第99話 翔を貶める上場企業の企み

「本当に……本当によろしいのですね?」

「ええ、もちろんです。十億の粉飾決算と十億の資金流用が監査法人に知られてしまった今、この件がそのまま世間に明るみになると株主から株主代表訴訟を起こされる可能性があります。先生の協力で高橋にすべての責任を押し付けられるのであれば、それに越した事はありません」


 そもそも、この訴訟は勝訴確定の裁判。

 高橋の住んでいたマンションは幸運な事に燃え、仮住まいしている場所に郵便物が届くとは思えない。


 そんな最低発言をすると、私はニヤリと笑う。


 それに、ぶっちゃけ、今回の不祥事に高橋はまったく関係ない。

 経理の立場だから知っていた筈だとか何とか詭弁に詭弁を重ねているが、そんな馬鹿げた事を本気で信じているのは誰もいない。

 西木社長も都合のいいスケープゴーストが目の前にいたから、すべての責任を高橋に押し付けたに過ぎない……のだろうと思う。


 ま、まあ、どちらにせよ私には関係ない。

 この会社を去っていった者が、その後、どうなろうと知った事ではないのだ。

 むしろ、労務訴訟なんて外聞の悪いものを起こされ憤慨している位である。


「それで、これから会社に戻って稟議を上げねばならないのですが、請求書の見積もりを頂けますか? 一応、会社の規程に基づいた処理をしなければならないのでね」


 そう。当社の規程では、裁判を行う際、その裁判を行う事で会社に与える影響額を稟議という形で報告しなければならない。

 まあ、野梅先生は当社の顧問弁護士。父君も社外取締役だ。この事から、間違いなく当社に寄り添った価格設定で弁護士費用の請求をしてくれる筈……。


「それでは、こちらをどうぞ……」

「はい。ありがとうございます。何々、着手金五千万円、成功報酬九千万円、合計一億四千万円……」


 野梅から受け取った請求書の見積もり、それを口にした私は絶句してしまう。


 い、一億四千万円。


 あまりに大きいその金額に、私は思わず宙を仰いだ。


「あ、あの……この金額は……」


 そう呟くと、野梅は淡々とした表情で述べる。


「当事務所の報酬は弁護士会の旧報酬会規に基づいて計算しております。弁護士費用は現在自由化されておりますが、多くの弁護士が弁護士会の旧報酬会規を使用している現状と訴訟リスクを踏まえ、その金額を算定させて頂きました」

「し、しかし、この金額はいくら何でも……」


 あまりにも高過ぎる。

 弁護士費用が自由化されているなら尚更だ。

 そもそもこの訴訟の趣旨は、西木社長が訴えられる事……つまり、粉飾決算をめぐる経営陣への損害賠償請求(株主代表訴訟)を避け、すべての責任を辞職し住所不定となった高橋に負わせようというもの。


 粉飾決算十億円と協力会社に対する資金流出金額十億円、合計二十億円の損害賠償金額という形で請求するが、そんな大金、高橋に支払える筈もなく最初から回収は見込んでいない。この裁判は最初から株主に対するパフォーマンス。そして、西木社長の溜飲を高橋が自己破産する事で抑える。そういった意味合いのものだ。

それなのに、まさか、こんな高く付くとは……。


「ち、ちょっと、待って下さい。社長の意向を聞いてみます」


 私は慌てて、西木社長に電話する。

 すると、電話して十コール目で西木社長が出た。


『西木だ』

「ああ、西木社長。私です。石田です」

『おお、石田君か。そういえば、君は裁判の件で野梅君の所に行っているんだったな。それで、野梅君とは話がついたかね』

「実はその件で、報告する事がありまして……」


 野梅に提示された弁護士費用を告げると、西木社長はため息を吐く。


『何を馬鹿な事を言っているんだね。君は……』


 西木社長も弁護士報酬のあまりの高さに声もないようだ。

 最近、税務調査が入っていない為か、会社の金遣いが荒く、ここ数年、毎年約二千万円ほど会社の金を自分の財布代わりに会議費・交際費名目でゴルフや飲食をしまくる西木社長だから心配だったが、まともな金銭感覚を持っていてよかった。


「そ、そうですよね。それでは……」


 野梅に弁護士報酬を再提示してもらうよう言いつけます。

 そう発言しようとすると、西木は――


『……万が一、この訴訟を提起せず株主代表訴訟をされた時、ボクに請求される金額は二十億円。もしかしたら、この粉飾決算を開示する事で株価が下がり、その下落分を株主が請求してくるかもしれないんだよ。高々、損害賠償金額の十分の一じゃないか、一億四千万円位支払ってやれよ。ここで弁護士費用をケチって、高橋にすべての責任を押し付ける事ができなかったら、ボクは身の破滅だよ。冗談じゃなく』


 ――と、まさかの肯定的発言。これには私も頭を抱えてしまう。


「で、ですが、弁護士報酬として一億四千万円を支払うという事は、今期、それだけの費用を発生させるという事で……」


 そう懸念事項を伝えると、西木社長はため息を吐く。


『そんな事はわかっている。君な、協力会社に対する資金流用についてはともかく、粉飾決算の金額は十億なんだぞ? 顧問弁護士である野梅君に一億四千万円支払った所でどの道、今期は赤字だ。内部留保は潤沢。たった一期赤字になった所で問題ないだろう』

