第264話 ヘルヘイム②

「――くくくっ、良いザマだな……この私に無礼を働きおって……私は、ダークエルフの国の王。本来、胸ぐらを掴んでいい存在ではないのだぞ?」


 死者の国ヘルヘイムを支配する女神、ヘルの前で共に平伏している隣のダークエルフの糞爺が喧しい。お前こそ、額を地面に擦り付けて土下座するなんて、中々、良いザマを晒しているじゃないか。それでもダークエルフの王か?額に氷が張り付いてますよと言い返してやりたい気分だ。

 しかし、俺はぐっと口を噤む。

 その発言自体がブーメランになりかねない為だ。


 俺が調べた情報によれば、死者の国ヘルヘイムを支配する女神ヘルには、死者を蘇らせる力がある。

 この性悪ダークエルフの王が素直に平伏している事から察するに、この地獄を体現した名の神は本当にその力を持っているのだろう。そうでなくては、性根の腐ったダークエルフが平伏している意味が分からない。まあ、ヘルを恐れて平伏している可能性もなくはないが、もしそうだとすれば『――くくくっ、良いザマだな』なんて言葉、小声とはいえ死者の国ヘルヘイムを支配する女神ヘルの前で言える筈がない。

 固唾を飲み、その時がやってくるのを平伏したまま待っていると、ヘルが席を立ちダークエルフの前に立つ。

 すると、ダークエルフの王が顔を上げヘルに懇願し始めた。


「――おお……死者の国ヘルヘイムを支配する麗しき女神、ヘル様……。不可抗力とはいえ、世界樹を傷付けてしまった事。誠に申し訳ございません。スヴァルトアールヴヘイムに戻り次第、すぐに世界樹の栄養となる生贄を捧げさせて頂きますので、どうか……どうか、この私めをスヴァルトアールヴヘイムにお戻し下さい……」


 白々しいな。ダークエルフの王様なのに謝罪が変にこなれている。

 さては、こいつ……ここに来たの、初めてじゃあないな?


 そんな事を考えながら様子を伺っていると、死者の国ヘルヘイムの支配者、ヘルが何の躊躇もなくダークエルフの頭を踏み付け質問する。


『――ほう。して、生贄とは……?』

「――は、はぃい! い、生贄とは、こういった時の為に大切に育ててまいりました私の愛娘にございます。ダークエルフ随一の魔力を持っており、傷を負った世界樹を治すのに最適かと思いまして……」

『――ふぅむ。お前の娘ねぇ……年老いた分、魔力だけであればお前の方が多く持っていると思うのだが、お前はどう思う?』


 重ねた年の分、魔力を多く保持しているお前の方が娘より生贄として最適じゃないかと問われたダークエルフの王は狼狽する。


「い、いえいえ、とんでもございません。年老いた私では世界樹の生贄に不適格。そ、それに娘も世界樹の生贄になる事を心待ちにしており――」


 最低だな。このダークエルフ。

 どこの世界に生贄になる事を心待ちにするキチガイがいるんだ?

 いる訳ねーだろ! 自分が生贄にされそうだからといって、自分の娘を差し出そうとするなんて最低の親のする事だぞ。

 お前が最適だって神様が言ってんだから、お前が生贄になれよ。それが例え、ドワーフの住む地下集落を一人で壊滅状態に追い込む様な性悪娘だとしても娘に生贄を押し付けるんじゃない。


 すると、ヘルは呆れた様子でダークエルフに視線を向ける。


『お前は、私の言う事を否定するのか?』


 そうだぞ。仮にも神様が、お前の方が世界樹の生贄として最適だと言っているんだ。

 お前、神様に逆らう気か? 罰当たり者め。


 すると、ダークエルフはヘルに頭を踏まれながらも、遜った様子で言葉を濁す。


「い、いえ、そういった意味で言った訳では……わ、私はただ世界樹の栄養になるのであれば、私なんかよりも若いダークエルフがいいのかなと思っただけで……そ、それに、今の私は生者に非ず。慈悲を頂き、生き返る事ができた暁には、喜んで身を差し出しましょう」


 誰の身を差し出すか明言していない所がミソだ。

 俺にはわかる。こいつ生き返ったら娘を世界樹の生贄にする気だ。


 当然、その事はヘルにも分かっているようで、ヘルは呆れた様子で呟く様に言う。


『――心にもない事をペラペラと……まあ、よかろう。退屈していた所だ。私の出す条件を満たす事ができれば、蘇らせてやってもよい……』

「……えっ? 条件?? そんな話、伝承には書いてな――」


 あの動揺っぷり……てっきり、一度、ヘルヘイムに落ちた事があるのかと思ったが、そうではなかった様だ。昔、ダークエルフの誰ががヘルヘイムに堕ち蘇った伝承があるらしい。

 しかし、生き返る為には、あの女の出す条件をクリアしなければならないのか……。


 北欧神話には、こんな記述がある。

 豊穣の女神フリッグの命を受けたヘルモーズはロキの悪戯により命を失った光の神バルドルを蘇らせる為、バルドルの蘇生をヘルに懇願した。

 その際、出された条件は、九つの世界のすべての住人がバルドルのために泣いて涙を流すこと。しかし。女巨人セックに化けたヘルの父ロキが涙を流さなかった為、バルドルが蘇ることはなかった。


