第266話 ヘルヘイム④

「――あ、あばばばばばばばばっ……!?」


 馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたけど……

 こいつ……やっぱり馬鹿だったか。


 目の前に俺達の生殺与奪の権を握る神がいるのに、攻撃を仕掛けようと思うか?

 催涙スプレーの影響で目が見えなかったという点を差し引いても思わないだろ、普通……万が一、そいつに攻撃が当たればどうなるかなんてカラスでもわかる。


 ――いや、それとも……俺に、その行動を起こした理由が理解できないだけで、実は意味があるのか?


 よくよく考えて見れば、今、こいつが攻撃したのはヘルヘイムを支配する神。

 このダークエルフの性格からして、ヘルを殺す事ができれば、その瞬間からヘルヘイムの支配者は私だ!位の事を考えてもおかしくない。あり得る話だ……。

 ルモンドをチラリと見ると、顔色が悪い事に気付く。


 ――いや、考え過ぎか……段々と青く染まっていくダークエルフの顔を見れば分かる。

 死者の国ヘルヘイムから生還する為には、亡者を生者にする能力を持つヘルの力が必要不可欠。ヘルに喧嘩を売って蘇生のチャンスを不意にするなんて愚か者のやる事だ。まあ、ここに一人、愚か者が一人いるんだけど……。


 ヘルは体にめり込んだ石を手に取ると、軽く力を入れて破砕する。


『――これはどういう事だ? ダークエルフ……』


 ヘルの問いかけに、ルモンドはダラダラと汗を流しながら弁解する。


「――い、いえ……これは……! これは違うんです! ヘル様に危害を加えるつもりなんて毛頭もなく……!!」


 そりゃあ、そうだろうな。

 目測誤っただけで、俺の挑発に乗って俺を攻撃しようとしたんだよな、お前は……


 つーか、凄いなこいつ。まだ催涙スプレーの影響を受けているだろうに何でこんなに流暢に喋る事ができるんだ?

 蘇生の危機に瀕し、アドレナリンでも分泌されているのだろうか?

 人体の神秘だな。死んでいても出るのか、アドレナリン。まあ、どうでもいいか。

 精々、特等席で事の推移を見守らせて貰おう。ルモンドがどんな弁解をするか楽しみだ。


 すると、ルモンドは俺を指差しヘルに弁解し始める。


「こ、此奴です! わたしは此奴に攻撃しようと……」


 あまりに見苦しい弁解にヘルも呆れ顔だ。

 俺は、俺に向けられたルモンドの指を優しく握ると反対方向に曲げてやる。

『ボキッ!?』という軽快な砕骨音にルモンドは思わず眼を剥いた。


「――う、うぎゃああああっ!? な、何をするぅぅぅぅ!?」


 突然、指を曲げられた事に驚くルモンド。

 ルモンドは反対側に曲げた指を大事そうに抱え、うずくまる。


「いや、お前さ……小さい頃、人を指差しちゃいけませんってお母さんに習わなかったのか? こんな至近距離で指差された挙句、責任を擦り付けようとしているのを目にしたら、そりゃあ曲げるだろ……差された指をお前の方向に……」


 大辞泉によると、指差すという行為には『指でさし示してあざ笑う』といった意味が込められている。つまり、人を侮辱する行為に他ならない。

 侮辱されたから、指を反対側に折り曲げた。ただそれだけの話である。

 俺は何も悪くない。


「――うっ、うううううううっ!!」


 開き直ってそう言うと、ルモンドは悔しそうな表情を浮かべ、唸り声を上げる。

 話の腰と、指を折った事で我に返り催涙スプレーの痛みがぶり返したのかも知れない。

 唸る以外、何も言わなくなってしまったルモンドにヘルが声をかける。


『――弁解の一つもないか……ならば、お前に罰を与えよう』

「そ、そんなっ!?」


 涙目で声を上げるルモンド。

 そんなルモンドに、ヘルは容赦なく罰を言い渡す。


『――先ほど、お前に課した蘇生のルールを一部変更する。そこの人間と同じ方法を取られては面白みに欠けるからな。安心しろ。人数は変わらない。スヴァルトアールヴヘイムに存在するドワーフの内、一人でもお前の死を悲しみ涙を流すなら蘇生してやろう。ただし、制限時間は十五分。秒換算で九百秒だ。また、その間、お前に与えられた権限を制限させて貰う。それでは行くぞ』

