第6回 幼い好意とほっぺにチュー


 ショッピングモールを離れ、僕と瑠璃さんは白亜城内にあるゲーム専用部屋に来ていた。

 壁面を埋め尽くすほど大きな薄型モニターに、各所に設置された臨場感ある音声を発するスピーカー機器。

 広い室内には筐体まであり、初めて案内された時はThe・お金持ちという印象を抱いていた。


 ちょっとしたゲームセンターのような室内で、僕と瑠璃さんは横長のソファーに座っていた。隣合うというには少し離れた、手を伸ばしてようやく届く距離感。

 小さなコントローラーを握った僕たちは、2人でパーティゲームをしているところであった。


 ゲーム画面にはボードゲーム風のマップが映り、緑色の恐竜がグルグル回るサイコロに頭をぶつけているところだった。


「ハプニングマス止まったんだけど!? あぁっ!? コインが……っ!?」

「……えっと」


 せっかく貯めたコインが無情にも吸い上げられていく。

 素寒貧となって僕はがっくりと肩を落とした。パーティゲームの醍醐味を見事に味わった形だ。

 そんな僕を心配してか、瑠璃さんはおろおろと画面と僕を交互に見ては慌てている。

 どうすればよいのか。焦る瑠璃さんであったけれど、徐々にその表情は困ったように眉を落とした。


「あの……なんで、お部屋でゲームしてるの? デートは?」

「ん。これがデートでしょ。お部屋デート」

「ゲーム、してるよ?」

「そうだねぇ」


 瑠璃さんの言葉に同意する。

 あって然るべき質問だったので、僕の返答はあっさりとしたものだった。むしろ、ゲーム中盤に至るまで、なにも言わずに付き合ってくれていたことの方が驚きだ。


 一度口火を切ったら止まらなくなったのか。金髪のお姫様を操作しつつも、僕への質問は止まらい。


「で、デートって、もっと、なんていうか、手を繋いで、オシャレなお店を回ったりして、夜景の綺麗なレストランでお食事をするんじゃないの?」

「うーん。まぁ、デートらしいっちゃデートらしいけど」


 ちょっとイメージが古い気もする。

 とはいえ、僕としてもそれが悪いとは言わない。王道として残る以上、それだけ万人に受け入れられているということだから。

 ただ、それを個人に照らし合わせて合うかどうかは別問題。


「楽しくなかったでしょ、ショッピングモールデート」

「そ、そんなこと……」

「というか、楽しかったとか退屈だったとか考える余裕もなかったのかな?」

「うぅ……」


 僕の指摘に瑠璃さんが小さく唸る。

 幾度か口を開こうとするけれど、声にはならない。反論の余地はなさそうだ。


「普通のデートをしようと思ったの……」


 瑠璃さんは諦めたように吐露した。


「手を繋いで、映画を観て、ファーストフードでお食事をして、お洋服を選んでもらったりする、普通のデート。その方が、ツバメさんが楽しんでくれると思ったから」

「気遣いはありがたいけど、僕としては瑠璃さんも一緒に楽しめるようにしたかったな、て」


 今振り返ってみても、驚かされるばかりで楽しめていたとは言えない。

 瑠璃さんもメモと向かい合うばかり。予定通りのデートにしようと必死になるあまり、目の前のデートに集中しきれていなかった。


「ガチャガチャ回してる時は、凄く楽しそうだったしね?」

「あうっ……あれは、うぅうううっ……恥ずかしい」


 顔を赤らめ、瑠璃さんは両頬を押さえる。

 彼女としては我慢できなかった自分に羞恥心を覚える行動だったのだろう。けれど、僕としては素の瑠璃さんが見れて、一番嬉しかったぐらいだ。


 だから、瑠璃さんが気兼ねしない、お部屋デートに予定を変更させてもらった。

 そもそも、人と接するのが苦手で、無人島に城まで建てて引きこもるような子だ。城内とはいえショッピングモールで遊ぶのが得意とは思えなかった。


