第288話 破滅への輪舞曲④
どちらの地獄に落ちるのか。
人は絶望的な二択を迫られた時、歯を食い縛りながら、他に助かる道はないのか必死に思考を巡らせる。どちらの道も地獄に代わりないのにご苦労な事だ。
とはいえ、選んで貰わなければ話は進まない。
必死に思考を巡らせ考えあぐねている白石に対し、俺は催促する。
「自分で決められないならこちらで選択しますが、浦島太郎ルートでいいですか?」
浦島太郎ルート。殺人未遂罪で五年以上の懲役に服すだけの滅茶苦茶簡単な服役ルートだ。脱税により科せられる最長二年の労役場留置も加味すると、最低でも七年は刑務所にお世話になる事となる。
しかし、懲役刑を受けた後は、普通の生活に戻る事ができるし、借金もチャラ。
最低、七年服役するだけですべてがチャラになるお手軽ルートだ。
ただし、これまでの様な生活を送る事はできなくなる。
当然、ニュースに流れるだろうし、一生、ネット上にデジタルタトゥーとして残り続けるだろう。
そして、殺人未遂・脱税・暴力団員との繋がり。この経歴だけは、懲役に服した所で消える事はない。
110番をタップし、スマホを耳に翳すと、白石は往生際悪く声を上げた。
「ま、待って! ちょっと、待って! 十分……いや、五分だけでもいいから……ちょっと、待って!」
残念ながら俺は狭量なので、むやみやたらに待つなんて事はしない。
とはいえ、回答するにも数秒は必要だ。なので、十秒だけ時間をあげる事にした。
「待ちません。浦島太郎か社会活動家かの二者択一。十秒以内に選んで下さい」
「そ、そんなっ!? 十秒なんて無理よ!」
その場合、殺人未遂の現行犯で刑務所に入って貰うだけのこと。普通に考えたら社会活動家以外、道はないと思うのだが……
まあ、白石は普通じゃないからな。仕方がないか。
「はい。いーち、にーい、さーん……」
そう言って、数を数えると、白石はあからさまに慌て出す。
「――ち、ちょっと! 私の話を聞いているの!?」
聞いている訳がないだろ、十秒時間をくれてやっているだけありがたいと思え。
訳の分からない戯言を言い出したので、数を数えるペースを少しだけ速める。
「しー、ごー、ろく、なな……」
つーか、選択肢なんて最初からないだろ。
刑務所に入るか、俺の言う事を聞き刑務所の外で地獄を見るかの二者択一だ。
刑務所に入りたくないのであれば、実質、択一に近い。
「ち、ちょっと、待ってってばっ!」
「――はち、きゅう、じゅうっと……それでは、選択して貰いましょうか。浦島太郎か社会活動家になるか。どちらを選びますか?」
俺のお勧めは、浦島太郎ルートだ。
何の後腐れもなく七年経てば晴れて自由の身。
ただし、もう二度と、今回の様な馬鹿な真似はできなくなるだろう。
俺としては、それで許してやってもいい。
自分で提案しておいて何だが、もう一方の社会活動家ルートは色々と面倒だからな。
「ち、ちょっと待っ――」
「――もしもし、ポリスメン?」
そう言って、手に持っていたスマホに話しかけると、白石は慌てた表情を浮かべる。
「ちょっと待ってって言ってるでしょ! ああ、分かったわよ! 社会活動家……あんたの望む通り社会活動家になればいいんでしょ! だから、今すぐ通話を止めて! 止めてぇぇぇぇ!」
もしもし、ポリスメン効果は抜群の様だ。
人は選択肢を狭め、急かすと最も愚かな選択肢を選ぶらしい。
折角、最短七年で解放される提案をしてやったというのに……。
持っていたスマホをポケットに入れると、俺は白石に問いかける。
「わかった。社会活動家ルートでいいんだな? 本当にいいんだな?」
刑務所に入る事になるが、最短七年で解放される道より、補助金の不正受給をしていた白石自身が反面教師となり、国や地方自治体に補助金や助成金の在り方を訴えかける社会活動家としての道を選ぶのかどうか、最後の確認をすると、白石は泣きそうな表情で頷く。
「――それしか選択肢が無いんだから仕方がないじゃない!」
そんな事はない。刑務所に入る道もある。
それも立派な選択肢の一つだ。
「……わかった。それじゃあ、この契約書に一筆サインして貰おうか」
そう言って、白石の前に差し出したのは、人を嵌める時、とっても役に立つ課金アイテム『契約書』。
契約書には既に、社会活動家としてやって貰いたい事と、達成できなかった、又は、契約を破った場合の罰則が箇条書きで記入されている。
「な、何よ。これは……」
「何って、契約書だよ」
見れば分かるだろう。誰にでも分かりやすい様、見出しに契約書って書いてあるんだから。
契約書に書かれた条項をザッと読むと、白石は警戒心を露わに声を上げる。
「……ふざけないでっ!」
ふざけてなんていない。
契約書には、お前にやって貰いたい事が事細かく書かれている。
脱税に関しては分からないが、俺に対する殺人未遂を見逃してやるんだ。
これ位の事は、やって貰わねば困る。
「ふざけている様に見えるか? なら無理に契約書にサインしなくてもいいんだぞ? 警察にお前を引き渡す方が後腐れも無くて俺としても楽だしな……」
これからお前にやって貰う事を考えると頭が痛い。
刑務所で罪を償うというのであれば、それでもいい。
どうせ、お前への罰は、長谷川のオマケみたいなものだ。
