第274話 ヘルヘイム再び③
勝負に勝てる。
その公算が高い以上、勝負云々の前にヘルから話を聞いておかなければならない。
そもそも、俺は『伝えるべき事がある』と言われたからここに来た訳で、呑み比べする為に来た訳ではない。何より、勝負に勝ちヘルが酔い潰れた後、酔い潰れたヘルが俺に『伝えるべき事』を伝える事ができるか疑問だ。
そう思った俺は、ご返杯用のショットグラスに、スピリタスを注ぎながらヘルに話しかける事にした。
「そういえば、俺に伝えるべき事って、何ですか? まだ聞いていませんでしたよね? 酔い潰れてからでは遅いので、できれば先に教えて欲しいのですけれども……」
完全に酔い潰れてから話を聞くのは難しい。
正直な所、願いを三つ叶えてくれるという話も半信半疑だ。
それなら、当初の予定通り、ヘルが俺に伝えるべきと判断した事を先に聞き出す方が有意義というもの。
そう尋ねると、ヘルは水をがぶ飲みしながら答える。
『――げほっ、げほっ、げほっ……せっかちな奴だ。まあ、良かろう。お前が酔い潰れる前に話しておくか。一度しか言わぬのでよく聞け……』
どうやらヘルの認識では、俺が先に酔っぱらう事が大前提となっている様だ。
まあ、今はそういう事にしておいてやろう。先に酔い潰れるのはお前だけどな。
ヘルは少し咳き込むと、勿体振りながら言う。
『……現在、この世界には二人だけ、元の世界に戻る事ができる人間が存在する――』
「ほう……」
元の世界に戻る事ができる人間……
恐らく、それは俺と美琴ちゃんと見て間違いないだろう。しかし、元の世界に戻る事ができる人、たった二人しかいなかったのか。
しかし、なんで俺と美琴ちゃんだけが元の世界に戻れるんだ? 意味がわからん。
そう思案気な表情を浮かべていると、ヘルは俺の顔を見てニヤリと笑う。
『――何故、元の世界に戻る事ができるのが二人だけなのか……そして、何故、お前ともう一人の人間が選ばれたのか疑問に思っておるな?』
「……ああ、是非とも教えて欲しいね」
大規模イベント開始時にオーディンは言っていた。『元の世界に戻りたいと願う者は私の下を訪れるといい。君達が私の下に……「アースガルズ」に』と……、にも拘らず、何故、それを捻じ曲げてまで、俺と美琴ちゃんを元の世界に帰れるようにしたのかとても興味がある。
しかし、ヘルは俺の問いに答える気はない様だ。ただ、ほくそ笑むと話を続ける。
『――まあ、その話は気が向いたらしてやる。そう面白い話でもないしな……さて、ここから先の話が、お前に「伝えるべき事」だ。本来、伝える必要性はまったくないのだが、お前の行動は常識離れしていて面白いと評判だからな。私の判断で教えておく事にした』
常識離れしていて面白い。
褒める気、ゼロ。全然、嬉しくない評判だ。
とはいえ、本来、俺に伝える必要性のまったくない情報を教えてくれるのはありがたい。
固唾を飲みヘルが『伝えるべき』と判断した事柄に耳を傾ける。
『――今回、スヴァルトアールヴヘイム解放を機に、アースガルズで神々による会議が行われ、その結果、追加で四人、この世界と元の世界を行き来できる者を増やす事にした……誇っていいぞ。この結論に至ったのも、すべてはお前の行動に起因する』
いや、文脈の前に『常識離れしていて面白い』という文が付いている時点で全然嬉しくねーよ。それに『お前の行動に起因』って、俺、何かしたか?
全然、思い当たる節がないんですけど??
そんな事を考えている間にもヘルは話を続ける。
『――既にセントラル王国には、二人。元の世界に戻る事のできる人間がいる。なので、今回はリージョン帝国、そして、ミズガルズ聖国から二人ずつこの世界との行き来ができる者を選定する予定だ。そして、その選定は本日行われる……良くも悪くも、お前の住む世界に激動が走る事になるだろう。何せ、その選定を行うのは我が母だからな……』
よもやよもやだ。唐突過ぎる。
何故、俺と美琴ちゃんが元の世界とゲーム世界との行き来ができるのか説明なしに次のステップの話を始めるとは……さてはこいつ、酔っ払っているな?
だが、話を聞いておいて正解だった。確かにこれは俺に伝えるべき事柄だ。
しかし……ヘルの母という事は、狡知神ロキが元の世界に戻る事のできる人間の選定をするのか……。
ロキと言えば、北欧神話に登場する悪戯好きの神で、その名には『閉ざす者』『終わらせる者』の意が込められていると聞く。邪悪な気質で気が変わりやすい上、狡猾さでは誰にも引けを取らず、よく嘘を吐く神としても有名だ。
これは拙いかも知れない。少なくとも、俺にとって、そんな良い話でない事だけは確かだ。
『そして、その選定はあと十分前後で行われる。お前の住む世界で何が起こるのか注意する事だ』
完全に酔う前だったからだろうか、中々、有意義な事を聞く事ができた。
「……元の世界を行き来できる人間の情報は俺達にも共有されるのか?」
俺がそう尋ねると、ヘルはご返杯用のグラスを手に取りながら言う。
『――残念ながら共有はされぬ。まあ、神々には、共有されるがな……』
「なるほど……」
つまりはノーヒント。
誰とも知れない奴が、現実世界に戻ってくる訳だ。
まあ、誰が戻ろうと知った事ではないので勝手にすればいい。
ただし、俺の平穏を乱そうとした場合は話が別だ。念の為、これだけは聞いておかなくては……。
「もし、そいつ等が俺の平穏を乱すような事をした場合、排除してしまっても問題ないんだろうな?」
そう尋ねると、ヘルは意味深な表情を浮かべ笑う。
『ああ、勿論だ。むしろ、私達はそういった展開を望んでいる』
「そうか……」
悪辣だな。争わせる気満々じゃないか。
まあいい。こいつ等の目的は大体分かった。
聞きたい事も粗方、聞けた。義理も果たしたし、そろそろこの茶番も終わりにするとしよう。
アイテムストレージから数本のスピリタスを取り出すと、それをヘルの前に置く。
『……これは?』
「いやさ、チマチマ飲んでいたらいつまで経っても勝負がつかないだろ? ショットグラスでの飲み合いは止めだ。これから先は、瓶で飲み比べようぜ?」
そう提案すると、ヘルは手に持ったグラスを口に傾け、次いで、スピリタスの瓶を手に持つ。そして、スピリタスをラッパ飲みすると、酒臭い息を吐き獰猛な表情を浮かべた。
『……よかろう。その提案、乗ってやる』
瓶を持つ手がおぼつかない。
既にアルコールが回りフラフラの様だが、大丈夫だろうか?
