第272話 ヘルヘイム再び①

「さて、これで全員分の契約が済んだな……」


 俺は目の前に積み上がった大量の契約書を見て笑みを浮かべる。


 ダークエルフの王女やドワーフ、『ああああ』達は新しい契約書にサインする際、頭を抱えていたが、国にあった金品と引き換えにダークエルフの国も復興したし、俺にとって有利な契約を結ぶ事もできた。万々歳だ。

 元々、ダークエルフの国民は、生まれた時から王族により契約書で管理されていたというし、そのお陰もあってか何の躊躇いもなく契約書にサインしてくれた。

 抗ったのは、ダークエルフの王族やその関係者位のものだ。

 勿論、抗ってきたダークエルフはその場で鎮圧し、強制的に契約書にサインさせた後、牢にぶち込んでやった。先に攻撃を仕掛けてきたのは向こう側なので当然の報いだ。

 まあ、ダークエルフの王族と違い俺はとても優しいので、契約書の効果も賠償金の支払いを終えるその時まで。

 早い所、賠償金の支払いを済ませ自由を勝ち取って欲しいものである。


 ちなみに、俺の事を土壇場で見殺しにしようとしたドワーフに関しては話が別だ。

 あいつ等に関しては、既に前科がある。なので、レアメタルを納める量を現状の1.5倍にしておいた。


 実際に納められたレアメタルの量、そして、密かに配置していた影精霊・シャドーの報告を聞いて決定したが、量を1.5倍にしてもまだ辛うじて生活を送れる程度の余裕は残してやっている。

 見殺しにしようとした割に厳罰が軽過ぎると思う奴もいるかも知れないが、そこはほら、恩情……そう恩情という奴だ。

 新しい族長の就任を祝ってこの程度にしておいたという事にしてやろう。レアメタルが採取できなくなって困るのは俺だしね。


「さてと、そろそろ行こうかな……」


 契約書をアイテムストレージにしまうと、俺は椅子から立ち上がる。


 これにて一件落着。もうここに留まる理由はなくなった。

 それにもう朝だ……。ダークエルフに対する報復と復興、そして契約書への記入を明け方までさせていたからな。瞼が重い。そろそろ、帰って睡眠を取りたいものだ。


「それじゃあ、俺は帰るから後の事は頼んだぞ。月に一度、レアメタルと契約書を取りに来るからよろしくな」


 そう声を掛けると、ダークエルフとドワーフは、ズーンと沈んだ表情を俺に向けてくる。


「……なんだ、その目は?」


 ドワーフの地下集落を二度に渡り襲撃した結果、手痛い報復を受ける事になったダークエルフに、俺を奴隷化しようとして失敗した挙句、見殺しにしようとしたドワーフ、そして、ダークエルフと共にドワーフの地下集落を一緒になって襲撃していた『ああああ』達よ。何か言いたげな目をしているな。なんか文句でもあるのか?


「……文句があるなら聞くだけ聞いてやるぞ。もしそれが聞くに堪えない戯言だった場合、契約書の条項に更なる罰則を追記する事になるけど」


 そう告げると、ダークエルフとドワーフ、『ああああ』達は一斉に目を逸らす。

 どうやら文句はない様だ。当然の事である。


「それじゃあ、改めて……俺は行くからちゃんと働けよ。ちょくちょく様子を見にくるから。もし、契約書の記載事項を守らなかった場合、大変な事になるから気を付けろよー」


 振り向き様に、手を振りながらそう言うと、背後から突き刺さる様な視線を感じる。


 おお怖い……もしかして、俺の事を睨み付けているのだろうか?

 いや、もしかしなくても、俺の事を睨み付けているのだろう。背後から恨みがましい視線を感じる。

 まあ、上に立つ者の役割は、下の者の批判を一身に浴びる事にある。恨まれ役位買ってやるさ。自業自得だと思わなくもないが、恨みが原動力となり生産性が上がるなら、その程度の事は、喜んで引き受ける。

 まあ、手抜きをしたらぶっ潰すけど、その点については契約書で縛られているので、多分、大丈夫だろうと思いたい。


 それに契約書を勝手に解除されないよう、ダークエルフの救出中、その手のアイテムは根こそぎ奪い取ってきた。契約書の効果を解除する為、世界樹を攻撃する馬鹿がいないとも限らないが……まあ、その点についても大丈夫だろう。

 世界樹を傷付ければ、ヘルヘイムの最下層、ニヴルヘルに送られる事になる。

 ルモンドの末路を見て、ヘルヘイムに堕ちたいと思う奴はまずいないだろう。


「――ふわぁ……」


 眠すぎてあくびが出た。

 高校時代とは違い、二十代前半の体に徹夜は堪える。


 俺は、目を擦りながらメニューバーを立ち上げると、ダークエルフ達の恨みがましい視線を一身に浴びながらログアウトボタンをタップし、現実世界に戻る事にした。


 ◇◆◇


 ダークエルフに対する報復を終え、新橋大学付属病院の特別個室に帰ってきた翌日。

 ヘルとの約束を果たす為、カセットガスストーブと暖房器具を揃えヘルヘイムに赴くと、そこには暖房器具の到着を心待ちにするヘルヘイムの支配者、ヘルの姿があった。


 ヘルヘイムは相変わらずの極寒。

 暖房器具の到着を外で待つのは流石のヘルでもキツかったのだろう。

 転移門『ユグドラシル』のすぐ側に立派な建物があるというのに、何故か、建物の前にキャンピングカーを停め、極寒の中、外で働く亡者の姿を見ながら、車内に置きっぱなしにしていたウォッカをちびちび飲んでいる。


「えっと……これは……」


 一体、どういう状況なんだ?

