第5回 デートを導く紙片は悪魔の罠か、天使の道標か。


 手を引かれるまま連れて来られた先で、僕は顔の筋肉が引き攣るのを感じた。


「うわぁ……ガチな映画館だよ」


 僕の前にあるのはどこからどう見ても映画館であった。

 黒い絨毯が敷かれた、明かりの少ない雰囲気のあるフロアには、チケット販売のカウンターや、上映中の映画ポスター、グッズ販売コーナーなど、映画館にまつわる物が至る所に展開されている。


 販売カウンターの前には列整理用のベルベットロープまであり、無人島にある個人所有の城内で、一体誰が並ぶんだと呆れて物も言えない。


「が、学生1枚と、大人1枚。ポップコーン1つ、とコーラを2つ。えっと、味はキャラメルで」


 途方に暮れてしまっている僕の手を引き、瑠璃さんはカウンターでチケットやお菓子を購入していた。

 何度も言うけれど、ここは無人島にある個人所有の城内だ。都会にあるような、商業映画館ではない。つまり、瑠璃さんちの豪華なシアタールームでしかないわけだ。


 はたして、お会計する意味がどれだけあるのだろうか。

 再現度が高過ぎるおままごとを見せられているような気分になる。 


『はい。かしこまりました! 少々お待ちくださいね!』


 辟易する僕の耳に、萌えキャラのような可愛らしい声が届く。

 使用人の1人なのだろうけど、瑠璃さんがクレオールさん以外の人とまともに会話できるのは意外だなと受付を見た瞬間、顔がビシリッと音を立てて固まった。


「ろ、ロボット……?」

『お待たせ致しました! ご注文のお品物となります。ポップコーンはお熱くなっておりますので、お気を付けてお持ちください』


 女性らしい流麗なフォルムを描く、受付嬢のような姿をした人型ロボットが、瑠璃さんにチケットや食べ物を手渡している。

 見た目こそ光沢のある硬い金属性を感じさせるけれど、その動きは滑らかで、手や関節の動かし方は人そのもののようである。


 SFの世界に迷い込んだのではないかと錯覚する光景に目眩を覚えると、瑠璃さんが説明してくれる。


「わ、わたしが怖くないようにって、お父様がくれたの」


 ……バカなのかな? 瑠璃さんのお父さんは。

 そのような理由で、市場に出回っていないような最先端ロボットを購入したということにもはや言葉も出ない。明らかに使用人1人雇うよりもお金がかかっているだろうに。


 驚き過ぎて魂が抜けかけている僕に、瑠璃さんはおずおずと両手でチケットを差し出してくる。


「あの……チケット」

「あぁ……ありがとう」


 反射でチケットを受け取った僕は、力なく目を落とす。


「なんの映画って……これは」


 海外の恋愛映画では?

 同じ城内で暮らしているけれど、瑠璃さんの趣味嗜好はあまり詳しくない。だからといって、これが瑠璃さんらしいチョイスかというと首を傾げる。


 ただ、瑠璃さんが選んだ理由よりも気掛かりなのは、映画の内容だった。

 瑠璃さんに観せていい内容なのか、これ。

 嫌な予感にかられつつも、僕は先を歩く瑠璃さんを追いかけてシアター内に入っていく。


 ――


 案の定というか、既定路線というか。

 始めこそ食い入るように映画を観ていた瑠璃さんであったけれど、中盤に差し掛かって突入した肌色満載のサービスシーンに、暗がりでも分かるほど顔を赤くして慌てふためいていた。


「……っ…………っ!?」

「まぁ……そうなるよね」


 予想通り過ぎる反応だ。なぜこんなラブストーリーを選んだのか不思議でならない。

 僕は映像内で嬌声を上げる金髪女優さんを極力見ないようにして、瑠璃さんにこそっと問いかける。


「あの……観ていられないなら外に出る?」


 ちなみに、僕は早く帰りたい。

 純粋無垢な少女と一緒に海外の過激なベッドシーンを観るとか、なんの拷問だろうか。

 女優さんがアンアンッと声を上げる度、ビクビクッと瑠璃さんが体を震わせる。

 僕が連れて来たわけではないのだけれど、幼い少女に性知識を授けるような居たたまれなさに、気が気ではなかった。


「……っ!」


 けれども、どうしてか瑠璃さんは何度も首を左右に振り、映画を観続けると訴える。

 顔どころか首まで真っ赤。雷を怖がるように頭を抱える瑠璃さんは、かたかたと体を震わせる。今にも泣き出しそうになりながらも、椅子から動こうとはしなかった。


 こんなに震えてるのに、どうして帰りたくないんだ?


