第307話 エビデンスのない第三者委員会

 溝渕エンターテインメントの社長室。

 そこには、調査報告書を片手に握り締め、第三者委員会の会見を愕然とした表情でガン見する現社長、溝渕一心の姿があった。


「――な、何だこれは……」


 テレビに映り会見をしているのは、溝渕エンターテインメントの副社長、瀬戸内野心が選任し、一心が承認した第三者委員会の委員三人。

 第三者委員会が独断で記者会見しているのを見て、一心は大いに困惑していた。

 あれほど、会見を中止する様、言っていたのに……。

 野心の奴、私が承知していないにも関わらず独断で会見を行うなんて……!

 一心が心の中で魂の叫びを上げる中、会見は無常にも進んでいく。


『えー、皆様。大変お待たせ致しました。只今より会見を始めさせて頂きたいと思います。本日の司会を務めさせて頂きます。黒崎でございます。本日はよろしくお願い致します。えー、外部有識者から構成される第三者委員会は本日、溝渕エンターテインメントに対して創業者である故・溝渕慶太氏による性加害に関する調査報告書を提出致しました。本日は、第三者委員会から調査報告書の内容につきご報告差し上げ、その後、皆様からのご質問にお答え致します。一時間強の時間をご質問に設けておりますので皆様、どうぞ、ご協力の程、よろしくお願い致します。えー、それでは外部有識者による専門家のご紹介を申し上げます。中央におりますのが、委員長の冨澤でございます。皆様から向かって左が委員の荒北でございます。同じく向かって右が委員の向井でございます。それでは、冨澤委員長、よろしくお願い致します』

『はい。えー、本日、外部有識者から構成される第三者委員会は、溝渕エンターテインメントに対しまして創業者である故・溝渕慶太氏による性加害に関する調査報告書を提出致しました。只今からこの調査報告書の概要についてご説明をさせて頂きます。えー、まず本件調査の概要について説明致します。お手元にございます調査報告書の三ページ目をご確認下さい』


 第三者委員会の委員長、冨澤慎は調査報告書を捲ると、マスコミの様子を窺いながら話を進める。


『えー、本件調査は、被害者及び溝渕エンターテインメント関係者を含む五十名の方々にヒアリングを行い、関係書類の精査等を含め約二週間で渡り行いました。本件の事実関係についてご説明致します。まず、故・溝渕慶太氏が行った性加害の事実についてご説明致します。報告書の二十ページをご覧下さい。えー、特別チームは三十名の被害者の方々のヒアリングを行い、どのような性加害を受けたのかをお聞き致しました。被害者の方々がお話しした性加害の事実につきましては調査報告書の二十ページから二十二ページにかけて記載しております。これらの被害結果をふまえまして特別チームは、故・溝渕慶太氏が自宅や合宿所、講演先の宿泊施設等において、当時、未成年を含む所属タレントに対し、性加害を行っていた事が明らかになりました』


 手で握り潰していた調査報告書を開き、指定されたページに視線を向けるとそこには、故・溝渕慶太による性加害の概要が書かれている。

 そこには、被害者により語られた性加害の内容が赤裸々に記載されていた。


『本件は、物証というものがない事案という事もあり、様々な制約がある中での調査となりましたが、多くの方々の証言を聞き、故・溝渕慶太氏が行ったとされる性加害は実際に行われた真実であると、そう判断した次第です。えー、報道によると被害者は数千人とも数万人ともいわれておりますが、故・溝渕慶太氏が社長を務めてから半世紀もの長期間に渡り、所属タレントに対して、広範に性加害を行っており、被害者のヒアリングからは少なく見積もっても数百人の被害者がいるという複数の証言を得ました』


 第三者委員会による一方的な会見内容を聞き、一心は憤り声を荒げる。


「――あ、あり得ない……」


 たった三十人?

 たった三十人の被害者にヒアリングを行っただけで、第三者委員会は親父による性加害の被害者が数百人いると事実認定するのか……?

 どう考えてもおかしいだろ……。


 一心の心情とは裏腹に会見は滞りなく進んでいく。


『一連の性加害は、タレントのプロデュースに絶対的な権力を持っていた故・溝渕慶太氏が、デビューして有名になりたい。性加害を拒む事で冷遇されたくないという被害者の心情に付け込み行われたもので、被害者のヒアリングによると性加害を受けた方が優遇され、拒めば冷遇されるという認識が広がっていたと判断致しました。故・溝渕慶太氏による性加害の影響は多岐に渡り、被害者の中には、度重なる幻聴やフラッシュバックに悩まされたり、うつ病になったと語る方もいます』


