第323話 ハリーレッテル争奪戦②
「――はい。イチニ、イチニ、イチニ、イチニ、イチニ」
新宿都庁の第一本庁舎七階にある都知事の執務室。ここでは、執務に邁進する東京都知事、池谷芹子を余所に、リングフィットアドベンチャーに勤しむ村井を見ながらスマホを弄るピンハネ・ポバティーの姿があった。
顔を真っ赤にして屈伸運動する村井を見て、ピンハネは適当に呟く。
「ほら、ムライ。ズルするんじゃないよ。それじゃあ、何の為に負荷を上げたのか分からないでしょ。はい。イチニ、イチニ、イチニ、イチニ。頑張ってー」
「は、はい……! イチニ、イチニ、イチニ、イチニィィィィ!」
ゲーム内の主人公のライフケージはスムージーを飲んでマックスなのに、かれこれ三時間リングフィットアドベンチャーをやっている村井のライフは既にゼロ。
滝のような汗を流しながら、縋るような視線をピンハネに向ける。
「ピ、ピンハネ様……そ、そろそろ終わりにしてもよろしいでしょうか……?」
村井は七十代後半。
肉体的にも体力的にも限界が近い。
画面には『今日はここまでにしてクールダウンしますか?』と表示されている。
ピンハネは考え込む様に顎に手を当てると、適当な返事を村井に送る。
「そうだね。それじゃあ、あとステージ三つクリアしたら終わりにしていいよ」
「そ、そんなぁ……」
ピンハネの言葉を受け、思わずへたり込むと、手に持っていたコントローラーがリモコンに当たり、テレビの画面がゲームからニュースに切り替わる。
「あーあ、ムライ……何やってんのさ……って、うん?」
村井が落としたリモコンを手に取ると、ピンハネはテレビ画面に視線を向け困惑した表情を浮かべる。
「あー、しまったね……」
今、テレビ画面に表示されているニュース。
そこには、資源エネルギー庁の役人に刺され、重体に陥った、ハリー・レッテルの回復。そして、その出自について報道されていた。
「まさか、あの状態から回復するとは思いもしなかったよ。これは予定外だったかな……」
正直、ハリーがあの状態から目を覚ますと思っていなかった。
警察病院に潜り込みハリーの容体を確認した時には、既に危篤状態にあった。
腹部を十数箇所刺されていたのだ。
上級回復薬がなければ回復は難しい。止めを差さずとも、どの道、死に絶えるだろう。
そう思ったからこそ、ハリー救出を諦め貴重な隷属の首輪を取り外し、回収したというのに……。
思いもよらぬ状況に、ピンハネは思わず頭を抱える。
「でも、これ以上、余計な事を言われる前に消しておかないと拙いかなぁ……これは……」
このままハリーを放置する事はできない。
何故、ハリーがあの状態から回復できたのか分からないが、もう一度、病院に忍び込む必要がありそうだ。
「確か、新橋大学付属病院だったかな……」
ハリーが運ばれたのは、新橋大学付属病院。たらい回しにされ、ようやく辿り着いた病院が新橋大学附属病院だったのだ。その時点では、ハリーはまだ容疑者の段階。
刑務所で収容されている受刑者の病状が悪化した際に運ばれる病院としての機能を持つ警察病院に運ばれた訳ではない。
資源エネルギー庁の元役人である松永雄一郎により刺され重体に陥ったものの、ハリーには松永に対する殺人教唆の容疑が掛けられている。加えて、国籍を持たず、回復したとなれば、いつ留置場に護送されてもおかしくない。
病院に運ばれ入院中の今ならいざ知らず、女性が入れる留置場は数が非常に少ない。留置場に護送されるのは厄介だ。
北極に突如として現れたユグドラシルと、ヨルムンガルドの存在により、注目度も高くなっている。
「――村井。いつまで、ゲームで遊んでいるの」
「へっ?」
ピンハネの言葉にリングコンを持ち呆然とした表情を浮かべていた村井は素っ頓狂な声を上げる。
「――い、いや、ピンハネ様があとステージ三つクリアしたら終わりにしていいよと言うので……」
そう返答すると、ピンハネは呆れた様な表情を浮かべる。
「……今はそんな場合じゃないでしょ? ゲームなら後でやっていいから、新橋大学付属病院に入院しているハリー・レッテルと面会できる様、手配してくれる? 君が懇意にしている弁護士がいたよね?」
「え? て、手配するのは構いませんが、病院には恐らく警察官が常駐している筈です。弁護士を手配した所でピンハネ様がハリーと直接面会できる訳ではありませんが……」
村井の言葉にピンハネは冷めた表情を浮かべる。
「――君さ、私の事を馬鹿にしているの?」
そんな事は知っている。
知った上で、そう言っているんだ。
敵の存在を知った以上、私の護衛からエレメンタルを離す事はできない。
もし、報道に合ったようにハリーの容体が回復しているのであれば、集中治療室から病室が変っている可能性がある。
新橋大学付属病院は広い。
とてもじゃないが、私一人で探し出すにはあまりに時間が掛かる。
その点、弁護士に依頼をすれば、それが例え病院であったとしても警察官の立会なく面会する事ができる。
その後ろを、姿を隠す向こう側のアイテム、隠密マントを羽織り着ければ簡単にハリーの居場所を特定できる。
この程度の事も分からないのか。そう怒気を露わにすると、村井は手に持っていたリングコンを落とし、サッと顔を青褪めさせる。
