第5回 理想の自分=未来の自分


「どうかしましたか、燕さん?」

「なんでもないよ」


 僕が悪い予感に襲われていると、内心を伺わせない微笑みを向けてきながら御影さんが問いかけてきた。逆に僕の内心は筒抜けなんだろうけど。

 曖昧に笑っていると「ご気分が優れないようであれば仰ってくださいね?」と、優しく気遣ってくれる。

 問題を起こそうとしている本人が良く言うよと思いながらも、僕は乾いた笑いを漏らすだけで余計なことを口にしなかった。……触らぬ美女に祟りなし、である。


 そうして、僕が火傷を負いながらも、天戸さんと御影さんのキャラクター作成の話し合いは進んでいく。

 基本的に御影さんが問いかける形で、天戸さんがおずおずとしながらも答えるという形式だ。

 けれども、やはり天戸さんの中でキャラクターイメージが固まっていないのが問題か、話し合いは難航してしまっている。

 その原因が自身だと思っているのか、暫くすると天戸さんの表情は青白く、今にも泣き出しそうになっていた。


「……わ、わたしのせいでごめっ……ごめんなさい……っ」

「ふふふ。泣き顔も可愛らしいですけれど、そう悲しまれては困ってしまいますわ」

「ごめっ」

「だーめ」

「むぐっ!?」


 御影さんが細長い人差し指で、天戸さんの唇に触れる。


「女の子が簡単に謝ってはいけませんよ? 涙も流してはいけません。女性が涙を流す姿というのは、心に訴える物がありますけれど――」


 ついっ、と天戸さんの薄い唇をゆっくりとなぞり、口の端を小さく持ち上げる。


「――やはり、笑った顔には敵いませんから。ね?」

「……(こく、り)」


 御影さんが優美に微笑みかけると、天戸さんは小さく、けれどしっかりと頷いてみせた。


「ふふ。初めてお会いした時から、お顔が固いようでしたので、少しでも緊張が解れたのならよかったですわ」

「……もしかして、最初から狙ってふざけてたの?」

「いえ? 全く」


 あっさりとした御影さんの返答に、僕の中で湧き上がった畏敬の念は一瞬にして萎えた。だろうね。

 けれど、想定していなかったとはいえ、天戸さんの人見知りがやや薄れたのは確かだ。

 御影さんはこれ幸いと、天戸さんに1つの質問を投げかけた。


「瑠璃さんは、どんな人になりたいですか?」

「どんな……人?」

「はい」


 わからないと、天戸さんの首が傾く。

 そんな天戸さんに御影さんは言葉を重ねる。


「女優、スポーツ選手、アイドル……。誰も憧れる華々しい現実の職業だけではありません。勇者や騎士、魔法使い、お姫様でも。なんでもです」

「おひめ……さまでも?」

「お姫様でも、です。――貴女はなんにでもなれるのですから」


 Vtuberになればなのか。それとも、現実における未来の可能性の話か。

 御影さんは口にはしないけれど、彼女の語る言葉には理想論ではない、確かな力があった。

 そんなことはない。自信がない。そう今にも口から零れそうな天戸さんの気持ちを言葉にはさせないままに、御影さんは彼女の気持ちを否定する。


「相応しくない? 荷が勝ち過ぎている?

 ――そんなことはありません。

 そのなりたい自分が、瑠璃さん自身になるのですから、相応しくないなんてことはありえないのですから。

 わたくしが描き上げた体に、瑠璃さんという魂が入って初めて、Vtuberという新しいキャラクターが生まれるのです。

 瑠璃さんが魂を込めなければ、絵に描いた餅。中身のないJKの制服と同じですわ」


 ……なにか、変態ノイズ入った。


「どれだけの制服を創り上げようとも、中身がなくては魅力は半減致します。女子高生の制服、それ自体が趣深い物なのは間違いありません。使用済みの制服ならば更に素晴らしい一品となることでしょう。