「お家デートだって今時普通だし、デートは一緒に楽しまないとね? お互いに」

「……ツバメさんは、他の子とデートしたことがあるの?」

「はは……そんな甘酸っぱい経験は、ねぇ?」


 僕はニッコリ愛想笑い。誤魔化す気満々で取り繕う。

 デート経験の有無については、無しよりの有りと言ったところだ。

 だいたいが恋歌の荷物持ち。

 後はイラストの仕事で忙しい御影さんの家に行ってお世話をすることもあったけれど……デートというには甘さが足りないものばかりだ。

 ただ、恋歌たちは揃って『デート』と明言しているので、していないと断言するのも微妙だ。


 結果、奥歯に物が挟まったような言い回しになってしまったせいか、瑠璃さんから疑いの眼差しが向けられる。その視線はトゲトゲしく、チクリチクリと肌に刺さってとても痛い。


「……(じー)」

「んんっ……ともかく! デートかどうかは置いといて、今日一日ぐらいは楽しもうよってこと! あ、スター盗られた」


 雲行きの怪しさに、僕は慌てて話を終らせる。

 ゲームコントローラーを握って、ここからどうやって逆転しようかなーと空々しくぼやく。

 深く追求するつもりはなかったのか、瑠璃さんの視線が画面に戻ったのを確認し、ほっと一息。

 けれど、彼女の手番になってもサイコロは振られない。

 どうしたのかと顔を向けると、瑠璃さんはためらいがちに口を開いた。


「つ、ツバメさんは……」

「ん?」


 僕の声に、瑠璃さんは唇を閉じる。

 一心に前を向き、コントローラーを掴む手が強くなり赤くなっていく。

 小さく口を開くと、なにかを言おうとしているのか微かに唇が震え出す。けれども、浅く息が零れるだけで、声にはならなかった。


 額に汗までかいて、顔色も悪くなる。僕は心配になるけれど、彼女の雰囲気からなにか大切なことを口にしようとしているのだけは理解できた。だから、僕は瑠璃さんが話すまで、ゲーム画面を見て黙って待つことにした。


 ゲームの軽快なBGMだけが流れる、閑散とした時間。

 なにもせず、なにも考えない。ゆったりと流れる時間に身を任せていると、小さな小さな、消えてしまいそうな声が僕の耳に届いた。


「……わたっ、わたしのことが嫌い?」


 彼女の言葉に、僕は薄く開いていた瞼を大きく見開いた。

 それを瑠璃さんに向けることは幸いしなかった。けれど、内心は驚きで満ち満ちている。


 人と話すの苦手な瑠璃さん。

 話しかけたら迷惑なんじゃないか。嫌われるんじゃないか。

 実際に相手がどう思っているかは問題ではない。嫌われているかもしれない。そう考えただけで、彼女は学校行けなくなり、誰もいないお城に引きこもるようになってしまったのだから。


 そんな見えも聞こえもしない他人の心に怯えるばかりであった瑠璃さんが、貴方の気持ちを教えてくださいと問い掛けてきたのが意外で、僕はとても嬉しかった。

 きっと、僕が素直に気持ちを口にしたところで、彼女の恐怖心は拭いきれないだろうけど。


 それでも、ちょっとずつ、ちょっとずつ。雛が生まれようとするように。

 今の自分から変わろうと、必死に殻を破ろうとする瑠璃さんが僕にはとても眩しく見えた。

 小さくも尊い勇気。それを抱くきっかけの1つに、ほんの少しでも僕がなれたのであれば、こんな誇らしいことはない。


「嫌いじゃないよ」言ってから、この表現は勇気を示した瑠璃さんに申し訳ないと言い換える。「好きだよ」


 自分の顔が赤くなったのがわかる。きっと、誰が見ても真っ赤だろう。

 それは瑠璃さんも同じで、雪のように白い肌を熟れた果実のように染めていた。

 恥ずかしそうに、嬉しそうに。彼女の横顔は笑みを描く。


 その反応があたかも告白を受けた女の子のようで、始めこそ初々しい反応に気を良くしていた僕だけれど、次第に『あれ? これもしかして勘違いさせてない?』と冷たい汗が頬を流れる。

