第98話 臨床研究の薦め(当然、断る!)
「な、何故です? あなたの協力があれば、多くの人を救う事のできる薬ができるかもしれないんですよ……?」
「いや、そんな事を言われても……。既に三日間もここに閉じ込められている訳で、俺ってそんなに暇に見えます? これでも結構忙しいんですよ?」
そう。俺は忙しい。自由に好き勝手な事をしている様に見えるだろうが、ゲーム世界にログインしたり、酒を呑みに居酒屋に行ったり、元職場に対して労務裁判を起こしたりと本当に忙しいのだ。
急がし過ぎて目が回る。
すると、今度は担当医が俺の脚に縋り付いてくる。
「お、お願いしますぅ! どうか臨床研究に協力して下さいっ! 生体試料を……生体試料を採取させて頂くだけで構いませんからぁぁぁぁ!」
「いや、必死かっ!? つーか、生体試料って何それっ?」
「血液等、人から取れる検体の事ですぅぅぅぅ!」
「怖っ!? 何で俺がそんな事をしなきゃいけないんだよ!? この三日間、散々、血液採取しただろっ!? それを使えよ!」
「既に使っています!」
既に使っているのか……。
そう言えば検査する際、同意書的な紙にサインした覚えがあるな……『通常の診療で得られた試料、情報を使⽤する臨床研究においては、患者さまの承諾なく、使⽤させていただくことがあります』的な事が書かれた書類に……。
まあ、同意書にサインしたのは俺だし、それについてはまあいいか。
「しかし、まだまだ足りないのです……」
「いや、そんな事を言われても……」
研究のモルモットになるのはご免である。
「そ、それに今、退院しては大変な事になりますよ!」
「えっ? 大変な事?」
大変な事とは、何だろうか?
担当医は俺の脚に縋るのを止め、床に落としたカルテを拾うとゆっくり立ち上がる。
「……この特別個室はロック式の自動ドアで入棟管理されている為、知らないかもしれませんが、病院の前にマスコミが大勢押し掛けております」
「ええっ!? な、何でそんな事にっ!?」
「当たり前でしょう。新橋駅近くで起きた殺人未遂事件。それだけでも大事なのに、それが先に報道された高校生による強盗致傷事件の親による怨恨が原因の殺人未遂事件ともなれば、マスコミも騒ぎますよ!」
「そ、それもそうか……」
言われてみればその通りだ。
実にマスコミが飛び付きそうな案件である。
「それだけではありません。ナイフで刺された筈の張本人がピンピンしているのです。なんで刺された筈の張本人がピンピンしているのか、そりゃあもう気になりますよ。現状を把握されていますか? マスコミだけではなく、ユーチューバーまで病院の前に張っているんですよ?」
「そ、そうなんですか……」
し、知らなかった……。
まさかそんな事になっていようとは……。
しかし、なんでまたユーチューバーまで……。
そんな事を考えていると、担当医が地面に両手を付いて懇願する。
「どの道、しばらくの間、当院から出る事ができないのです。本来であれば、こんな面倒な患者、早々に追い出している所……。今日だって、マスコミや近隣の方からの電話や高橋様との面会依頼が殺到しているのです。動画配信サイトやニュースを見るに高橋様の身体もしくはその持ち物に何か秘密があるのは明白! ですので臨床研究に協力して下さい。もしくは……本当にあればの話ですが、研究用に回復薬を提供して下さい! お願いします!」
「お、おう……」
な、なんて正直な医者なんだ……。
こう開き直られると返って清々しいとすら思ってしまう。
しかし、検査で使う以外に生体試料を提供するのは何か嫌だな……。
『研究に使わせて貰ってます!』と豪語されながら、血液を提供するのは何か嫌だ。それが薬になるかもしれないとなれば尚更だ。
仕方がない……。
「……それじゃあ、取引といきましょう」
そう言って、アイテムストレージから中級回復薬を一本取り出す。
「……取引とは?」
そう担当医が怪訝な表情を浮かべるが関係ない。
「俺が使った回復薬が欲しいのでしょう? なら差し上げますよ。回復薬を一本。それを研究用としてね」
「ほ、本当かねっ!」
「ええっ……。ただし、回復薬を提供する代わりに条件が……この部屋に無料で住まわせて下さい」
そう要求すると、担当医は唖然とした表情を浮かべる。
「そ、そんな事でいいのですか?」
その言葉に俺は茫然とした表情を浮かべる。
いや、この病室、一日辺り結構良い値段するだろっ……。
も、もしかして要求が安すぎた?
