第3回 白絹の浴衣を纏った美女と深夜の一献


「では、本日もお疲れ様でした。乾杯」

「はは……かんぱーい」


 御影さんが借りている、城内にある和風の客室。

 メルヘンチックな白亜城には似つかわしくない、畳張りの部屋で、僕と御影さんは漆塗りの座椅子に座り、机越しに杯をぶつけ合った。


 うん……わかってたよ? 期待なんかこれっぽちもしてなかったよ? ほんとだよほんと……はぁ。


 思わせぶりな色気たっぷりの御影さんに誘われた僕は、彼女の部屋に招かれた瞬間、机の上にある酒盛りセットを見て全て悟った。宅飲みだ、これ。

 拍子抜けというか、残念というか。

 状況を把握した後、しばらくは空笑いが止まらなかった。ははのは。


 卓を挟みさかずきに口を付ける御影さんは、僕を見つめて妖しげに微笑んでいる。


「うふふ……なにやらご期待に添えなかったご様子。一体、どのようなことをお考えになっていたのでしょうか、ね?」

「ははは……いえいえなにも。ご相伴に預かれて嬉しいなーって」

「そうですか。それは残念ですね」


 御影さんの口から熱っぽい吐息が漏れる。

 思わせぶりな態度には引っ掛からないぞと決意を固めて数年。手の平で転がされ続けているのが僕である。


「ふふ。でも、ツバメさんがお誘いを受けて下さって嬉しいですわ。お酒が飲めるようになったというのに、誰かと飲める機会があまりありませんでしたので」


 残念そうな、憂いを帯びた表情を浮かべていた御影さんは、言葉通り嬉しいのか、華やぐように笑う。

 年齢相応の可愛らしい笑顔を見て、僕は彼女が年下であったのを思い出した。


「そっか。御影さん、確か美大生だったよね。今年で何年だっけ?」

「美大3年の20歳です」


 僕より3歳も下なのだけれど、学生の内からイラストレーターとして花開いたためか、同年代の子よりも大人っぽさがある。

 落ち着いていてお淑やか。所作も美しく、とてもではないが年下には見えない。……可愛い女の子の前で見せる変態性は抜きにして、であるが。


「年下に見えませんか?」

「そんなことないよ」


 時折、こうして心の内を読まれるのとかとても怖い。エスパーかな。


「ふふ……とはいえ。わたくしの年齢についてはご承知でしょう? お会いしてからこれまで、誕生日の度に贈り物を下さるのですから。まめですよね、本当に」

「恋歌も含めて、お世話になってるからね」

「気遣いがお上手ですわよね。ただ、毎回内容がお歳暮のような中身なのは残念ですけれど」

「えぇ? 他になにを贈れと」


 不満気に柳眉を吊り上がらせる御影さんに、僕は困惑する。

 御影さんは仕事相手で、しかも異性だ。勘違いを誘発させるような代物を送るわけにはいかなかった。


 そのため、去年を合わせて都合3回ほど誕生日プレゼントを送ったけれど、どれも食べ物関係。ちなみに、去年は20歳になったので日本酒である。


 間違いのない、これからも良き関係を築きましょうという良い塩梅な誕生日プレゼントだと思う。

 お歳暮のようなというが、意味合いとしては同じなので、当然中身も似る。

 けれど、御影さんはそれが不服なようだ。


「誕生日なのですから、贈り物は直接頂きたいですね。配送では味気ないではありませんか」

「一人暮らしの女性の家に誕生日プレゼント渡しに行くのは……ね?」


 勘違い男みたいで気が引ける。というか、怖くない? 普通に。


「後は食べ物だけでなく、なにか……そうですね。形に残る物だと嬉しいですわね。身に付けられる物だと特に。指輪なんていかがでしょうか、天使の輪、なんて……ねぇ?」

「それを贈ったら誤解しかないでしょうに」

「うふふふ。それもまた一興ではありませんか?」


 艶のある流し目を向けられて、僕は視線を逸らす。こっちが勘違いしそうだ。


「酔ってる?」

「さて、どうでしょう。こんなにお酒を飲んだのは初めてのことですので」


 楽し気に笑い、御影さんは徳利とっくりから日本酒を注ぐ。

 初めてという割にはその姿は様になっており、和風な部屋と相まってとても絵になる。見ているだけで、心が満たされるようだ。


「いかがしまたか?」

「いや別に」


 僕は首を左右に振る。見惚れていたと思われるのは恥ずかしい。

 誤魔化すように日本酒を煽る。あまりお酒は得意ではなく、口から喉に広がる苦さと熱さに僕は顔をしかめた。

 表情の変化が露骨で面白かったのか、御影さんは風鈴の音のように涼やかな笑い声を上げた。

 一頻り笑った彼女は、持っていた杯を机に置いて、姿勢を正す。


「それで、ツバメさんはなにをお悩みなのでしょうか?」

「悩みって……急に言われても」突然の話題転換に僕は困惑する。「……そんなのないよ」

「悩みのないお方が、このような夜更けまで部屋の明かりも消さず、机に向かいますか?」


 質問した割には確信を抱いているような声音だ。

 証拠を突き付け、犯人の自白を待つような探偵のように、じっと見つめてくる御影さんの瞳から、僕は目を背ける。