 まあ、簡単に言えば、蘇生を願ったら無茶な条件を出され叶いませんでしたと、そういう話だ。ロキとかいう神が邪魔に入る事はないだろうが、蘇生の難易度が高い事は確かだ。

 さて、どんな条件が課されるのか……。


 様子を伺っていると、ヘルはバルドルの頭を踏みつけながら条件を告げる。


『……そうだな。決めたよ。たった一人で良い。敵対するドワーフがお前の事を想い涙を流すのであれば、お前を蘇生し、スヴァルトアールヴヘイムに帰してやろう』

「なっ……ドワーフが私の為に涙を……ですと!?」


 性悪ダークエルフの表情を見ればわかる。

 そんなの無理だ、とでも言いたそうな表情だ。

 ヘルもその事がわかっているのだろう。

 嘲笑とも取れる悪辣な笑みをダークエルフに向けている。


『――特別に三十分の時間と演説の機会を与える。制限時間内に涙を流させて見せよ』


 すると、そう告げられたダークエルフの王が慌てふためく。


「――そ、そんなっ!? ち、ちょっと、待って下さい! そんな事、できる筈が……娘だけでは生贄の数が足りませんでしたか!? もし、生贄の数が足りないというのであれば、私以外の生贄を何人でも……何でしたら、ドワーフも生贄に捧げます! ですので、再考を……何卒、条件の再考を……!」


 控えめに言ってクズだな。控え目に言わなくてもクズだ。

 こんな所にも吐き気をもよおす邪悪が存在したとは驚きだ。ヘルヘイムに堕とされるだけの事はある。

 仮にもダークエルフの国王ともあろう者が、自分の命を守る為に、自分の娘だけではなく自国の国民と、ドワーフまで世界樹に捧げようとするとは……。

 これはもはや国民に対する背信行為と言っていい。

 遊戯王の召喚システムじゃないんだぞ。

 自国民を生贄に捧げ、ヘルヘイムに堕ちたダークエルフの王を召喚ってアホかっ!

 究極完全態・グレート・モス並みに召喚する価値がないわ!


 隣で展開されるヘルとダークエルフの会話を聞きながら脳内ツッコミをしていると、ヘルがピシャリとダークエルフの発言を否定する。


『――ならぬ。私の出す条件は絶対だ。成功すれば、蘇生。失敗すれば、未来永劫、お前は死者としてこの地に留まり続ける事になる』

「そ、そんなぁ……」


 ヘルの情け容赦ない一言に絶望感溢れる表情を浮かべるダークエルフ。

 いい気味だ。自分の命と引き換えに自国民の命を差し出そうとするクズはヘルヘイムに落ちればいい。まあ、もう落ちてるけど。


 額を地面に擦り付けながら泣きそうな表情を浮かべるダークエルフを無視し、ヘルは話を進めていく。


『それでは、お前を、一度、スヴァルトアールヴヘイムに転送し、そこにいる者達に事情を話す機会を与えよう。精々、ドワーフの前で演説するといい。私を生き返らせる為、どうか泣いて下さいとな。神は嘘を吐かぬ。安心しろ。たった一人でもドワーフがお前の事を想い涙を流すようであれば、蘇生させてやるさ』

「ちょっと待ってくれ――」


 俺は地面に額を擦り付けた状態のまま、ヘルに意見する。


「――俺にもチャンスをくれ」

『――ほう……。人間如きがこの私に要求するか……』


 ヘルの足に力が籠り、ダークエルフの頭がミシミシと音を立てる。

「――ぐぅ……」と苦悶の声を漏らすダークエルフ。

 だが、別に俺の頭を踏み付けられている訳でも、痛い訳でもないので思いのまま要求する。


「ああ、俺にも蘇生のチャンスが欲しい。勿論、ただでとは言わない」

『――ほう。ならばどうする。このダークエルフの様に私に生贄を捧げると宣うか?』

「……これを、あんた等に提供する。もし、俺が蘇生条件をクリアし、元の世界に戻る事ができたら、これを追加で千台提供しよう。他の防寒具も一緒に提供する用意もある」


 そう言って、取り出したのは、カセットガスストーブ。

 キャンプ必須アイテムの一つだ。

 死者の国ヘルヘイムは、とんでもなく気温が低い。

 今の俺達は死んでいる為、この寒さに耐える事ができるが、あくまで耐える事ができるだけ。

 寒い事に変わりはない。


 ヘルの姿を見れば分かる。

 羽織っているのは最低限の着衣と襤褸一つ。

 神とはいえ、寒くて寒くて仕方がない筈だ。


『――興味深いな。あの箱に入っていた暖かい物か……』


 あの箱??

 チラリと、視線を動かすと、キャンピングカーが目に映る。


「……もし、キャンピングカーの事を仰られているのであれば、その通りです。もし、蘇生のチャンスを頂ける様であれば、あのキャンピングカーも献上させて頂きます」


 そう告げると、ヘルは思案げな表情を浮かべる。


『――いいだろう。ならば、お前にもチャンスをやろう。そうだな……』


 ヘルはチラリとダークエルフに視線を向けると悪い笑みを浮かべる。


『……たった一人で良い。ダークエルフがお前の事を想い涙を流すのであれば、お前を蘇生し、スヴァルトアールヴヘイムに帰してやろう。さて、どうする? それでもやるか?』


 たった一人で良いといいつつ、絶対に無理だと分かっていてそんな条件を突き付けているのだろう。流石は神様。意地が悪い……だが、その認識は間違いだ。


「ありがとうございます。その条件、受けさせて頂きます」


 そう言うと俺は、深々と頭を地面に擦り付けた。

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