 けれど、制服とは女の子の体と合わさって初めて完成する芸術品。


 そう。つまり、これから行うのはキャラクターを作ることではありません。好みの制服を選ぶ、ただそれだけのことなのです。

 ――とうわけで、どのような制服が好みでしょうか? ブレザー? セーラー? それともワンピース? 色は王道の紺でしょうか? 瑠璃さんの清純さを引き立てるのであれば、白も捨てがたいですね」

「趣味に走らないでくれない?」


 途中まではとてもためになる話であったはずなのだけれど、1度変態電波を受信すると、脳内が犯されてしまい会話にも影響が出てしまうようだ。

 それはもう上機嫌に女子高生の制服について語る御影さんに、大和撫子は見る影もない。ただのJK大好きな変態である。

 その変りように、鳩が豆鉄砲を食ったように狼狽えている天戸さんを放置しておくと、彼女を等身大の着せ替え人形にした制服コスプレ写真会が始まってしまう。朗らかな笑みでスマホで連写している変態御影さんが目に浮かぶ。


 僕が御影さんのJK制服語りを遮ると、御影さんはやや不満そうに唇を結んで突き出した。

 御影さんの見慣れないいとけない仕草にドキリとさせるけれど、僕は誘惑を断ち切って天戸さんに言う。


「ちょっと……というか盛大に横道へ逸れたけど、なんだったら地面彫り出した勢いだったけれど」

手弱女たおやめにそのようなことはできませんわ」

「つまるところ、気軽に選べっていうことだよ。

 身も蓋もないけれど、ある程度見た目が可愛ければ、後は演者次第だし、なんなら企業ブーストとか男とか、どうしようもない要素の方が大きいし……」


 男は人気出にくいからとか、契約する前からわかっていたような理由が一因で解雇に至るケースもあるぐらいだからね。ほんと、どれだけ悩んだとこで無意味なんじゃないかって思うよ……人気商売は特にね……ふふふのふ。


「ツバメさん、暗いですわよ」

「……失礼」


 1人の時ならともかく、天戸さんの前で見せる姿ではなかった。

 小動物のように上目遣いで、けれど、僕の話に耳を傾けてくれている天戸さんが気兼ねしないよう、伝えるべきことを伝えなくてはいけない。


「見た目に関して言えば、御影さんの描くイラスト可愛いから。絶対に良いイラストを描き上げてくれる。それだけは保証する」

「うふふ……そのように褒められると照れてしまいますわ」


 頬を赤らめ、純情な乙女のように御影さんは照れている。僕のを理解していながら、都合の良い部分だけ受け取るんだから、その内面は純情というのにはあまりに図太い。

 僕は呆れてため息を吐きつつ、最後に一言口にする。


「だから、気負わずなりたい理想の自分を思い描けばいいんだよ」

「ツバメさんも……そう、だった?」

「ん? 僕? そりゃ自分の理想…………あれ?」


 そこまで言ってはたと気が付いた。

 自分のキャラクターイラスト作成に一切関わっていないことを。

 僕がVtuberデビューに乗り気でなかったのもあるけれど、恋歌とNyaNyaCoにゃにゃこお母様が小学生の昼休みのノリでわちゃわちゃと全部決めていたからだ。

 当時は恋歌をサポートするぐらいでちゃんとVtuber活動をする気がなかったので、いつも通り愛想笑いを浮かべて『ありがとうございます』とお礼を言って出来上がったイラストを受け取っていた。