 音声が聞こえなくなったせいか、濡れ場が終わったと思ったのだろう。瑠璃さんは恐る恐る伏せていた顔を上げる。

 けれど、スクリーンはキスシーンのドアップ。艶めかしい行為を目撃してしまった瑠璃さんは、声なき悲鳴を上げてついには泣き出してしまう。


「……あぐっ……ぐすっ!? ~~~~~~~~っっっ!?!」

「……泣くぐらいなら、帰ろうよ」


 僕は諭すけれども、瑠璃さんはイヤイヤと首を振る。

 意地を張る子供のような意固地さだ。僕はどうしたものかと頭をかく。


「…………て、手をかさ…………肩に……」


 ぐすぐす涙ぐむ瑠璃さんが何事か呟く。

 彼女の声を拾おう戸耳を傾けた時、肘掛に乗せていた僕の手に彼女の震える手が重ねられた。


「……っ」

「……っ!? る、瑠璃さんっ?」


 予期せぬ行動に僕は驚く。その隙を突いて瑠璃さんは更に大胆な行動に出てくる。


「肩……肩に……頭をっ」


 あたかも頭突きをするような勢いで、僕の右肩におでこをぶつけてきたのだ。


 暗がりの中、手を重ね、肩を寄せ合う。

 言葉にするとカップルのイチャイチャのようだ。ただ、その実態は濡れ場を観て羞恥心に悶える頭突きをしてきた女の子と、突然の攻撃に戸惑うマネージャーである。甘い雰囲気なんて皆無だ。


「……~~っ!?」

「いや……真っ赤になって泣くぐらいなら、やらなければいいでしょうに」


 なにが彼女をこうまでおかしな行動に駆り立てるのか。

 頭をぐりぐり肩に押しつけてくる瑠璃さんを宥めながら、僕は途方に暮れるしかなかった。


 これで終わればサービスシーンを観て混乱していたで済ませられた。けれど、瑠璃さんの奇行はこれだけに留まらなかった。


 ――


「……あ、あ~ん」

「……えっと」


 都心の駅周辺で見るようなハンバーガーショップ。

 その窓際の席で、僕はプルプルと震えるポテトを口に向けて差し出されていた。

 瑠璃さんは顔を(><)な表情にして、声と一緒になって小さなお口を無意識に開けている。


「ち、違った……? んと……」

「違ううんねんではなくね?」


 いくら経っても僕が食べてくれないからか、自身の作法が間違っているのかと瑠璃さんが首を傾げる。けれど、もちろん食べなかったのはそんな理由ではない。


 なんでハンバーガーショップであ~んをされているのか。

 その理由がわからない限り、食べようなんてとても思えなかった。


 けれど、疑問を抱えるばかりでほおっておいたのが悪かった。

 瑠璃さんは僕が食べてくれないのは自分のやり方が悪いと考えたらしい。デート開始時にも見ていた小さなメモを取り出すと、何度も頷いてポテトを己の口に咥えだしたのだ。

 ぎょっとする僕を無視して、ポテトを咥えた唇を突き出してくる。


「……ん~っ!」

「ちょっと!? ほんとどうしたの!?」


 というか、どこで覚えてきたそんなバカップルみたいな遊び!?


