第4回 私服姿の白ウサギとデート
白亜城の居住区は上層に存在している。
最上部には城主である瑠璃さんの部屋があり、そこから1階降りると僕や御影さんが泊っている客室や、クレオールさんが暮らす使用人部屋がある。
そこから更に下層は僕にとってはほとんど未知の空間だ。
食堂や浴場といった生活に必要な施設以外は把握しておらず、なにがあるかもわからない。
人の家――城だけど――を勝手に探検するわけにもいかない。
そんな未知の階層に、僕は今日、瑠璃さんとデートをするために呼び出されていた。
なぜデートのために見知らぬ階層に行かねばならないのか?
不思議に思いながらも階段を下りた先で、僕はその真相を知ることになり――呆れて開いた口が塞がらなかった。
「……城にショッピングモールがあるのはいくらなんでもおかしくない?」
僕の眼前に広がるのは、都心の駅近くにありそうな大型ショッピングモール――のようななにかだ。
磨かれた白い床が真っ直ぐに伸びた廊下の両側には、小さな区画ごとに様々なお店が収まっていた。服飾に始まり、玩具、家具、食品。入り口の横にある案内板に、ゲームセンターや映画館まで見つけた時は、二日酔いがぶり返したかのように頭が痛くなった。
娘大好きにしても、やり過ぎでしょうよ……。
呆れて物も言えない僕の隣では、相変わらず華やかな着物姿の御影さんが、スマホで店内を撮影しながら、興奮したように頬を桜色に染めているところであった。
「うふふ。楽しみですね」
「なんで御影さんがいるの?」
僕と瑠璃さんのデートって話なんだけど?
「お気になさらず。参考資料の収集です」
ニッコリと悪びれもせずに御影さんは言う。
そんな全ての元凶である彼女に向けて、僕は諦めたようにため息をついた。
そもそも僕は最初、瑠璃さんとデートするつもりはなかったんだ。
人に慣れるためとはいえ、僕とデートする必要はないし、そもそも女の子とデートするとか恥ずかしいしどうしたらいいのかわからない。
『――でぇと、なんていかがでしょうか』
昨夜の飲み会で、そんな突拍子もない提案をしてきた御影さん。
グロッキーだった僕は、話半分どころか、まともに記憶さえできずトイレで全てを洗い流していた。
当然、翌朝は酷い二日酔いで、そもそも出掛けられるような体調ではなかったのだけれど、
『うふふ。では、酔い覚ましと参りましょう』
そう言って僕の部屋に現れた御影さんは、水や緑茶、雑炊などなど、二日酔いに効くであろう物を僕に食べさせたり、マッサージをしたりと様々な奉仕をしてくれた。
『昨夜は無理にお付き合いしてしまいましたので、そのお礼です』
なんて殊勝なことを言って、甲斐甲斐しくお世話をしてくれるものだから、朝からトイレを抱きしめる程度には体調の悪かった僕は見事に絆された。
正直に言おう。心身共に癒される最高のリラクゼーションタイムだった。
だからだろう。御影さんが油断のならない女性だということを忘却してしまっていたのは。
全てを終えて気持ち悪さから体のコリまでありとあらゆる身体的問題から開放された僕は、清々しい気分で御影さんにお礼を言う。
すると、彼女は『喜んでいただけたのであれば良かったです』と言い、最後にこう付け加えた。
『これでなんの憂いもなく瑠璃さんとのデートを楽しめますね。まさか断るだなんて――仰りませんよね?』
影の差した黒曜の瞳が怪しく揺れる。
彼女は最初からわかっていたんだろう。デートの提案をしたところで、僕が適当に言い訳を付けて逃げ出すことを。
この時ようやく僕は、魅惑の餌に釣られて罠に掛かった哀れな獲物であることを自覚した。
今頃気付いたところでもう遅い。逃げ道は既に塞がれている。
突っぱねることはできた。けれど、ここまで良くしてもらっておいて、自分はなにも返さないというのはどうにもバツが悪い。
良心の呵責をさそう、嫌らしい手だ。
結局、僕は御影さんからの笑顔の圧に負けて、瑠璃さんとのデートを承諾したのであった。
「……こうなる流れを、飲み会から仕組まれていた気もしてくるな」
二日酔いにして介抱するのところまで作戦のうちであったなら、マッチポンプもいいところだ。
「なにか仰いましたか?」
「なにも言ってません」
こうなっては腹をくくるしかない。
当初の目的通り、瑠璃さんには人に慣れ、Vtuberとしての一歩を踏み出してもらおう。……もしかしたら、瑠璃さんがデートから逃げだすかもしれないし。
ちょっと往生際の悪いことを考えていると、後ろから震える気弱な女の子の声が僕の呼んだ。
「つ、ツバメさん……」
「あぁ。こんにちは瑠璃さ……ん……」
僕は振り返り、笑顔を作ろうとして失敗し――目を奪われた。
「ど、どうしたの……? ど、どこか変……かな?」
おどおどと、不安そうに話すのはいつも変わらない。
けれど、その服装は普段の純白のドレス姿とは違い、街中を歩くような私服姿であった。
白いブラウスを押し上げる豊かな胸元を、蝶々のように結ばれたリボンが胸元を彩っている。
華奢な体には不釣り合いな胸を支えるように、腰まで伸びた紺色のハイウエストスカート。細く、折れてしまいそうな腰を締め付け、真っ白な足を覆い隠している。
