第309話 逆転①
社長である溝渕一心が、副社長である野心や第三者委員会に内密で新しい第三者委員会に調査依頼していた事を報告すると、委員長の冨澤は訝しげな声を上げる。
『――なに? 溝渕社長がそれを言ったのか?』
「はい。既に第三者委員会の調査報告書が公表されているにも関わらず……都合の悪い内容だからといって信じられません」
『確かにそうだな……』
やはり、何のエビデンスのないたった三十人の証言での事実認定は受け入れ難かったか……。
しかし、これを受け入れて貰わない事にはこっちが困る。
それに、我々委員会は元より記者会見で被害者に寄り添うと公言している。あの発言は第三者委員会の委員長を請け負い、契約を結んでからの発言だったが、まさか、新しい第三者委員会を立ち上げ再調査してくるとは思いもしなかった。
しかし、それも無駄な事……。
どうやら溝渕一心社長は、今、自分が置かれている状況をまったく理解していないらしい。
『――まあ、好きにやらせて上げなさい。溝渕社長はまだ若い。納得した上で賠償金の支払いをしたいのだろうよ』
どの道、故・溝渕慶太氏が生前、所属タレント数百名に対して性加害を行ったという事実は揺るがない。
とうの昔に時効を迎え、証言以外の証拠は何もないものの、実際に被害に遭っていそうな現役の人気タレントがタレント生命を賭けて告発し、それを援護する形で第三者委員会の会見も行った。
調査報告書の留保事項(調査は任意の協力で行われたものであり、関係当局が法令上の権限に基づいて調査した場合、我々の出した性加害認定とは異なる事実関係が明らかになる可能性がある)の記載には一切触れず、性加害があったと断言したのだ。
国民に対して『もしかしたら、本当にあったかも知れない』と、少しでもそう思わせる事ができれば我々の勝ち。
連日の報道と相まって既に多くの人が性加害があったと信じ込んでいる。
後は、溝渕エンターテインメントのファンを詐称した団体や市民団体と連帯の上、国連人権理事会の作業部会や特別報告者を利用する事で溝渕エンターテインメントの性加害問題を大体的に批判。一部の海外メディアを使う事で、海外でもこの件は問題視されていると喧伝し、騒ぎ立てる。
作業部会や特別報告者の見解が、国連や国連人権理事会としての見解ではなく法的拘束力を持たない事を一般人は知らない。
国連人権理事会が溝渕エンターテインメントの性加害問題を問題視し、訪日したのだと印象付ける事ができる。
マスコミやメディアは、自分達が流した論調に有利な部分しか使わないし、もし万が一、溝渕エンターテインメントが司法に訴え、別の事実関係が明らかになったとしても、それは嘘を付いたタレントの責任であって我々の責任ではないとしらばっくれる事もできる。
敵を味方陣営に引き込んでしまった時点で既に詰み。
今更、何をしようが無駄な事。
むしろ、都合の悪い調査報告書が出た後で、溝渕エンターテインメントにとって都合の良い調査報告書が出れば、今度こそ確実に溝渕社長を追い詰める事ができる。
その間、離れて行ってしまうスポンサーについては痛手だが、ファンクラブシステムという名の集金システムさえ無事であればそれでいい。
スポンサーが落とすはずだった金は、許しがたい犯罪の上に築かれた収益という事を広く喧伝し、溝渕社長の個人資産から毟り取る。
そして、溝渕社長が溝渕エンターテインメントから去った後、社名を変更し、賠償金を新会社に出させた上で、我々が社外取締役として新しい会社の役員に就任する。
それで、溝渕エンターテインメントの乗っ取りは完了。事務所は我々の物となり、被害者には十分すぎる程の賠償金が支払われる。
もし何らかのアクシデントにより乗っ取りが失敗し、社名変更や賠償金の支払いが溝渕社長在任の下、行われた場合は、溝渕エンターテインメントのファン団体を詐称した団体や我々と係り合いのあるマスコミやメディアが『新会社が名称を変えた所で性加害企業である事に変わりはない』『被害に遭っていないタレントも性加害の当事者である』といった主張を展開し、徹底的に溝渕社長を追い込む予定だ。
『――ホームページに、プレスリリースが出た様だ。これによると、新たな第三者委員会の出す調査報告書の提出期限は数日後。拍子抜けだな……たった数日では碌な調査もできんよ』
恐らく、溝渕社長が新たに設置した第三者委員会は、故・溝渕慶太氏の性加害は無かったとする調査報告書を出してくる。
『新たな第三者委員会が記者会見を開き、調査報告書を公開する日に合わせてこちらも会見を開く。副社長には、その手配を願いたい』
そこで、その調査報告書の内容がいかに荒唐無稽で信頼性に乏しいものかを知らしめる。一部の隙も見せず、返す刀で斬り返してやればいい。それがそのまま、致命傷となる。これで、溝渕社長も諦めがつくだろう。
「おお、会見を開いて頂けますか。わかりました。すぐに会場の手配を致します」
『よろしく頼んだよ』
「はい。お任せ下さい」
溝渕エンターテインメントの副社長、野心の返事を聞いてから冨澤は電話を切る。