 僕は内心焦る。

 これではわかったような口を聞きながらも、自分はできていなかったという典型的なダメ野郎ではないか。

 だからといって嘘を言うのもよくないと、素直に謝ろうとしたのだけれど、天戸さんの期待と縋るような銀の瞳とぶつかり、出かかっていた言葉が引っ込んだ。


 では、どうすればいいのか。

 頬を引きつらせながら苦悩する僕は、幼さの残るキラキラとして眩しい天戸さんの瞳から逃げるようについーっと目を泳がせる。


「……まぁ、うん。そう……だった気も……する、かな?」

「そう、なんだね」


 だった自分も頑張らなければ。

 そんな決意を瞳に宿す天戸さんを見ていられず、僕は床を見下ろした。良心が疼いて胸が痛い。

 ……こうして人は大人になっていくんだな。

 遠い昔。まだ純粋であった幼少期の頃。セピア色の思い出(幻想)を遠い目で振り返っていると、くいくいっとシャツの裾を引っ張られる。

 引っ張られた方向へ顔を向けると、恥ずかしそうにもじもじとしている天戸さんが僕のシャツを握りしめているところであった。


「あの……あのね? わたし、ね? シンデレラの映画が好きで……あっ、あんなお姫さまになれたらなって……おも、思ったり……してる、ような…………」

「シンデレラ……うん、俺も好きだよ」


 真白い顔をこれでもかと赤面させて、天戸さんはソファーの上で膝を抱えて顔を隠してしまった。

 臆病な心を振り立たせた、精一杯の勇気。

 赤くなった耳が覗き見え、彼女にとって自分の好きを語ることがどれだけ勇気のいることだったのか、顔を見ずとも伝わってくる。

 そのいじらしくも愛らしい姿に、僕の顔は自然と緩んでいた。

 ――彼女の勇気に、報いて上げないとな。

 そう思った僕は、天戸さんに握られたシャツが皺になるのも気にせず顔を上げた。


「御影さん」

「わかっておりますわ」


 僕の言いたいことを察した、というよりは天戸さんの小さな勇気に彼女も感化されたのだろう。

 タブレットを取り出し、誤操作しないよう二本指グローブがはめられた左手にタッチペンを持ち、淀みない動作で画面上にペンを走らせる。


「……?」


 羞恥に心奪われていた天戸さんも気が付いたのか、まだ赤い顔を上げると、扉の隙間から覗く幼子のような仕草で御影さんを瞳に映した。

 タブレットの中で幾重にも黒い線が描かれ、少しずつ、けれど着実に形を取っていく。

 まるで魔法かのような光景に、恥ずかしがっていたのも忘れ、まだ灰を被ったままの少女は魔女の手際に目を奪われていた。


「――このようなキャラはいかがでしょうか?」

「わあぁあっ!!」


 物の数分。御影さんの手によって描かれたヒロインに、天戸さんは歓喜の声を上げた。

 そこに描かれていたのは――


 ――まるで絵のなかからでてきたような、それはそれはうつくしいお姫さまだった――


 ウエディングドレスのようなふわふわとしたドレス。

 星の川のようにキラキラと光り流れる長い髪。

 剥き出しの肩は華奢で小さく、けれども艶やかで目を離せない。

 そして、ガラスのように透き通る宝石でできたティアラと靴が、かの童話を彷彿とさせる。

 白黒のラフ画だというのに、まるでこれで完成したかのように思わせるが、タブレットの中で魅力的な笑顔を浮かべていた。


「すごい……! すごい、きれいっ!!」

「うふふ。可愛らしい女の子にそう仰っていただけると、描いた甲斐があります」


 瞬く間に出来上がった美しくも可愛らしい美女に、天戸さんは興奮を隠しきれないのか、内気な少女はなりを潜め、わーわーと年頃の少女らしく瞳を輝かせていた。

 いや、でも……なんか……。

 対して、最初こそ言葉を失うほどに目を奪われた僕だけれども、心の熱が冷めていくにつれ、違和感を感じていく。

 その違和感がなんなのか。タブレットの中に納められた美女を上から下まで粒さに観察し、最後に全体を見てようやく察することができた。


 ――これ、天戸さんじゃない……?


