第344話 還暦祝いの訴訟提起
「申し訳ないのですが、状況を説明して頂けますか?」
元事務局長が起こした騒ぎを聞きつけた人々の視線が集中する中、元事務局長を取り押さえる為、集まった警備員の一人が俺に声をかけてくる。
「はい。先ほど、宝くじ協議会管理課長の友田という方に公然と侮辱された為、訴訟を起こすという話し合いをしていた際、その騒ぎを聞き付けやってきた事務局長が『私の顔を立てて穏便に』とか言ってきたので、それを断ると急に激昂し始めたというのがことの経緯。そしてこれがそれを録音したデータです」
音の精霊・ハルモニウムのお陰で録音データには、友田の侮辱発言と事務局長が俺を脅迫する声。そして、必要最低限の俺の声以外録音されていない。
「うわぁ……これは酷いですね……」
録音内容を聞いた警備員が引き気味に声を上げる。
当然だ。音の精霊・ハルモニウムの力により録音データは俺が『顔を立てて穏便に』発言を断ると同時に激昂する様、編集されている。
当然、音の精霊・ハルモニウムの仕事は完璧。万が一、話を聞かれていたり録音されていたとしても、他の者が持つ録音機器も俺の持つ録音データと同じ様にしか録音できないし、当事者以外の耳にもそうにしか聞こえない。
「そうなんですよ。いや、まさか突然、激昂するなんて……もし事情聴取等が必要であれば言って下さい。この音声データを提出致しますので……」
敵対する者には容赦しない。
事務局長には人生ぶっ潰す宣言をされたんだ。
当然それは、自らの人生をぶっ潰される覚悟を以てなされた発言。
ならば、人生ぶっ潰して差し上げるのが最低限の礼儀というもの……。
「ああ、勿論、脅迫されたからには、刑事と民事の両方で訴える予定です。和解はありません。申し訳ないのですが、事業仕分けが終わるまでの間、事務局長を逃がさない様にしておいて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう告げると、予定外の反応が返ってくる。
「あー、申し訳ないのですが、それはできません。実は事務局長を捕らえた者の中に警察がおりまして……何を血迷ったのか分かりませんが、事務局長が警察官に暴行を働いてしまった様なのです」
「――はっ?」
警備員のインカムから元事務局長の怒号が聞こえてくる。
元事務局長の奴、やらかしたらしい。
完全に予定外だ。
あの元事務局長は何を考えているのだろうか?
正直、意味がわからん。
でもまあ、好都合だ。
インカムを耳に困惑する警備員に向かって俺は笑みを浮かべる。
「それじゃあ、元事務局長はそのまま警察に引き渡して頂いて結構です。後ほど、弁護士の方から元事務局長宛に訴状を送付致しますので……」
実に楽しみだ。
クソ野郎が勝手に引いたレールから勝手に足を踏み外し、真っ逆さまに落ちて行く姿を見るのは実に気持ちがいい。
正に、因果応報。
しかし、安心して欲しい。
俺は元事務局長を見捨てない。
ちゃんと最後まで追撃してやるよ。
「そ、そうですか……。事業仕分けが終わったらで構いません。事の経緯を纏めたいので事務所に来て頂けると……」
「ああ、それなら今から行きますよ」
事務局長が警察に危害を働く前代未聞の事態を引き起こしたんだ。
すると、タイミングよくアナウンスが流れる。
『誠に申し訳ございませんが、諸事情により事業仕分けの開始時刻を延期します。暫くお待ち下さい。関係者は……』
元事務局長が警察に危害を加えた事により、事業仕分けの開始時刻が延びたようだ。
普通、こういう場合に備え代打を用意しておくものだが、事務局側はそれをサボったらしい。いや……違うか……。
事務局の人間が血相を変えてこちらに向かってくるのが見える。
「た、高橋翔さんですね!? 少しよろしいでしょうか?」
「いえ、少しよろしくないです。これから事情聴取を受けなければならないので、話があるならそれまでお待ち下さい」
そう告げると、局員達が足に縋り付いてくる。
「ほ、本当にちょっとでいいんです! 私達を助けると思ってどうか話を聞いて下さい!」
「事務局長は……事務局長は来年で還暦なんです! もしここで問題を起こせば懲戒解雇に……退職金も貰えず路頭に彷徨う事になってしまいます!」
「事務局長から謝罪の言葉を預かってきましたし、警察の方は私達が説得しました! あとはあなただけなんです! あなたが事務局長の謝罪を受け入れ許して下されば、事務局長は……」
事務局長は平穏無事に退職金を受け取って天下り先にでも行けると、そういう事かな?
最近は、天下り規制が厳しいと聞くし、どこに行くのかな?
東京都外に本拠地を置くNPOか社団法人のお世話にでもなる気か?
おいおいおいおい。
それは由々しき事態じゃないか。
NPOや社団法人なんて税金を食い物にする活動家や天下りOBの巣窟だろ?
余計逃す訳にはいかなくなったわ。
還暦祝いにここできっちり始末を付けておかないと……。
つーか、事業仕分けの開始時刻延期って、まさかとは思うが、俺を説得する為の時間稼ぎとかそんなんじゃないよね?
