第345話 事業仕分けの始まり

「え、ええ……」


 呟く様にそう言うと、ピンハネは友田事務局長が起こした問題など、最初から存在しなかったかの様な振る舞いを見せる。


「ねえ、どうしたの? 早く行こうよ。今、絶好のチャンスなんだからさぁ」

「チ、チャンス……ですか?」


 意味が分からずそう言うと、ピンハネは唖然とした表情を浮かべる。


「……えっ? まさか、分からないの? 君、東京都知事だよね? この東京都で一番偉い人なんだよね??」

「…………」


 キャロット大学を主席で卒業した私にも分からない事の一つ位はある。

 特に目の前にいる異世界人の思考回路が一番よく分からない。

 しかし、そんな事を言える訳もなく黙り込んでいると、ピンハネはため息を吐く。


「まあ、分からないならそれでもいいけど、今日、事業仕分けに呼ばれているアース・ブリッジ協会の代表理事、高橋翔が折角、事情聴取で席を外しているんだ。私はてっきりそのつもりで事務局長を焚き付けたんだと思っていたんだけど買い被りだったかな? もしかして、事業仕分けの目的を忘れちゃったの? 彼を社会的に抹殺する為でしょ? 高橋翔が代表理事を務めるアース・ブリッジ協会を事業仕分けの最初に持ってきたのもそう。君が、東京都内にあるすべての公益法人を事業仕分けをしては大変な事になると言ったからさ。もう一度だけ言うよ? 目的は高橋翔を社会的に抹殺する事……。それさえ叶えば、後の公益法人は問題なしと公表しても構わない。まあでも、断るって言うなら君が助けたいと思っている公益法人すべての助成が止まってしまうかも知れないけどね」


 事業仕分けは謂わば公開処刑の様なもの……。

 収益事業を持つ公益法人ならいざ知らず、助成金や寄付金を原資として公益目的事業を行う公益法人は、公益認定を外され、助成金を打ち切られた瞬間、路頭に迷う。

 救いがあるとすれば、委員である我々が都内にある公益法人の可否を下す事ができる点。

 勿論、それにはある程度の成果が求められるが、事業仕分けは一法人につき四十分という限られた時間の中で判断を迫られる。

 例え、公益法人として相応しくない法人があったとしても、委員がそれを取り上げなければ問題無い。

 事業シートの内容を言葉にして出さない事も予め打ち合わせ済みだ。

 事業仕分けの内容は、リアルタイム中継されている。話題に上がらなければ、マスコミも騒がない。

 そもそもこの事業仕分けは、ピンハネとかいう頭のおかしい異世界人がたった一人の青年を社会的に抹殺する為に行わせたこと……。


 東京都知事として都政を任されること十二年……。

 都知事選が近いというのに、何故、私ばかりこんな目に遭うのか。

 村井元事務次官もとんでもない異世界人と引き合わせてくれたものだ。

 しかし、こうなってしまった以上、私に残された道は一つしかない。


「……わかりました。それでは参りましょう」


 ピンハネの背後で申し訳なさそうな顔をしている村井元事務次官を睨み付けると、私はインカムで会場内にいる担当者に「今すぐ準備をして頂戴……。私が到着次第始めましょう。事務局長代理は私が引き継ぐわ」とだけ指示を出し席を立つ。


 個を切り捨て、その他大勢を守る。

 多数の幸福の為に少数を犠牲にする決断……。今の私にできることと言えば、この位のものだ。

 これから行う事業仕分けの影響により、宝くじの購入者は殆どいなくなるだろう。

 宝くじ協議会に対して巨額の損害賠償訴訟を起こされる可能性もある。

 しかし、都民は頭は鶏の様に軽い……。

 三歩歩けば忘れてしまうとまでは言わないが、数年もすれば今日あった事など欠片も覚えていないだろう。

 いざとなればマスコミに報道規制を敷けばいい。

 たった数年……。たった数年の我慢だ。

 今ある手札ではこれが精一杯。これが最小限の損害……。


 ピンハネと高橋翔の間にどの様な確執があるのか分からないが、その確執にこの私を巻き込むな。

 合法的に都税を使う事ができるように、退任後も何かと理由を付けて都税を引っ張ってこれるようにと長い時間を掛け、本来、都税を使うに値しない事業や少子化対策など環境を整備してきたのだ。

