第289話 破滅への輪舞曲⑤

『――ど、どうしてしまったのですか!? 白石さんですよね? 今、私と喋っているのは白石さん本人で間違いないですよね!?』


 自分自身、何故、己の意志とは別に体が勝手に動くのか理解できないのだ。

 懇意にしているオンブズマン弁護士が心配するのもよく分かる。


「ええ、そうよ。そんなおかしな事を言ったかしら?」


 むしろ、おかしな事しか言っていない。

 補助金や助成金を元に脱税し、二億円の裏金作りを行っていたのは他でもない、この私なのだから。


『おかしいに決まっているでしょう!? どうしたのですか!?』

「どうしたもこうしたもないわ。何度も言わせないで。考えが変わったの……補助金の適正運用は補助金を受け取った法人の義務。あなたには十分、美味しい思いをさせて上げたわよね?」


 世の中には、弱者救済を謡いながらその実、弁護士を経済的に救済する為の補助金も存在する。どの道、私の支払う金はゼロだ。すべて補助金が賄ってくれる。

 実質、無料で弁護士を味方に付ける事ができると聞いた・・・からこそ、こういった補助金を使って弁護士を雇い入れていたのだ。


『で、ですが、その場合、白石さんの運営する法人もノーダメージという訳には……』


 ノーダメージ所か、既に大ダメージを受けている。

 そう考えると、私だけこんなダメージを負うのはおかしい様な気がしてきた。

 私がこんなにも酷い目に遭っているというのに、私以外の法人が補助金を受け取り、のうのうと活動を行うなんて許される筈がない。


「……既にダメージなら受けているわ。覚悟の上よ」


 今の私の手持ち資金はゼロに近い。このままでは、追徴課税を受け大幅なマイナスとなるだろう。ならばイチかバチか、用意された道を突き進む他ない。

 私の運営する法人は国や各地方公共団体から補助金や助成金を受け取っている。

 そんな私が他の補助金を受け取っている法人を巻き込み、記者会見を開いた上で、住民訴訟を起こせばどうなるか……。

 国や地方公共団体のチェック体制の不備から補助金が摑み取りになっている現状、やり方次第で、補助金支給の在り方に疑問を抱き国や地方公共団体を相手に住民訴訟を起こしたとして、民衆の支持を得る事ができるのではないだろうか?

 上手くいけば、カンパという形で相応の金を受け取る事ができるかもしれない。


『――本気なんですね?』

「ええ、当然よ。私はこれから事務所に戻らなければならないから詳しい話は後でしましょう?」


 事務所には現在進行形で国税局査察部が入っている。

 まずはそちらを何とかしないと……。


 私は通話を切ると、歩道に立ち片手を挙げてタクシーを止める。

 そして、目の前に止まったタクシーに乗り込むと、事務所に向かう様、指示を出し車を走らせた。


 ◇◆◇


 浅はかな奴だと思っていたけど、ここまで考えが浅はかだったとは……。

 まさか、エレベーターに乗ってすぐ契約書を破るとは思いもしなかった。


 俺こと高橋翔は、理事長室の窓際でタクシーに乗り込む白石を見ながら呟く。


「あーあ……馬鹿だね~」


 もしかして、破り捨てても問題ないと思ったか?

 法的にこんな契約書は無効であるべきだから問題ないと?

 それとも、殺人未遂の証拠を破壊して安心した??

 だとしたら考えが甘過ぎる。あまりにも想像力が無い。


 お前を追い詰めたのは他でもない俺なんだぞ?

 約束を遵守させる為の策を弄するのは当然の事だろ。


 殺人未遂の証拠を易々と渡すなんて馬鹿な奴だと侮っていただろう?

 馬鹿はお前だよ。守る気のない契約なんて最初から結ばなければいいものを、後でどうとでもなる。こんな契約、最初から無効なのだから破っても問題ない。そんな考えだから足元を掬われる。


 俺が示した二択についても同じだ。

 社会活動家ルートを選べば、逮捕されないとでも思ったか?

 甘いんだよ。大甘だ。

 お前さ……なんで、自分の事を嵌めた相手の言葉を信じる事ができる訳?

 一番信じちゃいけない相手だろ。


 殺人未遂罪で逮捕されないだけで、国税局査察部が告発する脱税容疑から逃れる事はできない。つまり、脱税した二億円をなんとかしなければ、逮捕される事に変わりないのだ。

 追徴課税の猶予期間は最大二年。白石にできる事は限られる。

 国や地方公共団体を相手に訴訟を起こし、カンパを集めても、集めた金は直ぐに国に徴収される。そして、カンパが集まったとしても、それを訴訟費用として使わず、追徴課税の支払いに充ててしまえばそれは純然たる詐欺行為。募金詐欺という奴だ。

 結局、白石の辿る道は変わらない。罪状が殺人未遂から詐欺罪に変わるだけ。

 出所後も活動家として活動するつもりなら、詐欺罪は足枷にしかならない。

 契約書に書かれた内容と真摯に向き合っていれば、まだマシな未来が残されていたものを……。

 税金が何の為に俺達から徴収されていると思っている。活動家風情が、それを利用して私腹を肥やすなど言語道断だ。

 賽は投げられた。後は、国や地方公共団体から俺達の血税を補助金という形で騙し取ろうとする奴等同士、思う存分潰し合ってくれ。

 その為の支援は惜しまない。社会活動家に転身したからには、最低限のサポート位してやるさ。


 チラリと、ソファーに視線を向けると、再雇用契約書にサインする長谷川の姿が見える。

 今、アース・ブリッジ協会の元理事長、長谷川を告発する訳にはいかない。

 業務上横領及び背任で刑事告訴し、刑務所にぶち込んでやってもいいが、それだとこいつから金を回収できなくなってしまう。それ所か、元理事がそんな事をやっていたと世間にバレれば、公益認定取り消しも有り得る。