履き慣れていないだろう、踵の高い編み上げの黒いロングブーツを履き、足元が危なげに震えている。
総じて、ロリータ染みた愛らしい服装だ。
普段のドレス姿は儚げな妖精のようであったけれど、私服になるとこうまで印象が変わるとは思ってもみなかった。
あざとさを感じる少女趣味の可愛らしい服装も、年齢にしては幼い印象を残す瑠璃が着ると長い白髪が映え、良く似合う。
ハイウエストスカートで腰をぎゅっと絞っているため、際立つ大きな膨らみが目の毒ではあるけれど、見た目の愛らしさと組み合わさって見る者の心を離さない魅力が生まれていた。
まるで、おとぎの国のお姫様が現代風の洋服を着て歩いているかのようではないか。
突然現れたお姫様に心奪われてしまう僕。言葉も発せず、黙り込んでしまう。
それがいけなかったのだろう。そんな僕の反応を悪く受け取ったようで、銀の瞳がじわりと水気を帯びる。
「や、やっぱりおかしかった……!? ご、ごめんなさい! き、着替えてくる……!」
「――はっ!? ちがっ、待って待って!?」
我に返った僕は慌てて帰ろうとする瑠璃さんを止める。
めそめそと今にも涙が零れそうな彼女を励まそうと、僕は片手で口を覆って言いよどみながらもながらも、必死に言葉を紡ぐ。
「あー。その、全然おかしいとかではなく……えっと、うん。悪くないよ、その服」
「そこは『似合ってる』と、素直に伝えるべきではありませんか?」
外野は黙って頂きたい。
似合ってるとか、可愛いとか。そんな背中が痒くなりそうな言葉、軽々しく女の子の向かって口にできるわけがない。世事ならともかく、本心からそう思ってしまったのだから、余計に言えるものか。恥ずかしい。
ただ、僕としても言葉を濁し過ぎたかと不安になったが、瑠璃さんは僕の言葉に安堵したようで、ほっと息を付いていた。その様子に、僕も内心で安堵する。
「そ、そっか……よかった」
「と、ところで! デートとか、本当に大丈夫? 無理してるならやめてもいいんだよ?」
「だ、大丈夫……!」
こんな可愛らしい女の子とこれからデートすることに恐れをなした僕は、瑠璃さんではないけれど、脱兎のように逃げ出したくなった。
いつもなら瑠璃さんも同意して、今日はお開きとなっていたかもしれない。けれど、今日の彼女はどういうわけか、やる気に満ち満ちていた。
白く小さな手を一生懸命ぎゅっと握り、自身に言い聞かせるように何度も呟く。
「頑張るから、うん……頑張る」
「そっかー……」
その健気な様子に、僕は退路を塞がれた心地だ。
女の子とデートとか、ほんと、どうしよう……。
期待よりも不安で胸一杯になってきた。
「では、
「ストーキングと盗撮の宣言かな?」
そそくさと、笑顔で僕と瑠璃さんから離れていく御影さんは、自然な動作でスマホのレンズを私服姿の瑠璃さんに向けると、連写音を立てながらすすすっと後ろ歩きで去っていった。
ムーンウォークのような華麗な動きに、いっそ感心すら覚える。それを盗撮以外に使えれば尚いいのに。
近くで僕たちを見ているのだろうけど、忍者のように完全に気配を消してしまった御影さんに呆れつつ、僕はしどろもどろに瑠璃さんに話しかける。
「あー。じゃあ、どうしよう……瑠璃さん?」
「……まずは手を…………手を……っ」
僕が話しかけたのに気が付いていないようで、なにやら小さなメモを見て何事かを呟いている瑠璃さんは、顔を林檎のように赤く熟させると、可愛らしい気合の声を上げた。
「え、えいっ!」
「へ?」
ちょん、と僕の手に瑠璃さんの指が触れる。
触れた指先からゆっくりと這うように動いた手が、遠慮がちに僕の手を掴んだ。
弱々しくも、しっかりと手を繋いだ状態に、僕は目を丸くして驚く。
「~~~~っ!!」
「……恥ずかしがるぐらいなら、どうして手を握ったの?」
ただ、やった本人の方が慌てているようで、真っ赤にした顔を俯かせて声なき悲鳴を上げている。
彼女が羞恥心に身悶えているおかげで、僕のほうは冷静になれているけれど、それでも、年下とはいえ瑠璃さんのような愛らしい女の子に手を繋がれるのは恥ずかしい。
半目になり、勝手に顔が強張ってしまう。
「い、いやだった?」
「そっ、んなことはないけど」
「そ、そっか……えへへ」
僕の返答に不安そうだった表情は一変、恥ずかしがりながらも嬉しそうに笑う瑠璃さんを見た僕は、咄嗟に口を手で覆って顔を背けた。とてもではないが、瑠璃さんに見せられないぐらい顔が緩んでいる。
臆病で、恥ずかしがり屋な仔ウサギのような瑠璃さん。
クレオールさんや僕の背に隠れるばかりの彼女は、今日はいない。
今にも離れてしまいそうな、触れるような弱々しさで握る僕の手を引っ張りながら、瑠璃さんはショッピングモールに向けて歩き出す。
「い、行く」
「行くって……」
手を繋いだ状態で?
僕が内心で抱いた疑問に答えるように、手を握る力がぎゅっと、少しだけ強くなった。
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