第3回 白ウサギとかくれんぼ


「瑠璃様の御父上は、瑠璃様のことをそれはもう溺愛しております」


 天戸さんのマネージャーになって1日目。

 昨日は衝撃的な展開が続き、精神的負荷が大きかったのか、案内された客室で泥のように眠ってしまった。

 僕の意識としては、今日からが城での生活1日目という感覚である。城での生活、というファンタジックな言葉にはまだ慣れない。

 ……朝起きて、客室に衣裳部屋があることに驚いたけれど、なにより持ってきていないはずの僕の私物一式が持ち込まれていたことにはもはや言葉もなく、考えるのを止めて「キガエアッター」と素直に喜んだものだ。


 そうして、なぜか新品のようにパリッとしたシャツに袖を通した僕は、早朝だというのに寝癖一つなく黒いスーツで身を引き締めたクレオールさんに、食堂へと案内されているところであった。

 道すがらクレオールさんが話してくれたのは、天戸さんの父親についてだ。


「瑠璃様の御父上様は、天戸グループのCEOを務めておりまして、端的に申し上げれば、日本どころか世界中でも有数のお金持ちでございます」

「……うわー、聞いたことあるその会社ー」


 というか、僕、そのグループの携帯会社と契約してるし、通販も利用してるんだけど。

 僕の知っている限りでも、通信、通販、電気、旅行、不動産などなど、多くのサービスを提供している会社だ。

 昨日の出来事だけでも相当なお金持ちだと思っていたが、名前を知っているどころか現在進行形でサービスを利用している身近な会社だとは想像もしなかった。


「そんな天戸家のご当主様は一人娘の瑠璃様を大変可愛がっておりまして、

人と接するのが苦手な瑠璃様のために誰もいない無人島を買い与え、

おとぎ話に出てくるようなお城が好きだと仰ればメルヘンな白亜城を建造し、

生活に困らないよう自然しかないような無人島に日本の都心レベルのインフラを形成。

身の回りのお世話をする使用人は可能な限り少なく、また同性だけにするなどと、お金に糸目は付けません」

「溺愛し過ぎでしょう」

「愛が深いのでございます」


 耳触りの良いオブラートである。物は言いようとはこのことだ。

 結局、ここが日本周辺の島なのか、それとも海外なのか、クレオールさんは教えてくれなかった。けれど、どこであれ無人島を買うのすら巨額の資金が必要で、そこにインフラ整備に城まで建てるとなると……庶民の金銭感覚が染みついた僕の貧相な頭ではとても理解が及ばない。

 ただ、これが例えお金持ちであったとしても、行き過ぎた親馬鹿だということだけは分かる。


「お金持ちの親馬鹿は盲目で、無敵ですね……」

「そうですね。けれど、弱点がないわけではございませんよ?」クスリと可笑しそうにクレオールさんは笑みを零した。「ご当主様は愛妻家でもありますので、奥様には頭が上がりませんので」

「そういうところは普通なんですね」


 女性のお尻に敷かれる顔も知らない天戸さんの父親に対して、少しばかり親近感が湧いた。女性というのは、どんな立場であれ強く逞しいものなんだなと、改めて実感する。


 恋歌れんかを思い浮かべて顔を引き攣らせていると、クレオールさんの足が大きな木製の扉の前で止まる。


「話の区切りも丁度良く、食堂に到着しましたね」

「……食堂に向かうだけで、1つの話題が話し終えるぐらい廊下が長かったわけですけど」

「では、燕様。どうぞお入りくださいませ。瑠璃様がお待ちでございます」


 恭しくクレオールさんが扉を開けてくれた先は、これまた煌びやかでメルヘンチックな食堂であった。

 漫画やアニメでしか見た事のないような、白いクロスが敷かれた長いテーブル。

 天井から吊るされた白と金のシャンデリアには、蝋燭の火が灯り、室内を淡く照らしでしていた。

 テーブルには等間隔に白と赤の薔薇が飾られ、室内の白さと相まってメルヘン度を高めている。

 総じて白を基調とした可愛らしい食堂に、僕は場違い感を覚えて踏み込むのを躊躇してしまう。

 けれど、暖炉の飾り棚マントルピースの上にある、不思議の国に繋がっていそうな大きな鏡を覗き込む真白い少女を見つけて、僕は驚かさないようゆっくりと近付いていくと、小さく声をかけた。