ふふふっ、折角、良い具合に燃え上がったんだ。今更、火消しなんてさせぬよ。
何故なら、我々は、その為に送り込まれたのだから……。
「新たな第三者委員会の委員を務めるのはBAコンサルティングの小沢君か……折角、経営が順調に推移していると聞いていたのに残念だよ」
火消し役を務めた事で、これまで積み上げてきた信頼すべてを無くす事になる。
そう呟くと、冨澤は笑みを浮かべた。
◇◆◇
数日後、都内の会見場には、数多くの記者が訪れていた。
今日、この会場で行われるのは溝渕エンターテインメントが新たに設置した第三者委員会の記者会見。現社長である溝渕一心も会見に登壇し、今後の対応について説明するとの事だ。
一週間前に行われた故・溝渕慶太氏による性加害問題を事実と認定した第三者委員会の会見……それから数日しない内に発表された新たな第三者委員会の設置に関するお知らせ。これには、多くのマスコミが疑問の声を上げた。
『新たな第三者委員会を立ち上げたのは、意にそぐわない提言がなされたからではないか』
『第三者委員会の提言が気に食わないからといって、やり直すのは第三者委員会設置の趣旨から外れている』
溝渕エンターテインメントが設置した第三者委員会が性加害問題があったと事実認定したにも係わらず、それを否定するかの様に設置された新たな第三者委員会。マスコミが疑問の声を上げるのも当然だ。
第三者委員会が設置されてから数日間、溝渕エンターテインメントに対するマスコミの偏向報道や、それを真に受けた国民の非難の声は増加の一途を辿り、SNSでの誹謗中傷は少なくとも数万件に上る。ここ数日、繰り返される誹謗中傷に、溝渕エンターテインメントが法的措置を匂わせる警告を出す程だ。
連日の報道をで世論は溝渕エンターテインメントの故・溝渕慶太氏が所属タレントに対して性加害を行ったのは事実であるという意見に傾いている。
そんな空気の中、行われる溝渕エンターテインメントの記者会見。
被害者に寄り添う姿勢の無い溝渕エンターテインメントに対し、批判的で、苛立ちを募らせた記者達が会場に集まる中、記者会見が始まろうとしていた。
『えー、お時間となりましたので、記者会見をこれより開始致します。本日は、溝渕エンターテインメントにおいて、新たに設置されました第三者委員会からの調査報告書を受け、故・溝渕慶太氏による性加害問題に関する今後の対応についてご説明させて頂きます』
登壇者は、溝渕エンターテインメントの現社長である溝渕一心。
一心が第三者委員会の提言を受けた後にBAコンサルティングに依頼し、新しく立ち上げた第三者委員会の委員長、小沢誠一郎氏と、その補助者の高橋翔の三人。
本日、公表される調査報告書については、会場に入ってから渡された為、ちゃんと読み込めていない記者が多い。
『まず、本日の登壇者をご紹介致します。檀上中央におりますのが、溝渕エンターテインメントの社長、溝渕一心。その隣が、第三者委員会の委員長、小沢誠一郎。その隣が、補助者の高橋翔です。私は、本日の司会を務めさせて頂きます、会田と申します。本日はどうぞよろしくお願い致します』
登壇者と共に礼をすると、登壇者達は険しい顔で着席する。
『えー、本日はまず、第三者委員会の委員長である小沢誠一郎より調査報告書の内容につきご報告差し上げ、その後、皆様からのご質問にお答え致します。一時間強の時間をご質問に設けておりますので皆様、どうぞ、ご協力の程、よろしくお願い致します。それでは、小沢委員長、よろしくお願い致します』
司会者から話を振られた小沢はマイクを取ると、まっすぐと姿勢で前を見る。
『はい。当第三者委員会は、溝渕エンターテインメントに対しまして創業者である故・溝渕慶太氏による性加害はない旨の調査報告書を提出致しました』
小沢委員長がそう発言すると、会場内にざわめきが起きる。
ざわざわ
――ざわざわ
「――あり得ない。これだけ多くの被害者が現に存在しているじゃないか!」
「溝渕エンターテインメントは溝渕慶太氏の性加害を隠すんですか!? 実際に被害者が存在しているんですよ!」
まだ小沢が話している途中にも関わらず、会場中からヤジが飛ぶ。
しかし、小沢は変わらぬ表情で手元の調査報告書に視線を向けると、何事も無かったかの様に話を進める。
『えー、本件調査の概要について、ご説明致します。お手元にございます調査報告書の三ページをご確認下さい。本件調査は、一週間に渡り被害者及びその関係者等、総勢二百名の方々について調査を行いました。その結果、先ほども申し上げました通り、溝渕慶太氏は性加害に一切関与していないという結論に達しました』
いくらヤジを飛ばしても顔色一つ変えない小沢を見て、記者達は悪態を付きながら調査報告書に視線を向ける。調査報告書の三ページ目に視線を向けると、そこには、前回開かれた第三者委員会とは真逆の事が書かれていた。
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