第293話 クソ兄貴再来②

 千葉県市川市。

 車がないと微妙に不便なこの土地に俺の実家、高橋家がある。


「坂ばかりのこの感じ、久しぶりだな……」


 道は狭いが自転車あればどこにでも行けるこの感じ。何だか、帰ってきたという気分だ。

 土地開発が進んでいる為か、たった一年で都会化が進んでいる様だが、今はそんな事どうでもいい。

 今、重要な事は、一刻も早くクソ兄貴を捕獲し、気絶している内に再契約を結ぶ事。

 いや……今後、契約書の効果が切れるかも知れない事を考えると、もっと別な方法を考えた方がいいのかも知れない。

 何しろ、奴は契約書の効果が切れるや否や、『これまで返済した金を返せ』と自宅に突撃してきた。人間性は最悪だ。


「……よし。決めた」


 契約書によるクソ兄貴更生は諦める。

 代わりに社会の厳しさや怖さを徹底的に刻み込む。それこそ、今までどれだけぬるま湯に浸かっていたか分からせれば、ある程度は静かになるだろう。

 散々、迷惑をかけてきたんだ。覚悟していなかったとは言わせない。

 考えを改める時間は十分過ぎるほど与えた。

 俺はポケットからスマホを取り出し、とある求人広告にクソ兄貴を装い申し込む。

 本来、なりすましで求人応募するのはよくない事だが、後ほど本人が自分の意思で働きに出るのだから問題ないだろう。

 応募してすぐに面接したいとの連絡が来た。

 それを見て俺は薄ら笑みを浮かべる。


「――ここまでの事はしたくなかったんだけどな……」


 ぬるま湯に浸かりきったクソ兄貴を更生させることはもう不可能に近い。

 ならば、逃げ場のない状況に追い込み、人に縋る事の愚かさを根本から叩き込む。


 とある弁護士は言っていた『人という字は、人と人とがお互いに支え合ってできている訳ではありましぇん。一人の人間が両足を踏ん張って大地に立っている姿の象形文字です』と……。

 同感だ。人は一人で生まれ、一人で生きていき、一人で死んでいく生き物。

 このままクソ兄貴を放置する事は、俺達の自由な人生を阻害する腐った鎖にしかならない。

 現状、俺達の厚意に一方的にもたれ掛かっているクソ兄貴を何とかしないと、俺達まで沈められてしまう。

 自分の人生は自分のものだ。クソ兄貴の自分勝手に阻害されてなるものか。


「さて、行くか……」


 母さんも俺の到着を待っている。

 そう呟くと、俺は家の前にレンタカーを停め、自宅の扉を開いた。


「ただいま~」

「か、翔……!」


 のんびりとした声で実家のドアを開けると、倒れたままピクリともしないクソ兄貴と母さんの姿があった。

 クソ兄貴が梱包用フィルムで簀巻きにされていない所を見るに、母さんには荷が重かった様だ。

 成人になったとはいえ、自分の子供を簀巻きにするのは心理的抵抗があったらしい事が伺える。


 やはり母さんは甘いな。俺なら容赦なく縛り付けている。

 それと壁に空いた穴。

 電話から聞こえてきた衝撃音。やはり、あれはクソ兄貴が壁を殴り付ける音だったらしい。

 やはり害悪。クソ兄貴は放置できない存在だ。放置しておけば、癇癪を起してまた壁に穴をあける。


「陽一が……陽一が……」


 そう言って涙ぐむ母さんにハンカチを渡すと、俺はクソ兄貴を梱包用フィルムで簀巻きにしながら安心する様に言う。


「――母さんは何も心配しなくてもいい。大丈夫。後の事は俺に任せて……今度こそ、ちゃんとクソ兄貴を更生させるから」

「ち、ちょっと、陽一を連れてどこに行く気だい!?」


 俺の様子を見て、母さんが心配そうに声を上げる。

 心配する母さんをよそに簀巻きにしたクソ兄貴を担ぐと、俺は笑みを浮かべた。


「……ちょっと、海に行ってくる。そこで面接があるからさ」


 ダメ人間代表のカイジ君も、希望の船に乗って借金を返済しようとした。

 まあカイジ君は惜しくも、借金返済に至らず地下帝国で強制労働の憂き目にあったが、それはあくまでマンガの話。

 現実なら多分、大丈夫だ。送り込むのは地下帝国じゃなくて海だし、ペリカなんか払わなくてもお日様の下にでる事ができる。


「ほ、本当に大丈夫かい?」

「…………」


 事ここに至ってクソ兄貴の心配か。母さんは優しいな。


「……大丈夫。安心してくれ。兄貴には、ちょっと、船に乗って貰うだけだから」


 今はカツオが旨い時期だからな、クソ兄貴にはちょっと長期間遠洋漁業に出て貰うだけだ。

 遠洋漁業はいいぞ~。金を使う所がないから貯金は貯まるし、体力も忍耐力も精神力も身に付く。海の上だから色々と諦めもつくし、命の危険はあるがその分、歩合制で給料も高い。


「で、でも、陽一の嫁さんは……」

「……母さん。離婚したって事はそれだけ生活に不満があったって事だよ。もうミキさんを自由にしてやろう」


 あの女はあの女で、この数ヶ月間、クソ兄貴との共同生活で苦労に苦労を重ねた見たいだしな。

 男共を騙し、貯めたお金もすべて自分達の生活費と俺達への借金返済に消えた。

 戸籍にもバツが一個付いてしまったし、苦労が祟ってか二十代にも関わらず、二十歳位老けて見える容姿になっていた。もう自分の容姿を利用して男から金を巻き上げる事はできないだろう。


