第297話 腐っていやがる……

「腐ってるな……」


 長谷川の汚名を濯ぐと高らかに宣言した俺は、調査をエレメンタル達に任せ、新橋大学付属病院の特別個室に戻ると、エレメンタル達が調査から帰ってきたらすぐに料理が食べられる様、ペロペロザウルスの卵を使った卵料理を作りながらテレビに視線を向ける。


 先ほどの発言は、卵をボウルに入れ、かき混ぜながらの発言だが、決して、卵が腐っていた訳ではない。腐っているのは、テレビに流れるニュースの内容だ。


『――数年前……まだ溝渕慶太元代表が存命の頃、私は事務所の後輩が元代表から性加害を受けている場面に遭遇しました。あの時の私は考えが未熟で、これは芸能界で売れる為に必要な事なんだと考えておりました。しかし、私の娘に子が産まれ、娘が「この子は将来、お母さんが活躍してきた芸能界に入れたい」と抱きながら言った時、目が覚める様な衝撃を受けました。それと同時に涙も……私自身、現事務所の元代表から性加害を受けてましたので……私が声を上げなければ、これから先も自分と同じような被害者が生まれるかも知れない。有名になった今だからこそ、私にもできる事があるのではないかと……』


 そう声を上げたのは、昭和から現在に至るまで映画やドラマ、舞台で活躍中の超有名タレント、矢崎絵里。そして、矢崎の隣にいるのは、朝ドラでも話題沸騰中の若手タレント、水野美嘉だ。

 矢崎は震える水野の肩に手を乗せると、訴えかけるような視線をカメラに向ける。


『今は枕営業が盛んに行われていた昔の時代ではありません。社会も昔は芸能界の性の問題を性加害としてではなく、枕営業として軽く見ていた面もあるかと思います。しかし、時代が変わるように事務所も……溝渕エンターテインメントも性加害の事実を認め、変わるべきです』


 矢崎は、溝渕エンターテインメントの元代表、溝渕との出会い、初めて舞台に立った日の記憶、何度も泊まった溝渕代表のマンションのこと、そして、初めて性被害に遭った日の詳細。そして、今回、同じ事務所のタレントと共に記者会見を開いた経緯を語った上で、数年前に亡くなった溝渕エンターテインメントの元代表、溝渕慶太への思いを打ち明ける。


『個人的に、溝渕元代表には感謝の気持ちを持っています。実際に溝渕元代表のお陰で人生が変わりましたから……しかし、その一方で、当時、入所したばかりの私や水野さんを始めとする所属タレントに対して性加害を行った事実は問題だと考えております。だからこそ……今からでもいいから謝ってほしい。もう二度と、この様な被害を起こさない為にも……溝渕元代表が私達、所属タレントに対して行っていた性加害行為を見て見ぬ振りをしていた溝渕エンターテインメントの現経営陣に「あの時はすまなかった」と性加害の事実を認め、謝罪して欲しいと、溝渕エンターテインメントに所属するタレントの一人として切に願います』


 矢崎がそう言うと、画面内に沢山のフラッシュが焚かれ、キャスターの感想と共に次のニュースに移り変わる。

 それを見た俺は、呟く様に言った。


「――腐っているな、芸能界」


 本当に腐っているわ。

 溝渕慶太と言えば、大手芸能事務所の元代表。週刊誌で芸能界のドンと表現されていた存在だ。テレビ中継された葬儀の際には、所属タレント全員が集まり、涙を流しながら故人を偲んでいたようにも見えたが、どうやら気のせいだったらしい。

 所属タレントがテレビで笑顔を振りまく影でこんな悪辣な事をしていたとは……。


 今は、息子の溝渕一心が事務所の代表を務めている様だが、所属タレントにこんな会見を開かれて、さぞ頭を抱えている事だろう。

 とはいえ、今の話が事実かどうかは話は別だ。

 日本は情治国家ではない。歴とした法治国家だ。

 裁判における事実認定は、当事者である原告と被告が裁判所に申し出た証拠によってされる。

 勿論、証言も一つの証拠となるが、証言を証拠として裁判所に提出する場合、原則として、裁判所で証人尋問という手続きを経る必要がある。


 つまり、証拠はない。でも、私は被害者だ。私が被害を訴えているのだから、それは真実なんだ。こんな不名誉な事実を自分から公表する訳ないだろ。私達を被害者だと認めない奴等は皆、加害者。賠償金を寄越せ、といった都合のいい主張は司法では認められない。

 そもそも、溝渕元代表は故人。日本の法律では、被疑者が死亡した場合、刑事事件の訴訟条件を欠くため、不起訴処分となる可能性が極めて高い。また、溝渕元代表の死後、八年以上経過している事から、大半の事案で公訴時効が成立しているものと考えられる。損害賠償請求や示談等、民事による和解についてもそれは同じ……不法行為に基づく損害賠償請求権は、被害者又は法定代理人が損害および加害者を知った時から三年間行使しない時、時効によって消滅する。

 溝渕元代表の死後、八年以上が経過している為、溝渕元代表の相続人が時効を援用すれば、損害賠償請求をする事も困難。

 被害者救済の為、残された現実的な方法は、現代表である溝渕代表に対して、安全配慮義務違反を理由とする損害賠償を求める事位のもの。

 取れる手段は少ないだろうが、タレントの矢崎さんには是非とも頑張ってほしいものだ。


「――まあ自称被害者のお前達は別だがな……」


 テーブルに置かれた三枚の写真。そこには、失踪した長谷川から執拗な性加害を受けたと自己申告している詐欺師共の姿が写っていた。


 性加害を受けていないのに口々から発せられる気持ちの悪い性的発言の数々。妄想力が逞しい通り越して記憶障害を疑うレベルだ。

 悍ましい妄言を何度も聞かされ、俺の精神も汚染されたような気がする。

 反訴すれば勝てるのではないだろうか?