 不安になり出すと焦りは止まらなくなり、僕は言い訳のようにあたふたと補足する。


「ええっと、もちろん、ね? 男女のあれそれとかではなく、人として好きというか、瑠璃さんの頑張ろうっていう姿勢が好きというかぁ……そんな感じです、はい」

「そっかぁ……えへへ」


 良い雰囲気に水を差す、情けない蛇足。僕は言葉を重ねるごとに後悔を積み重ね、最後には消沈した。なぁにやってんだろう、僕は……。

 墓穴を掘って埋まるが如し。僕の気持ちは滅入り、項垂れ沈んでいく。

 そんな僕を現実に引き戻したのは、頬に触れる柔らかな感触だった。


「――ちゅっ」

「…………あふぇっ!?」


 いいい、今……ほっぺにチューされた!?

 なんでいきなり!? 僕が落ち込んでたから!? え、ちょっ……あれぇぇえっ!?


 触れたのは僅かな時間。瞬きのように一瞬であったけれど、彼女の唇が触れた部分が熱を持っているかように熱かった。

 右手で口を覆い、僕は声も出せずに驚く。

 

「わたしも、ツバメさんのこと好きだよ?」


 恥ずかしそうに、けれど、満足そうに笑う瑠璃さんに、僕はなにも言えなかった。

 まさか、瑠璃さんは僕のことを……なんて考えた時、照れ照れと彼女は両手の先を唇の添えていった。


「唇は結婚しないといけないから、ほっぺ。男の人と仲良くするにはこれがいいって教わったの」

「あ、あぁ、そう。仲良くね、仲良く……うん」


 瑠璃さんの言葉の端々から伝わるのは好意であった。けれどそれは、恋というには幼さを感じさせた。

 恋と愛。家族や友人への好きと、恋人への好き。そういった感情全てをごちゃまぜにし、『好き』という言葉に押し込めているのだろう。


 瑠璃さんの心は、小柄な体同様まだまだ未成熟だ。……一部分だけは並の大人よりも成熟しているけれど。


 頬へのキスも同じ。それは親愛を示すものであって、恋の始まりを告げるものではない。

 つまり、男女のあれそれだと一瞬でも勘違いした僕はとっても恥ずかしい奴だ。瑠璃さんの前でなかったら泣き出してたぐらいの羞恥心に、今にも息絶えそうである。


 それもこれも、瑠璃さんに余計なことを教えた御影さんのせいだ……!

 後で絶対に文句を言ってやる!


 僕は涙目で、全ての元凶である悪魔御影さんに八つ当たりするのを決意する。

 ふと気付けば、瑠璃さんの顔が尋常でない赤さになっていた。

 くらりと体が傾き、ぎょっとする。


「瑠璃さんっ!? ちょっと、大丈夫!?」

「きょ、今日一日ずっと恥ずかしかったけど、がんばったの……。でも、もう……きゅぅう」

「うわぁあっ!? る、瑠璃さん!? ちょっ、誰か……クレオールさ――――――んっ!?」


 目を回して倒れてしまった瑠璃さんを抱え、僕はみっともなく助けを求めるのであった。


 ■■


「うふふ……。瑠璃さんたちは今頃楽しくやっていますでしょうか」


 燕たちがショッピングモールから離れた後、影ながら彼らを見守っていた御影は、部屋に戻って参考資料をまとめているところであった。

 手を繋いで顔を赤らめる瑠璃の写真に、御影は恍惚とした吐息を零す。


「はぁ……。やはり、JKの恥ずかしがる姿は可愛らしいですね」


 昨晩もそれはそれは可愛らしかった。

 瑠璃の愛らしさに酔いしれながら御影が思い出すのは、燕との晩酌――その少し前の出来事だ。


『ツバメさんと仲良くなるには、どうしたらいいの?』


 御影の部屋に訪れた可愛らしいお客さんを脳裏に浮かべ、御影は顔を綻ばせた。

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