玉兎月影勝(たまうさぎつきのかげかつ)




 戦争直前期の杜撰な都市計画——その一つが、武蔵野の改革だった。


 師匠はこう言っていた。初期は、政府高官や政治家向けの避難壕シェルター付き高層住宅地として。中期は、不足した戦争兵器の開発拠点として。そして最後には、打ち捨てられた貧民の街として。


 常芦門を入ってゆけば、すぐ中心街に出る。

 雑木林の如く立ち並ぶ、錆びついた高層建築。


「そろそろ、か」


 草木も眠る丑三つ時。

 夜空を見上げると、銀糸を垂らしたような軌跡が見える。その糸の降りた先からは、地鳴りの音も響いてくる。

 ひび割れた土瀝青の上を、あたしは無心で駆けた。


 兄の最期の姿が、脳裏に浮かぶ。


 火薬使いの天才だった兄は、子供時代から廃工場に潜り込み、器用に武器をこしらえていた。傭兵団の長となった後は、月の怪物退治を請け負った。あたしにも火薬の使い方を教えてくれはしたが、戦場に連れて行くことはついぞなく。


 どしん。どしん。

 怒れる幼子の地団駄じみた、地鳴りの音。


「……影勝かげかつ


 噛み締めた唇が、苦い血に滲む。

 廃墟の一つの外壁に、鉤爪をつけた鋼鉄糸を放って、上へと登る。地面にいるのは危ない。だが、上にいても、一所に留まることはできない。

 一番高い場所から、街を見下ろす。



 が堕ちていた。



 亡霊と見紛う虚ろな半裸の立ち姿を、取り囲むように浮かぶのは、棒状の巨大な白石。中心は細く、両端は太い——まるで杵の形。個数は八本。


「相も変わらず、しけた面だね」


 言いながら、額がかすかに汗ばむ。生気の無い蝋のような四肢と、斜陽の如くに真っ赤な瞳——散々想像の中で闘ってきたとはいえ、いざ目の前にすると、否が応でも以前まえのことを思い出した。自分がまだ無力だった頃。ごうと杵を地面へ振り下ろす音。避難民を庇い、前へ出る兄。圧し潰される脚。舞い散る赤。


 兄たちは勝率を上げるため、怪物を危険な方から「月・雪・花」と組み分け、個体名をつけていた。


 こいつの名前は「影勝」。組分けは「月」。文句なく一級の化物であった。


「……彼奴め、悠長に寝ぼけてやがる。見てな。その気色悪い目を覚ましてやるよ」


 あたしは小銃擲弾ライフルグレネードを構え、化物の脳天へ向けて構える。奴の蒼白の額に埋まるようにして生えている、一対の電極。あれが八本の杵を浮かして振るう動力源なのだと、蘇芳は言っていた。


 微音とともに、一発目を放つ。


 放物線を描いて飛ぶそれは、着弾の後に炸裂し、その頭を電極もろとも吹き飛ばす。はずだった。


に楽天が……からうたに」


 どしん。

 一層強く大地が揺れたと思えば、杵が隙間なく並び、衝撃を阻んでいる。しくじった。が、これで死んで貰っては、こちらとしてもつまらない。あたしは鉤爪と鋼鉄糸で、建物から建物へと移動する。


 目が覚めたように赤眼を瞬かせ、影勝がこちらを凝視している。


 八本の杵は微塵も欠けることなく、尚もどすんどすんと、道の隙間に茂る緑と黒い舗装を捏ねるように突きまくる。不規則に、不機嫌に。


「つらねし秋の、名にし負う」


 呪術師の呪禁の如く、低い囁きが漏れる。

「三五夜中、新月の——」

 皆まで聞かぬまま、あたしは一旦廃墟の屋上に降り、次弾を撃つ。杵の盾に防がれるのも承知の上で。しかし杵の三本が賢しくもこちらの真上に来、雨雲のように影を落とす。


「……容赦無しだねえ」


 小銃を担ぐ暇はない。武器を捨てて糸を放ち、隣へと飛ぶ。ふわりと浮き上がる感覚。続けて背後から轟音。秋の涼風と土煙。抉れ崩れる元高層住宅。大地震の如き、月天の災い。


「そんなにうちらが憎いかい、影勝」


 母もなく、父もなく。


 果てしなく続く田園と山花の、素朴に美しい故郷もなく。

 

 月の世界は、修羅の世界。狂気の世界。涙もとうに枯れ果てて、求めるはただ、粛正。贖う血。呪わしい己が運命への復讐。たとえ理に敵わぬとも。


「あんたはあたしが仕留める。そうしなくちゃならないんだ。あんたは最後の道を踏み外した。あたしの兄は——蘇芳は、殺した敵のためにさえ、涙する人間だったのに」


 


 


 


 

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