第16話 契約書による確実な履行

 課金アイテム『契約書』。

 これは、プレイヤー間のアイテムトレード時、条件の履行を確実にさせるアイテムだ。

 このアイテムは、契約書の『甲』『乙』欄にプレイヤー名と、履行条件の記入をする事で初めて効果を発揮する課金アイテム。


 俺はラディッシュの目の前に『契約書』を置く。


「な、なんですか? この紙は……」


 うん?

 なんだこいつ、まさか『契約書』を知らないのか??

 まあいいか。とりあえず、話を進めよう。


「これは『契約書』だ」

「け、契約書?」

「ああ、お前にはこれから、この契約書にサインをして貰う」


 そう言うと、ラディッシュは契約書を手に取り、書かれている履行条件に目を通していく。


「こ、これは……!?」


 ラディッシュが驚くのも無理はない。

 そこには、こいつが放火したボロ宿の建て直し、補償金の支払い。

 そして、それが履行されなかった時の条件が書かれていた。


「もしお前がこの契約書に今、この場でサインするなら、今日の所は引き上げてやるがどうする?」


 バズーカを向けながらそう問いかけると、少しだけラディッシュの目に希望が宿ったのを感じた。

 多分、こいつにとって都合の良い事を頭の中で思い浮かべているのだろう。


 先程の反応から、課金アイテム『契約書』がどのような効果を持っているのか、こいつは知らない様だった。こちらとしても都合の良い展開だ。


「こ、この契約書にサインをすれば、帰って頂けるのですね?」

「もちろん、約束は守る。その契約書にサインをしてくれればいい。でもちゃんと確認してからサインしろよ?」

「そうですか……」


 ラディッシュはそう呟くと、笑みを浮かべながら契約書にサインする。


「こ、これでいいだろっ! それじゃあ、もう帰ってくれっ!」

「ああ、ありがとう。それじゃあ、履行条件を確認させて貰おうかな」

「り、履行条件の確認だと!?」


 俺に脅されている間は敬語だったのに、契約書にサインをすればすぐに帰って貰えると思ったのか、少し乱暴な言葉遣いに戻っている。


 それにしても、今の反応……。こいつ、ちゃんと履行条件を確認したのだろうか?

 自分で書いておいてなんだけど、結構、無茶な事を書いた気がしたんだけど……。


 ドア・イン・ザ・フェイスという、最初に「大きな要求」をし、断られたあとで、本命の「小さな要求」をする予定が、「大きな要求」がそのまま通ってしまい少々、困惑している。


「ああ、後で難癖を付けられても困るからね。今、ちゃんと確認しておかないと。最も、契約は済んでしまっているから、ちゃんと、履行して貰うけどね。それじゃあ、読み上げるよ」


 そう言うと、ラディッシュはゴクリと唾を飲み込んだ。

 こいつ、どうやら本当に、早く帰って欲しい一心で、何も考えず契約書にサインをした様だ。


「まず一つ目、放火されたボロ宿の建て直しを一週間以内に行う事。建物に不備があった場合、履行義務違反として、甲プレイヤー名、カケルに対し、乙プレイヤー名、ラディッシュは己の持つ負債を除く資産全てを譲渡する」

「な、なにっ!? そんな事、無理に決まっているだろっ!」


 この反応、どうやら本当に契約書の内容を見ていなかった様だ。

 ラディッシュが契約書に目を通していた時に言った「こ、これは……!?」という言葉は何だったのだろうか?

 もしかして、条件反射で言っちゃただけ?

 まあいい。


「まあまあ、まだ一つ目の条件を申し上げただけですから。それでは、二つ目の条件を申し上げますね」


 契約書に目を通すと、二つ目の履行条件を読み上げていく。


「二つ目の履行条件は、建物の建設が終わるまでの期間、補償金として一日当たり一千万コルを支払う事。なお、支払いに応じない場合、履行義務違反として、甲プレイヤー名、カケルに対し、乙プレイヤー名、ラディッシュは己の持つ負債を除く資産全てを譲渡する」