 被疑者が死亡または失踪している事件は、言ったもの勝ちになり易い。

 特に司法を通さない場合、それが顕著だ。

 裁判所と違い証拠を提示する必要がないからな。

 もし万が一、法と証拠に基づかず、事実認定すれば、それを元に一生たかられる。

 何せ、裁判外で事実認定させ、それを以て裁判の証拠とする事ができる様になるのだから。

 それが分かっているからこそ盛りに盛った話をしているのだろう。

 あの詐欺師共、俺に嘘が露見しているとも知れずに、長谷川の奴に『毎日、一日も欠かさず、休日にも呼び出され性加害を受けた』だの、『行為が終わった後には、必ず交通費として一千円渡され、私の価値はたったこれだけなのかと悲しい思いになった』だの『性加害は私が入社した頃からあった。元理事長による性加害の被害者は数千人に及ぶ。あいつは国から補助金を得る為、私達に性接待させていた』だの、想像力豊かな胸糞悪い作り話を語っていた。

 恐らく、夢と現実の区別がついていないのだろう。

 公益財団法人アース・ブリッジ協会は設立から三十余年の法人。

 採用は定年または自己退職した職員が出たら補充する為に行われ、これまで採用した女性職員は二十名にも満たない。

 それに、長谷川は女性恐怖症(女性らしさを感じさせない白石の様な人間を除く)で、EDだ。

 それはヘルヘイムを治める神、ヘルにより証明されている。

 設立から三十余年で女性職員を二十名しか補充してこなかった女性恐怖症でEDの長谷川が、毎日、性加害しただとか、被害者は数千人及ぶとかあり得ないだろ。

 長谷川が失踪しているからといって、そんな妄言を証拠として裁判所に提出すれば、裁判官から失笑を買うだけだ。だから、場外乱闘で収めようとしているんだろうけど……。


 アース・ブリッジ協会も一応、公益財団法人。

 一般的に社会的な信用度は高いとされている。

 元理事長が性加害行為をしていたと知られれば、大変な事になるだろう。

 例え、それが嘘だったとしても、火のない所に煙は立たぬと騒ぎ立てる馬鹿はどこにでもいる。

 さて、どう処理してやろうか……。


 薄くオリーブオイルを馴染ませたフライパンにバターを落とし、中火で熱した後、牛乳入り溶き卵を入れると、木べらで大きく混ぜながらスクランブルエッグを作っていく。

 そして、出来上がったスクランブルエッグをお皿に盛り付けると、タイミング良くエレメンタル達が帰ってきた。


「おお、早かったね。皆、お帰り! 卵料理できてるよ」


 テーブルには、エレメンタル達の為に用意した卵料理が数多く並んでいる。スクランブルエッグ以外の料理はすべて、俺が経営する宿の支配人に頼んで用意して貰ったペロペロザウルス料理だ。

 エレメンタル達は、テーブルの隅に調査資料を放置すると、一心不乱に卵料理を頬張っていく。


「さて、エレメンタル達がペロペロザウルスのスクランブルエッグを食べている間に、集めてきてくれた情報を纏めるか……」


 そう言って、テーブルの隅に置かれた調査資料の内、対象を監視したビデオカメラを再生すると俺は顔を強張らせる。


「……な、こいつは」


 そこには、この世界にいる筈のない男が……元事務次官である村井敦教の姿が映っていた。


「どういう事だ……」


 何でこいつのがここに……確かこいつは、ゲーム世界に放置してきた筈。

 この世界にいる筈がない。なのに、何故、こいつが現実世界に戻って来ている?


 他人の空似か?

 いや……どこからどう見ても本人だ。

 まさかとは思うが、ヘルが言っていたのはこの事か?


 スヴァルトアールヴヘイム解放を機に、アースガルズで神々による会議が行われ、その結果、追加で四人、この世界と元の世界を行き来できる者が狡知神ロキにより選定された。

 その内訳は、リージョン帝国とミズガルズ聖国で二人ずつ。

 村井を放置した場所は、ミズガルズ聖国。

 納得行かないが帳尻だけは合っている。


 面倒な奴を……。


 エレメンタルが集めてくれた資料によると、村井は都知事とコンタクトを取っている。

 何故、あの都知事があんな訳の分からない会見をしたのか謎だったがお陰で謎が解けた。


 恐らく村井はゲーム世界から何らかのアイテムを持ち帰った。それがどんな効力を持つアイテムかは分からないが、十中八九、契約書に類するアイテムを持ち帰ったのだろう。

 そうでなくては説明が付かない。


「まさか、お前がヘルの言っていた四人の内の一人だったとはなぁ……」


 流石は狡知神ロキ。人選がエグい。

 思い切り、戦わせようとしているじゃないか。


「もう一度、村井の事を探って見るか……」


 そう呟くと、ビデオカメラをテーブルに置いた。

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