第310話 逆転②

「これでは、前回の開示と真逆じゃないですか!」

「まさか被害者が嘘を言っているとでも、言うつもりじゃないでしょうねっ!」


『そうだ、そうだ』と、質疑応答の時間でもないのに好き勝手喋る記者達に対して、委員長の小沢は冷めた視線を向ける。


『――今は質疑応答の時間ではございませんがお答え致します。当第三者委員会は、故・溝渕慶太氏が所属タレントに対して性加害をしていたという点に関しまして、被害者が虚偽の事実を述べていると断定致しました』

「――はあっ?」


 委員長の小沢から告げられた断定という言葉を聞き、会場は静まり返る。


「だ、断定する根拠は? 被害者が嘘を吐いていると断定するからには相応の証拠が……」

『はい。それをこれから説明させて頂きたいと思います。その前に皆様に一つだけ……先ほど司会者が冒頭で、調査報告書の内容を説明した後に、質疑応答の時間を設けると発言しております。この会見は注目度が高く全国に生放送で配信されており、日中という事もあって多くの方が見ております。記者として、社会人の一人として、発言を遮らず記者会見のルールを守り、落ち着いた発言をして頂けますよう、よろしくお願い申し上げます』


 この会見は、記者クラブでも政府広報の場でもない。民間企業である溝渕エンターテインメントが会見場をお金を払って時間借りしたもの。いわば、PRの場だ。謝罪会見でも何でもない。

 何故、このようなPRの場を設ける必要性があったのか、それは所属タレントの勝手な言い分をマスコミが面白おかしく吹聴し、盛大に脚色、誇張していると、そう認識した為だ。

 そうである以上、記者に対する遠慮は不要。むしろ、最低限のマナーすら守らず、人の話を遮るという失礼な行為を平気で行う記者達の事を軽蔑している。


 小沢が頭を下げて礼をし、話を続けようとすると、数名の記者が声を上げる。


「――だったら、さっさと説明を終わらせろ。段取りが悪いんだよ! そこにあるカメラも、まさか俺達を映している訳じゃないだろうなぁ!」

「そうよ。あなたは、偉そうに記者会見のルールというけど、世界的な会見のルールでは……」


 小沢は最後まで言わせず、話をバッサリ断ち切る。


『何か勘違いされているようですが、ここは日本で、この場は、記者クラブでも政府広報の場でもありません。また、皆様の姿は、調査報告書の概要を配布時にご説明させて頂いた通り、こちら側のカメラで撮影させて頂いております。これ以上、会見の進行を妨げるようであれば、退室を命じさせて頂くことになりますが……』