 もちろん、天戸さん本人そのものというわけではない。

 タブレットの中の美女はイラストならではのコミカルさがあり、現実の天戸さんと受ける印象は異なる。

 キャライラストから受ける年齢も違い、天戸さんよりも年はいくつか上。恐らく20代前半ぐらいだ。

 高めの身長。自信に満ちた微笑み。細かな違いは多いというのに、全体で見ると数年後の天戸さんをイラスト化したようにしか思えなかった。


「すごいかわいい……」


 興奮しているせいか、はたまた本人だからか。

 熱心にキャライラストを見つめている天戸さんが気付く様子は一切ない。それこそ、僕の勘違いを疑いたくなるほどに。

 けれど、そんなはずはない。

 このキャラクターを描き上げた絵師を見れば、彼女は僕の視線に気付いて、いたずらっぽく秘密だというように人差し指を桜色の唇に押し当てた。

 後に彼女は僕にこのような説明をする。


『つまるところ、理想の自分とはいつか必ず訪れる大人未来の自分のことです。

 子供の頃、早く大人の女性になりたいと、女の子なら誰しもが思うもの。

 高い背を羨ましそうに見上げ、大きな胸を己の未成熟な体と比較し惨めに感じる。綺麗な化粧に煌びやかな服、踵の高い不思議な靴を母親の目を盗んで履いて踵を折って叱られる。そんな、大人への憧れ。

 せっかくどのような者にでもなれるVtuberですもの。ちょっと背伸びをして、未来の自分を摘まみ食い……なんて、少しばかりお行儀が悪いかもしれませんけれど、理想の自分を他人の形にする必要はないと思いません?』


 なんて、慈母のように話すものだから、ついつい変態なの中身も忘れて見惚れてしまったのは、墓場まで持っていく秘め事だ。

 ……この後『だからこそ大人と子供両方の魅力を持つJKは最高なんです』と、どこがどう繋がっているかもわからない接続語でJKについて語り始めた変態御影さんを見て、一瞬にして冷静を取り戻したが。


 この時の僕も、御影さんの茶目っ気ある可愛らしい行動にときめいてしまっていたけれど、


「それでは、このイラストを元に手取り足取り、頭の先から足の先まで、丹念に瑠璃さんの希望とこすり合わせていきましょうね」

「……言っておくけど、お触り禁止だからね?」

「……裏のお品書きメニューはありません?」

「ないよ」


 こんな変態さんでは千年の恋も冷めるというものだ。


 ■■


 こうして、つつがなく――とは言えないまでも、キャラクターイラストの作成、その最初の依頼は終わりを迎えた。

 この後は、御影さんとり合わせをしながら、キャライラストのブラッシュアップ。キャライラストが完成したらモデリングとまだまだ作業は残っている。

 とはいえ、キャライラストが完成するまでに短くとも数か月は見る必要があるだろう。

 それまで暇――なんて悠長なことはもちろん言ってられない。

 


 御影さんとの会議――というには真面目さとはかけ離れていたが――を終えた後、天戸さんは精魂尽き果てたのか、別室で真っ白な灰のように煤けて椅子に座っていた。


「……はひゅ」


 吐息なのか、鳴き声なのかよくわからない声が彼女の口から零れる。見るからに重症だ。

 こんな状態の天戸さんに言うのは忍びないのだけれど、やる気が枯れ落ちていないうちに伝えたほうがいいだろうと、僕は酷く申し訳ない気持ちになりながらも、彼女にとって非情とも言える予定を伝える。


「天戸さん」

「……はぃ?」

「配信の練習するから」

「はぃ……はぃしん? …………はは、はいしん――――――――ッ!?」


 嬌声染みた甲高い声は屋敷内に響き渡り、その声を耳聡く聞きつけた御影さんが、


「なんですか? 今のえらしー声は?」


 楚々と、けれども頬を赤らめ興奮を隠せない様子で入室してきた。

 ……えらしー声ってなに? やらしー?

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