第119話 その頃、アメイジング・コーポレーションでは(問題は山積み)
基幹系システムの再構築には多額の費用がかかる。
それを踏まえて、西木社長はこう言った。
『今、使っているシステムで十分じゃないか。このシステムを作った会社が倒産したとして、ここ二十余年、問題なく動いてきた基幹系システムがすぐにダメになるのか? これは今すぐに対応しなければならない事なのか?』と……。
ごもっともな意見だ。
西木社長の考えを聞いて私の腹は決まった。
御年八十五歳の西木社長は御高齢。
おそらく、西木社長は数年の内に社長職を辞して代表権を持ったまま会長となり、その下に西木社長の忠実なる傀儡たる代表権を持った社長を置くつもりだ。
実際、管理本部長であるこの私に西木社長からそう言った相談事があった。
『そろそろボクも身を引こうと思うのだけど、代表権を持ったまま新たに会長職を創る事は可能か』と……。
代表権を持ったまま会長職に就く時点で、身を引く気なんて更々ない。
代表権を持たない名誉職である『ただの会長』に就任すれば、その瞬間、代表権を持った社長に噛みつかれ会社を追い出される可能性がある。
それを考えての代表権の確保。流石は西木社長だ。自分の事を大変よく理解されている。
おそらく西木社長の思惑はこうだ。
代表権を持った会長は、名目上、銀行や業界団体との会合に専念し、代表権を持った社長に経営を委ねる。対外的な会社の顔は、代表権を持った社長となる為、それ以降はもう業績を気にする必要はなくなる。
つまり、西木社長が会長職に就くまでの間、基幹系システムの再構築は行わず、経営権が移った段階で行うべきではないかと暗にそう言っているのだ。
西木社長の気持ちになって考えればよくわかる。
西木社長は自分の役員報酬を守る為、基幹系システムの再構築にかかる費用を計上したくないのだ。
費用を計上すれば当然、当期純損益に影響を与える。
万が一、赤字となれば目も当てられない。
だからこそ、私はその稟議書を否認した。
西木社長が首を縦に振らない以上、仕方のない事なのだ。
「い、今はそんな事を言っている場合じゃないでしょう! 田中君、今すぐに業者を呼んでくれ! 幾らかかっても構わないからすぐにサーバーを直すんだ!」
「は、はい!」
「皆さんは仕事に戻って下さい! 基幹系システムが止まってしまい、やる事がない人は電話対応をお願いします!」
そんな私に白い目を向けてくるシステム管理部の村越部長。
だが知った事ではない。
文句ばかり一流の使えない奴め。
ボーナス五十パーセントカットを覚悟しておけよ!
人事権を持つ私を舐めた報いはボーナスの査定で受けてもらう。
私が憤然とした態度で椅子に座ると、座った瞬間、内線がかかる。
「あーはいはい。石田です」
『ああ、石田君かね。ちょっと、社長室まで来てくれ』
「は、はい。すぐに向かいます」
『ああ、頼んだよ……』
ここにきて、西木社長からの内線。
このクソ忙しい時に……。
そんな事を思いながら、社長室のドアを叩く。
「お呼びでしょうか社長」
「ああ、石田君。そこにかけたまえ」
西木社長の言葉を聞き、私はソファに腰かける。
すると、西木社長もソファに座り、テーブルをオットマン代わりに、行儀悪く足を乗せた。
そして、ぐしゃぐしゃに握り潰した弁護士事務所からの封筒を私に向かって放る。
「こ、これは……」
封筒から中身を取り出すと、そこには『責任追及訴訟提起請求書』と書かれた数枚の紙が入っていた。
しかも代理人はあの高橋側につく出木杉とかいう弁護士だ。
「今朝ね。監査等委員の岡島君の下にこんな物が届いたそうなんだ。石田君。君はこの紙切れを読んでどう思う?」
どうも何もない。
そこに書かれているのは、とんでもない内容だった。
「か、株主代表訴訟……」