「この飲み会のお誘いって、そういうこと?」

「いいえ。最初に申し上げた通り、わたくしが飲みたかっただけですわ」

「そですか」


 艶笑えんしょうの裏に隠された女性の機微が読み取れるほど、男として熟達していない。

 僕は杯に残っていたお酒を無理矢理胃に流し込むと、肺腑はいふから大きく息を吐き出した。


「……瑠璃さんのことですよ」

「そうなんですね」


 しゃあしゃあと驚いてみせる御影さんに、僕はジト目を送る。絶対わかってたろこの人。

 それで? というように見つめ返されて、渋々ながらも僕は悩みを打ち明ける。


「先に言っておくけど、瑠璃さんが悪い、という話ではないからね?」

「わかっております。ツバメさんは人を悪く仰いませんものね?」


 含みを感じる言い回しに居たたまれなさを覚えたけれど、僕は続ける。


「ただ……なんというか、さ。どうしてあげればいいのかなって。Vtuberになりたいっていう瑠璃さんの夢を応援してあげたいけれど、内気な性格だから。配信の練習でも、上手く喋れなくって……どうするのが正解なのか、わからないんだ」

「このままでは、Vtuberとしてデビューするのは難しい、ですか?」

「そう……なんだよね」


 考えていたことだったけれど、他人に突き付けられると存外ショックを受けた。

 人と接するのが苦手で、こんな無人島のお城に引きこもるぐらいに臆病な女の子が、勇気を出して頑張ろうとしている。努力している。

 その頑張りが報われて欲しいと思うと同時に、このままでは……という考えが今日一日僕の中で堂々巡りしていた。


「……本当に、そうなのでしょうかね」

「御影さん?」

「失礼致しました」


 なぜか御影さんは淀みない所作で立ち上がると、机を回り僕の横で膝を付いた。


「み、御影さん?」


 寄り添うような近さで微笑まれ、僕は目を白黒させる。


「お困りのツバメさんに、お一つあどばいすを差し上げます」


 御影さんは僕の手にそっとさかずきを添えると、僕の指を一本一本、丁寧に折り曲げて持たせる。

 徳利の底に手を添え、とくとくと耳心地良い音を立てながらお酌をする。


「瑠璃さんは人に慣れていないご様子。あれでは、配信でお話をする、しないの問題ではないように見受けられます。まずは人に慣れるところから始めてはいかがでしょうか?」


 お酒とは違う、甘い香りが僕の鼻孔を刺激する。

 僕の体を抱くようにそっと擦り寄ってくる御影さんの体温は高く、なにより柔らかい。


 きちっと着ていた浴衣が動いた拍子に着崩れたのか、するりと僅かにはだけて、微かに胸元を露わにする。

 女性らしい曲線を描く白い谷間に、喉から伝う汗が吸い込まれていく。

 後少しでもズレれば大切な部分が見えてしまいそうな光景に生唾を飲み込むと、その音に気が付いたのか彼女は嫣然と微笑む。


「ツバメさんが女性に慣れるところから始めるのと、同じように……ね?」

「……一生慣れる気しないんだけど」

「いずれ慣れますよ」


 情けなくも両手を上げて降参すると、御影さんはクスクス笑いを零して元の座椅子へと戻っていった。

 乱れた襟元を正し、背筋を伸ばして座る姿からは先ほどまでの艶めかしさは見受けられない。


 僕はほっと息を付く。やや残念に感じなくもないけれど、羞恥と緊張が先立ち、楽しむどころではなかった。

 僕のほうが年上なのに、見事に弄ばれてるよなぁ。

 男として情けない限りだけれど、どう足掻いても勝てそうにはなかった。


「人に慣れる、ね。言われてみれば、配信よりもっと前の段階だなとは思うけど、結局、どうすればいいのかはわかんないんだよなぁ」


 ウサギの群れの中に震える仔ウサギを放り込む……駄目だ。逃げ出す未来しか見えない。

 瑠璃さんが人慣れできるような方法はないものか。酔って働かない頭で必死に考えるけれど、妙案は出てこない。……口から別の物は出そうだけど。


 やはりお酒は苦手だ。胃の中のアルコールを薄めようと、グラスに水を注いで飲み込んでいく。

 対して、頬は赤いものの平然とした様子の御影さんは、平時と変わらぬおっとりとした口調で話続ける。


「慣れるのであれば、まずは身近なお人から。とはいえ、既に慣れ親しんだ人では意味がありません。適度に距離が近く、けれども近過ぎない人物……お相手はツバメさんが最善かと」

「うっぷ……それは、話す時間を増やせってこと?」


 最初の一歩としては妥当なところだ。

 けれど、僕の言葉を御影さんは否定する。


「いいえ。それでは刺激が足りません。少々、荒療治でしょうけれど、男性と女性が仲を深めるというのであれば、方法は一つではありませんか?」


 うふふと笑い、御影さんは言う。


「――でぇと、なんていかがでしょうか」


 彼女のとんでもない提案を聞いた瞬間、僕は目を見開き――トイレに駆け出していた。とても刺激的な時間であった。

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