 司会進行の会田がそう告げると、一部の記者が反発の声を上げる。


「そ、そういう、あなただって私の話を遮ったじゃない!」

「そうだ、そうだ! 性加害企業が会見ルールを勝手に決めるな!」


 記者がヤジを浴びせ掛けると、司会進行の会田は第三者委員会の委員長である小沢に視線を向ける。

 そして、小沢が頷くのを確認した会田は頷くと、司会進行を妨害する記者に視線を向けた。


「――恐れ入りますが、これ以上は、会見進行の妨げとなります。今、発言した二名に退出を求めます」


 会田が目配らせをすると、記者の内、最も喧しい二人を数名の警備が外に連れて行く。


「お、おい。待てよ! ちょっと野次を飛ばしただけじゃないか!」

「記者である私達を会見場から追い出す気!? 後程、正式に抗議させて頂きますからね! 離して、離しなさい!」


 まさか野次を飛ばしただけで退室させられると思っていなかったのだろう。

 しかし、進行の妨げになると判断されれば退室させられる。これはどこの国にでもある当たり前のルールだ。


「えー、この通り、会見の進行を妨害した場合、その時点で退室を求めさせて頂きますので、よろしくお願い致します」


 はっきりそう告げると、会見ルールを悉く無視して発言していた記者達は顔を真っ赤に染め、荒い息を吐きながら発言を止める。


「ご協力頂きありがとうございます」


 会田はこれ以上司会進行を妨害する記者はいないか確認した後、小沢に視線を向ける。


「それでは、小沢委員長、よろしくお願い致します」

『はい。それでは、改めまして、本調査の概要につきましては、お手元にございます調査報告書の三ページをご確認下さい。前回、私達とは別の第三者委員会による調査では、被害者とされる方々、三十名の証言のみを取り上げ、証言以外、何のエビデンスも示していないにも関わらず、故・溝渕慶太氏が社長を務めてから半世紀に渡り性加害を行っていると認定致しましたが、当委員会で、再度、被害者とされる方々の証言の精査と、物的証拠を元に調査を進めた結果、溝渕慶太氏は性加害に一切関与していないという結論に達しました』


 故・溝渕慶太氏は性加害に一切関与していないとの結論に達した。

 その一言を聞いた瞬間、別室で会見を視聴していた有名タレント、矢崎絵里はテーブルを叩き憤りの声を上げる。


 ――ダンッ!


「どういう事よ、これぇぇぇぇ!!」


 これでは話が違う。

 再び第三者委員会が行われるなんて聞いていない。

 共に性加害を訴えた水野美嘉を始めとするタレント達とも昨日から連絡が取れないし……くそっ!


「や、矢崎さん。落ち着いて下さい。こっちもリアルタイム中継しているんですよ!?」

「これが落ち着いていられるもんですか!」


 リアルタイム中継している事もあり、突然、叫び始めた矢崎をスタッフが宥めようとする。

 しかし、矢崎は止まらない。


「――もしこれで性加害認定が取り消されたらどうするの! 裁判に持ち込まれたらこっちに勝ち目はないのよ!? 副社長の野心は何をやっていたのっ! 水野達も水野達よ! はっ――まさか、あの子達、この私を裏切った訳じゃないでしょうねぇぇぇぇ!」


 当然の事ながら矢崎は、第三者委員会の調査に協力していない。水野達にも協力しないよう言い聞かせてある。性加害認定を有耶無耶にしようという魂胆が見え見えだった為だ。


 ギリギリと歯を食い縛り画面を睨み付けていると、一人の記者が退室覚悟で声を上げる。


『性加害がなかったと何故、そう判断できるんだ。溝渕慶太氏は数年前に亡くなっている。性加害にあった被害者の証言以外に実際、あったかどうか確認できる筈がないだろう!』


 至極真っ当な質問だ。

 記者が問題を問い正す姿勢を見て、矢崎はそっと胸を撫で下ろす。


「――そ、そうよ。あちらのペースに飲まれちゃダメ。私達(被害者)が被害を訴えているのだからそれが事実。もっと、質問をして粗を……」


 しかし、その望みはすぐ断たれる事になる。

 テレビ画面に映る委員長の小沢がため息を吐くと、声を上げた記者に向き直る。


『……いいでしょう。話は前後しますが、お答え致します』


 そして、登壇者の高橋翔に視線を向けると、高橋は席を立ち、部屋の端にあるドアを開いた。


「な、なあっ……」


 ドアから出てきた人物を見て、矢崎は声を上げる。


「な、なんで……なんで……なんであなた達がそっち側にいるのよぉぉぉぉ!?」


 会見場のドアから出てきたのは、今回、矢崎絵里と共に溝渕エンターテインメントの元社長、溝渕慶太氏の性加害を告発した水野美嘉。そして、政財界やメディア関係者に枕営業させた吉崎朱莉を始めとする若手タレント達。


 水野達を見て拙いと感じた矢崎は声を荒げる。


「――今すぐ会見を中止して! 今すぐよ! 早くっ!!」

「無理です! できません!」

「できませんじゃないわよ! このままじゃ私は……! 私はぁぁぁぁ!」


 私は破滅よ!