「ああ、そうだ。高橋の奴は態々、代理人まで立てて、このボクに株主代表訴訟を起こそうとしているらしい。なんでも、今回発覚した粉飾決算、そして株価暴落の責任を取れと、そんな馬鹿げた事が書いてあるんだこの紙切れには……! たった五株しか持たないゴミクズ風情がこんなものを送り付けてきて……。なんとかならんのかねっ!」
確かに、株主代表訴訟の要件は、一株以上の株式を六ヶ月以上保有している株主である事。しかし、たった五株しか持っていない株主がこの訴えを起こした事例を私は知らない。
しかも、これによるとこの書類が手元に届いてから会社が六十日訴訟を提起しない場合、株主が代表訴訟を提起する旨が書かれている。
その損害賠償請求額は五十億円。二十億の粉飾決算……つまり、この株主代表訴訟は会社の不祥事による株価下落の損害額を請求するというもの。
しかも、その損害賠償は西木社長個人に宛てられている。
株主代表訴訟は厄介だ。
一株しかなくても六ヶ月間保有しているだけで簡単に起こす事ができるし、費用も非常にリーズナブル。請求する金額がいくらであっても株主代表訴訟に係る手数料は一律一万三千円……。着手金四万円、成功報酬として賠償額の二十パーセントで請け負う弁護士事務所もある。
「……すぐに当社の考えをプレスリリースしましょう」
まだ第三者委員会の調査結果も出ていない。
それにその第三者委員会は西木社長が直々に選任した『問題会社の駆け込み寺』。
会社に不利な調査結果を出すとは考えられない。
とりあえず、今は代表取締役に対し任務懈怠に基づく責任追及の訴えを提起しないという内容のプレスリリースを出そう。
後の事は第三者委員会の結果が正式に出てから考えればいい。
「内容はそうですね……。当社としては、代表取締役に対し任務懈怠に基づく責任追及の訴えを提起する予定はないと……」
そこまで言いかけると、西木社長がテーブルを蹴り上げる。
「代表取締役に対し任務懈怠に基づく責任追及の訴えを提起する予定はない? そんなのはね……。当たり前の事じゃないか! 何を言っているんだ君は、まったく冗談じゃないよ!」
「も、申し訳ございません。それでは、その様に対処致します……」
西木社長の癇癪には困ったものだ……。
とりあえず、頭を下げて謝罪のポーズを取るとデスクに戻る為、立ち上がろうとする。すると、西木社長は憤然とした表情を浮かべ問いかけてきた。
「頼んだぞ? それにしても、高橋の奴はなんとかならんのか? こんな大それた事をしでかして……。彼はね。高橋の奴は、このボクの名誉を傷つける為にこんな物を送り付けてきたんだぞ? たかが五株しか持たない株主の分際でだ。悪意を持って不適当な訴訟を行おうとするなんてね。法廷を侮辱する行為だ。万死に値するよ!」
「まったく以って、その通りです」
西木社長がそれを言いますか……。とは口が裂けても言えない。
元々、会社の意向を反映した第三者委員会の調査報告書がなければ無理筋な裁判だし、この責任追及訴訟提起請求書に記載されている内容も概ね妥当。
とはいえ、西木社長がいなくなれば私の立場も危うい。
高橋の奴が素直にサンドバッグになってくれればすべて丸く収まるというのに……。
「だったらなんとかしろよ。株式を五株しか持たない奴が株主? 馬鹿を言うんじゃない。そんなのはね。株主なんて言わないよ。今の彼はね。悪質な総会屋だよ!」
「まったく以って、西木社長の仰る通りです……」
確かに、西木社長感覚でいえば悪質な総会屋みたいなものなのだろう。
素直に会社を辞めてくれたかと思えば、労務訴訟を起こし、西木社長の発案でこちらから裁判を起こせば応戦してくる。
労務訴訟に関しては完全に無理筋だ。
まだ西木社長に報告していないものの、満額の一千万円を支払う事でほぼ決まっている。
現在、高橋に対して起こした訴訟金額と相殺する形で交渉をしている最中だ。
会社の意向を反映した第三者委員会の調査報告書さえあれば、確実に裁判に勝てる。