長谷川さえ潰せれば、正直、白石の事なんてどうでもいい。
再び、スマホを手に取り、もしもし、ポリスメンすると、白石が焦り出す。
「ち、ちょっと! やめてよっ! 誰も契約書にサインしないなんて言ってないでしょ!」
面倒臭い奴だな……。
だったら、最初から文句垂れずにサインしろよ。
そもそも、何を勘違いしているか分からないが、そんな事を言える立場じゃないだろ。
俺がジッと睨み付けると、白石はしぶしぶボールペンを手に持ち契約書にサインする素振りを見せる。
「分かったわよ……サインすればいいんでしょ!? それで? サインするからには、殺人未遂に問わないでいてくれるんでしょうね?」
「ああ、そこは安心してくれてもいい。契約書にサインするなら今すぐにでも証拠を破棄してやるさ」
契約書にサインしてくれれば、こんな証拠どうでもいい。
そもそも、この証拠は初めから契約書にサインして貰う為に使う予定だった。
別に破棄した所で何の影響もない。
「そう……それじゃあ、サインするから今ここで証拠動画を削除してくれる?」
とはいえ、命令されるのは何だかムカつくな……。
まあいいか……。いばらの道を選択したお前に敬意を表し、今この場で削除してやるとしよう。
白石が契約書にサインした事を確認すると、目の前で証拠動画を削除し、記録媒体を白石に手渡す。
「――他に証拠は残していないでしょうね?」
疑り深い奴だ。
とはいえ、殺人未遂の証拠を警察に届けられれば、晴れて懲役五年が確定してしまう。白石の立場に立てば警戒するのは当然の事だ。
「ああ、これ以外の証拠は残していない。とはいえ、それを証明するのは難しいから、そこは信じて貰う他ないな」
「そう。それならいいわ」
契約書の副本を渡すと白石は立ち上がる。
「――ちゃんと約束は守ってよね……」
「ああ、勿論。お前が契約書に書かれた事項をちゃんと履行してくれるなら守ってやるよ」
それ所か活動資金までプレゼントしちゃう。
まあ、白石個人にはギリギリ生活できる程度の金しかあげないけど……。
しかし、その提案も白石にとってはどうでもいい様だった。
「いらないわ。契約書に書かれた事はちゃんと実行する。それでいいでしょ? 私はもう行くから……それじゃあね」
言いたい事だけ告げると白石は、警備員の手を振り解きエレベーターホールに向かっていく。
「ああ、それじゃあな。お前の働きに期待しているよ」
エレベーターホールに向かって歩く白石の後姿を見て、そう呟くと俺は薄笑いを浮かべた。
◇◆◇
「馬鹿な男……」
エレベーターに乗り一階のボタンを押すと、手に持っていた記録媒体を床に落とし、それを思い切り踏み付ける。
最初からあの男を殺す気なんてなかった。
ただ、私の受忍限度を大幅に超えた為、脅し付け黙らせようと思っていただけだ。
まさか、隠しカメラでその様子を捉えているとは思いもしなかったが、結果オーライ。
この通り殺人未遂の証拠となる動画は記録媒体ごと粉々になった。
問題は先ほどサインした契約書についてだが、あれも問題ない。
あの契約書に書いてあった条項は、すべて契約条項の無効に当たる。
法的に無効である以上、これを遵守する道理はない。
私はエレベーターを降りると、エレベーターとエレベーターの間に置いてあるゴミ箱の前で止まり、契約書の副本をビリビリに破り捨てる。
「ふん。この私を……白石美穂子様をこんなチンケな契約書で縛ろうなんて甘いんだよ」
そして、それをゴミ箱に放ると、その瞬間、視界にまるでゲームの様なウィンドウが開き、『ビー! ビー!』と警告音が鳴り響いた。
「――はっ?」
意味が分からずそう呟くと、目の前に『プレイヤー名、白石美穂子が契約条項を破りました。これよりプレイヤー名、白石美穂子に罰則を課します』という文字が表示され、音声が頭に響く。
すると、自分の意志とは関係なく手が勝手に動き、カバンに入れていたスマホに手を伸ばした。
「――お世話になっております。白石と申しますが……相談に乗って頂けますか?」
えっ? これはどういう……??
手が勝手に動く。体の自由も利かない。一体何が……!?
しかも、私が電話をかけたのは、懇意にしているオンブズマン。
ま、まさか、これは――!!
「実は、私、東京都に対して住民訴訟を起こしたいと思いまして……」
や、やっぱり――!?
い、一体、何が起こっているのっ!?
補助金や助成金を受け取っている
あの契約書に書かれていた項目の一つだ。
『――と、東京都に住民訴訟をですか? なんでまた、そんな事を……白石さんからの依頼とはいえ、それは流石に無理ですって……利益相反になりかねません』
当然だ。うちが国や地方自治体から受け取った補助金の一部は、業務委託という形で弁護士達にも流れている。
しかし、私の口は止まらない。
「そこを何とかするのがあなたの仕事でしょう? 私は思い直したのです。営利・非営利に係らず補助金を受け取る法人は、透明性の高い会計処理を行うべきであり、それができない法人は補助金を受け取るべきではないという事に……」
自分自身の口から出たとは思えない発言の数々に、私は思わず絶句する。
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