配信裏その2

燕が辞めた後のミーティア2期生の話


 ――ここ最近、とんとツイてない。

 Vtuber事務所ミーティアの社長であるあくたは、己の不運を嘆いていた。

 人気Vtuberであった海姫うみひめレンカの脱退を皮切りに、企業案件は減り、コラボは断られ、グッズの販売数も伸び悩んでいる。犬のうんちも踏んだ。下ろしてのブランドの革靴だったのに。


「芥社長。ちょっとお話があるんですけど」


 芥の前に立つ、女子高の制服を着崩したモデルのような少女もまた、彼に訪れた災いの1つであった。

 腰まで伸びたウェーブがかった栗色の髪を一撫でし、肩に掛けていた通学用鞄を無造作に下ろした女学生は、切れ長の瞳を芥に向けて、無表情のままに問い掛けた。


「どーゆーことですか?」

「いやいや、アリスくーん。いきなりそんなこと言われても俺にはわからないよ。社会に出て働くっていうなら、説明する力ってのも大切なわけよ。わかる?」

「は? それ本気で言ってんの?」


 ドスの効いた低い声。元々細かった琥珀色の瞳が更に細まり、鋭利な刃物のように鋭さを増す。


「ほ……本気かと聞かれると、どうなんだろうねー。俺にはわからないかなー?」


 途端、強い者には従えのスタンスである芥は、攻めの姿勢から作戦変更。腰を低くして下手に出る作戦を実行する。その姿はガキ大将の腰巾着、三下のそれである。


「そ。ふざけてんのはわかったは」


 下の者には横柄に。上の者には胡麻を擦り生きてきた芥の態度を――ミーティア2期生のVtuber夢国ゆめぐにアリスはお気に召さなかったらしい。


「配信サポートどうなってんのかって話。何回かメールでも電話でも確認取ったはずなんだけど、なに? 知らんわけ?」

「あ、あー! その件ね! はいはいはいはい、もちろん知ってるとも! 忘れるはずないじゃないかアリスくーん! 敏腕社長だからねー俺は。記憶力はいいのよ」

「わかってんなら、やってくれんのよね?」

「あー……それはーそのー、ね?」


 記憶力がいいと宣った芥だけれど、都合の悪いことは秒で忘れる都合の良い頭をしているのである。当然、言われるまで忘れていた。


 アリスが問い質しているのは、Vtuber事務所に所属するタレントのサポート体制のことだ。

 ここ半月、アリスを筆頭に2期生から頻繁に届くようになった問い合わせ。

 スケジュールの調整に始まり、配信ソフトの使い方、機材の故障、版権確認、今後の展望についてなど、その内容は多岐に渡る。

 最初はメール、次に電話と芥は連絡を受けていたが『前向きに検討玉虫色』と、全くやる気のない返答ばかりをしてお茶を濁していたのだ。なぜなら、面倒臭いから。


 けれど、こうして事務所にまで突撃されては、もはや逃げようもない。

 どうやってサポートなんてやらずにこの場を切り抜けようかと、既に誤魔化す気満々なのを芥の態度で察してか、アリスの語調が更に強くなる。


「こっちは配信に支障をきたすぐらい、あっちこっちで問題が上がってんの。あーしは、その問題に対して、事務所で対応しろって言ってるだけ。あーしも含めた2期生は、配信初心者どころか、パソコン触ったことない子だっていんだっつーの」

「いやー。あくまでそれは個々人の問題であって、事務所で対応するべき内容じゃないからさー」


 ぶっちゃけパソコンすら使えん君たちが悪いよねー?