 アース・ブリッジ協会を手に入れた今、長谷川を刑務所にぶち込むのは悪手中の悪手。長谷川の奴には、協会が肩代わりした金すべてを返済するまでここで働いて貰おう。当然、年収はこの協会で一番低い事務職レベル。退職金は取り上げられ、年俸が十分の一に減額。


「これまで協会の金を好き放題してきたんだ。完済するまで頑張って働けよ」


 残り少ない人生のかなりの部分を借金返済に充てる事になるから相当キツイだろうけど、頑張ってね。


 ガックリと肩を落とした長谷川を前に、テーブルに置いてあるコーヒーカップを手に取ると、温くなった珈琲を軽く口で啜った。


 ◆◇◆


「考えられない……」


 ここは、新宿都庁の第一本庁舎七階にある都知事の執務室。

 冷や汗を流し下を向く補佐官を前に、東京都知事、池谷芹子はため息を吐く。


「……市民活動団体に対する補助金の給付は都議選協力をする際、政策協定の一つとして取り入れたもの。一体何が気に入らないというの? 法定外税の創設にも協力してあげたわよね?」


 池谷が激怒している理由。それは、補助金を受け取っていた市民団体の一つ『環境問題をみんなで考え地球の未来を支える会』が東京都から補助金を受け取っている他の団体と連帯し、都庁前でデモ活動を行っている為だ。

 デモには数名の都議会議員も参加している。その全員が民社党の関係者。


「は、はい。申し訳ございません……」


 池谷の冷たい視線を受けた補佐官は、嵐が過ぎ去るのを待つ様に頭を下げる。


「……補助金は前払い。あちらの言い値で給付している。まさかとは思うけど、まだ足りないなんて言う訳じゃないわよね? あなたは何か聞いてる?」

「い、いえ……」

「そう。何も聞いていないの……それは問題ね。それじゃあ、私を支える補佐官として教えてくれる?」


 そう言うと、池谷は真顔で補佐官に問いかける。


「――私はこれからどうしたらいいかしら? 彼女達、団体の補助金を打ち切るのは当然として、他にいいアイディアはない?」


 池谷の言葉に補佐官は顔を真っ青にして答える。


「お、お待ち下さい! 今、補助金を打ち切ったらどうなるか……民社党都議団が黙ってませんよ!?」

「そうよね。民社党都議団の面々が黙っていないわよね? でも、そうならないよう対応するのが……」


 補佐官のネクタイを掴み顔を近付けると、池谷は怒気を孕ませながら告げる。


「……あなたの役目じゃないの?」

「――も、申し訳ございません。落とし前は私が必ず付けます。ですので、今はどうか怒りをお治めください……」


 十分ほど時間が経っただろうか。

 補佐官に向けた冷たい視線を外すと、ため息を吐く。


「ふう……わかったわ……」


 そう呟くと、池谷は次いで「今日の夜、私は所用が入りましたから」と抑揚のない口調で言った。


「――えっ!? いや、ちょっと待って下さい。本日は、レアメタル税制に協力頂いた民社党都議との会食の席が……」


 池谷、突然の言葉に焦る補佐官。

 本日、午後七時からレアメタル税制に協力頂いた民社党都議との会食は数日前から決まっている。当然、当日キャンセルは不可能だ。


 焦る補佐官を見て、池谷は笑う。


「――代わりに特別秘書官を向かわせますから、美味しいお酒が飲めるといいわね?」


 今回の会食はレアメタル税制に協力頂いた民社党都議を労う会食。

 都知事である池谷不在では意味はない。


「そ、それは困ります! このままでは、民社党都議団との連携が解消されて……」

「ねえ――あなたの目には、今、何が見えているの?」


 窓の外を見下ろすと、民社党の都議が『環境問題をみんなで考え地球の未来を支える会』の面々に交じって都庁前デモをしているのが見える。


「で、ですが……!?」


 都議会の過半数を占める民社党都議団の協力無くして都政運営はままならない。


「――あの人達の人間性は窓の外を見れば分かるでしょう? 気に入らない事があれば、すぐに馬鹿馬鹿しいレッテルを貼ってデモに走る。大方、自分達が百パーセント正しいとでも思い込んでいるのでしょう。そのデモの中に、協力関係にある民社党都議が数名デモに参加している。話にもならないわ。だって、言葉が通じないんだもの……」

「だ、だとしても、都政運営を行う上で民社党都議団の協力は必要で……」

「いいえ、不要よ。今日からね。元々、協力関係にあったのは都議会の過半数を民社党都議団が占めていたから……でも、これからは違う。協力関係を解消しても問題なく都政運営ができる目途が付いたのよ」


 そう言うと、池谷は壁にかけてあったアウターを羽織る。


「それじゃあ、後の事はよろしくね。私はこれから村井さん・・・・と会食だから……」


 そして、愕然とした補佐官の肩を叩くと、執務室を後にした。

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