「えっ!? いや、ちょ、ちょっと、待って――」


 ヘルがそう言うと、俺達の足元に光り輝く魔法陣が現れる。

 気付けば、スヴァルトアールヴヘイムに戻っていた。


 ◆◇◆


 時は少しだけ遡る。

 ダークエルフの国王、ルモンドが地中に引き吊り込まれ、次いで、捕縛したダークエルフの臣下達を引き連れドワーフと共にやってきたカケルを名乗る極悪非道な人族が地面に引き吊り込まれてから十数分。


 カケルという人族の男が地面に引き吊り込まれたと同時に、精霊達の気配は地面に向かって消え、捕縛されていたダークエルフ達の拘束が解けた為、それに乗じて、ドワーフを制圧しては見たが……


「――どうしたものかしら……」


 ルモンドが撃ち落とした花火玉の影響で燃える国中の建物。

 いつの間にか鎮火されていた世界樹の根。

 臣下達により取り押さえられたドワーフ達。

 地中に消えてしまったルモンドとカケル。


 建物の鎮火を最優先に進めたい所ではあるが、精霊を味方に付けた人間とドワーフが攻め込んできたお陰で、皆、満身創痍。とてもじゃないが、消火活動まで手が回らない。


 アルフォードはしゃがみ込むと頭を抱え、悩み込む。


 非常に拙い。このままでは、国が瓦礫と灰の山と化してしまう。

 こんな時、お父様がいれば……お父様は一体、どこに行ってしまったというの……?


 とはいえ、悩んでいても仕方がない。

 女王であるお母様は数年前に国を出て行ってしまった。

 国王であるお父様も地中に沈んでしまい行方不明。ならば、王女であるこの私が何とかするしかない。


「――皆、私の話を聞い……」


 意を決して立ち上がると、その途端、地面に魔法陣が現れた。


「……な、何よこれっ!?」


 ドンドン光が強まっていく魔法陣。あまりの眩しさに目を閉じると、その瞬間、聞いたことのある声が聞こえてきた。


「――お、おおおおおおおっ!? ド、ドワーフよっ! この場にいるドワーフ共よっ! 頼む。後生だっ! この私を救ってくれぇぇぇぇ! この際だ。何でもする! 何でもするから、どうかこの私をっ! いやっ! 私の為に泣いてくれぇぇぇぇ!!!!」

「――はあっ?」


 突如として目の前に現れたルモンド。

 ルモンドはドワーフ達に向かって土下座をすると、涙を流しながら懇願する。


 地面の下から戻ってきたと思えば一体何を……。

 戻ってきて早々、土下座して懇願するルモンドに唖然とした表情を浮かべるアルフォード。


「――ち、ちょっと、お父様。みっともない真似は止めて下さい。それにドワーフに頭を下げるなんて何を……今は燃え盛る国をどうにかしないと……」


 そう諭すと、ルモンドはアルフォードを睨み付け大声を上げた。


「うるさぁぁぁぁい! 国なんて、今はそんなものどうでもいいっ! この私の邪魔をするなぁぁぁぁ!」

「きゃあっ!? な、何をするのですか! 今、国中に火の手が回っているのですよっ!」


 ここは国を見渡す事のできる王城。

 そこから国が置かれている現状を見れば、今、何が優先されるか分かりそうなもの。

 少なくとも、ドワーフなんかに謝罪してる場合ではない。


「――知った事かぁぁぁぁ! お前こそ、何をするっ! 私には時間がないのだっ! 時間がないんだよっ! 十五分以内に、スヴァルトアールヴヘイムに存在するドワーフ一人を泣かせなければならないのだっ! ただ泣くだけではない。私の死を慈しみ泣いて貰わなくてはならない。だから、そこをどけっ! 国なぞ燃えても何とかなるっ! だがな、私が居なくなったら国はお終いだ! お終いなんだ。だから私の邪魔をするなぁぁぁぁ!」

