第242話 それぞれの末路①
村井が契約書にサインするとピンハネは手を合わせて喜んだ。
「――ムライさんは、達筆ですね。それでは、こちらが契約書の副本となります」
「ああ、ありがとう」
正本は隅から隅まで確認した。副本に正本と違う事が書かれている筈がない。
村井はピンハネから契約書の副本を受け取ると、碌に確認もせずポケットにしまう。
「それでは、私の運営する宿に案内しますね。着いて来て下さい」
「はい。お世話になります」
そう言ってピンハネに着いて行く事、数十分。
「はーい。着きました。今日からここがあなたの住む宿ですよ」
「――はっ? これが私の住む宿……??」
ピンハネに案内された宿。
そこは、まるで家畜小屋の様な、おおよそ人が住む事をまったく想定していない建物だった。
建物内には澱んだ空気が滞留し、錆びたトタン張りの屋根と壁。その中で、人が家畜の様な生活を送っている。
まるで雨風を防げるだけマシとでも言わんばかりの設備に村井は思わず絶句する。
「な、何かの間違いでは……?」
「いえ、間違っていませんよ。ほら、見て下さい。あなたの入所を祝って宿に住むみんなが布団代わりの藁を集めてくれたみたいですよ。良かったですね。そうそう。言い忘れてました。食事は一日二回。パンを二枚支給します。毎月一万コルのお小遣いを差し上げますので、パンでは食事が足りないなと感じたら遠慮なく言って下さい。お小遣いの範囲内で食事をグレードアップできますので……ああ、それに関連して、ここでは仕事の紹介もしています。食事のグレードアップや身の回りの物を揃えるのにお仕事は欠かせませんから。一日十六時間労働で二千コルのお給金が貰えるお仕事からたった一回の労働で一万コルの成功報酬が貰える危険なお仕事まで幅広く扱っておりますので、仕事をしたくなったら遠慮なく言って下さいね?」
開いた口が塞がらないとはこの事か。
あまりの悪辣さに吐き気すら催してきた。
「――帰らせて貰おう」
最後まで話を聞いてから踵を返すと、その瞬間、頭の中で『ビー! ビー!』と警告音が鳴り響く。
「――な、なんだ!?」
突然、頭の中に鳴り響く警告音に村井は思わず声を上げる。
「えっと、ムライさん? ちゃんと、契約書を読みましたか?」
「け、契約書?」
ポケットにしまった契約書を取り出すと、村井は慌てて内容を確認する。
「――なっ、なんだこれはぁぁぁぁ!?」
契約書をよく見ると最後の行に、『甲(ムライ)は乙(ピンハネ)が指定した場所に住まなければならない』といった記載がされていた。
「こ、こんな記載、なかったじゃないかっ!」
村井がそう反論すると、ピンハネはヤレヤレと首を横に振る。
「契約書の副本にそう書かれているのだから、最初から書いてあったに決まっているじゃあないですか。単にあなたが見落としていただけでしょう?」
「そ、そんな馬鹿な話があるかっ!? それに、契約書はただの契約書で……」
すると、ピンハネは意味が分からないと首を横に倒す。
「えっ……もしかして、この世界において契約書を結ぶという事がどういう意味を持つのかを知らず契約を結んだのですか?」
「――ち、違う! 契約書を交わす意味位知っているっ! 私はこの頭に響く音が何なのかと聞いて――」
村井の『私はこの頭に響く音が何なのかと聞いて』という一言を聞き、ピンハネは深い笑みを浮かべる。
「――そうですか。それはそれは……やはり、あなたは契約書を結ぶという意味を理解せず契約をしたと、そういう事でしたか……。こうもトントン拍子に契約が進むなんておかしいと思っていたんですよ。あまりにもわかりやすく困った風を装っていたので、一瞬、罠を疑いましたが、なんてことはない。何も知らないお上りさんでしたか……」
突然、態度を変えたピンハネを見て、村井は驚愕の表情を浮かべる。
「なっ、それはどういう事だっ!?」
「――いいでしょう。既に契約は成立しています。ですので、特別に、あなたがこれから送る人生について教えて差し上げましょう……」
「こ、これから送る人生だと!? 何を馬鹿なっ!」
訳も分からずそう言うと、ピンハネは聖母のような微笑みを浮かべ、馬鹿にでも理解できるよう小屋備え付けの黒板に村井の人生を図示していく。
「いいですか? まずはあなたの置かれている状況を推測してお話します。間違っていたら教えて下さいね? 今のあなたは、お金がなく、泊まる場所もなく、頼れる友人もいない。そうではありませんか?」
「な、何故それを……」
村井が馬鹿正直にぼやくと、ピンハネは「やはり……」と嬉しそうにほくそ笑む。
「……そんな中、あなたは私に騙され契約書を結んでしまった」
「だ、だから、それがどうしたというんだっ! そんな紙切れ一枚で――」
「そんな紙切れ一枚の契約書があなたの今後の人生を決めたのですよ」
「そ、それはどういう……」
話を遮られた村井は動揺しながらも、現状を打破する為にピンハネから情報を引き出そうとする。その行為自体、既に意味を為さないと知らないままに……。
ピンハネは、村井と結んだ契約書を見えるように手に持つと、最後に書かれた条項に指先を向ける。
「いいですか? この契約書には強制力があります。この契約書を反故にしようとする者に対し、契約の履行を強制するのです。いいですか? 人が契約の履行を強制するのではありません。神が契約の履行を強制するのです」
「制約の履行を強制!? ……ど、どういう事だっ!」
そんな事は聞いていない。
これは普通の契約書じゃなかったのか!?
