第4話 家庭教師

 商店のジョスさんと息子のユーグ君の家庭教師を教会の仕事を終えた午後に1日1時間で週4日、週給金貨1枚で契約した。教会の仕事を終えてからというのが少し曲者で、仕事が長引くであろう日でも家庭教師を優先するとの条件が付いた。本来はだめだが今は少しでも食事事情や服飾まわり改善のために条件を飲んで契約した。


 冒険者にでもなれればもっと稼ぐことはできるだろうが、孤児院にいる今の身の上では教会の下働き以外に働くすべはないし、この年齢でこの時給は破格と言って良いだろう……多分。


 契約期間はとりあえず2か月間、学校でユーグの成績が上がるようなら契約期間の延長も考えるという内容だ。さらに丁度2か月後の家庭教師が終わる頃に学校で試験があるから僕の算術の家庭教師を続けるか終わらせるかをその結果で判断されることとなった。


 家庭教師の初日、まずはユーグと話して算術のレベルと本人のやる気を確認した。


「それじゃユーグ、問題を出すので回答してくれ」


「……わかった」


「1個で銅貨1枚のリンゴを5個と、10本で銅貨1枚のニンジン30本を買いに来たお客さんがいたとしていくらになる?」


 ユーグは指折り数えた。


「えっと、銅貨1枚のリンゴが5個で500G、銅貨5枚で、10本で銅貨1枚のニンジン30本だから、えっと銅貨が5枚と銅貨が3枚で全部で800G、銅貨が8枚だ!」


「うん。正解!」


「次、1個で銭貨8枚のレモンを15個と、15個で銅貨1枚のジャガイモを30個買いに来たお客がいたらいくら払ってもらう?」


 問題は理解力を確認するためだからわざとゴールド換算ではなく貨幣換算で出しているのだが、またもユーグは指折り数える。


「えーっと、銭貨8枚が15個、えっと、えっと、で、15個で銅貨1枚の……」


 額にうっすらと汗を浮かべて指を折り続けて、目には敗北の色が濃厚に浮かび、頭には湯気が出ている幻覚が見えたので……


「答えは1400G、銅貨14枚、つまり銀貨1枚と銅貨4枚だよ」


「もう少し時間かければできてたし!」


「それってすぐにできてないし、算術は短い時間で正確にできたほうがお客さんも助かるんだからしっかり覚えようよ」


 僕の言葉にユーグは眉根を寄せて抗議してきた。


「お、大人になるまでで良いし、い、今すぐにできなくても困らないだろ!」


 ここで有名だったあのセリフを使ってみた。


「じゃぁ、いつ覚えるの?」


「え?」


「これまでそうやって誤魔化してきたから今できないんだよ。いつ覚えるの?今でしょ?」


 言っておくが、あの表情は作ってない。とりあえず先の2問で小学生低学年並み、しかも掛け算は覚えていないレベルであると判断したが、学校もこのレベルなのだろうかと想像すると算数のレベルはかなり低いとわかる。


 ユーグのやる気度も低いことは分かったが本人にやる気がないなら勉強の効率は著しく落ちる。やらされていると考えて取り組むとあまり身につかないのが一般的だろう。ユーグののやる気スイッチを探すのが先か?ちょっと探ってみるか?


「ユーグ、……もしさぁ、他人より剣で強かったり、勉強ができたりしたら『あいつすごい』って思わない?」


「そ、そうかもだけど……」


「例えば気になる女子がいてさ、算術の授業中にパパっと答えられたらカッコよくて惚れちゃうかもしれないよねぇ?」


「え?そういうもんなのか?」


 あ、気になる女子に食いついてきた?そういう年頃だよね~、本当は『ただしイケメンに限る』って付くけどな。


「ユーグはどう思う?」


「い、いや……確かに、そういう気もするけど……」


「僕が女子ならやっぱりカッコいい方が気になるもんなぁ。ま、剣術や勉強は毎日の積み重ね。1日少しの時間でも続けることが大事だし、それができない人には身につきにくいんだよね」


「少しの時間でも?」


「うん。僕の感覚だと1日1時間でも他のことを全部捨てて算術だけに集中すれば2か月でお店の勘定は問題なくできるようになると思うよ」


「本当か?俺は学校で2年勉強してるけど今でも間違えているんだが、本当にできるようになるか?」


 そうそう、嫌なことでもこうやって2か月とか期間が決まって、ゴールが見えると人って頑張れるんだよね。


「できるようになると思うよ」


 ユーグから視線をそらさずに答えるとユーグは小さく息を吸い込んで宣言した。


「わかった。騙されたと思ってレオンが来る時間は他のことを捨てて頑張ってみる」


「じゃぁ、頑張るのは明日からでいいから、今日は気になってる女子のこと教えろよ」


「な!てめっ!さっき、覚えるのは今でしょ?とか言ってたくせに!」


 僕たちは思わず笑いあって残りの時間を気になっている女子のことを話した。もちろん、どういう子なのかは誰にも教えられない2人だけの秘密だ。


 初日はユーグのレベルを確認して終わり、帰る時にジョスさんへユーグ用の教材を作るために紙、羊皮紙をたくさん欲しいと要求すると、その日の夕方には形こそ不揃いだがB5からA4サイズ程度で100枚ほどの紙束を孤児院に届けてくれた。