……まあ、その判断をするのは俺ではない。
ヘルが良いと言っているのだからヨシと、そういう事にしておこう。
酔っ払いが正常な判断で提案に乗っているのだからヨシ!
酔っ払いで酒臭い神様がそう言っているのだからヨシだ。
俺もスピリタスの瓶を手に持つと、蓋を開けて一気に飲み干す振りをする。
アイテムストレージへの収納も手慣れたもの。喉を鳴らして飲む振りをしていると、ヘルが信じられないものでも見たかの様な表情を浮かべた。
『――な、何っ……あの量のスピリタスを飲み干しただと……!?』
ふふふ、驚いただろう。その通りだ。
実際には、飲み干したのではなく、瓶の中身をアイテムストレージに少しずつ収納し、まるで飲んでいる様に見せかけただけ。
この世界がゲーム世界であれば、絶対に不可能なやり方だ。
まあこんな使い方は想定されていないだろうけどな。
俺自身もこんな風に使うとは思いもしなかった。
平然とした顔でスピリタスを一気飲みした(と見せかけた)俺は、律義にもスピリタスの瓶の蓋を開け、ヘルの前に置いてやる。
「――さあ、どちらかが潰れるまでやろう」
そう言って、余裕な感じを見せ付けると、ヘルの顔が徐々に引き攣っていく。
『――お、お前、もしやイカサマをしている訳ではあるまいな? 神である私がこんなに酔っ払っているというのに、あ、あり得ない……!』
「あり得ない? 何、お前基準でものを言っているんだ? 自分の物差しで他人を測るなよ」
イカサマをしているかどうか言われたら確かに図星だ。
しかし、それを許容したのは他でもない。俺の事を取るに足らない弱者だと思い込んだヘル自身である。
確か言ったよな?
『お前の持てる手段すべてを用いて向かってくるが良い』って、余裕綽々な表情浮かべて言ったよなぁ?
「……俺は、俺の持てる手段すべてを用いて飲み比べをしているだけだ。いいからさっさと飲めよ」
『ぐうっ、何という不遜な物言い……いつか罰が当たるぞ。人間だと侮ったのが裏目に出たか……』
罰が当たる?
神であるお前がそれを言うか。それを言うなら罰を当てるの間違いだろ。
まあ、そんな事、あえて言葉に出して言わないけど。
『――い、言っておるだろうがぁぁぁぁ!』
「……あれ?」
どうやら知らぬ内に、考えている事が口から零れ出ていたらしい。
不遜な物言いにヘルは激怒。そういう時は、酒で怒りの感情を流すに限る。
「まあまあ、スピリタスでも飲んで落ち着いて……」
そう促すと、ヘルは盛大に顔を引き攣らせた。
「――顔は紅潮し、頬が引き攣っているようだ。もしかして、限界が近いのではないか? 負けを認めるのであれば早い方がいいぞ」
『うぐっ!?』
ヘルの発した言葉をそのままなぞり煽ってやると、ヘルは瓶を手に持ちスピリタスを浴びる様に飲み干していく。
――ゴクッゴクッゴクッゴクッゴクッ!
流石はヘルヘイムの支配者、ヘル様である。
良い飲みっぷりだ。
酔いが回っているのか、膝が生まれたての小鹿の様になっていたり、口元からドバドバとスピリタスが流れ出ているのが気になるが、少なくとも普通の人間にスピリタスを一気飲みする事はできない。急性アルコール中毒まっしぐら。
神だからこそ、こんな暴挙にでる事ができるのだ。
ヘルはスピリタスを飲み干すと、ゆっくり俺に近付いてくる。
『――さ、さあ……飲み干し……うぇっ。の、飲み干した……ぞ』
もはや虫の息だ。
流石の神もスピリタスの一気飲みには耐える事ができなかった様だ。
この酒は、今後、敬意を込めて『神殺し』と呼ぶ事にしよう。
ヘルは俺の前にご返杯用の瓶を持ってくる。
『――の、飲め……今すぐ、飲め……』
勝ち目は薄いというのに……仕方のない神である。
ヘルの望み通り瓶を手に取ると、蓋を開け俺はゴクゴクと喉を鳴らしながらアイテムストレージに瓶の中身を収納していく。
「――ぷはぁ……美味しかった」
瓶の中にある液体すべてをアイテムストレージに収納し、ご返杯用のスピリタスをヘルの前に置くと、ヘルは無言のまま酔いで意識を手放した。
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