半狂乱に陥りながらそう尋ねると、ピンハネは薄笑いを浮かべたまま「くすくす」笑う。
「すぐにわかりますよ。警告音が鳴ったという事はそういう事です」
「ば、馬鹿馬鹿しい。私は帰らせてもらうぞっ!」
そう言うと村井はこの場から逃げだした。
「あらあら、逃げた所で、どうせすぐ戻ってくる事になるのに……」
走って逃げる村井を見て、そうぼやくピンハネ。
一方、ピンハネの下から逃げ出した村井はというと……
「――はあっ、はあっ、はあっ……ここまでくればもう大丈夫だろう……」
ピンハネの下から逃げ出す事、十数分。追手がない事に安堵すると、城壁の手前に到着してすぐ、村井にとって想定外の言葉が頭の中に響き渡る。
『――プレイヤー名、村井敦教が契約条項を破りました。これよりプレイヤー名、村井敦教に罰則を課します』
「――は、はああああっ!? け、契約条項を破りましたぁぁぁぁ!? ば、罰則とはどういう事だ……あ?」
すると、自分の意志とは関係なく体が勝手に動き、家畜小屋へとまっすぐ戻っていく。
ま、待て待て待て待てっ!
一体どうなっている!?
なんで私の意思と関係なく体が勝手に動くんだっ!?
契約書には、『甲(ムライ)は乙(ピンハネ)が指定した場所に住まなければならない』と定められている。その為、この契約は結んでしまった以上、契約書を破棄できる課金アイテムを使わない限り、解除する事はできない。
「――はあっ、はあっ、はあっ……」
家畜小屋に戻ってきて早々、ピンハネは笑いながら聞いてきた。
「――あ、もう戻ってきたんだ……ねえねえ。折角、私から逃げる為、走り出したのに、自分の足で私の下に戻ってくるってどんな気分? ねえ、どんな気分??」
言うまでもなく最悪の気分だ。
出来る事ならもう二度と会いたくなかった。
「…………」
答えず黙っていると、ピンハネは財布から一万コルを取り出す。
「――さて、本来であれば、この一万コルを君に渡す所なんだけど……君には手をかけられたしねぇ。これは、迷惑料代わりに私が貰っておくよ。それじゃあ、ムライさん。これからよろしくね。私の生活を豊かにする為にも、ここでの生活を少しでも良くする為にも老体に鞭打って頑張って働いてよね。それと――」
そう呟くと、ピンハネはバッグから隷属の首輪を取り出した。
そしてそれを契約書の効果で自由に動く事のできない村井の首に嵌めると、満面の笑顔を浮かべ言う。
「――これは、私からのプレゼントだよ。隷属の首輪って言うんだけど、知っているかな? 仮に契約書の効果が切れたとしても、この首輪が嵌っていれば安心だね。一生、奴隷として私の下で働く事ができるよ。それじゃあ、私はもう行くから、もう小屋に戻っていいよ。ここでの生活頑張ってね~」
――ま、待てっ! 待ってくれっ!
そう声に出して叫ぼうとするも、契約書の効果により声を上げる事もできない。
それ所か、小屋に向かって勝手に体が動き始めた。
――待て、待ってくれぇぇぇぇ! 頼む。後生だっ! お願いだからこの首輪を外してくれぇぇぇぇ! これじゃあまるで労働搾取じゃあないかっ! 私が呼びかけ行っていた貧困ビジネスの方がまだマシだ。誰か、誰か助けてくれぇぇぇぇ!
どんなに助けを求めようとも契約書に縛られては声を出す事もできない。
「――さて、他にもカモはいないかなぁ? できれば、もっと若くて労働力のある男がいいんだけど……まあ、あんな爺さんでも労働力には変わらないし、今日の所はまあいっか……」
そんな村井の様子を見て嬉しそうな表情を浮かべると、ピンハネは夜の町に戻っていった。
◇◆◇
ここは、新橋警察署の署長室。
「う、うーん。ここは……」
伍代は辺りを見渡し、頭を抱えながら言う。
「――私の部屋か……しかし……」
時刻を見ると、午前七時三十分。
何かがおかしい。朝、出勤した記憶がまるでない。
朧げな記憶を辿っていくと、昨夜、強い眠気に襲われた事を思い出す。
「ふむ。知らぬ内に疲労が溜まっていたのかも知れないな……」
最近、ストレスが溜まる出来事が頻発している。
十分あり得る事だ。
伍代は椅子から立ち上がると、背伸びする。
「コーヒーでも飲んで目を覚ますか……今日はどのドリップコーヒーにしようか」
そう言って、棚に手をかけると、急に署長室のドアが開く。
視線を向けると、そこには、唖然とした表情を浮かべた監察官が立っていた。
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