「お、お父様……」


 すっかり変わり果てた様子のルモンドに愕然とした表情を浮かべるアルフォード。

 臣下のダークエルフ達もそんなルモンドを見て愕然とした表情を浮かべている。

 もう誰もルモンドの事を止める事はできない。

 もうダメだ(早く何とかしないと……)と思った瞬間、ルモンドの背後から声が掛かかる。


「いや、無理だろ……ドワーフの住む集落を二度に渡り破壊したお前の事を慈しみ泣いてくれる様なドワーフがここにいると、本当に思っているのか? だとしたら、相当、おめでたい頭をしているな?」


 見ると、そこにはこの国を滅茶苦茶にした元凶のモブ・フェンリルが立っていた。


 ◇◆◇


 ルモンドはカケルを睨み付ける。


「き、貴様ぁぁぁぁ! 元はと言えばお前のせいだろ! お前のせいだろぉぉぉぉ!!」


 理不尽な罵声に俺は言い返す。


「いや、お前がドワーフの集落を襲ったからこんな事になってんだろ? 責任転嫁するなよ。そんな事よりいいのか? 俺に構っていても。もう十分切ってると思うんだけど?」


 時計を付けていない腕を時計を付けている体で見ると、ルモンドは慌て始める。


「――あ、あああああああああっ!? そ、そうだったぁぁぁぁ! ドワーフ共ぉぉぉぉ!! た、頼む。後生だ! 後生だから泣いてくれぇぇぇぇ!」


 ルモンド、魂の叫びに、置いていくのは心配だからとドワーフが連れてきた子供達が泣き始める。


「うっ、うわぁああああーん! ママァー!」

「怖いよぉぉぉぉ!」


 子供は純粋だ。それがどんなに強大な力を持つ権力者であっても、ダークエルフの王様であっても変わらない。怖いものは怖いと口にして全力で泣き叫ぶ。


「あ、悪魔が……ヘルヘイムから帰ってきてしまった……」

「お、俺達はもう終わりだ……」


 こっちは大人のドワーフの様だ。何故か、俺の顔を見て咽び泣いている。

 帰ってきたよと、笑顔で手を振ってやると絶望した表情で涙を流し始めた。

 それに同調して、ルモンドも泣き叫ぶ。


「そうではないっ! 私だ! 私の事を……私を慈しみながら泣けと言っておるのだっ! ふざけるなっ! ふざけるなよ、ドワーフ共ぉぉぉぉ! 泣くなっ! 泣くんじゃないっ! 私を怖がって泣くなぁぁぁぁ! 私を虐めてそんなに楽しいか! そんなに楽しいか、サディストめっ! 不様な姿を見てそんな楽しいかゴミ虫共ぉぉぉぉ!」


 ドワーフの王としての威厳は地に落ちた。

 もう滅茶苦茶だ。


「――非道の限りを尽くしたお前の事を思い泣いてくれるドワーフが本当に居ると思っているのか? お前の為に泣いてくれるドワーフなんていないんだからサッサと諦めてヘルヘイムに堕ちろよ。往生際が悪いぞ」


 もし俺が、故郷を滅ぼした奴に泣いてくれと懇願されたら、多分、泣きながらコイツの事をボコボコにすると思う。

 そいつの死を悼みながら泣くのは多分、無理だ。

 俺がそう声を掛けると、ルモンドはピタリと嗚咽を止める。

 そして、涎を垂らし、視線を世界樹の根に向けると笑いだした。


「――ふ、ふはっ……ふははははっ!」


 どうやら完全にぶっ壊れてしまったようだ。

 もう関わり合いになりたくないほど、目が狂気に満ち狂っていらっしゃる。

 ルモンドは壊れた様に笑うと臣下達に視線を向けた。

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