第285話 破滅への輪舞曲①
「――以上をもって審議を終了します。皆様、お疲れ様でした」
議長が閉会を宣すると、評議員達は席を立ち、会議室を後にしていく。
暗い表情を浮かべる者。天井を仰ぎ見る者。失意の底に沈む者。それぞれだ。
公益財団法人アース・ブリッジ協会の理事長
会議室で一人、一際立派な理事長のみ座る事が許された革張り椅子にもたれ掛かると、魂が抜けた表情で呟く。
「――な、何故、こんな事に……」
公金の私的流用、謝礼金などの報酬水増し。架空の人件費計上による裏金作り。活動実績も実体もない非営利法人への助成。不整合だらけの杜撰な経理処理。
営利・非営利に係らず、こんな事はどこでもやっている。
確かに、少し注意を受けた事はあったかも知れないが、監事だってそんなに強くは言わなかった……。
「なのに何故……何故、私が責任を取らなければならないのだ……」
予てから親交のあった評議員は皆、自らアース・ブリッジ協会の評議員を辞任。
監事までも責任を取り辞任してしまった。しかも、最後にこの私を裏切る形での辞任。
私の理事再任を阻み、全会一致で辞任を審議し可決したのだ。
これまで私的流用してきた金は利子を付けての全額返金を求められ、もし返金しないようであれば、刑事告訴すると言わる始末。当然の事ながら、退職金も支給されない。白石君は白石君で理事になれないと分かるや否や『話が違う。今に見てなさい!』と言って会議室から出て行ってしまった。
魂の抜けた目で、会議室の隅に置いてある観葉植物を見ていると、会議室の外から声が聞こえてくる。
高橋翔。
私と白石君が理事に選任されなかった事で補欠理事から理事に昇格した男の名だ。
レアメタル連合なる組織を立ち上げ、私と白石君を理事の座から下さなければ、東京都内に本店所在地を置くレアメタル事業者全員を引き連れ、レアメタル税条例のある東京都以外の都道府県に本店所在地を移すと脅し掛けられた結果、公益財団法人アース・ブリッジ協会は、この男の傀儡に成り下がってしまった。
これでは、折角、白石君が都知事に働きかけ制定したレアメタル税条例が意味をなさない。集められた税金がアース・ブリッジ協会を通して元のレアメタル事業者に助成金という形で還流されるだけ。税条例施行に尽力して下さった方々へ謝礼金を支払う事もできない。
「――ここが理事長室ですか、何だか無駄に豪華ですね。お借りした資産台帳を見ると、ここにエアコンが二台設置されている見たいなんですが……あれ? ありませんね。そもそも、このフロアの空調はビルが管理している筈……理事長室に二台もエアコンなんて必要ないんじゃ……うん? まさかとは思いますが……このパソコンがエアコンだなんて事、ありませんよね? パソコンがエアコン……言い得て妙ですが、理事長室に置いてあるデスクトップ型とノート型パソコンがエアコンだなんて、まさか、そんな……パソコンと間違えてエアコンを資産台帳に乗せているだなんて、そんな事、ある筈がな……え? そうかも知れない?? だとしたら、資産管理が全くなってないじゃありませんか。早急に対処しないと……」
……もしや、聞こえる様に言っているのか?
嫌味な奴だ。エアコンでもパソコンでもどっちでもいいだろ。そんなのは誤記の範囲内だ。
理事や評議員に多額の報酬を支払う為には、職員の給与を最低限度に留める必要がある。経理や総務など金を生まない職種にかける金は一切ない。営利・非営利に拘わらず、そんな事はどこでもやっている。その結果、誤記が発生したとしても仕方のないこと。文句を言われる筋合いはない。
そんな事を考えていると、また高橋翔のイチャモンが聞こえてくる。
「――えっと、このフロアの賃借料は……一月当たり三百万!? うわっ高っ!? これだけで年間三千六百万円も費用が掛かっているじゃないですか! 会費と寄付、補助金で運営している法人がなんでこんなバカ高い賃借料払ってフロア丸々借り切ってるんですか!? しかも、理事長室だけでこのフロアの五分の一を占めてるし……すぐに違うオフィスを借りましょう。それまでの間、理事長室は潰し、会議室として利用します。ああ、それと理事長室に飾ってある絵画やアンティークはすべて売り飛ばしてください。公益財団法人の理事長室に高価な油絵なんて不要です。湿度管理がなっていないので、二束三文にしかならないかも知れませんが、原資が公金や寄付金である以上、売り飛ばしてでも補填に充てるべきです。不足分はすべて元理事長に請求しましょう」
そんな高橋翔の言葉を聞き、私は激怒する。
素人が、何を馬鹿な事を言っている。私が不足分を補填する? そんな横暴許される筈がないだろ!
職員も何とか言ってやれ!
その絵画やアンティークは投資用だと、駅近くの個展で売りに出されていたものを投資用に購入したものだと!
投資用の絵画やアンティークで理事長室を彩れるならそれでいいだろ。文句ばかり言うんじゃない!
しかし、私の思いは高橋翔に着いて回る職員の言葉に裏切られる。
「そうですね。ここにあるものは全て、前理事長が、投資詐欺に引っ掛かり協会が肩代わりしたもの。協会が受けた損害分はすべて、当人に責任を取って頂きましょう」
――はっ?
何を言ってるんだ貴様は……前理事長が、投資詐欺に引っ掛かり協会が肩代わりしたもの?
誰がだ。前理事長って事は……まさか、私か?
そんな筈はない。私の目利きは確かだ。それを……言うに事欠いて投資詐欺に引っ掛かっただと!?
これは大変な侮辱行為だ。専門家でも何でもないただの職員であるお前に、美術品の何が分かる!
