第294話 クソ兄貴再来③

「クソッ、何の恨みがあって……!」


 こいつのお陰で、俺の人生は滅茶苦茶だ。

 しかし、甘かったな。前回、どうやって俺を働かせたのかは分からないが、今回は体が思うように動かないだけで、口は自由に動かす事ができる。

 つまり、それは前回と違い愚弟が俺の催眠・・に失敗したという事に他ならない。


 そう尋ねると、愚弟は唖然とした表情を浮かべる。


「――はっ? それ、本気で言ってんの?」


 何を言っているかわからない。

 愚弟はそんな表情を浮かべている。

 だが、分からないものは分からない。


「わ、わかんねーよ! 俺が何をした。悪い事は何もやってねーだろ!」


 そう叫ぶと、愚弟は考え込む。


「ふーん。そういう認識だった訳か……通りで……自分は悪くないと本気で考えていた訳だ。救いようのないカスだな……」

「なにっ!? 救いようのないカスとは誰の事だ! まさか、俺の事じゃないだろうな!」


 俺の言葉に愚弟は蔑む様な視線を向けてくる。


「――いや、お前以外誰がいるんだよ。ここには、俺とお前の二人しかいないだろ? 折角だから教えてくれる? どうしても分からない事があってさ……俺、家族に負債背負わせてまで借金する奴の心理がまったく分かんねーんだわ。だからさ、ちょっと、教えてくれる?」

「はっ? なに言ってんだ、お前? 借金するも何も、家族なんだから俺が困っていたら助けるのが当然だろ? 困った時、尻拭いしてくれる存在、それが家族だ。そんな家族に金を借りて何が悪い。それに、返さないとは言ってないだろ。俺にだってちゃんと返す気持ち位ある。ただ、お前や父さん母さんは俺より余裕がある。だから、返すのを待って貰っているだけだ。勘違いするな」


 第一、親には子が死なない様に養う義務があるだろ。

 子が親に対して借金の申し出をしたら、返済を求めず嬉々として支払うのが親の役目というものだ。そう考えると、これはもはや親孝行の一環。

 親孝行を拒否するという事は、この世に俺を産んだ責任の放棄に他ならない。

 責任を放棄する位なら、そもそも俺が産まれる様な行為をするな。それはただの言い訳だ。

 お金が掛かって困るなら最初から産まなければいい。産んだからには責任を取れ。

 それが子に対する親の責任である。


 そう真摯に回答すると、愚弟は手の平を目に乗せ空を仰ぎ見た。


「……お前さ、借金返済している時、どんな風に思った? 苦しい。生活がキツい。何で俺がこんな苦しい思いをしなきゃいけないんだ。とか考えた事はなかったのか?」

「はあっ? なに言ってんだ、お前。あるに決まってんだろ?」


 子供の借金は親の借金。親が折角、完済してくれた借金を、何故、俺が親に返済しなければならないのか意味が分からなかった。だからこそ、体が自由になってすぐ、返済を求める為に実家に向かったのだ。


「……さっきから言ってる事が滅茶苦茶だな。もういいや、お前が度し難いクズだという事はよく理解できた。これで心置きなくお前の事を送り出せるよ」

「送り出せる? さっきから何を言って……」


 愚弟は、車のトランクからキャリーバッグを取り出し、俺の前に置く。


「クソ兄貴。お前には、今から羽田発の高速バスで三重県に行ってもらう」

「――はっ? ふざけんなっ! 何で、俺がそんな事をっ!!」


 すると、言葉とは裏腹に俺の体が勝手に動き、キャリーケースの取っ手を掴んだ。


「へっ?」


 意味が分からずそう呟くと、愚弟は車に乗り込みながら言う。


「三重県までは羽田発の高速バスに乗って八時間半で到着する。その後、お前は尾鷲市にある株式会社アイラブカツオの面接を受け、後はそのまま、約十ヶ月間の世界のカツオ漁獲ツアーに出発だ。良かったな。今の時期はカツオが旨い。船の上で思う存分、カツオの刺身を食べる事ができるぞ」


「――なっ! ふ、ふざけんなよっ! なんだよ、船の上でって!」


 すると、愚弟は面倒臭そうな顔をする。


「いや、お前はこれから遠洋漁業を生業とするグローバル企業に就職し、スペインはカナリア諸島にあるラスパルマス港から約十ヶ月かけて世界のカツオ漁獲ツアーに強制参加するんだよ。良かったな。未経験者歓迎。学歴不問、アットホームな職場環境で月収は五十万円。歩合制でボーナスもあるってよ。まあ、その大半は俺達に返済して貰うから殆んど残らないだろうが、まあ頑張ってくれ。借金を返し終わったら自由にしてやるよ。その時は借金なんかもう二度とできない様、契約書で縛らせて貰うけど」


「ふ、ふざけるなぁぁぁぁ! 何が世界のカツオ漁獲ツアーだ! 俺は行かないからな! 絶対に行かないからなっ!」


 しかし、俺の意志とは別に体が勝手に動き出す。

 キャリーケースを手に取ると、三重県行き高速バスの停留場に向かって歩き始めた。


「――な、なんで……」


 何で、体が勝手に……これじゃあ、前と同じじゃあないか。

 そこまで考え思い至る。


「ま、まさか……お前、本気で俺を働かせる気なのか?」


 そもそも、あいつは俺の催眠に失敗した訳じゃ……。


 そう呟くと、愚弟は欠伸をしながらシートベルトを締める。


「まあ敢えて言う必要もないと思うんだけど、一応、言っておく。当たり前だろ。お前に拒否権ないんだよ。怨むなら家族に迷惑をかけても何とも思わないお前の人間性を怨むんだな。それと失礼な事を言うなよ。遠洋漁業は日本の食文化を支えるかけがえのない仕事だ。その仕事に従事できる事を誇りに思い滅私奉公するつもりで事にあたれ、それが俺の持つ課金アイテム、契約書の効果だとしても……」


 や、やはり!

