第176話 区議会議員⑥
更屋敷義雄はフードを被り、コンビニで買ったサングラスとマスクを身に付けながら実家に向かう。
念の為、周囲を一周し、警察官が実家に来ていないか確認すると義雄は、警戒しながら自室へと向かった。
「警察はいないようだな……」
そんな義雄の背後に浮かぶ赤く光りながら浮遊する球。
赤く光りながら浮遊する球は、気付かれないようピッタリ張り付くと、警戒しながら自室に向かう義雄に付いていく。
「……よし」
鍵を開けると、義雄は警戒しながら部屋の中に入る。
赤く光りながら浮遊する球も義勇の背後にピッタリくっ付きながら、部屋の中に着いて行く。
義雄は自室に入ると、キョロキョロと警戒しながら顔を動かし、畳を剥がす。
すると、その下に畳一枚分のスペースが現れた。
その中には、五億を超える札束が敷き詰められている。
「……よかった。無事だったか」
義雄はボストンバッグとトラベルバッグを用意すると、そこに札束を詰め始めた。
「……これは俺のものだ。俺がネットワークビジネスで稼いだものだっ! 取られてなるものかっ! これでレバノン辺りに逃亡して悠々自適に暮らしてやるっ!」
どうせなら、レバノンに行く前に、この家や明紀と高橋翔の家に放火してから逃げてもいい。
これは復讐だ。復讐なんだっ!
皆、真っ黒に燃えちまえっ!
レバノンに到着するまでの間、バレなければそれでいい。
そんな事を考えながら、収納スペースから札束を移していく義雄。
日本はレバノンと犯罪人引き渡し条約を締結していない。容疑者段階にある今ならまだ渡航可能な筈だ。
そんな義雄を見下ろしながら、赤く光りながら浮遊する球こと、火の上位精霊・フェニックスは無言で考え込む。
男は紙を大層大事に床下に隠し収納していた。
そして、今、その紙を床下からボストンバッグとトラベルバッグに移そうとしている。つまり、この男がバッグに移している紙は、この男にとって大切なものである可能性が高い。
そう判断した火の上位精霊・フェニックスは男に気付かれないよう背後に顕現すると、飛び火しない様に気を付けながら収納スペースにある札束と、バッグに収納している札束の二つに火種を灯した。
その火種は札束を黒い灰に変えていく。
「そろそろ移し終りそ……えっ? あえっ? な、なんで? なんで燃えて……」
それに気付いた義雄は絶叫を上げた。
「ま、待ってっ! 燃えるなっ! 燃えないでっ!? ちょっと待って! あちっ!」
燃え盛る札束に手を突っ込みまだ無事な札束を保護しようとして失敗し、火のついた札束があちこちに転がる。
「ふ、ふざけんなっ! ふざけんなぁぁぁぁ! こ、このままじゃ、金が……俺の全財産が燃えてしまうっ!!」
水を求め慌てながら台所に走る義雄。
近くにあったフライパンに水を溜めながら、灰になっていく札束に視線を向け叫ぶ。
「は、早く! 早くしろぉぉぉぉ蛇口ぃ! 俺の金がっ! 俺の金が燃えてしまうだろぉぉぉぉ!」
燃えゆく札束に義雄は焦り、半分しか水が溜まっていないにも拘らず、金惜しさにフライパンに溜まった水を札束にぶち撒ける。
しかし、この炎は火の上位精霊・フェニックスの炎。フライパンに溜められぶち撒けられた僅か一リットルの水は一瞬にして蒸発してしまう。
そうしている内にも、火が部屋に燃え広がっていく。
「あ、ああ……あ、ああああっ……」
灰に変わっていく全財産。
全財産が目の前で燃えていくという絶望感に義雄は言葉を失う。
――ピーピー火事です。火事です。
隣の部屋に設置してある火災警報器が火事を検知し警報音が鳴る。
もう何も考えられない。
ふらつきながらも、何とか家から脱出する義雄。玄関を出て外に出ると、遠くから消防車のサイレン音が聞こえてくる。
義雄の部屋は一階にあった。
限界ギリギリまで札束を回収しようとしていた為、火の手は勢いよく家を焼き、黒煙が上がっている。
火災が発生したのを聞き付けた野次馬達が正面玄関を塞ぎもの珍しそうな目で燃える家を見ていた。
当然だ。燃えた家が、区議会議員の重鎮である更屋敷太一の家とあっては尚更である。
「全部、あいつのせいだ……全部、あいつの……」
義雄は、フラフラとした足取りで裏口から逃げるように外に出ると、徐ろに視線を前に向ける。すると、その視線の先には、明紀の奴がいた。
◇◆◇
更屋敷太一の家が炎上している頃、太一は新橋大学付属病院の特別個室にいた。
「なんだね。磯貝君。こんな個室しか取れなかったのか?」
事務員である磯貝に苦言を呈する太一。
磯貝が予約を取ったのは特別個室B。
面積三十平方メートル、一日当たり八万円の新橋大学付属病院内で二番目に高い個室だ。
ちなみに一番高いのは、今、高橋翔が住んでいる特別個室A。
面積百五十平方メートル、一日当たり二十万円の超高級個室である。
太一は、この特別個室Aの予約を取る事ができなかった事に対して苦言を呈していた。
「申し訳ございません。特別個室Aは予約が埋まっている様でして……」
「まったく、駄目じゃないか。磯貝君。君ね。私を誰だと思っているんだ? 当選回数十回の区議会議員、更屋敷太一だぞ? 私の名前を使って特別個室Aを借りている人に頼めば何とかなったんじゃないか?」
「い、いえ、区民に対し、議員の立場を利用してそういった態度を取るのはいかがなものかと思いまして……」
