第175話 区議会議員⑤

 ここは、区議会議員である更屋敷太一の事務所。

 愚息である義雄の話を聞いた太一は、懇意にしている区役所の課長に圧力をかけた後、高橋翔に関する調査結果を見ながら珈琲を啜る。


「ふんっ、君の言う通り先に動いていて正解だったな……」


 そう言って、テーブルに報告書を投げ捨てる太一。

 これは愚息が勝手に探偵を雇い手に入れた報告書。そこには、高橋翔に関するありとあらゆる情報が書き記されていた。


「いえ、それ程の事ではございません……」


 テーブルに散らばった報告書を揃えると、事務員である磯貝は軽く頭を下げる。

 そして、報告書を脇に抱えると、スマホを取り出し太一にそれを提示した。


「……そんな事より更屋敷先生。こちらをご確認下さい」

「うん?」


 太一は事務員である磯貝からスマホを受け取ると、テーブルに置いてあった老眼鏡をかけスマホに視線を向ける。


「……なんだこれは?」


 磯貝が太一に見せたのは、太一の息子である義雄と太一自身を非難するツイート。

 そこには、動画が添付されていた。


 太一がその動画を再生させると、愚息である義雄の声が聞こえてきた。


『あ、ああ、更屋敷義雄君ですか? 続報です! やりましたよ。【ピー】を半殺しにする事に成功しましたっ!』

『よし。よくやったっ! 誰にも見られてないな?』

『はい。更屋敷義雄君の命令通り人目のある所は極力避けて裏路地で半殺しにしましたからっ! そ、それで、義雄君。これからどうしましょう。俺、人を半殺しにした事なんてなかったから不安で……。区議会議員であるお父様の力があれば、揉み消せますよね? 大丈夫ですよねっ??』

『……ああ、当然だ。俺の親父が誰だと思っているんだ? 区議会議員の更屋敷太一だぞ? 心配するな。お前が警察に捕まらないよう、ちゃんと手配してやる。それで、お前、今、どこにいるんだ?』

『ぎ、餃子の王将の近くにある高架下の自転車置き場にいます』

『……そうか。そういえば、新橋駅近くにあったな。【ピー】もそこにいるのか?』

『はい。自転車置き場の奥で血を流して倒れてますよ。義雄君の命令通りバッチリです』

『……そうか。それじゃあ、今から確認しに俺も向かう。俺が到着するまでの間、そこから絶対に動くなよ? 絶対だ。絶対に動くな』

『はい。わかりました。それじゃあ、義雄君の到着を待ってます』


 動画の再生が止まると共に、こめかみに青筋を浮かべ怒り散らす太一。


「な、なんだこれはぁぁぁぁ!」


 犯罪行為に関わっているであろう愚息の会話記録。何より拙いのは、私の名前まで会話記録に入ってしまっている事だ。


「お、大人にもなって言っていい事と悪い事の区別もつかんのかっ! あの愚か者がぁぁぁぁ!!」


 そもそも、何でこんなものが出回っているっ!

 そうならない様に対処したばかりではないかっ!


「いかが致しましょう? 既に関係各所から問い合わせがあり、週刊誌側からもこの件が掲載されると連絡が……」

「なっ!? さ、差し止める事はできないのか!?」

「残念ながら難しいかと……どうやら、かなり以前から調査をしていた様でして……」

「うむむむむっ……!」


 太一は、暫し考え込むと苦悶の表情を浮かべながら言う。


「……週刊誌側にもう一度連絡をしろっ。そっちがその気ならこっちも相応の手段に訴えると伝えなさい。その上で、こちらの意に沿わない回答をする様であれば……」


 こちらも相応の手段に訴えるしかない。

 金を積めば何でもしてくれる人間など、掃いて捨てるほど存在する。


 太一の言葉を聞き、磯貝は頷く。


「……承知致しました。それでは、その様にお伝えいたします」

「ああ、頼んだぞ。それと、私は万が一に備え入院する。下らん、マスコミの対応なんてやってられないからなっ……」


 こういう不祥事から逃げるには入院が一番だ。

 現に今年受けた人間ドックで、不整脈の診断を受けている。

 問題は無い筈だ。


「わかりました。すぐに手配致します。関係者には何と言って陳謝すればよろしいでしょうか?」

「うん? そんなもの適当に『心配をおかけしている事をお詫び申し上げます』とでも言っておけっ! 数年前から心筋梗塞を起こし、新橋大学付属病院に通院治療しているとでも言えば、問題ないだろうっ!」


 入院中で対応不可というアナウンスを流した上で、文章でコメントを出し、マスコミの前に姿を現さなければどうとでもなる。

 むしろ、きちんとした対応をし、記者会見を開いたり、政治活動している方が大変だ。それこそ、マスコミの餌食となり、偏見報道が継続される事になる。

 その点、面会謝絶で入院し記者会見をせず、議会に姿を現さなければ、マスコミの餌食となる事もなく、毎日流れる他の大きなニュースに紛れる事ができる。

 政治に限らず毎日のように大きなニュースが流れるのだ。

 一時的に怒りに沸いた世論も、やがて次の話題に紛れ、二ヶ月もすれば忘れ去られて沈静化していく。

 古典的な手法だが、未だに使われる手法でもあるのだ。


「それでは関係各所に、その様に手配致します。車の用意を致しますので、もう少々お待ち下さい」

「うむ……」


 車の用意をする為、事務員が部屋を出て行った事を確認すると、太一は悪態をつきながら愚息に電話をかけた。


「クソっ! なんでこの私がこんな目に遭わなければならないのだ! あの愚息めぇぇぇぇ!」


 私は当然回数十回の大ベテランだぞ?

