第104話 馬鹿じゃないだろうか?
「はあっ……。疲れた……うん?」
二日間をゲーム内で過ごし、これ以上部屋を空けるのは拙いと特別個室に戻ってくると、直後に部屋備え付けの電話が鳴る。
電話に視線を向けると、コンシェルジュからの内線のようだ。
恐る恐る電話に出ると、コンシェルジュがため息を吐く声が聞こえてきた。
『はぁ……』
も、ものすごく深いため息だ。
もしかしたら、この二日間の間、この部屋に内線をかけていたのかもしれない。
「はい。高橋ですけど……」
そう言って電話に出ると、コンシェルジュがグッタリとした声音で話し始める。
『よ、ようやく電話に出て! 今まで一体どちらに……!? い、いえ、失礼致しました。高橋様宛に野梅法律相談事務所から内容証明郵便が届いております』
「内容証明郵便?」
しかも、野梅法律相談事務所って、あのカツアゲ高校生達の国選弁護人を名乗っていたあの弁護士から?
もしかして、労務訴訟の件で何か進展でもあったのだろうか?
しかし、労務訴訟の件は、すべて出木杉法律事務所に任せてある。進展があったなら出木杉法律事務所から連絡がないとおかしい。
それに出来杉弁護士は早ければ一週間、遅くとも三ヶ月以内に話が纏まると言っていた。
あれからまだ二ヶ月ちょっと、本件についてゴネにゴネまくるであろう事が予想されるアメイジング・コーポレーション㈱を相手に、話を纏めるのは幾ら出木杉弁護士が有能だとしても難しいと思う。
という事は、アメイジング・コーポレーション㈱からの逆訴訟だろうか?
……あり得そうな話だ。
アメイジング・コーポレーション㈱の社長はとにかく意地が悪い。
それこそ、自分が在籍していた時だけでも数回、会社を辞めた社員の退職金支払いを『あんな奴に絶対に支払うなよ!』という社長の一言で勝手に止めたり、会社を辞めた役員が株主総会に来た時なんかは、株主総会後、笑顔で社長室に呼び出し、ほぼ自分のパワハラが問題で起こった不祥事にも拘らず、訴訟をしない代わりに和解金として五百万円を支払わせていた事もある。
アメイジング・コーポレーション㈱で働く社員の共通認識として、アメイジング・コーポレーション㈱を辞めたら絶対に電話に出ない。電話に出たら面倒事に巻き込まれる。これが絶対常識だ(まあ、俺の場合、電話に出てしまった訳だけど……)。
とりあえず、内容証明郵便が来てしまった以上、仕方がない。何か対策を打たなければ……。
そう言えば、以前、西木社長と石田管理本部長が協力業者との取引を打ち切った際、その協力会社に下請法違反で訴えられそうになって、どうやって潰すか話し合っていたっけ?
あの時は何だったかな?
確か、弁護士報酬は弁護士会の旧報酬会規を使用しているから、多くの金額を吹っ掛ければ弁護士報酬の算定基準となる『経済的利益』が上がって普通の取引先では弁護士の着手金すら支払う事ができず、こっちに有利な条件で示談に持ち込む又は、訴訟自体を無くす事ができるとか言ってたような……。
なんだか懐かしいな。
その話を聞いて西木社長、言っていた。
『あの生意気な協力業者の社長には路頭に迷って貰わなきゃいけない』とか『破産して貰わなきゃこっちの気が収まらない』とか何だか……。
その時、思ったね。悪辣だなって。
裁判をするにもお金がかかるだろうに、『経済的利益』の金額が上がれば上がるほど、弁護士に支払わなければならない成功報酬が高くなるとわからないものだろうか?
