第292話 クソ兄貴再来①

 ――ブーッブーッブーッ


 インスタントコーヒーを啜りながら今後の方策を考えていると、Type-C用充電ケーブルに刺しっぱなしのスマホが振動する。


「うん?」


 なんだ?

 このバイブレーションの長さ……誰かからの電話かな?

 面倒事じゃなければいいんだけど……。


 そんな事を考えながらスマホを手に取ると、通話ボタンを押しそのまま電話に出る。


「――はい。もしもし……ああ、母さんか。何、どうかしたの?」


 ――はい。問題事確定。


 母さんから電話が来る時は、大体、問題事が発生した時に決まっている。

 前回、電話があったのは、元区議会議員の更屋敷義雄が母さんの職場の区役所に働きかけ解雇通告した時以来か……。

 今、母さんは宝くじ研究会の財務担当として会田さんの下で働いている。

 給料は宝くじの当選金で支払いをしているので、お金には困っていない筈。となれば、考えられる問題事は一つだけ。


『よ、陽一が……陽一が急に仕事を辞めてきて……ミキさんだって、陽一と離婚するって……!?』


 そう。ダークエルフの国を襲撃した際、燃えた世界樹の根の影響により幾つかの契約書の効果が無効化されてしまった。その結果、何が起こったのか……。契約書の効果によりガチガチに縛り上げていたクズ共が解放されてしまったのである。

 俺の兄である高橋陽一もその一人だ。

 高校進学後、四年制大学に入学。留年を繰り返した結果、除籍となり、その後、バイトを転々とし、遊ぶ金が無くなれば『俺に死なれては困るだろう』と言わんばかりに金を無心する寄生虫。『親に悪影響を及ぼす子供』を意味する毒子といった方が正確だろうか。

 数ヶ月前、無職のくせに年収偽って婚活パーティーに参加し、福田ミキとかいう結婚詐欺師を引っ掛け、結婚報告&金の無心をしてきた事を利用し、騙す形で契約書を結び更生の道へと送り出したのだが……まさか、契約書の効果が切れている事に気付くとは……。


「――そっか、それは一大事だね……」


 個人的には、アース・ブリッジ協会の公益認定が取り消されるより一大事だ。

 奴には、家族の名義を勝手に使い借金をした前歴がある。怒りに任せて家の壁を殴り付け骨折した過去も……このまま放置しておけば、必ず同様の事態を繰り返す。

 今のうちに何とかしなければ……。


「それでクソ兄貴は今どこに?」


 そう尋ねると、電話の向こうからクソ兄貴の声が聞こえてきた。


『おい。ババア! どこにいる! これまで、俺が振り込んできた金を返せ! 返せよクソババアァァァァ!!』


 ――ほう。契約書の効果が切れたらこれか……本当に救いようのない害悪だな。

『俺が振り込んできた金は返せ』とか何とか聞こえた気がするが冗談だろうか?

 お前、まだ俺達が肩代わりした借金返してねーだろ。

 たった数ヶ月働いた位で、お前が八年掛けて積み上げてきた借金返せる訳がない。


 どうやら自宅に居る様だが、相変わらず……いや、数ヶ月間、借金返済マシーンとして働いてきたからか、その間に貯めたストレスが天元突破して、とんでもない化け物に変貌して帰ってきた様だ。

 今でこそ、こんな社会の底辺みたいなクソ野郎に成り下がってしまったが、クソ兄貴も高校卒業位までは比較的まともな部類だった。


 おかしくなってしまったのは、大学進学を機に一人暮らしを始めた頃からだ。

 他の学生が日本学生支援機構の奨学金制度を利用して大学に通う中、クソ兄貴は世帯年収八百万円の両親から大学の学費とは別に生活費として月額十万円を仕送りを貰い比較的自由な大学生活に味を占めたのか、月額十万円をすべて自分の趣味にあて足りなくなれば『たった、これだけの仕送りじゃ惨めな学生生活を強いられる』『これは経済的なドメスティックバイオレンス、金銭的虐待だ。親なら金をもっと寄こせ』と言い始めた。


 俺が高校生の頃、正月に帰省してきたクソ兄貴に『学費とは別に生活費として月額十万円の仕送りをするのがどれだけ大変かわかってる? 兄貴さ、そんなに金が欲しいなら自分でバイトをするか奨学金を借りろよ』とアドバイスすると、『俺に働けっていうのか!? 毒親の貧乏性に付き合わされて貴重な青春を浪費させられるのは理不尽だ。親なら子の幸せを願い金を出すのは当然だろ!』と怒鳴り声を上げキレ散らかす始末。

 そんな様子を見た両親がクソ兄貴に十万円以上の仕送りはしない旨を伝えると、『大学の学費も満足に出せないのになぜ産んだ! 教育に金がかかるなんて誰もが知ってる周知の事実じゃねーか! お金が掛かって困るなら最初から俺を産むんじゃねえ!』と叫び、壁を殴り始めた。


 もうなんて言うかね。こいつを更生させるのは本能的に無理だって悟ったよ。

 だって話が通じないんだもん。

 結果として、八年間、大学に通った結果、除籍。二十六歳にして最終学歴高卒だ。

 当然の事ながらパチスロや麻雀、酒や女。それに費やす遊興費の支給は親の義務ではない。

 一般論として、親の義務は子供が成人するまで。精神的に成人するまでじゃない。満十八歳となり親権が消滅するその時までだ。

 大事な事なので二度言うが、ギャンブルや女遊びする為の費用を支出する義務はないし、大学は義務教育ではないので、大学に進学したいのであれば自己負担が筋。そんな当たり前な事がこの男には理解できない。

