第286話 破滅への輪舞曲②
「……あ、あがっ!?」
背中が熱い。呼吸が苦しい……。
何が……。一体、何が起こったというのだ……。
前を見ると、目を丸くして驚く高橋翔と職員の姿が見える。
何が起こったか分からず呆然とした顔で背後を振り向くと、そこには……
「――この裏切り者がぁぁぁぁ!? なにが、『正直、白石君では荷が重いと思っていた』よ! 高橋翔と談笑して! 私を理事に推薦してくれるって言ってたのに! 私の事を理事に推薦してくれるって言ってたのにぃぃぃぃ!!」
……と、言って叫ぶ白石の姿があった。
目が真っ赤に充血しており、表情は狂気に満ちている。
手には、血痕の付いた包丁を持っている様だ。
「な、どういう事だ……な、何故……何故、私を……この私を……」
先ほど言っていた『話が違う。今に見てなさい!』というのはこの事か……。
床を見れば、赤い水溜まりができている。
どうやら、私は白石君に刺されたらしい。
反社会的勢力に自らの法人を乗っ取られ、国税には査察に入られ、脱税容疑で刑事告訴待ったなし。調査報告書には二億円もの大金を失ったとも書かれていた。
これまで築き上げてきた物すべてを失い自暴自棄になっているのだろう。
刺されていなければ、『先に裏切ったのはお前の方だろう』と恫喝している所だ。しかし、今は拙い。すぐにこの場から離れなくては……。
私は、白石君に弁解しつつ、命乞いをする。
「――ち、違う、君は大きな勘違いを(している。談笑していたというのは誤解だ)……私はただ(高橋翔を油断させ五番アイアンクラブで滅多打ちにしようとしただけ……このままでは死んでしまう)……頼む。救急車を(呼んでくれ)……」
私はまだ死にたくない。こんなくだらない死に方があって堪るものか……!
チラリと、背後に視線を向けると、職員がどこかに電話する姿が見える。
おそらく、警備員に電話しているのだろう。
あと少し……あと少し待てば、警備員が駆け付けてくれる筈だ。
「は、話し合おう……ど、どうやら……ごふっ……い、行き違いがある様だ……まずは、落ち着いて私の話を……」
拙い……。意識が遠のく……。
しかし、まだ、意識を失う訳にはいかない。
何でもいいから話しかけ、白石君を落ち着かせなくては……
警備員が駆け付けるまでの時間を稼ぐ為、膝を付き肩で息をしながら問いかけると、私と白石君の間に高橋翔が割り込んでくる。
い、一体、何を……まさか、この私を助ける気か?
助けてくれる気なのか!?
しかし、そんな淡い期待はすぐに打ち消される。
「あーあー、馬鹿な事をしたなぁ……お前」
高橋翔がそう言った瞬間、場の空気が凍り付く。
私は心の底から絶叫した。
おおおおぉぉぉぉいっ! 自暴自棄になった白石君に挑発する様な事を言うんじゃない! お前には白石君が手に持っている凶器が見えないのか! この女は今まで築き上げてきたすべてを失ったばかりなんだよ!? だから、暴走状態に突入しているんだよ!?と……。
自己破産で免除されるのは、通常の借金位のもの。追徴課税などの税金は原則として免除される事はない。当然、支払義務が残り続ける。再起するのはほぼ不可能に近い。自暴自棄になるのも当然だ。
「あ、あんたは……」
そう呟くと、白石は唇を噛みしめ、包丁を持ったまま体を震わせる。
「あんたの……あんたのお陰で私はお終い……全部、全部お終いよっ! どう責任を取ってくれるの? どう責任を取るつもりよ!! 返せ……返せよ! 私の金を、私の立ち上げた法人を……全部、全部返せぇぇぇぇ!」
流石、白石君。他に類を見ない絶対的な他責主義者だ。
暴力団員との付き合いを自ら暴露し、非営利法人の皮を被り脱税していたにも拘らず、責任を取れとは、被害妄想が逞しい。
今頃、彼女の頭の中では、『自分は悪くない。すべて、私の邪魔をしたお前が悪いんだ』と、責任転嫁が行われている事だろう。他責主義者とはそういうものだ。
現に、自分の過ちは一切認めず、責任を取れと駄々を捏ねている。
これには高橋翔も呆れ顔だ。
ゴミでも見るかのような視線を白石君に向けると罵詈雑言を繰り出した。
「――責任? 返せ? 何、言ってんだお前。気は確かか? っていうか状況、見えてる? 今のお前は暴力団に法人を乗っ取られた挙句、脱税が国税局にバレ、それが評議員達に知れ渡った事により理事から外されキレ散らかす老害刺した犯罪者だろ。全部、自業自得じゃねーか。お前こそ、盗った税金返せよ。犯罪者」
「――なぁ!? なんですってぇぇぇぇ!!」
いやいやいやいやっ! 事実だろうけれども!?
頼むから白石君の感情を逆撫でしないでくれぇぇぇぇ!
これ以上、白石君を刺激したら何を仕出かすか……見て! 白石君の手をよく見てっ!? 白石君は包丁を握っているんだよ!? 私達をその包丁で掻っ捌く気満々なんだよ!?
何で、凶器持ってる白石君相手にそんな強気で罵詈雑言を繰り出せるんだ。
そう言いたい気持ちも分かるが、時と場合を選んでくれ!
刺されているんだよ!? 私は今、実際に刺されているんだよ!?
そんな豪快に感情を逆撫でしたら刺してくるに決まっているだろ!
『私は悪くない。私の感情を逆撫でしたお前が悪いんだ』とか言って刺してくるに決まっているだろ!