磯貝がそう正論をぶつけると、太一は腹を立てた様に言う。
「誰が議員の立場を利用しろと言ったっ! 私の名前を出してお願いして見たらどうだと、私見を述べたまでじゃないかっ! まあいい……ああ、そうだ……」
家に大切な物を忘れてきてしまった事を思い出す。
「……磯貝君。私の家の自室からアタッシュケースを持ってきてくれないか?」
「アタッシュケースですか?」
「ああ、そうだ。中には、私にとって命の次に大切な物が入っている。私の自室に置いてあるから、それをここに持ってきてくれ」
そう言って、自宅の鍵を磯貝に渡すと、太一はテーブルにあったリモコンを持ちテレビを付けた。
「……命の次に大切な物ですか。責任重大ですね。一体、何が入っているのですか?」
「うん? それは教えられんよ……当然だろう?」
アタッシュケースの中には、懇意にしている暴力団に用意して貰った裏金の隠し口座や政務活動費を不正受給する為に捏造した証拠。それに類する物が数多く入れてある。
今回、当然の事でうっかり忘れてたが、それを知られると非常に拙い。
特に、愚息に知られるのは一番拙い。
それなら、誠実で真面目な磯貝に持ってきてもらった方がまだ納得できる。
リモコンをピッと押しニュースを流すと、どこか見覚えのある家が映った。
どこで見ただろうか。
放火されたのか、他の理由で燃えてしまったのかは知らないが、家が真っ赤に燃えている。しかも、現在進行形のようだ。
「……さ、更屋敷先生」
隣を向くと磯貝が顔を真っ青に染めていた。
「うん。どうした? そんな顔を真っ青にして……」
太一がそう尋ねると、磯貝は震えながらテレビに指を向ける。
そして、とんでもない一言を呟いた。
「こ、これは、更屋敷先生の家では……?」
「何を言っているんだ君は……冗談だとしても言って良い事と悪い事が……」
もう一度テレビに視線を向けて認識した。
燃えているのは確かに自分の家なのだと……。
その事を認識した瞬間、太一の眼鏡がずれる。
何だか嫌な汗も流れてきた。
椅子から立ち上がった太一は、ふらふらとテレビの前まで向かうと両手でテレビを掴み、燃えている家を凝視する。
「あ、ああっ……あ、あああ……」
そして、脱力し、テレビから手を放すと、磯貝に視線を向ける。
「う、嘘だ……そんな筈が……」
テレビに指を指して現実逃避する太一。
しかし、磯貝はハッキリと告げる。
「い、いえ、更屋敷先生の家で間違いないかと……」
磯貝がそう言った瞬間、太一は四つん這いになり蹲る。
「そ、そんな馬鹿な事があるかっ! 今年っ、今年、建てたばかりの家だぞ……? それがなんで燃えているっ! なんで燃えているっ!?」
蹲りながらヒステリックに叫ぶ太一。
当然だ。あの家は三億円かけて建てた建物。住み始めてから三ヶ月も経っていない。
「そ、それに、アタッシュケースがっ! アタッシュケースも燃えて……」
アタッシュケースの中には、裏金の隠し口座や政務活動費を不正受給する為に捏造した証拠。それに類する物が数多く入れてある。
裏金の隠し口座の番号などすべて覚えている筈がない。
暗証番号もだ。だからこそ、太一の持つ全てをアタッシュケースに入れ、スケジュール帳に纏めておいた。
しかし、今、そのすべては燃え盛る炎の中にある。
世に出す事のできない裏金や、風呂場の天井裏に隠した地金だって……。
居宅エレベーターの床下にある機械装置内に隠しておいた現金もそのすべてが火の海の中……。
「ぐるぶおぅえっ……!?」
一度に資産という資産を失った反動で、口からキラキラが出てしまう。
「更屋敷先生っ! だ、大丈夫ですかっ!」
「……だ、大丈夫な訳がないだろうが」
『よかった……ただの致命傷で済んだぜ』という奴だ。太一の資産はもう死んでいる。
「だ、大丈夫です! 先生にはまだ、経営している会社があるではありませんかっ!」
何とか元気付けようとする磯貝。
しかし、太一の顔は冴えない。それ所か、逆上し喚き散らした。
「だ、大丈夫な訳があるかぁぁぁぁ! 見ろっ! 私の家の隣りにあるのがその会社だっ!」
テレビに視線を向けると、太一の家を焼いていた炎が延焼し、隣のビルを焼いていた。消防員が必死になって延焼を防ごうとしているが、不思議と火の手が収まる気配がない。
「折角……折角、手を回して区の補助金を回したのに、全部、お終いだ……」
太一の行っていた事業は人材派遣業。
改正労働派遣法の施行により追い打ちをかけられた太一は区議会に働きかけ、人材派遣業を支援する助成金を提案した。その結果、補助金が入りウハウハな経営状態であったが箱となる会社が燃えてしまえばどうしようもない。
当然、派遣社員達の個人情報は燃えて灰となり、事業存続は不可能。
太一は地面に拳を打ち付ける。
「誰が……誰がこんな酷い事をっ……」
区議会議員が議会に最低限、出勤しなければならない日数は約九十日。
それ以外の日は、何をしていても基本的に自由である。
だからこそ、それに目を付け、区議会議員に立候補した。
すべては自分の行っている事業に公的資金を合法的に流し優遇する為だ。
しかし、燃えてしまえば、関係ない。
燃え盛る家に視線を向けると、太一は歯を食いしばりながら呻き声を上げた。
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