 なので、あの女については、解放してやる事にした。キャッチアンドリリースという奴だ。

 これからは人を騙して金銭を巻き上げるという行為がどういった結果を齎すのか考えながら自由を謳歌するといい。

 俺はあんたの幸せを願っているよ。

 ただし、クソ兄貴。テメーはダメだ。

 法律的にクソ兄貴と縁を切る方法がない以上、俺達はお前が何かをやらかす度に、拭きたくもないお前のケツを拭かなけれなならない。

 家族ってだけで、永劫、お前のケツを拭き続けるのはウンザリなんだよ。


「……と、いう事で、ちょっとクソ兄貴を連れて海に行ってくるね。大丈夫、大丈夫。ちゃんと、残った借金も返済させるし、今度こそ、人格ごと更生させるから」


 遠洋漁業は体力的にも精神的にも過酷だと聞く。

 まあ、なんだ。頑張ってくれ。


 そう言うと、俺は簀巻きにしたクソ兄貴を後部座席に寝かせ車を走らせた。


 ◇◆◇


「う、うーん……ここは……? 確か、俺は実家に金を取りに行った様な……うん? 何だこれ」


 俺こと高橋陽一が目を覚ますと、体を拘束されている事に気付く。

 慌てて視線を上に向けるとそこには……。


「ああ、クソ兄貴おはよう」


 運転席に座り車を走らせる愚弟の姿があった。


「――お、お前はっ!? おい、翔! どういうつもりだ!」


 体はラップの様な物でぐるぐる巻きにされている為、動かない。

 一体、何の怨みがあってこんな事を……!


「どういうつもりも何も……ちょっと、兄貴には、希望の船に乗って貰おうと思ってね?」

「希望の船……? 何を言っているんだ、お前は!?」


 意味が分からん。遂に頭でもイカれたか。

 そう呟くと、愚弟は俺の事を馬鹿にした様に笑う。


「あれ? 兄貴は知らない? スペインはカナリア諸島にあるラスパルマス港から出港する希望の船……名を『ホープ丸』っていうんだけど……」

「知る訳ねーだろ! いいから、これを解け! これまで払ってきた金、全額を返金し、俺を解放しろ!」


 なにが、ホープ丸だ、ふざけやがって!

 それになんで、俺がこんな目に遭わなきゃならない。俺はこの数ヶ月、強制的に働かされた。

 そう。働きたくないのに、借金返済の為、働かされたんだ。

 それも自分の意思じゃない。まるで催眠術にかけられたかのように強制されて働かされた。

 先日、何故かは分からないが、ようやく自由を取り戻し、ババアから金を取り返そうと思えば……!


 ミキちゃんも離婚届をテーブルの上に残したまま、いつの間にかいなくなっていた。

 俺は不幸だ。だからせめて、俺が働いて稼いだ金を取り戻そうとババアの家に向かった。

 なのに、今、何故、こんな事になってる。ふざけんな!

 しかし、愚弟は笑うだけ。


「おい。聞いてんのか!? いいから俺を解放しろっ!」


 すると、愚弟は車を停める。

 そして、車を降りると、後部座席側のドアを開けカッターで俺の体を縛る梱包用フィルムを切り、拘束を解いていく。


「ふん。最初からそうしてればいいんだよ」


 どの位、車に乗せられていたかは分からないが、梱包用フィルムに縛られていたせいで体がガチガチだ。

 一度、気分転換の為、外に出るか。

 愚弟を詰めるのはそれからだ。


「ストップ」

「ああっ?」


 車から降りようとすると愚弟がそれを邪魔してくる。


「一体、何のつもりだ? こんな事をして、警察にタレ込んでやってもいいんだぜ?」


 すると、翔は少し考え込む素振りを見せる。


「――いや、それは別にいいんだけど、クソ兄貴にそれができるのか気になってさ……警察にタレ込むんだっけ? ちょっと、一回、それやってみてくれる?」

「……ふざけやがって、まあ、いいだろう。後悔するなよ……って、あれ? スマホがない……」


 おかしいな。

 ポケットに入れていた筈……何でないんだ?

 ポケットというポケットを探すも、ポケットに入れた筈のスマホが見付からない。


 ふと、顔を上げると、俺のスマホを片手に持ちニヤつく愚弟の姿が目に映る。


「翔、テメェェェェ!」


 人をおちょくるのも大概にしろよ。俺は誰かにコケにされるのが一番嫌いなんだ!


 声を荒げ、車の外に出ると、地面に足を着いた瞬間、視界にまるでゲームの様なウィンドウが開き、頭の中に『ビー! ビー!』と警告音が鳴り響いた。


「な、何……? この音は……??」


 突然の状況に困惑していると、目の前に『プレイヤー名、高橋陽一が契約条項を破りました。これよりプレイヤー名、高橋陽一に罰則を課します』という文字が表示され、音声が頭に響き、脱力した様な感覚に襲われる。


「こ、この感覚はまさか……!」


 そう呟くと、愚弟は手に持ったスマホを俺に渡してくる。


「そう。大正解。この俺が何の対策もなくクソ兄貴の拘束を解く訳ないだろ?」

「そ、それじゃあ、これはお前が……いや、これもお前の仕業かぁぁぁぁ!」


 この数ヶ月間、俺は強制労働に苦しめられてきた。どうやったかは知らないが、この愚弟が元凶だった様だ。

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