第5回 他人に対して僕は愛想笑いを浮かべた。彼女は引きこもった。


 結局、天戸さんの涙を止めてくれたのは、優しく流れる時間だけであった。

 目元を赤く腫らし、頬に涙の痕を残した彼女は、ひくひくと泣いた名残を残しつつも泣き止んだでくれた。


「すん……ごめん、なさい」

「……泣き止んでくれたのであればなによりだよ」


 本当に。心の底からそう思う。少女が泣く姿は、あまりにも心臓によくなかった。

 泣き止んでくれた。それだけでも良いのだけれど、もし甘えさせていただけるのであれば、その泣きっ面をクレオールさんには見せないでもらいたい。どんな処置をされるか、想像もしたくなかった。


 そう思いつつも、僕は口には出さず、絨毯に上にへたり込む天戸さんと目線が合うよう膝を折る。水面のように潤んだ瞳からまた涙が零れやしないか不安になりながらも、彼女に優しく問いかける。


「ただ、どうして突然? 天戸さんのせいって言われてもよくわからないんだけど」

「……ぐずっ……わたしのせいだから」


 水音と共に赤くなった鼻をすする天戸さんは、僕の目から逃げるように涙で濡れた床を見る。


「……わ、わたしのせいで、つ、ツバメさんを無理矢理、連れてくることになっちゃった」

「天戸さんのせいって言われてもな……正直、未だになんで僕が連れてこられたかわかってないからなぁ」


 天戸さんをVtuberにするためとクレオールさんは口にしていたけれど、それがどうして僕だったのかはまだ不透明だ。目の前の少女が望んだような雰囲気だったが、明確な理由は分からず仕舞い。

 不思議に思い首を傾げていると、その答えを天戸さんは言い辛そうにしながら教えてくれる。


「わ、わたしがツバメさんみたいなVtuberになりたいって、クレオールに言ったから」

「僕みたいな……?」


 目をパチクリさせて、思わず彼女を見てしまう。

 すると、天戸さんの顔は腫れとは違う理由で赤く染まり、恥ずかしそうに顔を覆う。

 なんとも乙女らしく可愛らしい反応だが、僕としてはなんとも言えない微妙な気持ちになった。嬉しいような、申し訳ないような、そんな曖昧な気持ち。


「それはなんというか……止めといたほうがいいと思うよ? 契約打ち切られちゃうような底辺Vtuberだからね、僕」

「そ、そんなことないもん……!」


 謙虚でもなんでもなく、ただただ事実を口のだが、天戸さんは殊の外勢い良く僕の言葉を否定した。

 顔を上げ、目尻に残っていた涙を宙に弾きながら、不満そうな感情を宿した銀の瞳が僕を真っ直ぐに射抜いた。

 けれど、その反応も一瞬。彼女の反応に驚いた僕がきょとんとすると、蝋燭の火のように瞬く間に小さくなって消えてしまう。最後に付け加えるのは、申し訳なさそうな謝罪だ。


「ご、ごめんなさい……」

「いや、謝る必要はないんだけど……むしろ、ごめんなさいは僕の方って言うか」


 対象が自分のこととはいえ、天戸さんの思いを否定するのはよくなかった。

 膝を突き合わせ揃って俯き謝り合う姿を傍から見ていたら、とても辛気臭く、重苦しく映ることだろう。

 申し訳なさが先に立ち、なんと言えばいいのか迷ってしまい沈黙が続く。一旦止めると、余計に喋りだし辛くなってしまい、静寂が痛くなってきた時、意外にも息苦しい沈黙を破ったのは天戸さんだった。


