第240話 目には目を、歯には歯を
――ピンポーン
突如として鳴り響くチャイムの音。
「――な、なんだ……? 誰だ?」
……枝子か? いや、私から六億円を搾取するという目的を達成した今、枝子が帰って来るとは思えない。なら郵便か? それならありえるが……。
「まさか、警察なんて事は……」
実際に今日、私の愛人である美生が重要参考人として、警察に連れていかれた。
恐らく、武藤とかいう若造が私の命令に背き出頭したのだろう。愚かな事を……。
幸いな事に、その場で警察に拘束される様な事はなかったが、代わりに妻に脅され六億円を失い、武藤が出頭した事で若い愛人と、宝くじ利権を手に入れる為の手段が白紙になってしまった。
恐る恐るインターホンを覗くと、数人の警察官が画面に映る。
『――村井さん。いるんでしょ? 新橋警察署ですが、ある事件で令状が出ています。出てきて貰えませんかね』
警察官の姿を見た村井は慌てふためく。
「ぐっ……やはり、あの若造、この私の事を警察に売ったなっ!?」
令状が出ているという事は、これは任意ではなく強制。
もし、ドアの鍵を開けなければ、強制的にでも突入してくる。
『村井さん。令状が出ているので開けて下さい。奥さんから聞いて邸宅内にいる事はわかっているんですよ』
くそっ! 枝子の奴、六億を渡してやった恩を忘れて、警察に居場所を売るとはなんて奴だ!
しかし、こうなってしまえば、もはや手遅れ。
「――ああ、わかった。警察が私に何の用かは知らんがね。今、出ていくから待っていなさい」
インターホンのボタンを押し、そう虚勢を張ると村井はドアの鍵を開けた。
◇◆◇
新橋警察署の取調室。
ここでは、今、一介の警察官により元キャリア国家公務員である村井元事務次官の取調べが行われていた。
「――知らん! 私は知らんぞっ! 武藤なんて小僧の事は知らないし、殺人教唆なんてしていない!」
「……しかしですね。共犯関係にあった二人もあなたの関与を供述しているんですよ? あなたが犯行を仄めかす動画も証拠として提出されている。いい加減、観念したらどうです? 認めれば楽になれますよ」
共犯関係にあった二人……
恐らく、武藤と須東辺りの事を言っているのだろう。
年端もいかない小僧共の供述を信じるなんて警察も警察だ。
動画は……武藤が私の事を脅迫しようとした時のものを言っているのか?
だとすれば問題ない。
現にこの警察官は『犯行を仄めかす動画』と言っていた。
これだけでは証拠として弱いと考えている証拠だ。
取調べの証言内容は供述調書にまとめられ、後の裁判などで証拠として使用される。警察がよく言う、『認めれば、楽になれる』という言葉は嘘だ。
確かに、容疑を認めれば在宅事件となり、苦しい取調べから解放される可能性がある。しかし、罪を認め自白をしてしまえば、確実に起訴され、その後、前科者として生きていく事となってしまう。目先の誘惑に屈してしまえば、一生前科が付きまとう事になってしまうのだ。
どの道、警察に逮捕されれば私に後はない。
不利な証拠を残さない為にも、取調べに屈することなく気力を保ち、一貫して容疑を否認し続けなくては……。
「――だから、私は知らんと言っている! 不愉快だ。今すぐ弁護士を呼んでくれっ! 弁護士が来るまでは、何も話さん! 何も話さんからなっ!」
刑事事件の被疑者として逮捕されてしまった場合、最初にすべき事は弁護士を呼ぶこと……。まさか、この私がこんな形で弁護士を呼ぶ羽目になるとは思いもしなかったが仕方がない。
逮捕状を執行して私の身柄を拘束した以上、四十八時間以内に、検察へ事件を送致するかどうかを判断するタイムリミットが存在する。
ここで、万が一、送検される事となっても、勾留決定前に弁護士を立て対応すれば、勾留の請求や決定を阻止することができる筈だ。
気付けば夕暮れ。
取調室の窓の外を見てみると、一日の終わりを告げるかのように日差しが傾いていた。
「――明日は朝からみっちり取調べをしてやるからな」
取調べを担当していた警察官がため息を吐きながらそう言うと、今日の取調べは終わりと言わんばかりに村井に手錠と腰縄を嵌めた。
ぐっ、なんでこの私が留置場なんかに……それもこれもすべて川島のせいだ!
取調べ終了後、留置場に入れられた村井は、憤慨していた。
川島が私に歯向かわなければ、手を回す事もなかった。
正義の父親も父親だ!