 意味がわからん。極寒の中、働く亡者を見ながら酒を飲んで何が楽しいんだ?

 ホラー映画見ながら酒飲む様なもんだろ。

 むしろ、こんなのを見ていたら酒が不味くなる。ヘルの感性がわからん。


『うん?』


 そんな事を考えていると、俺がいる事にヘルが気付く。

 ヘルは、ウォッカの入ったグラスを置くと、車内から俺を手招きした。


『おお、待ち侘びたぞ。早ようこちらに、カセットガスヒーターを持って参れ』


 神も酒に酔う様だ。既にでき上がっていらっしゃる。

 触らぬ神に祟りなし。品物を納品してサッサと帰った方が良さそうだ。


 キャンピングカーの前まで早歩きで向かうと、俺はヘルに向かって頭を下げる。


「お求めの品物をお持ちしました。こちらに置いておきますので、どうぞお納め下さい」


 アイテムストレージからカセットガスヒーターと暖房器具を取り出すと、キャンピングカーの前に積み上げる。


「それでは、俺はこれで失礼します」


 そして、その場を後にしようとすると、ヘルに呼び止められた。


『――待て、どこへ行く気だ? 何をそんなに急いでいる』

「あ、いや、実はこの後、外せない用事がありまして……」


 本当は用事など存在しないが、酔っ払いの相手ほど面倒くさい事はない。

 それっぽい理由を付けてでも、ここは失礼させてもらう。


 強い意志を持ち、申し訳なさげな表情を浮かべるとヘルがジロリとこちらを見る。


『ほう……外せない用事ねぇ……』


 見れば分かる。これ、本当に用事があるのかどうかを疑っている目だ。

 テーブルに置いたグラスを持つと、ヘルはウォッカを舐めながら意味深に笑う。


『……まあいいだろう。約束の品を持ってきてくれた様だしな。外せぬ用事があるなら仕方がない』

「そ、そうですか……」


 俺がホッとした表情を浮かべると、途端に、ヘルはニヤニヤと口元を歪める。


『ああ、お前に伝えるべき事があったのだが、実に残念だ。外せぬ用事とやらを優先するがよい。その結果、お前がどうなろうと私の知った事ではないしな』

「――いえ、今、用事が無くなりました。この後の予定はがら空きです。ぜひ、話を聞かせて下さい」


 そういう話があるなら早く言って下さいよ。

 そもそも最初から用事なんて存在しないし、優先すべき事項も存在しない。

 俺はただ、酔っ払いの戯言に付き合うのが嫌だっただけだ。


 俺が分かりやすく媚を売ると、ヘルは途端に呆れた表情を浮かべる。


『……お前にはプライドというものが存在しないのか?』


 プライド? なにそれ? おいしいの?

 俺は自分の為なら自尊心をゴミ箱に投げ捨てる位の事、何とも思わない男。

 自尊心なんて高くても何にも良い事はない。むしろ、生き辛くなるだけだ。自分にとって都合のいい歪曲した価値観なんて、身に迫った危機に比べれば、残飯以下の価値しかない。


「はい。プライドなんてクソです。今、心の中のゴミ箱にかなぐり捨てました。それで、話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

『う、うむ……そうか?』


 まさかプライドを簡単にかなぐり捨てるとは思っていなかったのだろう。

 ヘルは鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべると、俺をキャンピングカーへと手招きする。


 外に置いてあるカセットガスストーブは置きっぱなしでいいのだろうかと思い、視線を向けると、キャンピングカーの前に積んだカセットガスストーブを亡者達がヘルの住む建物まで運んでいくのが目に入った。


 中々、ホラーな光景だ。

 当然の事ながら、皆、目に生気がない。

 それだけではなく、体が薄っすら透けている様にも見える。

 何故、物体であるカセットガスストーブを霊体?っぽい体をしたヘルヘイムの亡者が持てるのか謎だ。


『うん? どうした? そんなに亡者共が珍しいか?』

「ええ、まあ……亡者なんて、元の世界では見た事が無かったので……」


 リングとか呪怨とか……お化け屋敷とか。

 それこそ、ホラー映画位でしか見た事がない。


『ふむ。そうか? 私には、生者も亡者も住む場所以外に違いを感じないがな……』


 ヘルヘイムを統べる神、ヘルにとってはその程度の認識なのだろう。

 極寒の中、辺りを見渡すと、建物の様なものがあちこちに見える。

 もしかしたら、あれは亡者達の棲家なのかもしれない。

 そんな事を考えていると、ヘルが声を掛けてくる。


『まあいい。外は寒いからな。中で酒でも飲みながら話をしようじゃないか』

「はあ……それでは、遠慮なく……」


 そう言って、キャンピングカーに乗車すると、俺はヘルに促されるままソファに腰掛けた。


「それで? 俺に伝えるべき事って何ですか?」


 テーブルに置かれたグラスに並々と注がれたウォッカを尻目にそう尋ねると、ヘルはニヤリと笑う。


『そう慌てるな……まずは乾杯と行こうじゃないか……話はそれからだ』

「……そうですね」


 そう言うと俺はヘルのグラスに手に持ったグラスを軽く当て、カチンと乾杯の音を鳴らした。

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