「ふぁ、ふぁふぇへ(た、たべて)?」

「食べません!」

「……(しゅん)」

「っ……~~っ、もう!」


 見るからに落ち込んだ瑠璃さん。その表情を見て躊躇ったのは一瞬。もう知ったことかと僕はポテトに噛み付いた。

 危うく彼女の唇とぶつかりかけたが、どうにかポテトを噛み千切ると、口を押えて無言で咀嚼する。


 ……なにやってるんだ、僕は。

 羞恥心と苦悩で頭を抱えている僕とは対照的に、瑠璃さんは恥ずかしがりながらも小さく拳を握って喜んでいた。


 ――


 女性との買い物で、もっとも聞かれたくない質問トップ3に入るであろう問いかけ。


「――ど、どっちが似合う?」


 当然僕は瑠璃さんの機嫌を損ねまいと服を吟味する――わけではなく、頭痛の酷い額を押さえてため息をついていた。

 質問もだけれど、なにより彼女が両手に持っている服が問題だ。


 右手にはちょい悪イメージの黒い革ジャンにダメージジーンズ。

 左手にはできる大人な雰囲気のパンツスーツ。


 対照的ながら格好良い女性を目指したかったのかなと思わせるセレクトだ。でも、どれだけ検討しても西欧の妖精のような少女には似合わない。

 なんでそれを持ってきたと僕が頭を抱えるのもしょうがないはずだ。


「どっちって……両方とも瑠璃さんにはジャンル違いというか、過激に過ぎると思うけど」

「(メモを見ながら)……ナ、ナニソノテキトウナヘンジ。チャントシンケンニカンガエテヨ」

「ねぇ? 薄々気が付いてたけど、御影さんの影響だよね? そのメモちょっと見せてごらん?」


 絶対ろくな内容ではない。

 瑠璃さんが大事そうに持つメモに手を伸ばす。すると、彼女は襲われそうになったかのように身を強張らせ、大きな胸を庇うようにメモを隠す。


「だっ、ダメ……っ。取らないでぇ……」


 その反応は不審者に遭遇した少女そのもので、別の意味で僕を焦らせた。


「ちょ、ちょっと!? 別に無理矢理取るつもりは――」

『ちょっと事務所でお話を聞こうか?』

「警備ロボット……っ!?」


 ――


 ……疲れる。精神が疲れる。

 デートって、もう少し楽しいイメージがあったのだけれど、世の恋人たちは毎回こんな苦労をしながらデートをしているのだろうか。


「……腕を…………」


 隣では、真剣な様子で瑠璃さんがメモを見ているところであった。

 そんな彼女に、僕は胡乱げな目を向ける。どう考えても、全ての現況はあの悪魔のメモだ。

 近くで妖しく笑う悪魔御影さんが目に浮かぶようだ。


 ただ、僕にとっては危険なメモでも、瑠璃さんにとっては道標であるらしい。


 パッとメモから顔を上げる瑠璃さん。

 今度はなにをするのか。

 身構えていると、飛びつくように僕の腕を抱え込んだ。


「……~~っ」


 瑠璃さんは頬を赤らめて羞恥に震える。

 小柄な体に不釣り合いな大きな2つの膨らみが僕の二の腕を包み込んだ。

 ぎゅむりと質量のある柔肉やわにくが僕を襲い、彼女の赤みが移ったように顔が熱くなる。


 こんな体をしていて、どうしてこの子はこんなに無防備なんだっ。

 むぎゅむにゅむぎゅぎゅっと変幻自在に形を変える大きな胸はやわっこくて気持ちが良い。同時に血液が沸騰したように体が火照ってしまう。


 今直ぐに引き剥がして女性としての慎みを説いてあげたい。けれど、今日の瑠璃さんは攻めの姿勢で、聞く耳を持ってくれないのだ。


 好きにさせるしかないのか……。

 打ちひしがれる僕。けれど、その思考は心地良い胸の感触を楽しむための、自分への言い訳ではないのか。


 それはいけないと一瞬心が奮い立つ。でも、無理矢理引き剥がすと泣くんだよねと、瞬く間に萎れてしまう。

 答えのない思考の迷宮に放り込まれた僕は、冷や汗を掻きながら苦悩を続ける他にない。


「あ!」

「ん……今度はどうかしたの?」


 突然声を上げた瑠璃さんは、僕から離れてタタタッと駆け足でどこかへ向かってしまう。

 腕に残る胸の感触が名残惜しい。てっ、なにを考えているんだ僕は!?