暴力団員と深い繋がりのある他責思考を拗らせた脱税環境活動家、白石君を舐めるなよ。本気で『私は悪くない』と思っている奴ほどヤバい奴はいないんだからな!
しかし、私の声は届かない。物理的に背中を刺され、それ所ではない為だ。
「いや、『なんですって』じゃないだろ、犯罪者。何か勘違いしてないか? 今の世は世紀末じゃない。暴力団と付き合いがあれば、暴力団排除条例により密接交際者に認定されるし、脱税すれば刑事罰を受ける。そして、人を刺せば傷害罪。殺せば、殺人罪が成立し、刑務所にぶち込まれる世界だ。乱世じゃねーんだよ」
ま、拙い。高橋翔の暴言を受け、白石君の目が信じられない位、血走っている。
「ふぅー、ふぅー、ふぅー、あ、あんたねぇ……!」
感情の高まりから過呼吸を併発している様だ。
そのまま、過呼吸で倒れてくれればいいが、相手はあの白石君だ。
過呼吸程度で倒れる程、やわじゃない。
しかし、あの男は一体、何を考えているんだっ!?
すると、高橋翔が視線を床に向ける。
「あれ? これはもしかして……」
そして、わざとらしく床に手を伸ばすと、絶対に落ちている筈のない螺子を指先で摘み、心配そうな表情を浮かべ言う
「あのう……これ……落ちてましたよ? もしかして頭の……?」
そ、それ以上、白石君を煽るんじゃなぁぁぁぁい!!!!
と、言うより、どっから、螺子を取り出したぁぁぁぁ!
お前には人の心がないのか!
『頭の螺子外れてませんか? 床に落ちてましたよ』なんて、頭の螺子がダース単位で外れている相手に言ったらどうなるか、少し考えたら分かるだろうがぁぁぁぁ!
今の白石君は普通じゃないんだよ!
最初から普通ではないが、今、煽るのだけは本気で止めてぇぇぇぇ!
ふと視線を向けると、白石君が怒りに身を震わせ肩で息をしているのが見える。
「ふー、ふー、ふー、あんたねぇ……人を馬鹿にするのも大概にしなさいよ……」
こ、怖い。白石君の怒りのボルテージが上がっていく。
そもそも、何故、そう執拗に煽る様な事を言うんだ。白石君の怒りを買うだけだろ。
しかし、高橋翔の煽りは止まらない。
「いや、馬鹿にするも何も、『もしかして頭の』しか言ってねーだろ。被害妄想もここまでくると笑えて来るな。病院行った方がいいんじゃないか? その前に刑務所か。早い所、捕まって警察病院で頭の中身を見て貰えよ。暴力団員と深い繋がりのある他責思考を拗らせた脱税環境活動家なんて、社会の害悪でしかないんだからさ」
「――あんた……いい加減にしなさいよ!」
いや、だから言い過ぎだって言っているだろうがぁぁぁぁ!
それに螺子持ちながら『もしかして頭の』まで言ったら、『螺子が外れていませんか』に繋がるに決まっているだろ。なんで、自分は悪くないみたいな顔できるの!?
意味が分からないよ!?
白石君が怒りに燃えるのも分かる。事実陳列罪だ。
だが、例え、それが事実だったとしても、あの煽り方はない。
白石君の表情が怒りを通り越して真顔になっている。
私を刺した際に付着した血痕と包丁が相まって、ホラーな様相を呈してきた。
「あんた、いい加減にしなさいよ? いい加減にするのはお前の方だろ。アウトローが一丁前に文句言ってんじゃねーぞ? まずは納税者全員に手を付いて詫びろよ。暴力団員と深い繋がりのある他責思考を拗らせた末、老害刺した脱税環境活動家」
だから、止めろと言っているだろうがぁぁぁぁ!!!!
そう心の中で絶叫していると、白石君が包丁の背で壁を叩き大きな声で叫ぶ。
「――あんたに……あんたに何がわかるのよ……! 私だってね。暴力団員となんか繋がりを持ちたくなかった! 私達、市民活動団体は、社会的な使命をもって自主的に社会貢献活動をしているのっ! 自己の経済的利益を顧みず、無償で活動に参加してくれる人達もいる。その人達が、市民活動の最中に暴力団員に捕まっちゃったんだから仕方がないじゃない!」
正しくは、宝くじ研究会の職員が集まって何かを企んでいるとの密告を受けた活動家達が抗議活動をする為、密告のあったビルに突入した所、暴力団員の密輸取引に遭遇。活動家達を無事、解放する為に、取引を持ち掛けられてしまい、受けざるを得なかったのが真相だ。
国や地方自治体から環境保全支援事業の委託を受けている中、暴力団員となんか繋がりを持ちたくなんてなかった。
「――私達の活動に一体、いくらお金が掛かるかわかってる? もしかして、社会貢献は余裕がある人が無償でやるべきだとか思ってない? ふざけるな……ふざけんなよ。あんた等は、何もわかってない。社会活動には金が係るんだよ! あんた等の生活は、全部、社会的弱者からの搾取で成り立っている。途上国では今、極端な都市化と貧困スラム化が進み、コンゴの子供達を初めとする社会の発展から取り残された社会的弱者は多様な問題を抱えている。そんな社会的弱者に対する支援を拡充させ、社会を変革する為には、どうしても金が必要なんだよっ! 暴力団員と深い繋がりのある脱税環境活動家? 私だって暴力団員となんか繋がりたくはなかった。脱税だってそう。そうしなきゃどうしようもない理由があったからやっただけじゃない! それの何が悪いのよ!」
白石君の独白を聞き、顔を上げると、そこには冷めた視線を向ける高橋翔の姿があった。
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