 前回、俺がブラック企業で強制的に働かされ借金返済を強要されたのも、今、体の自由を奪われ三重県に出荷されそうになっているのも全部、それが原因だったのか!!

 しかし、その事を抗議したくてもうまく言葉が出てこない。

 さっきまで、喋る事ができたのに何で急にっ……!


「それじゃあ、俺はそろそろ行くから。漁業関係者に迷惑だけは掛けるなよ。生意気な事を言って海に落とされても知らねーからな。まあ、契約書の効果が切れるまで反抗すらできないだろうけど……」


 愚弟の話が本当なら俺はマジで遠洋漁業に出る事になってしまう。それはこれまでの経験から明らかだ。


 ちょっと、待て!


 心の中でそう叫ぶが、無情にも愚弟は俺を羽田空港に置き去りにし、行ってしまう。愚弟の車が見えなくなる頃、俺の体もまた勝手に動き始めた。


「くそっ! どうなってんだよっ!!」


 ――って、あれ?


 喋る事ができる。体の自由は相変わらず利かない様だが、喋る事ができる。

 一体、どうなってるんだ??

 いや、今はそんな事、どうでもいい。喋る事ができるなら話は早い。


「すいません。誰か、たす――ぐぇ!?」


 助けて下さいと言おうとしたら口が勝手に閉じた。

 いや、何でだよ!

 俺はただ、助けを求めようとしただけなのに……


 そうこうしている内に、三重県行きの高速バスがやってくる。

 俺は項垂れると、何もかもを諦め、体が勝手に動くまま高速バスに乗り込み三重県へと向かう事となった。


 ◆◇◆


「これでよしっと……」


 クソ兄貴は、契約書で縛り上げ、遠洋漁業に向かわせた。

 これで最低、十ヶ月間は逃げ場のない海の上。契約書の効果により兄貴が稼いだ金の大半は俺達の借金返済に充てられる。遠洋漁業は借金返済にもってこいの職業だ。

 これなら、突然、世界樹が燃え契約書の効果が無くなっても問題ない。

 四、五年働けば、肩代わりした借金の大半が無くなる計算だ。

 自分がどれだけ俺達に迷惑をかけてきたのか、その身を以て償うといい。


「さて……」


 クソ兄貴問題はこれで解決した。

 母さんと父さんにクソ兄貴はホープ丸の船員として遠洋漁業に出る旨、メッセージで伝えると、レンタカーを返却する為、新橋の事務所近くのレンタカー置き場に向かう。


「――うん?」


 すると、慌てた様子で事務所に向かう会田さんの姿が見えた。


 会田さんの焦り様、半端ないな……。

 今度は一体、何が起こったんだ。


 とりあえず、事務所近くのレンタカー置き場にレンタカーを返却すると、コンビニで購入したリラックスパイポをふかしながら、自販機で購入したエナジードリンクを口にする。

 そして、会田さんに気付かれない様、姿を隠すアイテム『隠密マント』を被り事務所に戻ると、バレない様、こっそり事務所内に潜入する。


 すると、事務所内で不穏な話が聞こえてきた。


「どうしましょう。これは拙いのでは……」

「ああ、確かに……これは拙いですね。しかし、これは……」


 会田さん達の声。

 背後からチラリと新聞を確認すると、そこには、警察の取調中に行方不明となった(実際には、ゲーム世界に置いてきた)筈の村井元事務次官が無罪放免で釈放された事、そして、公益財団法人アース・ブリッジ協会の前理事長、長谷川の失踪が書かれている。


 ――へっ? なんで?


 意味が分からない。

 なんで、ゲーム世界に置いてきた筈の村井元事務次官がこっちの世界に戻ってきてんの?


 新聞を読むと警察の取調中に行方不明になったにも係らず、無罪放免で釈放された様だ。

 その上、国税局による査察まで無かった事になっている。

 そして、一番驚いたのは、長谷川の失踪だ。

 突然、失踪したとの事だが、一体、何が起こっているんだ?


 もしかして、理事長解任がそんなにショックだったのか?

 それとも鉛筆削りか?

 長谷川自身が自分で考え部下にやらせていた鉛筆削りで精神をやられ失踪したのか?

 真相は闇の中だ……。


「――うん?」


 背後に不穏な気配を感じ振り向くと、そこには、透明な姿となった長谷川で遊ぶヘルの姿があった。

 ヘルは俺の視線に気付くと、ハッとした表情を浮かべ長谷川をどこかに隠した。


 何だか、見てはならないものを見た気分だ。

 お前じゃないよね?

 まさかとは思うけど、お前じゃないよね?

 ヘルが長谷川を殺し、その魂で遊んでいた訳じゃないよね?

 謎は深まるばかりだ。


 そんな事を考えていると、スマホのバイブレーション機能が作動した。

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