これだから愚か者の相手は嫌なのだ。
それに私は国や地方公共団体にとやかく言われず、好きに活動できると聞いたから公益財団法人を設立したのだ。それなのに責任を負わされる? 冗談じゃない。冗談じゃない!!
すると、それを聞いた高橋翔はノリノリで職員の話に乗っかる。
「うわっ、あの人、投資詐欺にまで引っ掛かってたんだ……本当にどうしようもないな。税金食い潰す天才かよ。無駄遣いさせたら天下一品だな。仕方がない。この際に、膿は全部出し切るか……」
そういうと、高橋翔は手に持っていた書類にチェックを入れ職員に手渡す。
「それじゃあ、ここにチェックした問題のある助成先に助成金の返還を求めといて。資料を見ると前理事長が独断で助成を決めている法人もある見たいだし、これ、明らかな募集要項違反だからさ」
――な、なにぃぃぃぃ!?
た、確かに、アース・ブリッジ協会では、助成金を交付に辺り募集要項を定めている。だが、この私の決定を反故にし、助成金の返還を求めるとは正気か!?
そんな事をしたら大変な事に……!
書類を手渡された職員は顔を青褪めさせる。
「こ、この助成先すべてから返還を求めるのですか!? た、確かに、うちから助成金を受ける場合、交付金支給先が反社会的勢力と繋がりがない事。交付金を目的外に使用しない事。そして、行政や民間から国庫補助金や助成金の交付を受けていない事が条件となってますが……」
「え? もしかして不満なの? いやいや、ありえねーだろ。例えば、このNPO法人見て見ろよ。信じられない事に、ホームページの活動報告書で堂々と他からも助成金を貰っている事を謳っているんだぞ? 最初から募集要項を守る気なんてゼロ。それなら助成金の返還を求めても問題ないだろ。元々、この助成金の原資は税金なんだからさ」
高橋翔の話を聞き、私は激怒する。
な、ふざけるなっ!
一体、何の権利があって……それにうちが国から貰っている補助金だって、東京都からの補助金が大半。私も都民だ、住民税を支払っている。こういう事業を支援しなくてどうする。あれこれの制約をつけて使えなくしていくのが行政の常套手段。いちゃもん付けるのもいい加減にしろ。
募集要項を守る気がない? 罰則が設けられていないのだから、その位の事、別にいいだろ!
非営利法人はいつも資金繰りに困窮している。貰える所から貰うのは当然の事じゃないか。
会計は杜撰だし、補助金や助成金の目的外使用もするが、そういった団体は、会計報告なんて下らない事後報告なんて後回しにして崇高な理念に基づき運営しているんだよ!
杜撰だろうが何だろうが、活動報告を出しているだけありがたいと思え。活動の邪魔をするな。それに、そういった非営利法人に対する助成は当協会の支援実績になる。うちにとって必要なのは助成金を交付した実績だ。うちから助成金を貰った非営利法人が、その後、助成金をどう使おうが、そんな事は知った事じゃない。
何より、一度交付した助成金の返還要求なんて、そんな見っともない真似できるか!
問題のある非営利法人の助成金を交付したと認める様なものではないか!
すると、職員が懸念の声を上げる。
「しかし、当協会自ら助成金の返還要求をするのはどうかと……信用問題になりますし、何より、それは問題のある非営利法人に助成金を交付したと認める様なもので……」
そうだ。いいぞ。そこの分からず屋にもっと言ってやれ!
助成金の返還を求めるという事は、自らの過ちを認める事に他ならない。
「――いや、逆だろ。長谷川とかいう元汚職理事とその関係者が理事と評議員を退任したんだから、それに乗じて膿を出すのは当然の事。それとも何か? お前は汚職を是とするのか? 会計報告すらマトモに報告できない。目的外使用は当たり前。ルールは破って当然。崇高な理念に基づいて運営しているんだ、その位の事。黙認されて然るべきだ。アース・ブリッジ協会には、国や地方自治体から補助金を受け取り、助成金として募集のあった団体にバラまいているが、それが実績になるのだからしょうがないだろ。国民から預かった税金の行き先なんてどうせ誰にも分からない。だから目を瞑れと、そんな厚かましい考えの団体に血税を間接投入しろと本気でそう言っているのか? ありえねーだろ。恥を知れ。汚職理事が退任した。だからこの機会に膿を出し切るんだよ。その結果、信用が落ちたとしても自業自得じゃねーか。言い訳にもならねぇよ」
――ぐっ!? あの分からず屋がぁぁぁぁ!
言いたい放題言いおって!
怒りのあまり頭が沸騰しそうだ。
どの道、私の人生は終わった様なもの。
損害金を返済し続けるだけの余生など死んでいるのとなんら変わらない人生。
ならば、ここで私を破滅に追い込んだ巨悪を討ち殺した方がまだ有意義というもの。
何より私の気持ちがスッキリする。
それに、返済漬けの人生を送るくらいなら警察のお世話になる方がいい。
日本では、一人殺した位で極刑になる事はまずないからな。そうと決まれば……。
待っていろよ。今すぐ貴様を殺してやるからな。
怒りの炎を瞳に宿し立ち上がると、私は高橋翔のいる理事長に向かって歩き出す。
目標は、理事長室に置いてあるゴルフクラブ。
五番アイアンを手中に収め、滅多打ちにしてくれるわ。
「――ああ、君達。今日は大変だったな。私はこれで退任となるが、君達になら協会の事を任せられる。正直、白石君では荷が重いと思っていたんだ。後の事は頼んだよ。さて、私はそろそろ置賜させて貰おうかな」
五番アイアンを手中に収める為、思ってもない事を口にしながら理事長室に入ろうとする。
すると、突然、背中に衝撃が走った。
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