「……あの、ね? 聞いて欲しいんだけど、いい、かな?」

「もちろん」


 僕は即座に頷く。

 この重苦しい沈黙が破れる話はいくらでも聞くし、なにより、ここ数日求めてやまなかった天戸さんとの会話だ。なにを置いても、聞く耳は持っている。

 彼女は白いドレスのスカートの上で、両手をせわしなく動かし落ち着かない様子ながらも、浅く呼吸を繰り返して小さな声でゆっくりと話し出す。


「わたし、人と話すのが昔から苦手で、小学校の頃からひとりぼっちだったの。クラスのみんなは、仲の良い子と楽しそうに話してて、いいなぁって、うらやましくって」


 たどたどしく話す天戸さんは当時のことを思い出しているのか、悲しそうに目尻が垂れる。

 僕はまた泣き出しやしないかと内心おろおろしていたけれど、彼女の話を遮るわけにもいかず、必死に心を落ち着かせていた。


「だから、ね? 話しかけようとはしたんだよ? けど、声をかけようとしても、足が動かなくって。……怖かったの。わたしが話しかけたら迷惑なんじゃないかって。だって、わたしみたいな面白くない子と話してもなんにも楽しくないもん。わたしと話してもぜんぜん楽しくなくて、そのせいでもっと嫌われたらって思うと、声……かけられなかったの」


 気弱な少女の良くある話。

 けれど、天戸さんにとっては我が身のことで、切実な問題なのだ。話す声音は重く、一言話すごとに喉に棘が刺さっているかのような痛々しさが見て取れる。


「そんな風にね、思っていたら教室の中にいるのも怖くなっちゃって。いるだけで、嫌になっちゃう人がいるんじゃないかって。そう考えちゃったら、学校行けなくなちゃった……」


 不登校。そんな言葉が僕の頭を過ぎる。


「みんなは学校に行けてるのに、わたしだけ行けてなくって。お母さまやお父さまに悪い子ってしかられるんじゃないかって思ったらお部屋から出るのも怖くなっちゃったの」


 天戸さんが切々と語る内容は、僕にも覚えがあった。

 他人に嫌われるのが怖い。そう思うと中々自分から話しかけられなくなって、気付けば一人になることが多かった。

 成長するにつれ、僕は他人に合わせる方法を覚えていった。愛想笑いを浮かべて、相手が不快にならないよう話を聞き、思ってもないのに共感したと口にする。多かれ少なかれ誰もが持っている、世の中を生きるための処世術だ。

 それが良いのか悪いのか。僕には善悪を定義できるような資格も能力もないけれど。

 確かなことは、天戸さんは他人との関わり方を知る前に、接触を断ってしまったということだ。


「けど、お母さまもお父さまもわたしを叱らなくって。お父さまはわたしが嫌な思いをする学校なんて行かなくていいって、誰もいないこの島に、お城を建ててくれたの。お母さまも、わたしの好きにしたらいいって言ってくれたんだけど、

『お母さまはね? 瑠璃が幸せならなにをしていたっていいと思っているわ。本当よ? だから教えて。今の瑠璃は幸せ?』って。

 そう聞かれて、なにも答えられなかったの……」


 当時、返答できなかった自身に罪悪感を覚えているのだろう。

 甘く、厳しい母親だ。答えられないと分かっているはずなのに、敢えてその問いを天戸さんにぶつけたのだから。 


「幸せなんかじゃなったの。だって、嫌なことから逃げただけだったんだもん。怯えて逃げてばかりの自分なんて、好きになれない。けど、お外に出るのはもっと怖かった……。なにもかも忘れたくって、真っ暗なお部屋で、タブレットを使ってゲームをしたり、動画を観ていていたの」


 天戸さんも自身の行動が幸せに繋がるものではなく、逃避だということは理解しているのだろう。それでも、部屋の外に一歩踏み出す勇気は持てなかったのだ。


「毎日毎日、引き籠って、小学校を卒業してから学校も行かなかったの。楽しくもなかったけれど、怖い気持ちや悲しい気持ちを紛らわせてくれたのは、画面の向こう側だけだったもの。

 ――けど、けどね? たまたま動画を観ていた時にね? 宝譲ほうじょうツバメって言うVtuberの生配信がおすすめで出てきたら、ほんとに偶然、なんとなく観てみたの」

「……僕?」


 まさかこの流れで僕の名前が出てくるとは思わなかった。

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