 と、内心付け加えた芥であったが、言葉にはしなかった。怖いから。

 女子高生にビビりまくる情けないおじさんに、アリスの機嫌は見るからに下がっていく。同時に室内の体感温度も下がり、事務所内は極寒の地へと変貌していく。


「あんたなに言ってんの? 配信サポートするって、契約書にも書いてあんだろ」


 芥の子供のような言い訳を、アリスは許さなかった。


「機材の提供、専属マネージャーの配置、配信に関する相談。Vtuberに関するサポートをするっていう契約で、あーしたちはミーティアに所属したんでしょ。対応すべき内容じゃないってどういう意味か説明してみろよ」

「え、あ……そうだったけ?」

「は?」

「ひ、ひいぃっ!? こ、怖いよアリスくん!? Vtuberなんだから、笑顔笑顔!」


 芥が自身の両頬を指で持ち上げ笑うも、最早アリスの機嫌は上がりようがない。冷め切った瞳は虫けらを見るように侮蔑が込められている。


 なお、芥が契約について忘れているのは、酒を飲みながら契約条件を書いたからである。当時の記憶は、翌朝の二日酔いで綺麗さっぱり吐き出した。口から。トイレで。


 『専属マネージャー付けます!』『配信初心者も大丈夫! 配信のプロが1からレクチャー!』などなど、1期生であるツバメやレンカにもできていないことを思い付く限り羅列したのだ。

 こんなん日本の政治家のマニフェストみたいなもので、契約しちゃえばこっちのものだと、酔っ払って書き上げた最初から守る気のない条件で公募したのがミーティア2期生であった。

 その効果はあったのだろう。立ち上げて3年とまだまだ若い事務所に、1,000人を超える応募が集まったのだから。


『やっぱり俺は天才だったかー! たはー』


 公募条件なんてキレイサッパリ忘れた社長の言葉である。

 そして、そんな高い倍率を制し、勝ち残ったのが今年の元旦にデビューをしたミーティア2期生の3人だ。


 デビューして間もなく、配信経験もない3人であったが、野に埋もれた原石であったようで、6月現在。登録者数は1万人を超え、一角のVtuberとして現在進行形で急成長していた。


 これまた『いやー! レンカくんに続いてまーた原石発掘しちゃったかー! 自分の才能がおっそろしー!』と、上機嫌にキャバクラへと通う芥を調子づかせる一因となってしまったわけだ。

 ……けれどまぁ、その上り調子もここまでのようで、彼の前には死神もかくやという覇気を放つアリスが、芥の首を取りに来ているわけであるのだけれど。


「言っとくけど、こっちには契約書あるから。いざとなったら訴えられるんだけど?」

「いーやいやいやいやいやっ!? それはちょーっと待とうか!? ね!! 訴えるとかはさよくないよーほんとよくない。お互い大変だしさ! 人間関係も壊しちゃうし、良いことなんてこれっぽちもないんだからー!」


 のらりくらり。赤いマントをひらひら闘牛士のように要求を躱してきた芥であったが、まさか『訴えてやる!』という台詞をリアルに突き付けられるとは考えていなかったようだ。

 芥の顔色が真っ青になる。法的処置はヤバいと、ようやく現状の危うさを理解したらしい。

 誇大広告の公募のみならず、契約書にまでしっかりと万全サポートについて記載しているのだから、誤魔化しようもなければ逃げようもない。

 契約違反で訴えられたら負けると悟った芥に残されているのは、アリスを説得する道のみである。


「とにかく、ね! サポートについては追々考えるとしてさ。もちろん! ちゃーんと体制は整えるから、タイタニック号ばりの豪華客船に乗った気持ちでドーンっと待っててよ」

「なにタイタニック号って。知らんし」

「……っ!? ジェネレーションギャップ!」


 いやそれ沈むでしょという鉄板ネタが効かない世代に、芥は今日一番のショックを受ける。


「……い、いや。それはいいや。ぜんっぜんよくないけども! 今は置いておく」芥はショックから立ち直り、越後屋宜しく胡麻をする。「うちもさ、ちっちゃい会社だからさ。直ぐにどうこうってわけにいかないことだけは、アリスくんにも理解してほしいなー。なんて。レンカくんも辞めた後で資金繰りも大変だし、下手したら潰れちゃうよ」


 事務所潰れたら君も困るだろあーん?

