第324話 ハリーレッテル争奪戦③

 ここは、ハリー・レッテルの入院する新橋大学附属病院。

 村井が依頼した弁護士、野梅が警察官と入れ違いで部屋の中に入っていくのを見て、ピンハネは汗を流す。


「こ、これは……」


 新橋大学附属病院に入った瞬間、全身を駆け巡る悪寒。

 野梅や警察官は気付いていない様だが、私には分かる。


 あの部屋に近付く程、強くなる呪いの残滓……これは明らかにこの世界のものではない。私がいた世界のものだ。

 私のいた世界……特にミズガルズ聖国には、数多くの呪物が集められ、毎年、多くの呪物が司祭達により浄められている。

 大抵の呪物は、司祭程度の力の持ち主であっても浄化できる。しかし、ごく稀にとんでもなく強力な呪物が世に現れる時がある。

 それこそ、放っておけば国が滅ぶレベルの物から町を滅ぼす力を持つ物まで様々だ。

 一昔前は、その強力な呪物を武器や防具に利用していた時代もあった。

 しかし、その危険さから次第に扱う者が消えていき呪物を使う者はいなくなった。そして、大抵の呪物はミズガルズ聖国の大聖堂に納められた筈だった。


 恐らく取りこぼしがあったのだろう。

 何故、この世界に呪物があるか分からないが、あの部屋に置いてある呪物は間違いなく特級の呪物。

 それもミズガルズ聖国の大聖堂に祀られるべき呪物だ。


 一体、何故、この世界にそんな物が……。


 少なくとも、数日前に侵入した時には呪物の気配は無かった。

 勿論、気が付かなかっただけの可能性もあるが、ここまで強大では無かった事だけは確かだ。しかし、ハリーを放置しておく事もできないのもまた事実。


 意を決して一歩を踏み出すと、病室の扉が開き中から野梅が出てくる。

 そして、警察官と他愛のない話をすると、疲れ果てた表情を浮かべその場から去っていく。


 ……おかしい。何故、あの男は無事なんだ?

 少し疲れた様子だが、呪いに当てられている様には見えない。あれほど濃密な呪力を垂れ流す呪物を前にしてあり得ない。

 それこそ、精神崩壊してもおかしくないレベルだ。

 私の思い違いか? 私の思い違いなのか?


 考えていても始まらない。

 エレメンタルの力を借り、病室の外で警戒にあたる警察官を昏倒させると、病室の中に入り込む為、扉に手を掛ける。


 ――うっ、これは……!


 ミズガルズ聖国出身だからこそよく分かる。

 確実だ……何かしらの呪物がこの部屋の中にある。

 意を決して扉を開く。

 するとそこには、無数のナイフを宙に浮かべ佇む半透明な少女の姿があった。


 ――――!!!? や、やはり……!!


 ナイフを宙に浮かべ佇む半透明な少女。

 この呪いの存在を私は知っている。

 誰かを慕うあまりに精神が病んでしまった悲しき少女の呪い……通称、ヤンデレ少女の呪い。

 ミズガルズ聖国の大聖堂に安置された際、数多くの司教に被害を出した特級の呪いだ。何故、こんなものがここにっ!?


 ヤンデレ少女は、第三者はおろか恋愛対象とすらまともなコミュニケーションを取ろうとしない独善に基づく自己陶酔と濃縮された被害妄想が少女の形を取った呪い。


 すると、ヤンデレ少女の視線がピンハネに向く。


「――っ!?」


 声を抑えつつ必死に目を逸らし続けていると、ナイフを両手に持ち、宙に浮かべた状態のヤンデレ少女がピンハネに向かってくる。


 私は聖堂関係者ではない。呪いを浄化するにはそれなりの設備と道具がいる。


 ハリーを始末するチャンスを不意にして、この場から逃げ出すか?

 いや、逃げ出すしかないだろう。ここは一時撤退だ。

 恐らくエレメンタルの力をもってしても、この呪いを祓う事はできない。


 隠密マントを被り姿を消すと、ピンハネは思い切り扉を開き、その場から走り去る。

 すると、扉が閉まる隙間を縫って、部屋の中から数本のナイフが飛んできた。


 ――ズドッ! ズドドドドッ!


 飛んできたナイフは、ピンハネの着ていた隠密マントを掠め、壁に突き刺さる。

 ナイフがピンハネ本人に突き刺さらなかったのは、エレメンタルが直撃しそうな攻撃を弾いたからに他ならない。


「――っ!? じ、冗談じゃない! こんなの相手にしていられないよ!」


 まるで、マンガの三下が使う様な捨て台詞を吐くと、ナイフが突き刺さった壁を確認する事なく脱兎の如く駆けていく。

 ナイフが隠密マントを掠めた事で頭巾部分に切れ目が走り、その部分の隠密効果が無くなった事で、ピンハネの顔が露わとなってしまったがそんなのは知った事ではない。

 命を大事に……その精神で病院内を駆け抜けていく。


 その様子を遠目で伺っていた高橋翔は、唖然とした表情を浮かべながら呟いた。


「――コワ〜……」


 闇の精霊・ジェイドを解き放ったものの、ヤバい奴がいると数分でジェイドが帰ってきた為、様子を伺いに来てみればよもやよもやである。


 ハリーとかいう女が入っている病室って、カイルが住んでる病室の真隣じゃん。

 メリーさんがハリーの部屋にいるって事は、もしかして呪われてんのか?