「そ、それじゃあ、用がある時は俺から呼ぶから身の周りも世話も……」
「え、ええっ、もちろんです。この部屋には専属のコンシェルジュがついておりますので、御用がある際には、遠慮なく申し付け下さい。高橋様が快適に過ごせるよう住所変更の手続きから郵便局に対する転居届。その他、ありとあらゆる事象に対応させて頂きます」
「えっ? ああ、そうなの?」
ま、まあ、こちら側としては万々歳である。
「それじゃあ、念の為、契約を結びましょうか」
そう言って、目の前で課金アイテム『契約書』に必要条項を書き込むと、担当医に手渡した。
「これは?」
「これを渡した瞬間、追い出されても困りますから、念の為の契約書ですよ」
そう回復薬を渡した数日後、用済みとばかりに追い出されては困る。
まあ回復薬を渡した所で、簡単に再現する事ができないだろうと思うけど、一応、念の為だ。
俺は欲張りではない。
とりあえず、二年更新という事にしておいた。
「ふむ。なるほど……」
そう言って、内容を確認すると担当医は契約書に署名する。
「私と致しましては、まったく問題ありません。どうぞこちらを……」
「ああ、ありがとう。それでは、これを……」
契約書を受け取ると、俺は回復薬を担当医に手渡した。
担当医は震える手で回復薬を受け取ると、喜色の表情を浮かべる。
「あ、ありがとうございます! これがニュースや番組投稿サイトで話題となっている回復薬……。しかし、高橋様はこの回復薬をどこで……」
「残念ながら企業秘密です。ああ、一つ言い忘れていましたが、これ以降は有料となります。回復薬には、初級・中級・上級があり、今、渡した回復薬は中級回復薬。購入は月一本づつまで、お値段は初級が十万円、中級が百万円、上級が一千万円となります。支払いはこちらの口座にお願いしますね。何か質問はありますか?」
そう言うと、担当医は目を剥いて話に喰い付いてくる。
「つ、月一本までですか……。そこをなんとか、月百本、いや十本づつにして頂く事には……」
「残念ながらできません」
金額が金額だから大丈夫だとは思うけど、何十、何百本と要求されては面倒だ。
「そ、そうですか……。そ、それでは、初級・中級・上級回復薬の違いを教えて下さい! どの程度の回復力を持つのか事前に知っておきたいのです」
「どの程度の回復力を持つのか、ですか……」
説明が難しいな……。
「えっと、説明文によると、初級が三割、中級が六割、上級が十割、HPが回復する見たいです。まあ、その辺りの検証は臨床研究を進める中でやって見て下さい」
ぶっちゃけ、HPケージのない世界となってしまったゲーム世界でも、それぞれがどの程度の回復力を持つのか明確に試した事はない。
「わ、わかりました……。それでは早速、初級・中級・上級回復薬を一本づつ購入させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
対価を払ってくれるなら、俺から言う事は何もない。
回復薬を存分に研究し、この世界に医療革命を起こして欲しい。
アイテムストレージから回復薬を取り出すと、担当医に手渡す。
「あ、ありがとうございます! 本日中に支払いを終えさせて頂きますね! それでは私はこれで……」
そう言うと、担当医は回復薬を抱え特別室から出て行ってしまう。
早く研究したくて仕方がないようだ。
まあ、その気持ちは研究者ではない俺にはよくわからないものだけど……。
「さてと……」
何はともあれ、回復薬一つで特別個室に住む権利とマスコミやユーチューバー・近隣住民からの防波堤をゲットする事ができた。俺としても万々歳である。
まあ、俺の個人情報を流した奴は絶対に許さないけれども。
「……三日ぶりにゲーム世界へログインするか」
この三日間、いつ担当医が部屋に入ってくるかわからなかったから、全然、ログインする事ができなかった。
しかし、あの担当医の様子を見るに当分の間、留守にしても問題はなさそうだ。
電話の内線でコンシェルジュに当分の間、部屋に入ってこないよう伝えると、部屋の鍵を閉め、ベッドに横になる。
そして、「――コネクト『Different World』」と呟くと、三日ぶりにゲーム世界にログインした。
◇◆◇
高橋翔がゲーム世界にログインしている頃、野梅法律相談事務所では――
「ほ、本当にいいんですね? この訴状を裁判所に提出したらもう後に引く事はできませんよ?」
アメイジング・コーポレーション㈱の顧問弁護士を務める野梅が石田管理本部長に対し最終確認を行っていた。
「ええ、こちらには高橋が使っていたパソコンがあります。問題ありませんよ」
既に何度となく社長室に呼ばれ、西木社長からせっつかれている。
それだけではない。十億円の粉飾決算と協力業者への資金流用が監査法人に伝わり、その監査法人から不適切な会計処理を明らかにすると共に、当社と利害関係を有さない外部の専門家で構成される第三者委員会の設置を求められてしまった。
いや、少し違うな……。
監査法人からは調査委員会の進捗状況を知る事ができるよう外部の専門家を構成員に含む調査委員会を設置するよう求められたが、西木社長の強いこだわりにより何故か、完全部外者で構成される第三者委員会を設置する事となってしまったのだ……。
こうなっては、もう後には引けない。
監査法人から無限定適正意見を貰う為にも、株主代表訴訟に発展しない様にする為にもすべての責任は会社を辞めた高橋にある事にしなければならないのだ。
それに高橋のパソコンがあれば、いくらでも証拠は捏造できる。
自信満々の表情でそう告げると、野梅はどこか諦めたかのような表情を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます