第217話 現役出向③

 念の為に言っておこう。

 俺は別に日本語ワープロソフト『一太郎』の事をディスっている訳ではない。

 一太郎の方がワードよりも早く日本に浸透していたし、ワードが使われ始めたのも二十数年ほど前の事……。今も現役で使われているであろう事は少しネットで検索すればわかる。

 しかし、その一方、学校など教育の現場では一太郎よりもマイクロオフィスのワードの方が主流になっているのは紛れもない事実。

 実際、俺自身も小中高大学に通ったが一度たりとも一太郎というソフトを使った覚えがない。

 これは想定外もいい所だろう。

 マイクロオフィスがあるかないかで用意するパソコンの値段も変わってくる。

 別途、一太郎を購入する必要もだ。

 総務省からの現役出向を受け入れるのに、一太郎必須なら先に教えておいて欲しい。こんな事で難癖を付けられるのは理不尽に感じる。

 しかし、俺は元社会人にして大人……。


「失礼しました。すぐダウンロード致しますので、少々、お待ち下さい」

「まったく……仕事をする環境が整っていないじゃあないか。これだから民間は……困ったものだよ」


 一太郎が入っていないとキレる川島のパソコンを操作し、アマゾン経由で一太郎のダウンロード版をインストールすると、川島は一呼吸置いて声を上げた。


「公的資金を受け取っておいてその体たらくじゃ困る。こっちもボランティアでやってる訳じゃないんだからさ」

「――はっ……? 公的資金?」


 ……何言ってんだこいつ?


 意味がわからずそう呟くと、川島は得意気に言う。


「そう。公的資金だ。国から金を貰って事業をしておいて、そんな事も理解できないのか?」


 一々、勘に触る奴である。

 喧嘩売ってんのか?

 理由はわからないが、マウントを取りたくて仕方がないらしい。

 しかしながら、確かに国から金を受け取っているかどうかの確認は重要だ。


「会田さん。国からそんな金を貰ってたっけ?」


 そう確認すると、会田さんは困惑した表情を浮かべた。


「いえ、頂いておりませんが……」

「そうだよね……?」


 つーか、国から金を貰って宝くじを購入する事業って何だ?

 マジで意味がわからん。


「――えっと、貰っていないそうですが?」


 そう告げると、川島は『何を馬鹿な事を……』とでも言いたげに首を振った。


「……まったく、度し難いな。そんな認識じゃあ困るよ。この私が現役出向という形でここに来ているじゃあないか。私が現役出向しているという事は、出向費用を省庁が負担しているという事に他ならない。業務委託手数料名目で公的資金の振込があった筈だ。わかるか? つまり、間接的にではあるが、今、この団体には公的資金が注入されている状態にあるのだよ。そんな事もわからないのか?」


 マウントが取れそうな状況に、川島はニヤリと笑う。すると、すぐさま会田さんが反論し始めた。


「いえ、普通の民間企業であればそうなのかも知れませんが、うちは法人格を持たない任意団体ですので……確かに、業務委託手数料の提示はありましたが、それを個人が受け取り、川島さんに直接支払うのは問題があるという事でお断りさせて頂きました」

「な、なにっ!?」


 会田さんの反論に動揺する川島。

 もはや格式美といってもいいかも知れない。

 川島が発言する度、ブーメランが自分に向かって突き刺さっている。


「――業務委託手数料……貰ってないみたいですね?」


 そう呟くと、川島は目を剥き睨み付けてくる。


「そ、そうだとしてもだっ! 私がここで働く以上、公的資金が間接的に注入されている事に変わりはないだろう!」


 流石は現役出向の官僚様だ。

 これが公務員無謬の原則。流石である。


 とはいえ、確かに、会田さんが国からの現役出向を受け入れた時点でそういった解釈も可能だ。

 しかし、川島はまるでわかっていない。

 現役出向を受け入れたのは確かだが、まだ入社初日。

 仕事もしていないし、まだ始業から数分も経過していない。

 つまりだ。今、出向元である総務省に連絡し、解雇事由を告げ出向契約を解除してしまえば、川島を合法的に追い出す事ができてしまう。勿論、働いて貰っていないので公的資金注入にもあたらない。


 そうだな……解雇事由は協調性の欠落とでもしておこうか。

 プライドばかり高く、人を見下す様な奴は俺の任意団体に不要な存在だ。

 気分が悪くなるばかりか見苦しいとすら感じる。


「――会田さん……」


 俺がそう呟くと、会田さんが電話を取る。

 すると、目ざとくも電話番号を確認した川島が慌てて声を上げた。


「――お、おい。どこに電話するつもりだ? ま、まさか、総務省に連絡を入れるつもりじゃあないだろうなっ!」

「……そうですけど、それがどうかしましたか?」


 会田さんの平然とした姿勢に川島はたじろぐ。


「な、何で総務省に連絡するんだっ! 総務省は関係ないだろっ!」

「いや、関係ありますよね? 『ここで働く以上、公的資金が間接的に注入されている事に変わりはない』のでしょう? あなたの行動は常軌を逸しています。協調性が欠如していると言われてもおかしくありませんよ」

「む、むぐぐっ……わかった。だから総務省に電話をかけるのだけは止めてくれ」


 全然、わかっていなさそうだが、まあいい。

 国がこいつを出向させてきた理由とか知りたいし、こちらはいつでも辞めさせられるんだぞと釘を刺す事には成功した。折角なので泳がせておこう。


「……会田さん。可哀想だから止めてあげて」


 すると、川島がキッと俺を睨み付けてくる。

 多分、可哀想という言葉に反応したのだろう。

 プライドが無駄に高い。

 誠に遺憾な態度だ。

 しかし、この年代の人に変われと言った所でもう手遅れ。人の考えはそう易々とは変わらない。


「……よろしいのですか?」


 会田さんは会田さんで不満気だ。

 この機会に総務省に文句を付け、本気で出向契約を破棄するつもりだったのかも知れない。しかし、それでは国の思惑がわからない。レアメタルの販売計画を控えた今、こいつをリリースするのは勿体ない。


「ああ、今回は見逃してあげて……」

「……わかりました」


 そう言うと、会田さんは受話器を置く。


「まあ、公的資金云々は置いておきましょう」


 俺がそう告げると、川島はパソコンに視線を向け露骨に話題を逸らす。


「あ、ああ、そうだな……。おっ、一太郎のダウンロードが終わった様だ。これでようやく仕事ができる。そうだ。まずは財務諸表を見せてくれないか? 会社を知るなら財務諸表を見るのが一番だからな」

「えっ? 財務諸表ですか? そんなものありませんが……」


 意図がわからない。

 こいつは一体、何を聞いていたのだろうか?

 もしかして、うちの事を何も知らないのか?

 ならば何度でも言おう。『宝くじ研究会・ピースメーカー』は株式会社でもNPO法人でも、社団法人でもない。ただ宝くじを共同購入するだけの任意団体だ。

 当然、財務諸表なんて存在しない。


 すると、川島はニヤリと笑みを浮かべる。


「ほう。財務諸表がないねぇ。それは問題があるな……」

「問題?」


 ――いや、ないだろ。


 宝くじを共同購入するだけの任意団体に何で財務諸表が必要なんだよ。意味がわからない。


 川島は疑問符を浮かべる俺を見て意気揚々と答える。


「ああ、これは大問題だよ。君は人格のない社団という言葉を知っているかね?」

「ええ、まあ、知ってますけど……」


 一応、俺も元社会人。任意団体を立ち上げるにあたり、その辺の事は調査済みだ。

 多くの任意団体は、税法上、人格のない社団等に分類される。そして、収益事業を営む場合、法人格を持っていなくても、法人税が課税される事になる。

 ここで言う収益事業とは、法人税法施行令第五条において掲げられた、一般の会社が利益を得る為に行っている物品販売や製造業など指し、宝くじを共同購入し利益を得る行為は含まれていない。


「ほう。博識だね。ならばわかる筈だ。収益事業を行っている組織が税法上、法人税を課税される立場にあるという事が……。だからこそ、私は問題があると言ったのだよ」

「ふーん。問題ねぇ……」


 いや、ねーよ。

 俺がその程度の事を調べていないとでも思っているのだろうか?


「……えっと、宝くじの購入は個人事業主である俺達が個人間でやり取りしているものなんだけど、何で法人税が課せられるのかな? 宝くじの当選金は非課税所得だよね? 宝くじの購入は当然、個人が支出してるし、団体が出していない以上、問題ないと認識しているんだけど」


 そう言うと、川島が『うっ』と唸る。

 宝くじの当選金が非課税所得である事は誰もが知っている事。

 一体、何が目的なのだろうか?

 思考があまりにも異次元で、川島が何を考えどんな目的で財務諸表がない事を問題とするのか理解できない。


 すると、川島は癇癪を起こし立ち上がる。


「い、いいから、君達は私の言う通りにしていればいいんだっ! 気分が悪い。すまないが今日は早退させて貰うよ!」


 そして、荷物を持ちそう言い残すと、そのまま事務所から出て行ってしまった。


 事務所に来てから僅か十分足らず……。

 癇癪を起し、突然、出て行ってしまった川島の後姿を見て、俺達は思わず唖然とした表情を浮かべる。


「……気分が悪いならここに来る前に連絡をくれればいいのにね」


 元の職場でもこうだったのだろうか。

 体調管理がまるでなっていない。社会人としてダメダメだ。

 俺がそう皮肉ると、会田さんが呆れた表情を浮かべた。


「……いや、そういう意味じゃないと思いますけど」


 勿論、冗談である。マジレスされると少し困る。


「シカシ、川島サンハ、何デ気分ガ悪クナッテシマッタンデショウネ?」

「……さあ? 自分の思い通りに話が進まなくて頭に血が上り、気分が悪くなったんじゃない?」


 俺達の事を凄く下に見ていたし、下賤な者に真っ向っから反論されて気を悪くしたのではないのだろうか?

 まあ川島の感情なんて割かしどうでもいい事だ。


 川島の影には、影の精霊・シャドーがカメラと録音機を持って潜っている。どんな思惑があってうちに来たのか何て、すぐにわかる事だ。


「さて、川島さん帰っちゃったから、今日の所はお開きにしようか。それじゃあ、皆、今日はお疲れ様。明日からもお願いね」

「ハイ。オツカレサマデシタ」

「それでは、私も失礼します」

「はい。お疲れ様」


 今日の駄賃替わりに、朝、購入したスクラッチくじを会田さんとロドリゲス・M・コーナーに渡していく。

 そして、会田さんとロドリゲス・M・コーナーが事務所の外に出た事を確認すると、俺は川島の声が聞くことができるよう、影の精霊・シャドーに影と影を繫ぐよう声をかけた。

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