第149話 その頃のアメイジング・コーポレーション

 その頃、アメイジング・コーポレーションでは、石田管理本部長が窮地に陥っていた。


「すいません。来月、会社を辞めさせて頂きます」

「――ち、ちょっと、待って。来月辞めるって、こんなに有給消化されたら実質、今日が最後見たいなものじゃ……。い、君が今、会社を辞めたらっ……!? せめて、あと半年だけでも……!?」

「いえ、無理です」

「そ、そこをなんとかっ!?」

「無理です」


 私がこんなに懇願しているというのに、取り付く島もない。


「それでは、私はこれで……。この会社が潰れない事をお祈り申し上げます」


 最後は、不吉な事をお祈りメールみたいな口調で言ってきやがった。

 ボクの言葉を待たず勝手に席を立ち、エレベーターを降りていく。


 拙い。このままでは、本当に拙い。

 どうすればいいんだ、この状況。笑えない。全然、笑えないぞ。

 最近、会社を辞める社員が後を立たない。どうやら悪い噂が立っているようだ。

 ちなみに、取締役会の期日も目前に迫っている。

 四日後。それが運命を決める時だ。

 取締役会に西木社長が代表取締役から解任されたら、すべて終わる。

 ついでに言えば、解任されなくとも終わってしまうという意味の分からない状況に追い込まれている。


 そもそも、会社から主要な社員が辞めてる時点で終わっているだろ。

 どうするんだこの状況?

 営業マンの大半が消え、管理職が大半を占める会社。営業マン退社の影響が大き過ぎて一般管理費を支えきれない。

 とりあえず、窮地を乗り切る為に派遣会社に連絡をしないと……。

 そう絶望の表情を浮かべ、電話を取ろうとすると、西木社長から内線が入る。


『ああ、石田君か? すぐにボクの下に来てくれ』


 嫌な予感しかしない。もう既に泣きそうだ。

 何でこんな自分の利益の事しか考えていない経営者に着いて行ってしまったのだろうか……。そんなことを思い、心の中で涙ぐむ。


「社長。お呼びでしょうか?」

「ああ、石田君。そこに掛けたまえ」

「はい。それでは……」


 そう言って、ソファに座ると、西木社長は足をデスクの上に乗せ、態度悪く話し始める。


「……石田君。最近、社員数が減っているようだが、何か知っているか?」

「いえ、知りません……」


 嘘だ。本当は知っている。

 営業マンが減り、売上高は右肩下がり、その上、不祥事が発覚し、賞与はゼロ。でも、役員報酬は右肩上がり。もうこの会社駄目だと、社員や営業マンの殆どが転職活動に精を出し、有能な社員は次々と他の会社に転職しているのが今の当社の実態である。しかし、それを口にする事はできない。

 何故なら西木社長が激怒する為だ。

 正直、激怒した社長を宥めるのは体力を使う。当然、精神力もだ。

 だが、もうそんな事に時間を割いている余裕は残されていない。


「――まったく。最近の若い者はこらえ性がなくて困る。石の上にも三年という言葉を今の若者は知らんのか。だから、駄目なんだ。まあね。当社を辞めた社員なんてどうでもいい。とにかく、会社が回るように社員の補充をしておけよ?」

「は、はい」


 意外な事に西木社長も社員が次々と辞めていく事に少なからず、危機感を抱いているようだ。金にがめついこの人も、意外と会社の行く末を気にしているらしい。


「従業員が働かなくなったら、利益が減り、ボクの役員報酬が少なくなってしまうからな。まあ、今の役員報酬で満足している訳ではないが、従業員達が働かないせいで、これ以上、業績が落ち役員報酬が削られるのは堪ったもんじゃない」


 ――と、思ったら違った。


 どこまでも自分の老後の事しか考えていないようだ。会社の未来も会社で働く社員の生活も何も考えていない。

 と、いうより、そんなに金を持ってどうするのだろうか?

 西木社長の御年は八十五歳。残された時間は、もう十数年とない。

 にも拘らず、西木社長はどんなに会社がヤバい状態であろうとも、億単位の報酬を会社に要求し続けている。

 死後、会社から徴収した役員報酬を国庫に納めるつもりなのだろうか?


「それにしても、このままでは今期は赤字か……。まったく、第三者委員会も監査法人に対する報酬も高過ぎるよっ! 君もそう思うだろう石田君っ!」

「え、ええ、まったく以って、その通りです」


 あなたがそれを言いますか……。正直、あなたに支払う役員報酬が一番高いです。

 税金として国に大半を持っていかれるのに、なんなら、もっと効率的な役員報酬の支払い方があるのに、何故、上場会社の社長ともあろう方が、株主の利益に反する行動を取ろうとするのだろうか……。

 まあ、その報酬の原案を作ったのは私だけれども。


「たいした仕事をしている訳でもないのに、さも当然の様に高額な報酬を請求してくる。彼等ときたら不祥事が起きればハイエナの様に集まってくるじゃないか。もう、信じられないよっ!」


