第4回 Vtuber活動準備中に事件性のある叫声が響く


 マネージャーとして雇われた拉致されたにも関わらず、マネジメントすべき相手は未だに姿を見せない。

 結局僕は、地の利が向こうにある限り捕まえられないと諦めて、クレオールさんの言う通り待ってみることにしたのだった。急いては事を仕損じる、である。


 待つとは言っても、なにもせず口を半開きにしてぽけ~っとしているわけにもいかない。

 いつ何時、天戸さん本人がやる気になってもいいように、Vtuberとして活動するための準備を進めることにした。


 手始めに、クレオールさんにVtuberとして活動するための準備がどれだけできているのか確認を取るつもりだ。

 活動資金は十分にあり、拉致までする行動力もある(?)のだから、さぞ万全な態勢が整っているのだろうと思っていたのだけれど……。


「いえ。準備は1つも進められておりません」


 雑巾を片手に廊下の窓拭きをしていたクレオールさんに聞いてみると、そんな答えが返ってきて驚いた。

 浮かべていた愛想笑いにヒビが入る。


「1つも?」

「はい。1つも」

「これっぽちも?」

「はい。埃1摘まみほども進んでおりません」

「コンシェルジュって掃除までするんですか?」

「お客様のリクエストが、コンシェルジュの仕事となります」


 雑巾片手にニッコリと笑うクレオールさんは、黒のスーツに白のエプロン姿だ。城の給仕というよりも、休日のOL感がとても強い。似合ってはいるけれど。


「まさか進捗0とは思いもしませんでした……」

「そう肩を落とさないでください」

「あの……窓拭きに使った雑巾で肩を叩かないでくれません?」

「安心してください。使用していない綺麗な面です」


 それでも嫌なんだけど。


「こうして掃除はしておりますが、本来コンシェルジュとはお客様のリクエストを叶えるためならば、どのような手段も使います。例えば、美味しい料理をお求めならば、レストランの予約をする、料理を届けてもらう、または、料理人に来ていただくというのも1つの方法です」


 クレオールさんは金色に輝く、鍵の形をした2本の髪留めに触れる。


「これは私の自論ですが、コンシェルジュは万能家ジェネラリストであるべきです。けれど、求めるべきはお客様に満足していただくこと。Vtuberについて深く知らない私よりも、その道に携わっていたプロにお任せするのが、なにより1番でございますから」

「……拉致してでも?」

「時と場合によっては」


 有無を言わせぬ力強い微笑みだ。コンシェルジュとは、過激派の政治家かなにかなのだろうか。

 僕は嘆息する。


「まぁ……事情は理解しました。驚きはしましたが、事実、0からスタートというのであれば、やりやすいですしね」

「ご納得頂けたのであれば、なによりです」


 ちなみに、と言いクレオールさんがスーツのポケットから取り出したのはブラックカード。

 写真を撮るように手を「」鍵括弧型にし、僕に見せてくる。


「予算は青天井ですので、必要な物がありましたらなんでも仰ってください」

「……予算内で収めろって言われるより、精神への負担が大きい」

「燕様は小心者でございますね」


 庶民的と呼んでほしい。


 ――


 まさかの予算上限なしという破格の待遇に、自室に戻った僕の胃は悲鳴を上げていた。


「うぅ……これで失敗したらどうしよう」


 予算がなかったからという言い訳は通じない。

 Vtuberというのは配信する本人次第な部分も大きいので、全責任を被るということもないだろうけど……いや、拉致するほどの強硬派だ。最悪、海に沈められるのでは?

 心配ばかりが山となりながらも、僕は必要な物をスマホのメモ帳に記入していく。


「えぇっと、まずはパソコンに、カメラ、マイク。防音室は……いらないだろうなぁ。無人島だし」


 迷惑をかける隣人がいるわけもない。配信環境としては最強ではなかろうか。

 そもそも、城内に防音室ぐらいありそうである。予算が青天井だったとしても、無駄に使う理由はない。削れるところは削るべきだ。


「後は、動画編集ソフトに、アニメーションソフト……あー。そういえば、2Dか3Dか聞いてなかったな」


 とはいっても、僕が配信で使っていたのはLive2Dのみだ。3Dは必要な予算が2Dよりも高く、Vtuberとしてギリギリの人気でやっていた僕には、縁の無い物であった。ちなみに、同期の海姫レンカは企業所属になってから直ぐに3D配信をしていた。


「もし3Dでやるなら撮影スタジオとかもあった方がいいんだろうけど、どっかのスタジオ借りに行く……わけにもいかないよね。無人島だものね。だからといって造ってもらえるわけ……城建てちゃうぐらいだもんなー。あっけなく造っちゃいそうだなぁ」


