第290話 破滅への輪舞曲⑥
銀座にある懐石料理店前。
池谷はタクシーを降りると、SP警護の下、辺りを警戒しながら店の中に入る。
「――これからお会いする御方は、私にとって特別な方です。分かっているとは思いますが、くれぐれも、粗相がないように……」
村井敦教。一ヶ月前、突如として消息を絶った総務省の元事務次官。
最近になってようやく連絡が付く様になり、本日、会食の場が設けられた。
店員案内の下、村井の待つ部屋に向かうと、入ってすぐ池谷は頭を下げる。
「――お待たせして申し訳ございません」
「ああ、池谷君。そう畏まらなくていい。私も今、来た所だ。まずは掛け給え」
「はい。それでは、失礼して……」
部屋には、村井の他にもう一人、連れの女性が座っている。
村井の秘書だろうか?
視線を向けると、女性は私に向かって一礼する。
「忙しい所、すまないね。紹介しよう。彼女は、秘書のピンハ――いや、羽根君だ」
「ただいま、ご紹介に預かりました羽根と申します」
「ご丁寧にありがとう。私は池谷芹子……東京都知事と言えば分かるかしら?」
そう尋ねると、羽根は静かに頷く。
「はい。よく存じ上げております」
当然だ。既に七年もの間、東京都知事に就任している。精力的に活動してきたし、この東京都内で知らぬ者などいる訳がない。
簡単な挨拶を終え、前を向くと村井がSPのいる方向をジッと見ている事に気付く。
村井がこういった仕草をする時は、他に聞かれては困る会話をする場合……。
「……あなたは部屋の外で護衛をしてくれる? これから村井さんと大切な話があるの」
「…………」
そう告げると、池谷の護衛に就いていたSPが席を立ち、襖を開け部屋の外に向かう。完全に、部屋の外にいった事を確認すると池谷は深く目を閉じた。
「――これでいいかしら?」
「ああ、今回の件、SPといえども……いや、SPだからこそ知られる訳にはいかんからな……」
一呼吸置くと、村井はゆっくり話し始める。
「……早速、本題に入ろう」
「ええ」
その為に民社党都議団との会食を反故にしてきたのだ。実りある会食でなければ、こちらが困る。
すると、村井は紙束と紙袋をテーブルの上に置く。
「……これは?」
テーブルに置かれた紙束に視線を向けると、そこには領収証の文字が書かれている。
「……この紙袋に一億入っている。警察や税務署が五月蝿いからな。便宜上、パー券購入という形を取らせて貰おうか。これを、次の選挙資金に充てなさい」
選挙戦には金が掛かる。
都知事選ともなれば、尚更だ。
ただ供託金を支払えば勝てるという訳ではない。対立候補を立てさせない為の工作も必要となる。
「ありがとうございます」
堂々としたこの貫禄……村井を前にして改めて思う。
やはり、この男は化け物だ。
信じていた部下の裏切りにより自身が運営していた社団法人の大半を失い、妻との離婚により六億円もの金を失い、そして、国税局査察部によって、脱税を指摘され追徴課税を科せられて尚、変わる事ないこの資金力。
どうやったか知らないが、村井は殺人教唆で警察の取調べを受けている最中、失踪した。それにも関わらず、その後、保釈請求がすんなり通り釈放されている。
これは、須東という青年が村井は今回の事件に何ら関わり合いはないと証言した事によるものと思われるが実際の所は不明だ。
池谷は、村井から一億円の入った紙袋を受け取ると、中身を確認し、領収証の束にサインしていく。すると、それを確認した村井が笑みを浮かべるのが見えた。
一枚当たり百五十万円の領収証に視線を向けるも怪しい所は見受けられない。
同一の者から百五十万円を超えて支払いを受ける、政治資金パーティーの対価の支払いに関する量的制限はクリアしている。
また領収証の記載を見るに匿名でパー券購入をしたとも考えにくい。
きっと、気のせいだろうと思い、サインし終わった領収証の束を村井の前に置く。
「それで、次の都知事選についてですが……」
そう話を切り出すと村井は、テーブルに置かれた領収証の束を手に取り秘書である羽根に渡して頭を下げる。
――はっ?