 私も、もうあなたの事が信じられないです。はい。

 本気で着いて行く人を間違えました。これが老害という奴ですか。話には聞いていましたが、本当に老害ですね。今はそう思っています。

 常日頃から社長は生涯現役と仰られていたが、本気でキツイ。

 役員達もよくこんな老害を代表取締役の地位に置いていたものだ。


 アメイジング・コーポレーションを一から立ち上げた社長であるならまだしも、雇われ社長が、会社が衰退しているにも拘らず、自分の地位と金欲しさに自分が働けるまで会社にしがみ付く。しかも、経営が傾きそうになれば、私に社長職を押し付けて自分は会長職に上がるというおまけ付きだ。

 こういった老人ほど長生きをするから堪らない。

 社長に支払う役員報酬と会議費・交際費が最大の重荷になっているのにも気付かず、気付いたとしてもそれはそれ。数年前まではそれで問題なかったのだからと、人材流出が止まらないにも拘らず、その時と同じ売上と営業利益を求める社長の姿勢。


 自分が重荷になっているとはまったく考えず、すべて営業マンの努力不足だと言う。もうその姿勢が、社長として終わっている。


「それにね。最近の営業マンは本当にダメだ。なっていない。売れない物を口先だけで売ってこそ営業マンだろう。なのにノルマを達成できないのは商品に魅力がないだとか、製造不良が多いとか言い訳ばかり。だから、彼等は駄目なんだ。君もそう思うだろ」


 その、西木社長に駄目呼ばわりされた営業マンは皆、この会社でストレス耐性を身に付け、これまで売れない商品を売ってきた事が評価され同業他社に転職しています。

 しかも、引く手数多だそうです。

 なんでも、劣悪な環境に置かれていた為、本来であれば、部長クラスの力のある人材が、そのクラスの人材をリクルートするより安い年収で雇うことができると専らの噂である。

 我々がやっている事は、金をかけて人材を育て、リリースするだけの慈善事業に過ぎない。

 お願いだから気付いて欲しい。社会からそう言う目で見られているという現実に……。


 しかし、短絡的思考しか持ち合わせていない西木社長には伝わらない。

 そもそも、口にしていないのだから当然だ。


「――まあ、それはいいんだ。今は置いておこう。石田君。話は変わるが、来期のボクの役員報酬についてだがね。いやはや、この苦境を乗り切る為に、ボクは相当、頭を悩ませた。十億円位を考えているのだけど、どうだろうか?」


 どうだろうかもない。社員がこの事を知ったら暴動を起こすのではないだろうか?

 従業員の賞与はゼロなのに役員報酬十億なんて、従業員の会社離れが加速しますよ?

 とはいえ、そんなことは言えない。


「いや、素晴らしいと思います。西木社長の功績を考えれば、十億円位の役員報酬は貰って当然! しかるべきだと思いますっ!」


 そう言うと、西木社長は気を良くしてこう言う。


「そうかっ! 石田君なら、そう言ってくれると思っていたよ。まあ、これも役員報酬を株主が代表取締役に一任してくれるからこそできる事だな」


 現在、当社では役員報酬を代表取締役に一任している為、お手盛りの弊害を思いっきり受けている。株主総会で役員報酬の総額を決め(というより提案し)、その総額の範囲の中で代表取締役が個別に役員報酬を決定しているのだ。

 当社の株主達は、まったくといっていいほど、当社に興味がない。

 その為、こんな馬鹿みたいな金額の役員報酬が普通に通ってしまう。

 つまりは、代表取締役である西木社長に対して幾ら役員報酬を払おうがまったく関知しないという事だ。

 認知度の高い企業ではそんな事はできない。

 しかし、ニッチな上場企業だからできる抜け道である。

 何せ、役員報酬の総額の枠の中で、勝手に社長の役員報酬を決めても法律上なんの問題ないのだから……。つまり、代表取締役である社長の取り分が九割だったとしてもまったく問題ない訳だ。


「ええ、仰る通りです」

「うむ。それでは、報酬策定委員会用の資料作成も頼んだ。もう行っていいぞ」

「……はい。失礼します」


 そう言って社長室から出ると、私はデスクで項垂れた。

 仕事が増えた。しかも、もの凄くどうでもいい仕事が……。

 何が悲しくてこれから権力を失うであろう西木社長の為に報酬策定委員会用の資料を作成しなければならないのだろうか。

 無駄になる気がしてならない。


 むしろ、報酬どころか西木社長の思い付きで被った損害について、賠償金を支払えと言われるかもしれないのに困った御方だ。


「しかし、本当に困った……」


 五台目にしてようやく壊れなくなったパソコンのメールアプリを開くと、そこには監査法人からのメールが山ほど届いていた。早く、サーバーを直してくれとの支店からの陳情も……。野梅弁護士からも『裁判どうしますか? このままじゃ敗訴しますよ』といったメールが来ている。


 第三者委員会の調査報告書はまだ来ないのかという監査法人の圧力。敗訴濃厚な訴訟。復旧不能なサーバー。これにより発生した怒涛の退職ラッシュ。

 お陰で今、本社に正規雇用者が殆どいない。

 ここにいるのは、急ごしらえで集めた派遣社員ばかりだ。


 他の支店にはまだ波及していないようだが、本社では今、壊滅的……いや、致命的な人材不足に陥っていた。

 それもその筈、サーバーが止まってしまえば、これまでやっていた作業を手作業で行わなければならない訳で、今の人員ではとても手が回らない。


 行くも地獄行かぬも地獄のこの状態。

 数日後に訪れる未来に頭を抱えながら、私はネットサーフィンという現実逃避に走った。

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