新橋警察署の一部の警察官が不正を隠蔽している事は知っていた。
折角、事件を揉み消す事ができる様に警察官の父親を持つ正義の親の管轄内で事件を引き起こしたというのに……
「――必ずここから出てやる……そして、出た際には……私をこんな目に合わせた奴ら全員に復讐を……」
『――はあっ……そんな事だろうと思ったよ……』
「あ……なんだ? 今、声が聞こえた様な……」
留置場の部屋は五平方メートルほどの個室、その為、同居人は誰もいない。
『――やっぱり、駄目だわ。こいつ……早くなんとかしないと……』
「誰だ、どこにいるっ! うっ……!?」
すると、急に眠気に襲われる。
な、なんだ、この強烈な眠気は……。
「い、一体、何が……今、眠る訳には、いか……」
しかし、村井の意思に反して瞼がどんどん落ちていく。
「――おい、うるさいぞ! 静かにしろ!」
留置場内に響く村井の怒鳴り声。
留置場の担当官が村井に割り当てられた牢屋に向かうと、そこには、村井が留置場生活を少しでも快適に過ごせる様にと購入した一枚の座布団だけが落ちていた。
◇◆◇
ここは新橋大学付属病院。医学博士である石井の研究室にある簡易ベッドでは、今、新橋警察署の留置場からステルス拉致してきた村井元事務次官と新橋警察署の警察署長、伍代昭が眠らされた状態で横になっていた。
「――ふう。留置場から人を拉致するのも慣れたものだな……」
闇の精霊・ジェイドによる強制睡眠。そして、影の精霊・シャドーによる人攫い。
犯罪行為だし、言い方は最高に悪いが、手慣れたものだ。
エレメンタルの力があれば、この通り完全犯罪もお手の物である。
かいてもない額の汗を腕で拭うと、それを見ていた医学博士の石井がポツリと呟く。
「……これ、犯罪じゃね?」
「そうだな……」
良い子は絶対にやってはいけない犯罪行為である。
「……でも、こいつ等も犯罪者みたいなもんじゃん」
村井元事務次官は、国民から徴収した税金を公金名目で自分の好きな様に使い、気に入らない事があると手持ちの駒に殺人を教唆する様な犯罪者だし、新橋警察署の警察署長、伍代昭は誤認逮捕……つまりは、捜査の為なら冤罪を是とする外道である。
一応、勾留一日につき千円から一万二千円の補償金が貰える被疑者補償規定という訓令はあるものの、普通、やってもない冤罪で捕まり釈放まで約三週間勾留されれば、会社は解雇され、経済的損失を受ける事は免れない。
「それに、下手に権力を持っている、こいつ等の様な思想の持ち主を放っておいたら大変な事になると思うんだよね? 俺もこいつ等が原因で酷い目にあったし……いっその事、権力の効かない場所に放置しようかなって……」
村井元事務次官は、キャリア公務員OBとしての権力を未だ持ち続けているし、伍代に至っては、現役の警察署長だ。折角なので、それぞれ別の罰を与えるとしよう。
伍代君は……誤認逮捕を是とするのが悪かった。
多分、同じ目に遭った事がないからそんな無神経な事が言えると思うんだよね。
だから、俺がチャンスを上げる。冤罪で捕まり釈放まで約三週間勾留され会社を解雇され、経済的損失を受けた人の気持ちがわかるよう追体験させてあげるよ。
ああ、でも安心して?
三週間経ったらちゃんと元居た場所に帰して上げるから……。
まあ、その間、警察署長のいなくなった新橋警察署は少しパニックに陥ると思うけど……。
村井元事務次官はそうだな……別に死んでほしいとか思っている訳ではないので、ゲーム世界に放置するだけでいいか……。
武藤親子のお陰で、こっち側から違法ログインした場合、レベル制の恩恵に預かる事ができない点も確認したし、普段、俺が行かない別の国に放置すればそれでいいだろ。
これまで影のフィクサー気分を存分に味わってきたんだ。
最後は慎ましい最期を送ってほしい。
そんな事を考え、ニヤニヤ笑っていると、石井がドン引いた目でこっちを見ている事に気付く。
「……うん? なんだ?」
「――いや、恐ろしい男がいたものだと思ってな……それよりも、この二人に仮死薬をうてばいいのか?」
石井は村井の腕を持つと、針の先からぴゅっと仮死薬を少し出す。
「いや、それは村井だけでいい。こいつの事は三週間ここで預かってくれよ」
「――なに?」
そう言うと、石井は露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
「……私は君と違って普通の人間なんだ。面倒事はごめんだね」
「まあ、そう言うなって……」
仕方がないので、物で釣ろうとアイテムストレージからアイテムを取り出そうとすると、石井がポンと手をついた。
「――おお、そう言えば、その手があったか……」
石井の話は主語が飛びまくっているので要点が掴み辛い。
「うん? どういう事だ?」と尋ねると、石井はニヤリと笑った。
「君達の持つアイテムストレージには、収納中経年劣化しないという特性がある」
「なに?」
し、知らなかった。アイテムストレージにそんな特性があったとは……。
石井の話は続く。
「――つまり、仮死薬をうった後、アイテムストレージ内に収納してしまえば誰にもバレることなく完全犯罪を犯す事ができるという訳だ……」
いや、嫌な言い方するんじゃねーよ。
「まあ、何が言いたいのかといえば、ここにこの男を置いておくのではなく仮死薬をうち、取り合えず、アイテムストレージに収納して、三週間後にそこから取り出せばいいのではないか、という事が言いたかったのだよ」
「なるほど……」
目から鱗だ。
まさか、アイテムストレージにそんな便利機能が付いていたとは……全然、気付かなかった。
「まあ、私がアイテムストレージの特性を知ったのは偶々だったがな……」
石井の視線を追うと、その先にぐったりした表情を浮かべ、メリーさんに介護されているカイルの姿があった。
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