 親権が消滅する十八歳を過ぎて、尚、親に甘えつつ生意気に反発してくる子供というのは、親からしたらクーリングオフが過ぎて返品不可の不良債権を抱えているようなものだ。

 経済的に余裕のないうちの親が、かけがえのない貯金や生活費削って大学の学費を払ってくれたのは、お金で苦労させたくないという親の恩情に他ならない。

 温情と義務をはき違えるなよカス。そういう所だぞ。


 そういえば、俺がアメイジング・コーポレーションで働き始めてすぐ、クソ兄貴から『彼女を妊娠させてしまった。金がないから十万貸してくれ』とか何とか、そんなクソみたいな事を言われ、それは大変だと十万貸した事もあったっけ……。

 結局、貸した金は返ってこなかったし、本人の口から彼女を妊娠云々の話は嘘で、あの金は彼女とユニバーサルスタジオジャパンの泊りがけの旅行代に使ったと聞かされた時は、呆れ果て、もはや怒りという名の原始感情すら湧いてこなかった。

 あの時は、こんなクソ見たいな嘘を、遊興費欲しさに身内がついてくると思っていなかったという驕りもある。

 俺もあの時は若かったなと思うばかりだ。

 つーか、弟に金をたかるなよ。恥ずかしいという感情すらねーのか。


 そんな事を考えていると、『ドンッ!』と何かを殴りつける様な音が電話口から聞こえてきた。

 知能指数が著しく低く感情的で短気でノータリンなクソ兄貴がやる事だ。

 恐らく、拳で壁でも殴り付けたのだろう。奴は癇癪起こすと必ずと言っていいほど、何かを殴る癖がある。

 馬鹿の一つ覚えの様で分かりやすい行動。そのまま、壁の内側にある支柱に拳をぶつけ骨を複雑骨折し大人しくなってくれると有難い。

 しかし、事はそんなに甘くなかった様だ。


『おい、ババア……って、どこに電話掛けてんだっ! まさか、父さんに告げ口してる訳じゃねーだろうな! 今すぐ電話を切れっ! 告げ口なんて卑怯だ。ふざけんじゃねーぞ!』


 どうやら母さん。クソ兄貴に見付かってしまったらしい。

 残念ながらクソ兄貴の拳が砕ける事は無かった様だ。仕方がない。


「――ヴォルト。クソ兄貴を気絶させてあげて……」


 そう呟くと、電話の向こう側で『バチッ!』というスパーク音と、『ギャッ!?』というクソ兄貴の短い悲鳴が聞こえてくる。


『い、一体何が……』


 電話口の母さんの呟きを聞くに、無事、クソ兄貴の制圧に成功した様だ。

 クソ兄貴よりも両親の身の安全の方が大事。なので、父さんと母さんには護衛代わりにエレメンタルを就けている。

 俺が言うまでもなく、母さんに危害を加えようとすれば、雷の精霊・ヴォルトが自動的にクソ兄貴を制圧してくれただろうが、態々、危害を加えられるのを待つのは馬鹿らしいし、時間の無駄だ。

 とりあえず、何が起こったのか分からない体で話を進める。


「――母さん。どうかしたの!? 今、クソ兄貴の断末魔の声が聞こえた気がしたけど……』

『わ、私にも何が何やら……』


 当然だ。エレメンタルが母さん達の護衛に就いている事を知っているのは俺だけ。

 母さんには、きっと、クソ兄貴が勝手に悲鳴を上げて崩れ落ちた様にしか見えなかっただろう。

 まあ、目の前で悲鳴上げてぶっ倒れられたら驚く所か心配になるかもしれないけどね。


「とりあえず、今からそっち行くから、確か、百均で売ってる段ボールを束ねる時に使う梱包用フィルムあったよね? それでクソ兄貴を簀巻きにしておいて、万が一、暴れたら危険だからさ」


 何しろ、クソ兄貴の受忍限度は一般的な社会人と比較して著しく低い。

 その為、自分の意にそぐわない事があればすぐにキレ散らかすし、壁を殴るなど自傷行為に走る。手元に金が無くなれば借金で調達。それすら適わなくなると、自死を盾に金を要求したり、嘘をついて金をせびろうとする危険人物だ。

 契約書が無効化されてしまっている今、物理的に拘束しておかなければ、何をしでかすか分からない。縛っておくのが最適解だ。


『で、でも、痙攣しているみたいだし、本当に大丈夫なのかい? 救急車とか呼ばなくても……』

「大丈夫! 安心して!」


 そいつの生命力はゴキブリ並みに強いからな。

 クソ兄貴がどうしても一人暮らししたいって言うから一人暮らしさせてやったら、しばらく経って、テラフォーマーに進化して帰ってきただろ。そういう事だよ。

 折角捕獲したテラフォーマーを救急車で運ぶ馬鹿はいない。変に改造されて帰ってきたらどうする。

 それに、エレメンタルは手加減できる子なんだ。


「一時間位で着くと思うから、それまで兄貴の事、頼んだよ」


 絶対、逃がさない様にね。

 まあ逃げようとした瞬間、雷に打たれるから無理だとは思うけど。

 そう告げると、俺は近くのカーシェアリングサービスを利用し実家に向かう事にした。

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