 水野達の目を見れば分かる。

 あれは覚悟を決めた者の目。

 真実を明らかにして溝渕慶太氏による性加害は無かったと告白する。そんな目をしている。


「誰か、誰でもいい。誰でもいいからあの子達を止めてぇぇぇぇ!」


 必死になってそう叫ぶと同時に、高橋翔がマイクを手に取る。


『……皆様も知っての通り、彼女達は溝渕エンターテイメントの故・溝渕慶太氏より性加害を受けたと告発した方々です。その彼女達が故・溝渕慶太氏から性加害は受けていなかったと証言しました』


 水野は所属タレント達に視線を向けると、軽く頷き、小沢の顔を見た。


 会場内から上がるどよめき声。

 水野は一歩足を踏み出すと、震える手でマイクを持ち、頭を下げる。


『溝渕エンターテイメントの故・溝渕慶太氏による性加害はありません。この度は世間をお騒がせしてしまい申し訳ございませんでした……』


 その瞬間、記者達から怒号と質問の声が上がる。


『ふ、ふざけるなぁぁぁぁ!』

『それは、溝渕慶太氏による性加害の事実は無かったと、そういう事ですか!?』

『今回の件で、溝渕慶太氏の名誉が著しく毀損されたと思いますが、その点、いかがお考えでしょうか!?』


 記者達からの問いに水野は頭を下げたまま動かない。

 そんな水野の姿を見て、矢崎は呆然とした表情を浮かべる。


 拙い。拙い。拙い。拙い。拙い。今は拙い!


 ふと、カメラに視線を向けると、カメラが矢崎の顔をアップで写している事に気付く。


「あんた、何、撮ってんのよ!」


 そう怒号を上げるも、カメラマンは淡々とした表情でカメラを向けてくる。


 こうなったら私だけでも……!


「違う。違うわ。私は被害者……私は被害者よ! 確かに彼女達は被害者ではないのかもしれない。でも、私は違う!」


 水野達はもう駄目だ。信用は地に落ち、今更取り繕った所でもう遅い。

 一度、嘘だと認識されたらお終いだ。

 水野達を切り捨て、私だけでも生き残る。

 苦しい選択ではあるが、嘘であったと認めなければまだ芽はある。


 息を整え、さっきまでの失態が嘘の様に取り繕うと、矢崎は涙を浮かべカメラの前で訴える。


「――取り乱してしまい申し訳ございません。とんでもない事実が発覚しました。まさか、水野さん達が嘘を付いていただなんて……。水野さん達とは溝渕慶太氏から性加害を受けた身として親近感を抱いておりましたが、どうやら目が曇っていた様です。私自身も、驚きを禁じ得ません」


 あくまでも自分は被害者であるという主張は崩さず頭を下げると、誠心誠意謝罪の言葉を述べる。


「私の目が節穴でした。大変、申し訳ございません。これからは私、一人で溝渕エンターテイメントの故・溝渕慶太氏の性加害問題を追っていきたいと思いま……」

「――えっ? これ、ヤバいんじゃ……」


 リアルタイムで視聴中の視聴者に対して弁解していると、スタッフの一人が声を上げる。


「――ちょっと、そこのスタッフ。少し静かに……」

「いや、そんな場合じゃないですよ! これヤバいですって!」

「はあっ? 一体何が……」


 慌てた様子のスタッフを見てただ事ではないと感じた矢崎が会見を様子をパソコン越しに覗き見ると、そこでは……。


『えー、確かに彼女達は故・溝渕慶太氏から性加害を受けておりません。しかしながら、別の人物による性搾取とも取れる性加害を受けております』

『そ、その人物とはどなたなのでしょうか?』

『はい。それは溝渕エンターテインメントに所属するタレント、矢崎絵里氏です』


 第三者委員会の委員長を務める小沢の言葉に、矢崎は真っ青な表情を浮かべた。

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