「えーっと。おはよう、天戸さん」

「……っ!?」


 僕の声に驚いた猫が毛を逆立てるように、ビクリと肩を跳ねさせた天戸さんは、ブリキのおもちゃのようにぎこちない動きで、おそるおそる振り返る。

 僕と目が合うと、銀月のように美しく輝く瞳がまん丸に見開かれ、背景と溶け込んでしまいそうな病的なまでに白い肌は、見る見る内に赤みを帯びていく。

 見るからに驚き、怯える少女をこれ以上怖がらせないよう、にへりと作り慣れた愛想笑いを浮かべた瞬間――天戸さんは声にならない悲鳴を上げて駆け出していった。

 まるで不審者にでもあったかのような反応に、僕は頬が引き攣るのを感じた。


「……え。逃げられた?」

「脱兎のごとく、ですね」


 一連の流れを見ていたクレオールさんは、そんなありきたりな感想を口にした。


「ちなみに、お嬢様は大変奥ゆかしいお方で、初対面、それも殿方がお相手ですと、恥ずかしさのあまりお隠れになってしまうことがあります」

「……つまり?」


 引き攣った頬が戻らない僕が問いかけると、彼女はニッコリと笑って言う。


「かくれんぼです」


 なるほど。かくれんぼ……かくれんぼ。

 ……このお城、都心の高層ビルより大きくて広いんですけど? やるの? かくれんぼ? え…………。


 ■■


 白ウサギを追かけて3日が経った……そう、3日もである。


 始めこそ、城の大きさに気後れしていたが「とはいえ、女の子の足だし、結構簡単に捕まえられるかも」と気軽に考えていた。そんな能天気な過去の自分を、僕ははたいてやりたい。

 お城が大きいのは理解していたけれど、構造があまりにも複雑で、どこがどこに繋がっているのか全く分からないのだ。まるで迷路だ。気付いたら森の中に居た時は途方に暮れて泣いた。


 尻尾のようにひらりと揺れるドレスの裾を見つけて、袋小路に追いつめたと思ったら、通路の先に少女はおらず、まるで煙のように姿を消していたのだ。

 あまりにも驚いた僕は、ここはワンダーランドかなにかなのかとクレオールさんに問い詰めたら、彼女は珍しく目を点にして、それはもうおかしそうに笑うのだ。


『このお城には、隠し通路や隠し部屋など、城の見取り図にもない仕掛けが多数ございます。瑠璃様がいなくなったように見えたのも、恐らく隠し通路を使ったのかと存じます』


 クレオールさんの至極真っ当な答えに、僕は頭から湯気が出そうであった。

 なんだ、隠し通路に隠し部屋って。無人島に白亜城と相まって、僕にとっては現実離れした、不思議の世界そのものだ。

 そしてなにより、出会った当初の儚げな印象から程遠いほど、アクティブに逃げ回る天戸さん。

 白い影は見えても捕まえるまでには至らず、都合3日も城内を走り回っているのである。

 年下の少女一人捕まえられず、なんとも情けないお話だ。


 今日も朝から逃げる白ウサギを追い掛け回していた僕は、小休憩とクレオールさんが淹れてくれた紅茶を食堂で飲んでいた。

 なんの茶葉かは一切分からないが、いつも飲んでいるパックの紅茶とは違いとても美味しい。なにがどう美味しいのか、僕の貧乏舌では説明できないのが悲しいところだ。


 どうやって捕まえたものか。僕が肩を落としていると、傍で給仕をしてくれていたクレオールさんが助言をくれる。


「追いかけるから逃げられるのです」

「……いや、追かけないと捕まえられないんですけど」


 追いかけないで、どうやって逃げる相手を捕まえろというのか。

 困惑する僕に構わず、クレオールさんは2本の指を立てて左右に揺らす。


「ふりふりと揺れる魅惑のお尻ばかり追い回していても、怯える少女は捕まりせん」

「言い方」


 犯罪臭が香ばしく香る言い回しは止めていただきたい。


「これまで恋人は?」

「……この話に、なにか関係ありますか?」

「女性経験は?」

「…………質問の意図が分かりません」

「承知しました。これまで恋人は0人で、女性経験も皆無」

「ひ、一言もそんなこと言ってませんけど!?」

「違うと?」

「…………………………………………」

「沈黙は雄弁でございますね」


 しくしく。

 心の内側を土足で踏み荒らされ、隠していた秘密を暴かれた気分だ。

 真っ赤になった顔を両手で覆い、僕はさめざめと泣いた。小さな自尊心は道に捨てられたビニール袋のようにボロボロだ。


「では、奥手な草食系男性であられる燕様に1つアドバイスを」

「情け容赦もないハートのクイーンなのかな?」


 僕の弱々しい咎める声には耳を貸さず、まるで恋愛巧者な雰囲気で、女性へのアプローチについてご高説を垂れる。


「女性を振り向かせるには、時に待つことも大事なことでございますよ?」

「待つ……」


 僕は説明された言葉を反芻し、閃きを得た学者のような顔つきで勢い込んで質問する。


「じゃぁ、僕のことを好きな女性が居て、いつか告白してくれるかもしれないと待つのも、正解ってことですね!?」

「いえそれはただ告白する勇気もないモテない思考の男性です」


 僕は白いテーブルクロスに顔を伏せて、涙で濡らした。

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