 僕の一言で「一晩で造りました!」とか言われても困る。

 それで活用しなくて、埃を被ることになったら、とてもではないが耐えられそうにない。入念な予算計画が必要だ。僕のメンタルの安定のためにも。


 あれやこれやとスマホ片手に没頭していた僕だったけれど、Vtuberになるにあたり一番大事な物を忘れていたことに思い至った。

 これなくしてVtuberになることはできない。それほどまでに大事な物を。


「キャラクター作らないと」


 2Dであれ、3Dであれ、Vtuberの顔となるキャラクターはなによりも大事だ。

 天戸瑠璃という魂を入れ込む、大事な分身アバター


 そんな大事なキャラクターを作るためにも、イラストレーターへの発注は必死項目だ。


「天戸さんにもイラストの好みはあるだろうし、そこは擦り合わせるとして。ある程度候補だけ出しておかないと。イラストレーターさんのスケジュールもあるだろうし……お金で解決しそうだけど」

「……あの」

「うひゃったらぁっ!?」

「ひうっ!?」


 急に声をかけられて、体がビクリと跳ねて変な声が出てしまった。

 バクバクと激しく弾む心臓を押さえながら振り向くと、そこには涙目で頭を抱える小さな白ウサギ――もとい、天戸さんの姿があった。


「あ、天戸さんか……。ご、ごめんね? 驚かせちゃって」

「う、ううん。こっちこそ、ごめんなさい。いきなり、声をかけて驚かせちゃって」

「いやいや、全然問題ないよ? むしろ、どんどん話しかけてほしい」


 白いドレスの裾を強く握りしめ、天戸さんは怒られた幼子のようにいとけない仕草で俯いてしまっている。それでも逃げ出す様子のない天戸さんに、僕は内心喝采を上げていた。

 本当に待ってたら来てくれた。クレオールさんのアドバイスは的確だったよ。

 天戸さんを追いかけて5日。どんなに走り回って追いかけようとも、彼女の影さえ踏めず、一言も会話することのできない日々が続いていた。

 そうして、精魂尽き果て、半ば諦めて作業に没頭していたら、怯えながらも向こうから近付いてきてくれたのだ。警戒心の強い野生動物が、僕の手から餌を食べてくれたような感動が今、僕の心を満たしている。

 僕はこのチャンスを逃がすまいと、怖がらせないよう笑顔を作り、優しい声音で話しかける。気分は迷子の子供に話しかけるお巡りさんだ。誓って、変質者ではない。


「それで、どうしたの? 僕と話してくれる気になったのかな?」

「……っ」


 小さく悲鳴を上げ、天戸さんは怯えたように震えた。とても悲しい。


「ええっと、ね。今、僕は天戸さんがVtuberになるための準備をしていてね?」

「――ご、ごめんなさいっ!!」

「……へ?」


 突然、頭を下げて謝る天戸さん。

 銀の長い髪が床に付いてしまうほど、しっかりと頭を下げている。

 あまりにも予想外の行動に息の仕方も忘れてしまった僕だったけれど、ぽつりぽつりと、絨毯に雫の斑点模様が描かれ、ぎょっとしてしまう。それが涙の痕だと分かったからだ。

 ひくりとしゃくり上げる嗚咽まで聞こえてきて、僕の心は突然嵐に見舞われた小舟のように、上に下にと大荒れだ。


「ど、どどどうして泣いて……!」

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!!」

「なにを謝ってるのかわからないけど、とりあえず落ち着いて!? ねっ!?」


 どうにかこうにか泣き止ませようと、両手を広げて右往左往。

 女性の、それも年下の少女の泣き止ませ方など知らない僕は、慌てることしかできなかった。


「もしかしてずっと逃げてたこと!? あれなら全然気にしてないから大丈夫! むしろ、何日間も追いかけちゃってごめんね!? 怖かったよね!? もう追いかけたりしないから、どうか、海に沈めるのだけは――」

「――こんなことになっちゃってごめんなさいっ!!」


 こんなことがなにを指すのかは直ぐに理解ができた。僕を拉致したことだ。

 なぜそれを今更謝るのかとも思ったが、大金を払えばなにをしてもいいという歪んだ考えを持っている高飛車お嬢様じゃなかったとわかったことは収穫だった。

 けれど、状況は最悪だ。


「全部っ、全部わたしがいけないのっ……わたしが、わたしがっ。う、うわあぁあああああああああああああああああんっ!?」


 遂には決壊して、銀の瞳からぽろりぽろりと大粒の涙を零す。

 室内に響き渡る大きな泣き声。Vtuberとして配信している時よりも、防音がしっかりしているか心配になる。


 どこをどう切り取っても、幼気な少女を泣かせている不審な男の図だ。無神論者な僕だけど、この時ばかりは信仰深い信者となって神様に祈った。誰も来ませんように、と。


「じ、事情を話してくれない? 泣くのも、謝るのも、その後で、ね?」


 綻びまみれの年上としての矜持をどうにか保ち、慣れないながらも精一杯、泣いて悲しむ少女を慰める。

 ……ほんと、どうしてこうなった。

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