 それだけ多くの区民がこの私に信頼を寄せているという証拠だ。

 区民の声に応え、こんなにも頑張って活動しているというのに、何でこんなSNSが出回る!

 お陰で私は大ピンチだ。


 愚息が中々電話に出ない事に腹を立てていると、十五コール目で電話が繋がった。


「おい。義雄っ! あのSNSは何だっ! 何でこんな事になっているっ!」


 電話が繋がって早々、太一は怒鳴り声を上げる。


『おかけになった電話は、電波の届かない場所にある、または電源が入っていない為、お繋ぎできません。ピーという発信音の後にお名前とご用件をお話し下さい。ピー』


 しかし、返ってきたのは、そんなアナウンスだけ。


「ふ、ふざけるなぁぁぁぁ!」


 それを聞いた太一は床に向かってスマホを投げ付ける。

 画面がバキバキに割れるスマホ。

 そんなスマホを見て息を切らす太一。


「はぁ、はぁはぁはぁ……」


 激怒した太一が肩で息をしていると、事務所の前に車を付けた事務員が戻ってくる。


「更屋敷先生、準備が整いまし……おや? どうされたのですか?」


 顔を真っ赤にして床に、スマホを投げ付けている太一を目撃した事務員は不思議そうな表情を浮かべ呟く。


「いや、何でもない……車の準備ができたならそれでいい。さっさと行くぞ」

「は、はい。それでは、更屋敷先生。こちらへどうぞ」


 事務員は太一を車に誘導すると、懇意にしている病院。新橋大学附属病院へと向かった。


 ◇◆◇


 ほぼ同時刻、更屋敷義雄はいつの間にかSNSに流されていた動画を見て、頭を抱えていた。


「い、一体、何が……何が起こっている……」


 これは間違いなく俺の声だ。

 だが何故……何故、この会話がSNSに流れている!?

 まさか、明紀の奴、電話の内容を録音していたのか?


 いや、あいつ等が俺の不況を買ってまでそんな事をするとは思えない。

 しかし、決して流れてはならない音声データがSNSに流されてしまった事は確かだ。

 納得できない点もあるが、まず、間違いなくあいつがこれをSNSに流したのだろう。

 これは大変な事になった……。

 マジで洒落にならない。


 このままでは、親父の議員生命が終わってしまう所か、俺自身が殺人教唆で捕まってしまう。


「くっ! こんな事になるなら通報するんじゃなかった……」


 百万円を支払いたくないばかりに、高橋翔を半殺しにした明紀を警察官に現行犯逮捕させる為、餃子の王将の近くにある高架下の自転車置き場に待機させたが誤算だった。

 教唆した証拠など、どこにもないと高を括っていたが、それが仇になった……。

 なまじ、本当に人を半殺しにしている為、冗談でしたと述べる事もできない。この音声データを聞いた者は、まず間違いなく思う筈だ。俺が高橋翔を殺す様仕向けた元凶なのだと……。


「……あの野郎。低脳の分際で舐めた真似、しゃがってっ!」


 警察に逮捕される前に最後っ屁をかましやがった。

 とはいえ、このままでは拙い。マジで拙い。

 こうなったら親父に匿って貰うしか……。


 すると、丁度良く電話が鳴る。

 スマホを見て見ると、親父からの様だ。

 丁度良い。


 スマホに手を伸ばそうとして、ピタリと手を止める。

 保身に長けた親父からの電話。区議会議員の息子である俺が犯罪行為を犯した時、親父はどう動くだろうか?

 警察から逃してくれるのではなく、俺の事を警察に突き出し、自分の保身の為に『今回の件は、誠に遺憾です』と、遺憾砲を発射して終わりにするつもりではないのだろうか?

 そう考えた瞬間、電話に出れなくなる。


「い、いやいやいやいや……考え過ぎだ。親父はきっと俺の事を守ってくれ……」


 そんな事を考えている内に、電話のコール音が無くなった。

 慌てて親父に電話をかけるも繋がらない。


「……ま、まさか、俺を導線に親父もパクられたのか?」


 ……あり得る話だ。


 区議会議員である俺の親父は横暴だ。

 当然、区役所職員の評判も悪い。


 窓口に一般区民がいるというのに、堂々と懇意にしている区役所の課長に口利きし、区役所の職員をアゴで使ったり、区役所の食堂に『出前は議員優先で持って来い! それができないなら役所に食堂なんて無くしてしまえっ!』と言ってみたり、選挙の時にだけ『皆様の為に、全力で戦います!』とか言って、区民に手を振っていたのに、いざ、選挙で当選すると手の平を返し、議会で居眠りしたり、混雑している窓口で、窓口の横から『おいっ!』と区の職員を呼び付け自分の用事を優先させようとしたりと、とにかく評判が悪い。

 それに親父は、区議会議員として区政に介入し、特定の個人または団体に対して特別扱いするよう口利きをする事で、賄賂を受け取っている。


 周りは皆、敵ばかり。

 親父と癒着している特定の個人または団体以外は、皆、敵に寝返る可能性があり、今回、俺が起こした事件を皮切りに警察が動き出したとしても何ら不思議ではない。


 なるほど、親父と電話が繋がらない訳だ。それならなんとなく納得できる。

 そうだとしたら、信じられるのは自分だけだ。


 幸いな事にネットワークビジネスで稼いだ金はすべて現金で引き下ろしてある。

 銀行は信用できない。何かあれば必ず、口座を封鎖しに来る。

 金持ちからして見れば、預けて置く事自体がリスクだ。

 俺が貯めた金はすべて、実家に保管してある。


「……秘密裏に回収し、海外に逃げるしかない」


 そう呟いた義雄は、実家に走って向かう事にした。

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