 煩悩退散。近くにあった柱におでこを叩きつけた僕は、クラクラする頭を抱えて彼女の後を追った。


「……ど、どこ行ったんだ?」


 ふらふらの足取りで追いつくと、瑠璃さんが居たのは真っ白なガチャ筐体が何十個も並ぶガチャコーナーであった。

 彼女は膝を抱えるように屈み、1つの筐体をじっと見つめていた。


「なにか欲しいものでもあるの?」

「お金……崩してくる!」


 僕の声が聞こえていないらしい。勢い良く立ち上がると、瑠璃さんは近くの両替機に飛びついた。

 気になって瑠璃さんを追いかける。目にしたのは、彼女が両替機のボタンを押すところであった。

 すると、お金も入れてないというのに、銀色に輝く小銭がじゃらじゃらと飛び出してくるではないか。

 えぇ、なにそれ。


「……これ、両替機じゃなくて大きな貯金箱では?」

「やってくる」


 崩した――崩してない――小銭を大切に握りしめた瑠璃さんは、小走りで先ほどの筐体の前にしゃがみ込んだ。

 100円を投入口に入れて、グルリグルリとハンドルを回す。


「そ、それはゲームのキャラクター?」

「うん。ちゃるモン」


 こちらを見ずに瑠璃さんが頷く。

 確かヴァーチャル世界に住むモンスターを育てて戦わせようという、ソシャゲーにはよくある育成タイプのゲームだったはずだ。


 筐体には動物に似たチビキャラのアクリルキーホルダーの絵柄がいくつか載っている。その中で瑠璃さんが欲しいのは、でっぷりと丸々太った青い燕のようなチビキャラであるらしい。

 まるで大福のようなフォルムだ。とても飛べそうには見えなかった。


「このツバロウ君って子?」

「すごくかわいいから」


 かわ……いいか?

 死んだ魚のような目をしていて、僕にはとても可愛いとは思えなかった。

 けれど、瑠璃さんとってはなにがなんでも欲しいぐらいに可愛いらしい。カプセルを開封してツバロウ君でなかったのを見てがっくりと落ち込んでいる。


「そもそも、欲しいなら筐体を開けて取り出せばいいのでは?」

「そんなのズル」

「いや、ズルって」


 これ、君の持ち物だよね? しかも筐体ごと。

 自分の物を回収するのがどうズルいのか。

 僕には理解できないけれど、瑠璃さんには意味のある行為らしい。熱心にハンドルを回している。


 カプセルが出てくる度、期待に満ちた表情を浮かべて開封し、落ち込んだり、喜んだり。

 一喜一憂する瑠璃さんの顔は、デート中で一番楽しそうであった。


 これまでは、楽しむよりもなにかに駆り立てられる様子だったから、こうして年相応のあどけない表情をして無邪気に遊ぶ姿を見ていると、僕も笑顔になる。

 ……空のカプセルが10回を超えても止まらないガチャに、その笑顔も引き攣るのだけれど。


 遂には空になってしまったガチャ筐体。"100円"と記載のあった部分には"売り切れ"と赤い文字が現れ、周囲には半分に割られたカプセルと景品の山が積み上げられていた。


 そんな山の中央で瑠璃さんは表情を緩ませていた。どうやら、無事欲しかった景品は手に入ったらしい。

 むふーっと満足気な瑠璃さんだったけれど、はたっと体が固まる。ようやく自身の行いを顧みたらしい。

 慌てて立ち上がった彼女は、僕に振り返って頭を下げた。


「あ……ごめっ、ごめんなさい! わ、わたし1人で楽しんでて……っ」

「それはいいし、もっと楽しんでいて欲しいぐらいなんだけど」


 申し訳なさそうに唇を結び、瑠璃さんはすんすん鼻を鳴らす。

 僕に気を遣う必要なんてないんだけどな。


 困ったと眉をハの字にした僕は、先ほどまで楽しんでいた瑠璃さんの様子を思い出し、とある案が閃いた。

 だばーっと涙を溢れさせる瑠璃さんに、僕はその思い付きを提案してみることにする。


「この後の予定は僕に任せてもらってもいいかな?」

「え……っと」


 僕の提案に戸惑った様子の瑠璃さんだったけれど、最後にはこくり、と小さく頷いてくれる。

 それは見た僕はニッコリと笑って、彼女の手を取る。


「じゃあ、行こうか」

「あ……」


 今日一日引かれてばかりだった手を、今度は逆に引き返す。瑠璃さんがこけないようゆっくりとした足取りで目的地を目指す。


 本当のデートを今から始めよう。


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