「そ、そんな事はございません。すぐに対応致します!」
慌てて机に置いてあるスマホを手に取ると、村井は顧問弁護士である野梅に対し一方的に電話する。
「――や、野梅君か? 至急、新橋大学付属病院に入院しているハリー・レッテルという名の女性の弁護に付いてくれ! 今すぐだ! 面会が決まったら一度、都庁まで来るんだ。いいな、大至急だ。分かったなっ!」
野梅が電話に出てすぐ言いたい事だけを捲し立てると、村井は揉み手でピンハネの側による。
「こ、これでよろしかったでしょうか?」
村井にできる事は、自らの顧問弁護士を被疑者であるハリー・レッテルに付けることのみ。元事務次官という肩書は、警察組織に対してあまりに無力だ。
それは東京都知事も同じ事。むしろ、都知事が動けば大事になると分かっているからこそ弁護士を付けるよう村井に依頼したのだろう。
「うん。ただ、至急だといつ動いてくれるか分からないよね? だから取り合えず、もう一度電話して今すぐ面会の約束を取り付けるよう話を通してくれる?」
「えっ? ですが、あちらにも都合というものが……」
何より、今日の今日で病院側が対応してくれるとは思えない。
「……それを何とかするのが君でしょ? 何で、貴重なストレージ枠を一つ潰してまで君をこっちの世界に連れてきたと思っているの?」
ピンハネに与えられたストレージは、公平を期すという理由により、こちらの世界に来る際に与えられた神より与えられしストレージ。物だけではなく人間なども格納できるが、その容量は限られており、一度にあちら側の世界からこちら側の世界に持ってこられる総量は五十と決められている。
そして、人間を始めとした生き物をストレージに格納する場合、格納した生き物が死ぬまで、そのストレージ枠が使えなくなる。
五十しかないストレージ枠の一つを村井の為に使用したのは、村井自身が自分の事をこちら側の世界の有力者であると自称したからだ。
実際にこちらの世界に来て分かった事だが、確かに村井は有力者だった。
しかし、残念ながら現役の有力者ではなかった。村井は過去に有力者だったというだけのボケ老人。肩書きや人脈に力があっただけだ。
それ所か、逃走罪という聞いたこともない様な罪状で警察という名の国家暴力組織にマークされ、村井の住む拠点に向かっただけで拘束されそうになり大変な思いをした。
エレメンタルの力で村井に対する人々の認識を変え、何とか事なきを得たが、こんな奴の為に稀少なストレージ枠の一つを消費した事になったかと思うと、村井を信じた自分の愚かしさに呆れ涙が出てくる。
現職の東京都知事と繋がりがあった事が唯一の救いだ。
冷めた視線を向けると、村井は背筋を伸ばして平伏する。
「は、はい。申し訳ございません! すぐに連絡致します!」
「うん。そうしてくれるかな? 時間は有限だからね」
今、こうしている内にも、状況は刻一刻と変化している。
スマホを片手に、慌てて弁護士に再連絡する村井の姿を後目に、ピンハネは深いため息を吐いた。
◆◇◆
「……へえ、やればできるじゃん」
村井が電話してすぐ、警察と病院にアポイントメントを取り付けやってきた弁護士を見送り、ピンハネはポツリと呟く。
まだあれから一時間も経っていない。にも拘らず、警察と病院にアポイントメントを取り、ハリーとの面会許諾を取り付けるとは、この野梅という弁護士は中々、優秀な様だ。
後は、隠密マントを被り、野梅の後を付いていけば、自動的にハリーの下へと案内してくれる。
「それじゃあ、私は行ってくるから……くれぐれもここから出ないでよね」
都庁の周りには、未だ、溝渕エンターテインメントを発端として解散した市民団体や自称被害者達が取り囲みデモ活動に邁進している。
中には、都庁前で座り込み抗議をする者やハンガーストライキを起こす者まで現れ始めた。
エレメンタルが守護についてくれている私が近くにいるならいざ知らず、この状況で外に出るのは危険が伴う。
「――は、はい。お気を付け下さい」
できれば、二度と戻ってこないで欲しいと内心で思っているが、そんな内心を隠し村井は祈るように言う。
「うん。分かってるって、私が死ねば君達も一連託生だからね」
村井やハリーは、ピンハネのストレージ枠を消費し、こちらの世界に来ている。
当然、ピンハネが死ねば、ストレージ枠は消滅。ピンハネのストレージ枠を消費し、こちらの世界にやってきている者は皆、もれなく消滅する事になる。
そう告げると、村井は唖然とした表情を浮かべる。
「えっ……そんなの聞いてな……」
「当然さ、だって言ってないもの」
ピンハネ突然のカミングアウトに、村井は思わず目を剥いた。
「え、それじゃあ、私はどうなって……?」
もしかしたら内心では、どうやってこちら側の世界に戻ろうか考えていたのかも知れない。
しかし、残念……。
「知らないよ。でも別にいいじゃない……」
私の役に立てるのだからそれで……。
絶望的な表情を浮かべる村井にそう言うと、ピンハネはストレージから取り出した隠密マントを被り野梅の後に続く形で、新橋大学付属病院へと向かうことにした。
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