 第三者委員会の委員長である冨澤が間を置くと、次いで、現社長である溝渕一心に対し、故・溝渕慶太氏による性加害に関する認識について話が移る。


『当委員会は現社長である溝渕一心氏に対し、故・溝渕慶太氏による性加害に関する認識についてヒアリング致しました。一心氏によると、一心氏が慶太氏の性加害が本当にあったと思うようになったのは、矢崎絵里氏等の会見を見た時からであり、それまでは被害者の人達から直接性加害の話を聞いた事が無かった為、慶太氏の性加害に関する具体的な認識はなかったとの供述がありました。しかしながら、一心氏は、取締役就任前に既に出版されていた慶太氏の性加害問題を報じるゴシップ誌の発行元に対して訴訟を提起していることから性加害の存在を認識しており、一心氏は、少なくとも取締役就任時頃には、慶太氏の所属タレントに対する性加害問題疑惑について認識していました。しかしながら、一心氏は慶太氏の所属タレントに対する性加害の事実について積極的な調査をするなどの対応を取らなかった事が認められました』


「――いや、待て待て待て待てっ!」


 第三者委員会の乱暴な断定に、一心は思わず声を上げる。


 親父の性加害問題を報じるゴシップ誌の存在があったからなんだというのだろうか。

 確かに、ゴシップ記事の内容があまりに酷いので、ゴシップ誌の発行元を訴えた事もある。そりゃあ、事実と違う勝手な事を書かれたら訴えるだろ。それを以て、親父の性加害を認識??

 おかしいだろ。その裁判は、うちが原告の名誉棄損裁判だぞ??

 うちが原告で、ゴシップ記事の発行元が被告の名誉棄損裁判だ。

 確かに、一部否認されてしまった部分もあるが、それは悪魔の証明となり立証不能な内容だったからで、それ以外の内容は認められ勝訴し、被告から賠償金も勝ち取った。

 それに、何故、ゴシップ誌にゴシップ記事が掲載されたら積極的な調査を行わなければならない??

 第三者委員会の発言が余りに現実離れしていて頭が痛くなってくる。

 ゴシップ誌の内容を鵜呑みにして一々調査なんてやっていられるか。

 ゴシップ誌は国の正式な調査機関か何かか?

 ゴシップ誌の内容を鵜呑みにして一々調査する方が問題だろ。

 調査報告書をよく見ると、その殆どの内容がゴシップ記事と三十名の被害者によるエビデンスなしの証言、そして、それを聞いた委員の所感によって纏められている。

 何故、第三者委員会は、無かった事をあった事に事実をすり替えようとするんだ……。

 裁判で一部否認された内容まで持ち出し敗訴扱いにするなんて情報操作が酷い。


 そう頭を抱えている内に、第三者委員会の報告は最終局面に移行する。


『えー、本件は、芸能事務所の経営トップである芸能プロデューサーが所属タレントに対し、半世紀にもわたって性加害を繰り返し行い、その被害者数は多数に上る極めて悪質な事件である。被害者が心身に受けたダメージは計り知れず、また、調査過程において、被害を受けるも今日に至って尚、精神面から被害を申し出る事のできない被害者の存在等も推察され、癒える事なき甚大な精神的損害を生じさせた事の責任は極めて重大であると言わざるを得ず、とりわけ、慶太氏が死去していることから同様の事案は起こらないであろうとの安易な想定の下で、形式的な対処のみを以て、現状の厳しい状況をやり過ごし、再出発を図る様な対応は、数多くのタレントを輩出してきた芸能事務所として到底許されるものではありません。えー、したがって、当委員会は、溝渕エンターテインメントが、性加害の事実を正面から受け止め、その責任の重大さを痛感し、被害者に対して法を超えた十分な救済を行うと共に、一心氏の代表取締役社長からの辞任を含む解体的出直し、並びに、ガバナンス体制の強化。研修制度の充実を提言致します。溝渕エンターテインメントにおいては、当委員会の提言を積極的に受け入れ、再発防止策のすべてを実施、実現する事により再出発して欲しいと、そう願います』


 ――ガタンッ


 第三者委員会の締めの言葉を聞き、一心は唖然とした表情を浮かべる。


「し、信じられん。これが第三者委員会の調査報告書なのか? ただ、被害者の話を纏めただけのレポートではないか……」


 テレビ画面に視線を向けると、第三者委員会の委員がマスコミの質問に答える姿が映る。


 親父が所属タレントに性加害をした証拠は被害者三十名によるエビデンスなしの証言。そして、ゴシップ誌の内容のみ……。

 もう滅茶苦茶だ。もはや第三者委員会としての体を為していない。

 第三者委員会の調査とは、被害者の証言やゴシップ誌の内容を纏める程度のものなのか……?


 事実確認なんてどうでもいい。私達、第三者委員会がそう認定したんだ。被害者が嘘つく筈がないだろ。誠心誠意謝罪して賠償しろ。なお、当第三者委員会の調査は、法令上の強制力が伴うものではなく、関係者の任意の協力の下で実施されたものであり、関係当局が法令上の権限に基づき調査を行った場合、第三者委員会の認定と異なる事実が明らかに可能性がある、と……つまり、限られた情報で調査したんだから違う結果が出ても私達は悪くありませんと、そういう事なのか……?


 社長室の外から聞こえてくる電話の大合唱。

 第三者委員会がマスコミの質疑応答をする様子に目を向けながら、一心は呆然とした表情を浮かべ天井を仰ぎ見る。


 ――ピコンッ


 すると、パソコンの受信トレイにメールが届く音が聞こえた。

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