どの道、二十億円なんて金を本気で回収できると思っていない。
その二十億円と労務訴訟の一千万円を相殺する。
そうすれば、高橋からの労務訴訟を有耶無耶にしつつ、こちらからの支払いは一切なく裁判を終わらせる事ができる。
とはいえ、現状、やれる事は何もない。
むしろ、こちらにはやらなければならない事が山の様に積み上がっている。
とりあえず、西木社長の返答は適当に『仰る通りです』とか言っておけば問題ない。
活火山の噴火と同じだ。怒りが治まるまで話を聞いておけば何とかなる。
問題は今だ。
高橋から責任追及訴訟提起請求書が送られてきたのは想定外だったが、今、ここでサーバーがダウンした事を西木社長に気取られるのは拙い。
西木社長の事だからサーバーがダウンしたと知られれば、まず確実に原因を追究される。ぶっちゃけ、今の私に対応する時間はまったくない。
そんな事に時間を使っている時間は本気でないのだ。
「それは高橋だけじゃないぞ? 会社の三十パーセントの株を持つ株主もね。なんでこんな粉飾決算が起こったのか経緯を説明しに来いと煩いんだ。たかが三十パーセントの株しか持たない株主がそのような要請をするのはいかがなものだろうか? そう思うだろ。石田君」
「ええっ!? 友愛商事からそんな連絡があったんですか!?」
アメイジング・コーポレーションの株式を三十パーセント取得している株主と言えば、西木社長をこの会社の社長として出向させてきた友愛商事以外あり得ない。
「ああ、まったく社長であるこのボクに説明しに来いだなんて失礼な奴等だよ。とりあえず、今週の金曜日に報告に行くから、それまでに資料を用意しておいてくれ」
「こ、今週の金曜日ですか!?」
今週の金曜日って、あ、明後日じゃないか!
「ああ、それじゃあ、よろしく頼んだよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
そう言うと、西木社長がしかめっ面を浮かべる。
「うん? なんだ。何か言いたい事でもあるのか?」
「じ、実は社長に報告がありまして……」
「うん? 報告?」
「はい。実は……」
こうなっては仕方がない。
腹を括ってパソコンが次々と壊れ業務に支障をきたしている事。そして、サーバーダウンしてしまい、資料を作る為のデータが取り出せなくなってしまった事を報告する。
すると、西木社長は見る見るうちに顔を紅潮させ怒鳴り声を上げた。
「何をやっているんだ、君は! パソコンが壊れて仕事になりません? サーバーがダウンしました? 馬鹿な事を言ってるんじゃないよ!」
「も、申し訳ございません!」
私が頭を下げて謝罪すると、西木社長はため息を吐く。
「それで、どうするんだ? 友愛商事への報告は今週の金曜日なんだぞ? パソコンが壊れ、サーバーがダウンしたから報告できませんなんて言える訳がないだろ! 何とかしろよ!」
「そ、そう言われましても……」
『何とかしろよ』なんてそんな無茶言われても困る。
そもそもパソコンが壊れる理由もサーバーがダウンした理由もわからないのだ。
とはいえ、西木社長に話は通じない。
「それでもやるしかないだろ。何の為に高い給料払ってると思っているんだ。今週の金曜日、午前十時に友愛商事の本社に向かうからな。それまでに報告書を纏めておけよ」
それだけ言うと、もう話は終わったと言わんばかりに、新聞を広げた。
「は、はい……わかりました」
そう呟くと社長室を後にし、デスクに戻る。
「ど、どうすればいい……私はどうすれば……」
高橋との訴訟問題。第三者委員会。金融庁に東京証券取引所、そして監査法人対応。サーバーダウンに、偽造証拠の作成、あと友愛商事への説明……。
やる事が多すぎてキャパオーバー。
デスクに戻った私は、あまりの問題ごとの多さに頭を抱えた。
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