「な、なるほど……」


 そういう見方もできるのか……って、駄目でしょう。

 一瞬、納得しかけてしまったけど、どう考えても駄目でしょう。何を考えているんだこの社長。


 当社は仮にも上場企業。

 建前としては、株主や利害関係者の為に最大限の利益をもたらす事を社是としている。その社是に反目するような行動は流石に駄目でしょう。


 ――と、そんな感じの事が一瞬頭に過ったものの、よく考えたら西木社長が口にする社是は、あくまで口だけ。

 ただ社員を叱り飛ばし、会議費・交際費名目で美味しい物を毎日食べ、毎週土曜日は経費でゴルフ三昧。株主に還元する配当金より高い役員報酬を貰っている。それだけの人だった。


 何が言いたいのかといえば、この人にそんな高尚な事を言っても無駄という事だ。

 株主の事なんて株主総会の日お土産目的でやってくる物乞いか面倒なクレーマー程度にしか思っていない。


「……それもそうですね」

『うむ。もし資金繰りや役員報酬、配当金の原資に困るような事があれば、その分、不甲斐ない営業の賞与を減らせばいい。まあ、冗談だがね』


 冗談と言いつつ、実際にやった事のある冗談を宣う西木社長。

 流石である。社員の事なんて都合のいい奴隷位にしか思っていない。


 まあ、そんな事は口が裂けても言えないが……。


『そんな事よりも、野梅君にちゃんと支払っておけよ。野梅君にはちゃんと働いてもらわなきゃならんのだからな』

「は、はい」


 そう言うと同時に電話が切れた。

 なんだかハシゴを外されたかのような気分だ。

 しかし、西木社長が払えと言うのだから仕方がない。


「……それで、西木社長はなんと?」

「え、ええ、問題ないそうです。先程は失礼いたしました」

「いえいえ、金額が金額ですから慎重になる気持ちはとてもよくわかります」


 そう呟くと、何故か野梅が額の汗を拭った。


 ◇◆◇


 私こと野梅は今、危機に陥っている。

 あのアメイジング・コーポレーションが、まさか本当に一億四千万円もの弁護士報酬を払うと言ってくるとは思いもしなかったからだ。

 平成十六年に弁護士報酬は自由化されている。

 あれから二十年近く経つが、未だ、多くの弁護士事務所が弁護士会の旧報酬会規に基づいて弁護士報酬を計算しているのも事実。


 一億四千万円もの弁護士費用を請求すれば、他の弁護士事務所と相見積もりを取る事になり絶対にそちら側へと流れていくものだと考えていた。

 しかし、その認識は甘かったようだ。

 親がアメイジング・コーポレーションの社外取締役だとしても、事務所の規定に従い請求した弁護士報酬を蹴られたのであれば、まだ収まりはつく。

 そう考え、ほんの少し気持ち多めに見積書を出したというのに……。


 まさかの全肯定……。

 むしろ、西木社長からちゃんと払えよとの援護射撃付である。


 こんな事なら、弁護士報酬を盛りに盛っておけばよかった。

 この案件、正直、一億四千万円では割に合わない。


 弁護士報酬が何故、こうも高いのか、それには理由がある。

 まず一つは、訴訟案件の解決期間が長い事。

 訴訟案件になってしまうと、事件解決までに半年単位の時間がかかってしまう。

 万が一、敗訴とでもなれば当然、成功報酬を請求する事ができなくなってしまう為だ。

 つまりは、その分、タダ働き……。あまりに不合理である。


 二つ目が、勝訴したからといって、それで終わりとは限らないという点。

 以前、裁判で勝訴した後、敗訴した側の人間が事務所の前で『悪徳弁護士は消えろ!』といった騒ぎを起こされた事がある。

 その際には、相当な風評被害を受けたものだ。

 中々、認めようとしない旦那側の浮気を裁判で明らかにし、慰謝料を貰っただけなのにである。


 三つ目が、弁護士会への会費。

 弁護士として仕事をする為には弁護士会へ登録しなければならず、必ず会費を支払わなければならない点。

 会費は会ごとに定められているものの月三万円から多い所では八万円も会費を取られたりもする。

 会費は無料法律相談など市民の為に活用されているというが、弁護士会のコスト削減意識が国会議員や地方議員並に無さ過ぎる。

 いつになったら自由と正義や会報誌が電子化されるのだろうか?

 態々、本にして郵送して、どれだけ無駄なコストをかければ気が済むのだろうか?

 正直、ホームページに掲載して、会員には毎月メールで告知する事で足りる様な気がするし、これだけ費用をかけておこなうという事自体、上層部が印刷会社と癒着しているのではないかと勘繰ってしまう位だ。


 そして最後に、事務所の家賃、その他諸経費。

 経営するにも金がかかる。

 弁護士事務所を経営していると、西木社長のようにデリカシーの欠片もない社長が、『弁護士業はさぞかし儲けているのでしょう』とか『時給五万円ですか。いいですなぁ』的な発言をしてくるがそれは間違いである。

 弁護士事務所とはいえ、資金繰りに困れば、他の企業同様に破産する。


 彼等は私達弁護士が、楽して金を稼いでいるとでも思っているのだろうか?

 実際、経営している方々に言いたくはないが、敢えて口を大きく開き言ってやりたい。

 経営舐めんじゃねーぞと……。

 こっちは楽して金を稼いでいるんじゃないんだよ。

 とはいえ、一度、提示してしまった金額を、今更、取り下げる訳にもいかない。


「あ、後の事は、私共にお任せ下さい……」


 一億四千万円という弁護士報酬を払うと言われた私はこう返答する以外なかった。

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