 これまでの努力を無駄にしてなるものか。

 絶対に最小限の損害で抑えてみせる。


 私は部屋を出ると、会場に向かって歩き出す。


 今回、事業仕分けに参加している公益財団法人アース・ブリッジ協会の人間は、代表理事である高橋翔。そして、元代表理事である長谷川清照の二人。

 資料によるとアース・ブリッジ協会に支払った助成金は、約一千万円。

 公益財団法人に対する助成としてはかなり低い金額だ。

 それもそのはず、その一千万円は環境ラベルを作る為に使われた助成金。

 東京都が助成金を出さずとも、環境ラベルの認定を与えるだけで、後は勝手に環境ラベルが稼いでくれる。優良な天下り先の出来上がりだ。

 問題があるとすれば、都が拠出した助成金のその全てが元代表理事である長谷川清照の親戚でデザイナーの長谷川退蔵に支払われていたという点。


 どの法人でも似た様な事を行っているが、今回は敢えて、そこを突かせてもらう。

 公金を親族への支払いに充てるなど以っての他だ。

 都民が知れば黙っていない。

 高橋翔が事情聴取から戻る前にその点を責め、アース・ブリッジ協会の公益認定取消に追い込む。

 一つ難があるとすれば、事業仕分けが行われる前に、アース・ブリッジ協会の取引先であるレアメタル関連の法人が同法人を事業仕分けの対象に含めるのを止めるよう要請があった点だ。

 だが既にアース・ブリッジ協会の公益認定取消は決定事項。

 退路は既に閉ざされている。

 この事業仕分けで公表されるアース・ブリッジ協会の不祥事。そして、代表理事、高橋翔による宝くじの不正疑惑が明らかになれば、諦めがつくだろう。

 それが営利法人の正しい姿だ。

 税金による助成や寄附金が無ければ運営できない公益法人と違い、稼ぐ手段を持つ営利法人は意見などせず黙って税金を納めていればそれでいい。


『準備が整いましたので、これより、事業仕分けを始めたいと思います。アース・ブリッジ協会……そして、宝くじ協議会の担当者はご着席下さい』


 事業仕分けが行われる会場に足を踏み入れるとそんな放送が聞こえてくる。

 当然、これは会場内にいる者を対象にした放送。その為、警備室まで聞こえる事はない。


「――ふふふっ、彼がここに到着した時、どんな顔をするか今から楽しみだ」

「…………」


 言葉の節々から性格の悪さが滲み出ている。

 しかし、高橋翔がいない今の内にケリを付けたいのもまた事実……。

 これまでの経緯からピンハネと同様、高橋翔も異世界の力を持っていると見て違いない。

 化け物同士に挟まれてはこちらも堪らない。

 仮に相手をするなら片方ずつだ。


 席に着くと私は周囲を見渡した。

 席に座っているのは私の手の者と事業仕分けの対象法人の担当者のみ。

 高橋翔がこの会場内にいない事を入念に確認すると、私はアース・ブリッジ協会の前代表理事である長谷川に視線を向けた。


「……っ!」


 私と目が合うと長谷川は顔を強張らせる。

 思った通り……。たった一人で事業仕分けに臨むという想定外にただただ困惑している様だ。


「皆さん、おはようございます。池谷芹子です。本日は、体調不良により退席した友田事務局長に代わりコーディネーター役を務めさせて頂きます。それではまず、事業仕分けを始める前に、事業仕分けの流れを簡単に説明させて頂きます」


 私がそう言うと、プロジェクターに文字が映る。


「え-、まず事業の説明を行い、次に、当該事業の論点や考え方の説明をして頂きます。その後、質疑応答を行い各種評価者が評価シートへの記入を行い、評決を公表致します。質問はありますでしょうか? ないようですね。それでは、これより公益財団法人アース・ブリッジ協会と公益財団法人宝くじ協議会の事業仕分けを始めさせて頂きます。まずはアース・ブリッジ協会の担当者は説明をお願いします」


 そう言って、視線を前に向けるとアース・ブリッジ協会の前代表理事、長谷川は狼狽しながら事業説明を始める。

 本来、高橋翔が説明する予定だったのだろう。

 長谷川は、何故私が説明しなければならないのだという思いを表情に出しながら事業シートを手に取る。


「ア、アース・ブリッジ協会の前代表理事の長谷川と申します。どうぞよろしくお願い致します。じ、事業の中身は、シートに記載の通りでございます」


 長谷川による、しどろもどろな説明。

 それもその筈……。

 東京都知事である池谷の策略により事業シートには、長谷川が過去、親戚に発注した環境ラベルのデザインとその価格について差し替えられている。


「な、何故、これがここに……!?」


 思わず滑る口。怪訝な表情を浮かべる委員を前に長谷川は小声で呟く。


(環境ラベルのデザインを親戚に発注したのは限られた者のみが知る事実。アース・ブリッジ協会は、省庁からの天下りを受け入れていた。だからこそ、公益認定を受けてからこれまでに至るまで、助成金の用途について問題とされる事もなかった。そもそも、こんな事はどこでもやっている。私だけがそれを咎められるのはおかしい。この世の不条理さに頭がおかしくなってしまいそうだ……)


 すると、委員の一人が手を挙げる。


「事業シートによると、環境ラベル作成に補助金全額が使われた事になっていますが、助成金として受け取った金額を教えて下さい」


 事業シートに、助成金として一千万円支出したと書いてあるにも関わらず、それを口に出して言わせようとするとは、何という悪辣。


 長谷川は、委員達が向けてくる鋭い眼光に怯えながら呟く様に言う。


「い、一千万円です……」


 すると、委員達は呆れ果てた表情を浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る