元事務次官である村井が秘書に頭を下げている姿を見て、池谷は頭の中で疑問符を浮かべる。
「……ピンハネ様、あなたのご要望通り、私が持つコネクションの中で一番権力を持つ者と契約書を結ぶ事に成功致しました。ですので、どうか……どうか私に自由を……私を解放して下さい!! 隷属の首輪を外して下さい。お願いしますぅぅぅぅ!」
「うーん。それはまだダメかなぁ? まだまだやって貰うことあるし……」
「――そ、そんなぁ!?」
あえなく撃沈した村井の首元に視線を向けると首輪の様な物が嵌められている事に気付く。
女王様プレイか? それとも、本当に脅されているのか……少なくとも村井は、この羽根という女に弱みを握られている事に間違いない様だ。
しかし、解せない。契約書を結ぶとは一体どういう事なのだろうか。
そんな物を結んだ記憶は一切な……。
そこまで考え、ハッとした表情を浮かべる。
「――残念ながら、もう遅いですよ?」
まるで他人事の様な発言を聞き視線を向けると、羽根が笑顔を浮かべているのが目に付いた。
「……どういうつもり? まさかとは思うけど、この私に危害を加えるつもりじゃあないわよね? 私は東京都知事よ。部屋の外にはSPも待機している」
何故、村井が私の事を嵌めようとしたか分からないが、無駄な事だ。
しかし、羽根は笑顔を崩さない。
「危害を加えるだなんてとんでもない。私はとある目的を果たす為、こちらの世界にログインしたのです。なのに、取った駒を捨てる様なマネする訳がないじゃありませんか……」
何を言うかと思えばコマ扱い。
「――不愉快だわ。私は帰らせて頂きます。このお金もお返し致しますので、私がサインした領収証も返して下さい」
そう言って、領収証の束をぶん取ると、羽根が慌てた表情を浮かべる。
「あっ……もし、処分するつもりなら止めておいた方が……」
何を訳の分からない事を……。
「ふざけた事を言わないで、そんなの私の勝手でしょう?」
池谷は手に取った領収証を手に取ると、それをその場で破り捨てていく。
すると、先ほどまで慌てた表情を浮かべていた筈の羽根が薄ら笑みを浮かべている事に気付いた。
羽根は薄ら笑みを浮かべたまま立ち上がると、池谷に対してゴミを見るかの様な視線を向ける。
「あーあ……折角、忠告して上げたのに……話を聞かない人って本当に嫌になるよね」
「――あなたね。私を煽るのもいい加減に……」
そう言いながら、領収証を破り捨てていくと、その瞬間、視界にまるでゲームの様なウィンドウが開き、頭の中に『ビー! ビー!』と警告音が鳴り響いた。
「な、何……? この音は何なの? 目の前のこれは一体……」
突然の状況に困惑していると、目の前に『プレイヤー名、池谷芹子が契約条項を破りました。これよりプレイヤー名、池谷芹子に罰則を課します』という文字が表示され、音声が頭に響く。
すると、突如として脱力感に襲われた。
「――ムライ。この女に『隷属の腕輪』を……確か、この女には東京都という街を自由にできる力があるんだよね?」
「え、ええ、その通りです。そんな事よりも、私の『隷属の首輪』を外して……」
羽根は、首に嵌められた隷属の首輪を外してくれと懇願する村井を無視し、池谷の前に立つ。
「……東京都の年間予算は約十兆円。まあ、それが多いのか少ないのかはこれから勉強するとして、仕える職員も多く、政治、行政、経済の中枢機能が集中している。そして、そのタクトを取るのが君という訳だ……」
「あ、あなたは一体……」
辛うじてそう呟くと、羽根は少し驚いた表情を見せる。
「――へえ、君凄いね? 契約書で言動も縛ったつもりだったんだけど……ってああ、そうか。私が質問したから自由意思で質問することができたのか。まあ、いいや。改めて、自己紹介をしておこうか。私の名はピンハネ・ポバティー。唯一神、オーディンを信仰する神聖なる国。ミズガルズ聖国から来たミズガルズ人だよ。一応、こちらの世界では、羽根と名乗らせて貰っている」
「ピンハネ・ポバティー? ミズガルズ聖国……?」
聞いた事のない名前の国だ。
しかし、今はそれ所ではない。
「あ、あなた……どういうつもり? この私にこんな事をして、タダで済むと思ってな――」
「えっ? 思っているよ? 君のボディガードが何故、この場に駆け付けてこないと思っているの?」
「――っ!?」
確かに、言われてみればその通りだ。
これだけ大きな声で会話しているにも関わらず、SPが駆け付けてこないのはおかしい。
「……何が目的なの?」
村井を使いアポイントメントを取ってきたんた。相応の目的があると見て間違いない。
池谷がそう問いただすと、ピンハネは困った表情を浮かべる。
「うーん。もしかして、君……夜寝る時、お人形さんに『おやすみなさい』って話し掛ける系の人? ただの傀儡にそんな重要な事を話す訳ないじゃん」
「いいから答えなさい! 私一人を傀儡にした所で都議会の承認を得なければ、何もできないわよ!」
忌々しい反対勢力もこういう時には役に立つ。
すると、ピンハネはそんな私の言動を見透かす様に言う。
「ああ、その件ね。大丈夫、大丈夫。安心して? 本当に偶然なんだけど、つい先ほど、都議会の過半数を占める民社党都議団の方々との会食に私の傀儡を向かわせたばかりだからさ。どっかの都知事の特別秘書官なんだけど、心当たりはあるかな?」
「……な、なんですって!?」
特別秘書官!?
という事は、まさか……。
「どうやら心当たりがある様だね? そして、その心当たりは大正解。君の所にいた特別秘書官は既に私の手の内にあるんだ」
支配下に置くのに、苦労したけどね。
特別秘書官というだけあって疑り深くてさぁ……。
まあ、今となっては、私の為に働く忠実な駒に成り下がったけど。
「ネタ晴らしも済んだ所で、そろそろ、お腹が空いてきたな……」
そう言うと、丁度良く、料理を配膳台に乗せた仲居さんが戸を開ける。
そしてテーブルに料理を配膳し、仲居さんが部屋を出るのを確認すると、ピンハネはグラスを持ちながら笑みを浮かべる。
「――さあ、ご飯でも食べながら君達の今後のお話をしようか? それじゃあ、乾杯」
そう告げると、ピンハネは手にしていたグラスを軽く掲げ口にした。
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