 下手に出つつも相手の不利益を武器に『今回は許す』という言葉をどうにか引き出そうとする。

 そして、再び文句を言ってきたらまた同じように『今回は』を引き出す。これを続けるとあら不思議。相手の要望を飲まずに永遠と不利益から逃げ続けられるのである。

 心底見下げ果てるクズ野郎の思考。


「はぁ……その話、自分で何回言ってるか覚えてる?」


 けれど、それが永遠と思っているのは本人ばかり。

 その言い訳は聞き飽きたと、言外にアリスは告げる。

 ――これはとてもマズイ状況なのでは?

 楽観主義の芥も、旗色の悪さは理解できるらしい。

 けれど、ここで引いたら負けてしまうと、得意のぺらっぺらな喋りでこの急場を凌ごうとする。


「ままま! 過去は置いておいて今よ今! ナウなリアルにフューチャーよ! 俺も日進ゲッポーエヴォリューションで進化してるっていうか。つまり、安心してねってこと!」

「あんたの頭悪そうな話し方に、安心できる要素なんてあるわけないじゃん」

「時代の最先端だからしょうがないっていうか、さ。というか、なんで今になってサポートの話が出てくんの? デビュー当初なら分かるんだけど、ここ半月だよね? 文句言ってきてるの」

「ほーん? つまり、半月前からちゃーんと問題があるってのは認識してたわけね?」

「……いやーそんなー、ね? あははははははは!」


 口が軽いのが災いして、見事に口を滑らせて自分で掘った墓穴に落ちた芥は、笑って誤魔化すしかなかった。それはもう、乾いた笑いを軽快に。

 

「あははははは!」

「……」

「あは……はは……」

「……」

「…………は……」

「……」

「……」


 アリスの無言の圧力に屈し、お調子だけで生きている芥ですら耐え切れなくなる。笑い声は掠れて萎んでいき、最後には線香花火のように儚く消えた。

 針のむしろの如き静寂が事務所を包む。

 こうなったら仕方がない。残された道は唯一つ。――土下座だ。

 プライドもへったくれもなく、芥が軽い頭を床に擦り付けようとした時であった。アリスが重い口を開いて、先ほどの芥の質問に答えたのは。


「……これまでは、ツバメ先輩が相談に乗ってくれてたんだよ」

「へ? ツバメくんが? 2期生の相談に?」


 芥が辞めさせた売れない男性Vtuber宝譲ほうじょうツバメ。

 既に芥の脳内から消えかかっていた人物の名前が出てきて、芥は目を点にする。


「……それは、現役女子高生とお近づきになりたいって、下心があったんじゃないの?」

「は? あんたとツバメ先輩を一緒にすんなし。潰すよ?」

「ごめんなさいでした!!」


 今日一番の殺意に、とうとう掃除の行き届いていない埃塗れの床に芥は頭を擦り付けた。


「あんた、社長なのにそんなことも知らないんだ」


 呆れたと、アリスは嘆息する。


「ねぇ。なんでツバメ先輩は辞めたわけ? あーしもツバメ先輩の配信で知ったし、ここ最近連絡繋がらなくって、理由も聞けてないんだけど」

「そ、それはねー……」売れてないから契約を打ち切った――などと言える空気ではない。「個人情報保護っていうか、会社の守秘義務もあるからねー」

「ふーん。そ」


 なんとも簡素な反応だ。

 思ったよりも追及の手が少なかったことに芥は安堵していたが、次に発せられた言葉で凍りつく。


「いいよ、もう。最初は調子の良いことばっかり言って、いざとなったらその場凌ぎで適当に誤魔化すのがあんたってことでしょ。十分に分かったから」


 無だった。

 先ほどまでの機嫌の悪さは鳴りを潜め、アリスは顔から感情を消していた。

 それはつまるところ、芥を見限ったということだ。

 いつかのレンカの焼き回しのような状況に、芥を焦燥が襲う。


「い、いやあの……アリスくん?」

「帰るから。じゃあね、――もう、会うこともないだろうけど」


 笑顔と無表情。

 芥に向けられた表情は違えど、意味するところはかつてのレンカと同じ。であれば、結果が同じであるのも必然だ。


 ――1週間後。ミーティア2期生であるアリスを含めた3人の事務所脱退が発表される。




 Vtuber事務所ミーティア所属ライバー……

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