しっかり見ていて上げてくださいね?」


 どういう意味なのか。

 御影さんに問い返そうとした瞬間、コントロールルームからブースへ続く分厚い扉がけたたましい音と共に開け放たれた。


「――んなぁあああああああっ!?」


 赤ん坊の泣き声に似た悲鳴を上げながら、瑠璃さんが出て来たのだ。

 ビックリして注視していると、彼女は椅子に突っ伏しうじうじと泣き言を言い始めた。


「もうむりぃ……ブースこわいぃ……ひとりやだぁ……おうちかえるぅ」

「ここが君のお家なんだけどな」

「苦難は続くどこまでも、と言ったところでしょうか。うふふ」


 御影さんは他人事のように笑うが、僕はとても笑えない。

 瑠璃さんを人気Vtuberにする困難な道程を想起しながら、僕は瑠璃さんを慰めるため歩み寄っていく。


 ――そうして、Vtuberデビューを目指して幾月が流れ、季節は次第に移ろう。夏から秋へ。秋から冬へ。

 曇天が空を覆い、粉雪が舞うクリスマスイブ。

 Vtuber灰姫はいひめルリの初配信が始まろうとしていた。

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