 それとも、カイルに取り憑いてるメリーさんの守備範囲にメリーさん以外の女性が入ってきたから、カイルの奴に悪い虫が付かないよう呪っているのか?

 確認しようにも怖くて中に入れん……怖くて中に入れはしないが、収穫もある。


「あいつがピンハネか……」


 そう。それはピンハネの面が割れた事。

 思わぬ所で、素顔を確認する事ができた。

 これまで、あいつの持つエレメンタルの妨害を受け、これまでその素顔を確認する事ができなかったが、まさか女だったとは……。

 東京都知事を裏で操り、都内の公益法人に配賦していた補助金や助成金を打ち切り、村井の運営する公益法人に集中させたり、企業を貶め、寄付金という形で搾取しようとしたりと、傍迷惑でえげつない真似しかしないので、てっきり男だと思っていた。

 いやはや、男女差別はいけないな。男女問わず性根が腐っている奴は山ほど存在する。


 ゲーム世界からやって来たのは、村井とハリー、そして、ピンハネの三人。

 村井の素性は割れているし、ハリーは病室の中にいる。と、なれば、ゲーム世界から転移してきた残る一人はピンハネただ一人だ。

 勿論、四人目の誰かという可能性もあるが、エレメンタルを操り、姿を隠してハリーに面会しようとしていた事から、ピンハネ本人と見て間違いないだろう。


 しかし……あいつ、何しにここまで来たんだ?


 自ら病院に乗り込むなんて……まさかとは思うが、俺と同じく良からぬ事を考えていた訳じゃないだろうな?


 北極に出現した大樹ユグドラシルに、ゲーム世界に繋がる空の穴。

 北極海で縦横無尽に暴れまわる巨大な毒蛇ヨルムンガルドに、帰ってきて早々、北極の駐留軍に捕らえられた『ああああ』達。そして、ゲーム世界の住人である事が発覚し、報道されたハリー・レッテル。

 対処しなければならない事は山ほどあるが、喫緊で対応しなければならないのは、ヤンデレ少女メリーさんのプライベートゾーンに足を踏み入れてしまったが為に呪われているであろうハリーの存在。


 隠密マントを着たまま、気絶したままパイプ椅子に座っている警察官の前を素通りすると、新橋大学付属病院の医学博士、石井の研究室の扉を開け足を踏み入れる。


「――おい。糞爺。隣の部屋にいるメリーさんの事なんだけど、何とかして……」


 そこまで言って、室内の異変に気付く。


「……あれ? 糞爺、いないのか?」


 扉の閉まった奥の部屋から何やら声が聞こえる。

 入ってくる時に開けた扉を閉め部屋の奥へ進んで行くと、そこには……。


「――ほう。何もない所からナイフを創り出すか……。壁に刺さったナイフが掻き消える様に消えていくのを見るに、水分の含んだ砂を強く握り固める様に、空気に含まれる特定の元素を瞬間的に固めナイフを形取ったとそういう……」


 そう呟きながら、隣の部屋を覗く狂医学博士、石井の姿があった。

 石井の隣には、涎を垂らし明後日の方向に視線を向けるカイルの姿もある。


「……おい。何やってんだ糞爺。カイルが涎垂らして明後日の方向を向いているじゃねーか。隣の部屋にはメリーさんがスタンバイしているし、一体、何があった……というか何をした?」


 色々とおかしいだろ。


 そう尋ねると、石井は面倒臭そうな視線を向けてくる。


「何をしたと言われてもな…… 隣の部屋で寝ているハリー君が、あちら側の世界から来たと聞いていたものでね。私はただ、ここにいるカイル君を隣の部屋で寝ている彼女と引き合わせただけだ。色々と調べたい事があったからな。そうしたら……」


 石井にしてはえらく歯切れが悪いな。


「……そうしたら、なんだ?」


 そう尋ねると、石井は悪びれずに言う。


「そうしたら、メリー君が嫉妬にでも狂ったのか、カイル君にナイフを突き立て、回復薬の効能で奇跡的に回復したハリー君に呪いをかけてしまったのだ。まったく、メリー君の気紛れには困ったものだ。お陰で研究が止まり困っているよ。今は傷を負ったカイル君と呪われてしまったハリー君が死なぬよう回復薬を点滴中だ。はっははははっ」

「―――あっはははは……って」


 いや、何、笑ってんの?

 マジで何、笑ってんの?

 笑い所なんてあった?

 つーか、困っているのはどちからといえばこっちだよ!

 サイコパスかテメーは!


 俺は石井の頭に手の平を乗せながら言う。


「……お前がどうしようもないサイコパスである事はよく分かった。と、いうよりその事を改めて認識した。その上で、一応聞いておく。カイルは無事なんだよな?」


 そう尋ねると、石井はポカンとした表情を浮かべる。


「うん? 見て分からんか? 涎を垂らしているという事は生きている証左。それ以上でもそれ以下でも……」

「いや、それ以上でもそれ以下でもないじゃねえ!!」


 何を馬鹿な事を言っているんだ。

 生きているとか生きてないとか、そんな事聞いてねーよ!

 誰が言ったよ、そんな事。

 つーか、そういうレベルなのっ!?


 俺は石井の頭を握る手に力を込めながら言う。


「えっとさ……聞かれた質問くらいちゃんと答えようぜ? 涎を垂れ流して明後日の方向向いてる状態を生きてるとは言わねーだろ? こいつらの命に別状がないかイエスかノーで答えろ」


 そう告げると、石井は不貞腐れたかの様な表情で「イエス」と呟いた。

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