俺はため息を吐きながら言う。
「なら尚更、許しておけないな……。つまりあれだ。あいつは自分の退職金と未来の就職先を潰されるのが嫌だから謝罪すると言っている訳だろ? 全然、誠意が籠ってないじゃん。しかもその謝罪を部下にさせ自分は一切、頭を下げない。還暦にもなって自分のケツを部下に拭いて貰う事を当然と思っているクソ野郎って訳だ」
控え目に言わなければ社会のゴミだ。
いや、社会に寄生するダニか寄生虫と言っても過言ではない。
「「…………」」
俺がそう告げると局員達は押し黙る。
「まあ、良かったじゃん。還暦迎える前に社会を知れて……。俺からの還暦祝いだ。弁護士には民事と刑事の両方で訴えると伝えておくから事務局長にもそう伝えておいてよ。もし生活に困ったら生活保護の申請をするといい。すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるからね。大丈夫、ただ今の生活ができなくなるだけさ」
絶対に引く事はない。
俺の断固たる意志を感じ取った局員達は呆然とした表情で元きた道を戻っていく。
今頃、頭の中で元事務局長に対する言い訳でも考えているのだろう。
「さて、行きましょうか」
そう告げると、警備員はポカンとした表情を浮かべる。
「……へ?」
「いや、『……へ?』じゃなくて……。事務所で事情聴取するんでしょ?」
「え……。あ、ああっ、そういえばそうでした。それでは参りましょう」
何を呆然とした顔してるんだ?
意味が分からん。
まあ、人の事だし考えるだけ無駄か。
「ええ……」
そう呟くと俺は、警備員と共に警備事務所へと向かった。
◇◆◇
事業仕分けの総責任者として報告を受けた東京都知事、池谷はため息を吐く。
「失態ね……」
事業仕分けがこれから始まろうという時に、事務局長が事業仕分けの対象法人関係者を恫喝し、それが原因で訴えられ、警察官に暴行を働くなんて、前代未聞だ。
池谷の前で事務局長は頭を床に擦り付ける。
「も、申し訳ございません。何とか警察官は宥めたのですが、あの者は訴えると聞かず……」
「訴えると聞かず……ねぇ……」
公益財団法人アース・ブリッジ協会の公益認定取消しと助成金の返還請求を行う事は既に既定路線。
その事を事前に伝えていた事で、どうせ公益認定を外される法人と侮ってしまったのだろう。
「……どうしたらいいかしら?」
額から大量の汗を流し弁解する事務局長を見て池谷は思案する。
明瞭性の観点から事業仕分けの様子は、公共放送と動画配信サイトでリアルタイム中継している。
今回の事業仕分けは国民の注目度が高く、事務局長自ら事業仕分けの対象である法人対象者を恫喝した事は多くの国民に視聴されたと見て違いない。
その証拠に同接百万人と、信じられない数の視聴者が動画配信サイトの中継を確認している。
事業仕分け開始時間延期に伴い、中継は一時中断しているものの、視聴者である国民に対して示しを付けなければならない。
まったく、余計な事をしてくれたものだ。
池谷は「ふぅ……」とため息を吐く。
「……残念だけど、軽率な行いをしたあなたが悪い。私があなたの為に何かをする事はないと思って頂戴」
そう告げると、事務局長は顔を上げる。
「そ、そんなっ!? 確かに私は彼をほんの少しだけ叱責したかも知れません。しかしそれが、そんなに悪い事ですか!? 事務局長の地位を剥奪されるほど悪い事でしたか!?」
事務局長の言葉を受け、池谷は首を縦に振る。
「ええ、ここが公社であれば内々に済ます事もできましたが、ここは公開された場です。その事は口を酸っぱくして伝えてありましたよね? 流石の私も庇いきれません。あなたの処分は追って伝えます。もう下がってもいいですよ……。ああ、わかっているとは思いますが、くれぐれもこれから行う事を口外しない様にお願いしますね? あなたの今後の態度次第で処分が決まる。そう認識して頂いて結構です」
どの道、懲戒処分は免れない。
そうでなければ、都民に示しがつかない為だ。
ここで甘い処分を下せば、次の都知事選に響きかねない。
トボトボとした足取りで部屋を出て行く事務局長。部屋の扉が閉まると、池谷は椅子に深く腰掛けながらため息を吐く。
「――あなたの気持ちもわからなくはないですけどね。友田事務局長……」
おそらく事務局長は、身内が訴えられそうになったので間に割って入ったのだろう。
ご子息がコネ入社している公益財団法人宝くじ協議会……。
公益財団法人アース・ブリッジ協会の現理事長である高橋翔の責任を追求するからには、宝くじの管理を行う公益財団法人宝くじ協議会に泥を被って貰わなければならない。そして、その被害は甚大だ。
事前に根回しはしていたものの、納得していなかったのだろう。
しかし、その気持ちはよく分かる。
私自身もそんな事はしたくないのだ。
「さて、話は終わったかな? ああいう不届き者はビシッと厳しく処分しないとね」
後ろを振り向くと、そこにはゲームをしながら適当な事をいうピンハネが一人。
ゲームで負けたのか、ピンハネはゲーム機を床に叩き付けると、何事も無かったかの様に、私の近くに寄ってくる。
「いやぁ~、楽しみだなぁ。ようやく彼が破滅する姿が見れるのか……それじゃあ、行こうか」
そう呟くと、ピンハネは私の肩を軽く叩いた。
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