 家庭教師2日目からは僕が作った教材を使って勉強した。教材は四則演算の基礎的な問題ばかりだが3つの構成にしてあり、一つ目は二桁の足し算や引き算、二つ目が穴埋め問題、三つめが文章問題で、問題への回答を書かせて答え合わせ、間違っていればその個所を復習するという流れで、正答率が高くなって僕が認めれば問題の難しさを上げていくことにした。


 たったこれだけなのだが、他のことを全部捨ててこれだけに集中するという約束をユーグがきっちり守ってくれたことが良かったようで、たった1か月で足し算、引き算は2桁から4桁に、2か月目に入るころに2桁の掛け算と割り算を入れた教材となっていった。


 思っていたよりユーグは地頭が良かったようで集中したからか僕の想定したレベルに問題なく達することができて、店の手伝いでも計算間違いが無くなったことをジョスさんから聞いている。


 思い返すとユーグに教え始めたときは基礎的な問題が時々できなくなることがあることと、いつも指折り数えて回答することを不思議だと感じていくつか質問したら「ゼロ」の概念を持っていないことが判って慌てたことを思い出した。

 指折り数えるのだからスタートは「1」であって、何もない「0」という数字は存在していないのだと、2年も算術を教わったのに誤って覚えていることが判明して慌てたもんだが、計算するときには何もない「ゼロ」を数として認識しないと誤った答えになりかねないので「ゼロ」を認識させることから始めたのだが、この期間で良くここまでできるようになったと心から思う。


 そしてスタートから約2か月経って、いよいよユーグのテスト結果がわかる。


 この結果によって僕が家庭教師を続けるかどうかが決まるのだが、正直なところコピー機がない世界で教材を作り続けるのが少し苦痛なことと、家庭教師のほうは時間通りに訪問しなければならず、教会の下働きが十分にできない日があって、それがエリ姉たちの負担を増やしていたことに少し心苦しさを感じていた。その分、食事や服飾の方が少し改善されてはいたのだが。


 後日、テストの結果が出てユーグは算術のテストで満点をとってきた。


「ユーグが満点を取ってきたんだ。レオン君にはユーグの家庭教師を続けてもらいたい」


 僕はジョスさんからの申し出に少し間を空けて言葉を選びながら答えた。


「ありがとうございます。ですが、実は教会の仕事が遅くまでかかる日も、家庭教師を優先させたことで他の人に仕事を押し付けることになって……苦情は出ないものの、やはり教会の仕事を蔑ろにできないので……少し考えさせて欲しいのですが」


「ふむ。ユーグの成績は確実に伸びた。できればしっかりと算術が身に着くまで、あと3か月か4か月は続けて欲しいのだが、例えば報酬は少し減るが日数を減らして続けるとかは?」


「それが、教会の仕事が遅くまでかかる日が決まった日じゃないので困っています。あの、それで1つ提案があるのですが……」


 ジョスさんから提案を聞かせてくれと促されて、この2か月で使った教材のことを伝える。


「教材は1つずつ手作りしましたが、また紙を準備してもらえれば教材を作るので、それを僕から買って頂き、ご家族が教材を使ってユーグ君に教えていただくのはどうでしょうか?」


 既に満点を取って自信をつけたユーグには今のやる気と成績を維持していくためのツールがあれば大丈夫なのではないかと考えての提案で、その説明を加えてジョスさんへ伝えた。 言うなれば、これまでは家庭教師でこれからは通信教育ではどうかということだ。


「う~む、この2か月はレオン君が来て直接教えていたことでユーグのやる気が維持できたと思うのだが教会に迷惑をかけるわけにもいかんしなぁ。今のやる気を家族が維持させて、成績はレオン君の教材で維持していく感じか?……よし、君の提案に乗ろう」


 この後、100枚の紙を用意してもらい、教材として出来上がった紙1枚を300Gの価格で買い戻す約束をしてもらった。紙が簡単に作れて印刷技術が発達していたらもっと安くできると思うが、1枚ずつ手書きで作る苦労はかなりのものだ。特に文章問題が。


 紙には表面が問題で裏面に回答を書き出しておくことになった。

 ユーグも自ら勉強に取り組んでテストで満点を取ってから算術に自信をつけたらしく、お店の手伝いで計算ミスもなくなったし明らかに早く金額を提示できるようになったことでジョスさんから誉められてとてもやる気になっているのだと聞いた。


 ジョスさんの言葉に誉めて伸びるっていいね!と思ったが……


 ユーグはその後も頑張りを見せて誉められて誉められて、本当にそういう子になっているのだとジョスさんから聞いた。が、一方でそこからが大人というかジョスさんを商人だと思わされた。


 ジョスさんは買い戻した紙の教材を人に書き写させ、1枚1500Gで教材として販売しているのだと教えられた。僕から買い取った物の再利用などは契約に入れてないし文句をつける筋合いでもない。この世界で権利の保護がどうなっているかなど知る由もなかった。

 ユーグの成績が素晴らしく上がったのは教材のおかげだということで、実際の見本が目の前にいるので学校の生徒たちの親にバカスカ売れてるらしく、書き写す人を増やそうと考えているらしい。


 さすが商人の抜け目なさには唖然とするしかなかった。

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