つくづく自分の気持ちを晴らす事しか考えていない経営者である。
株主の事なんて微塵も考えていない。正直思うよ。八十を超えたお爺さんが社長として居座る上場会社はどうかって……。特に社長を退任するとか言っておいて、社長と共に代表権のある会長職に新しく就任するケースなど最悪だ。
もちろん、そうじゃない会社もあるだろうけど、そこら辺になってくると、もはや、自分が社長職に居座っている間、黒字だったらいいやって感じになると思うだろう経営者が続出する。現に俺が勤めていた会社、そんな感じだったし……。
そんなアメイジング・コーポレーション㈱から届いた内容証明郵便。
なんだか拙い気がしてきた。
「こちらが高橋様に届いた内容証明郵便にございます」
いつの間にか目の前にいたコンシェルジュから内容証明郵便を受け取ると、俺は中身を見て絶句する。
「い、いかが致しましたか?」
「い、いや……」
案の定である。
これは完全に、アメイジング・コーポレーション㈱のお家芸。
株主の利益の事を一切考えず、社長自身の鬱憤を晴らす事だけを最優先に求めた訴訟案件。パッと見た感じ、言いがかりとしか思えない内容の訴状が、内容証明郵便に入っていた。
その訴訟金額は……。
「に、二十億円っ……」
途方もない金額だ。普通に会社員として過ごしていた時の俺からすれば……。
しかし、今は違う。出そうと思えば出せてしまう金額だと思ってしまう位、金銭感覚が狂ってしまっている事に気付く。
……嫌な事に気付いてしまった。いや、今は置いておこう。問題は訴状の内容だ。
訴状にはこう書かれていた。
◆――――――――――――――――――◆
訴状
東京地方裁判所御中
原告ら訴訟代理人弁護士 野梅 八屋
原告 アメイジング・コーポレーション株式会社
西木 秋秀
被告 高橋 翔
損害賠償請求事件
訴訟物の価格 二十億円
ちょう用印紙額 五十万二千円
第一 請求の趣旨
一 被告は、アメイジング・コーポレーション株式会社に対し、二十億円及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え
二 訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求める。
第二 請求の原因
一 本件不法行為
当時、原告の下で経理業務に従事していた被告は、和歌山工場で行われていた十億円に及ぶ不適切な会計処理又、協力業者に対する十億円もの不正流出を知る立場にありながら必要な報告を意図的に行わず隠し続けた。この一連の行為は、不法行為をこうするものといわざるを得ない(以下「本件不法行為」という)。したがって、被告は、本件不法行為により原告が被った損害を賠償しなければならない。
二 原告の損害
原告アメイジング・コーポレーション株式会社は、本件不法行為により、以下のとおり二十億円の損害を被った。
よって、原告アメイジング・コーポレーション株式会社は、被告に対し二十億円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
◆――――――――――――――――――◆
難しい言い回しで長々と書いてあるが、簡単に言えば、二十億円損した責任を問う。お前のせいだ。二十億円払えと、そういう事である。
アホらしい。よくもまあ、こんな訳の分からない訴状を裁判所に提出したものだ。恥ずかしくないのだろうか?
書いてある事が無茶苦茶である。
そういえば、あの会社の社外取締役に野梅とかいう偉そうな弁護士先生がいた。もしかしたらその社外取締役の発案かも知れない。
この訴状に書いてある名前を見て見ると野梅八屋と書いてある。野梅社外取締役の関係者だろうか?
俺が思うに、きっと、西木社長と石田管理本部長の圧力に負けて、泣く泣く訴状提出に踏み切ったのだろう。
しかし、凄いな。弁護士資格を保持している人がこんな訳の分からない裁判に手を貸すなんて……。もしかして、野梅法律相談事務所……それほどまでに経営がヤバいのだろうか?
だとしたら、あり得る話である。弁護士報酬は、『経済的利益』が高ければ高いほど高額になる。きっと、この野梅とかいう藪弁護士も弁護士報酬欲しさにこんな支離滅裂で訳の分からない裁判に手を貸したのだろう。
最近、上場企業の不祥事並に弁護士の不祥事多いからな……。
きっと、この野梅弁護士も不退転の覚悟でこの裁判に挑んでいるのだろう。
そうじゃなきゃ、あり得ない内容の裁判だ。
なにせ、訴状に書かれているのは、経理部にいたんだからお前は粉飾決算を知る立場にあった。なのに粉飾決算に気付かなかった。だから二十億円を請求するとそういう事である。
経理部とは、そもそも全知全能なすべてを知る立場にある部署のだろうか?
いや違う。一番情報が集まるのは取締役の元であり、その当事者達である。当然、今回の件も責任を取るべきなのは、その当事者であって、それを気付かなかった俺ではない。万が一、経理部を訴える場合、管理職が訴えられるのであればいざ知らず、気付かなかったからとかいう訳の分からない理由で一般社員が訴えられるのは、ある意味初の試みなのではないだろうか。
よく問題を起こした部署や、問題を起こした工場を管轄する取締役・工場長が自分のミスや不祥事を棚に上げ、『確かに営業部・工場に問題があった。しかし、管理する側の管理部門、特に経理部にも問題があると認識している』と戯言を抜かす馬鹿が多いが、明らかに問題なのはその部署を管轄している取締役と工場長である。
そいつらは経理がなんでも知っている立場にあると思っているのだろうか?
経理部が気を付ければ、なんでも問題が解決すると思っているのだろうか?
馬鹿じゃないのだろうか?
改めて、正直、アメイジング・コーポレーション㈱の経理部に所属していた身からすれば、『馬鹿じゃないの?』としか思えない。
その取締役や工場長は、内部統制という言葉を知らないのだろうか?
内部統制とは、企業不祥事を防ぎ、業務の適性を確保する為の、社内体制。そして、その社内体制が義務付けられているのは、大企業や上場企業だけである。
業務の適正を確保する為の体制が構築されているからの内部統制制度であり、監査である。その体勢が整えられないのであれば上場会社でいる事を辞めた方がいい。
ぶっちゃけ、監査報酬と東京証券取引所、そこに提出する決算短信や有価証券報告書、招集通知の作成をお金をかけてやるだけ無駄である。
つまり、何が言いたいかといえば、この裁判は、粉飾決算を防ぐ事ができなかった取締役達の責任を退職した俺にすべて被せるもので、取締役としての責任感のまるでない人達がヒステリックに騒いでる言わば、取締役受難のこの時代に、責任追及から引責辞任はする事が嫌なアメイジング・コーポレーション㈱の取締役達が起こしたトンデモ裁判。
その事に思い至った俺は、目頭に眉を寄せた。
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