「ふ、ふざけるなぁぁぁぁ! そんな契約あっていい訳ないだろっ!!」


 いや、正直俺もそう思う。

 でも、契約書を碌に読まずサインしたのはお前だし、そもそもボロ宿を放火しなければ、こんな事にはならなかった。

 自業自得だと思うし、やり過ぎだとは思わない。

 むしろ、安易な考えで放火する奴なんて、この世からいなくなればいいとすら思っている。


「まあまあ、サインしたのはあなたですから。それじゃあ、とりあえず、補償金として一千万コル支払って頂けますか?」

「ふ、ふざけるなぁぁぁぁ! こんなの、こんなの契約は無効だっ! こんな契約書があるからいけないんだっ!」


 契約書を見せつける様に前に出していたのが悪かったのか、ラディッシュは怒り狂いながら、契約書を奪い取ると、そのまま破り捨てた。


 その瞬間、頭の中に『ビー! ビー!』と警告音が鳴り響く。


「な、なんだっ!?」


 突然、鳴り響く警告音にラディッシュは顔を歪める。

 その一方で、俺は深い笑みを浮かべた。


「あーあ、やっちゃたな」


 一度『契約書』で結んだ契約を取り消す場合、課金アイテム『契約取消通知書』を使い取り消す必要がある。しかし、ラディッシュは、その手順を無視し、契約書を破り捨ててしまった。


「ど、どういう事だ!」

「うん? それはだね。こういう事さ」


 そう呟くと、俺とラディッシュの視界にウインドウが開き、そこに文字が表示される。


『乙プレイヤー名、ラディッシュが、甲プレイヤー名、カケルとの『契約書』を一方的に破棄しました。履行義務違反として、甲プレイヤー名、カケルに対し、乙プレイヤー名、ラディッシュは己の持つ負債を除く資産全ての譲渡を実行に移します』


 すると、この土地や建物、その他、ラディッシュ名義の権利書等、ラディッシュが持っていた資産全てが、俺のアイテムストレージに転送されてくる。

 そして、アイテムストレージの中から権利書を取り出すと、ラディッシュにそれを見せつけた。


「これで、この建物や土地を初めとする、お前が持っていた資産の全ては俺の物だ。ああ、当然、お前が持っていた資産の中で、負債だけはきっちり除かれているから安心してくれ。まあ、これだけあれば、あのボロ宿位、立て直す事はできるかな?」


 そう言うと、ラディッシュは絶叫を上げた。


「ふ、ふざけるな! 返せぇぇぇぇ!」

「駄目だ」


 叫び声を上げながら、突進してくるラディッシュ。

 権利書を取り上げられ必死なのは凄くよくわかる。

 しかし、これはすべて、ラディッシュ自身が招いた事だ。


 バックがどうとか言っていたし、おそらく、俺がこの場からいなくなった後、対応策を練ろうと考えていたのだろう。


「そ、それは俺の物だぁぁぁぁ! ぐわっ!!?」


 呟くようにそう言うと、俺に向かって突進してきたラディッシュが不可視の壁に弾かれた。

 平然とした表情を浮かべ、駄目だと言ってみたはいいが、またエレメンタルが暴発しやしないかと内心ドキドキしている。

 杞憂に終わって良かった。


 エレメンタルが反応しなかった理由。それは、不可視の壁の存在があったからだろう。

 課金アイテム『契約書』により、契約を結んだにも拘らず、プレイヤーの中にはそれを反故にする者も多い。

 その為、数ヶ月前のアップデートで、『契約書』を交わした当事者間のみに適用される自動防衛機能が追加されたのだ。

 DWの世界が現実化した今も、その効果は変わらないらしい。

 ありがたい事だ。


「な、何故……」

「何故って、契約を反故にする様な人から俺を保護するプログラムが働いた為だよ。これからずっと、お前は俺に危害を加える事はできない。いや、良かった。ボロ宿とはいえ、人の住んでいる建物に放火するような輩に罰を与える事ができて……」


 そう言うと、ラディッシュは悔しそうな表情を浮かべる。


「……くっ、この俺にこんな事をして、絶対に後悔させてやる!」

「はいはい。そう言うのはもう間に合ってるから、それじゃあ、この建物から出て行ってくれる?」

「は、はあ?」


 いや、何をとぼけた事を言っているんだ。

 人の話を聞いていなかったのだろうか?


「いえ、この建物は正式に俺の物になった。権利書もある。もし、出て行って頂けない様であれば、兵士さんを呼ぶ事になるけど、それでもいいのか?」

「ぐっ、くそぉぉぉぉ!」

「ああ、出口は扉を開けて右だ。それじゃあ、さようなら。莫大な負債の返済。頑張って」


 そう激励を送るも、最後まで聞かず、ラディッシュは走り去ってしまった。

 股間、痛くないのだろうか?

 エレメンタルに焼かれてまだそんな経っていないのに……。

 まあいいか。


「さてと……。これだけ、金があれば大丈夫だろ」


 アイテムストレージの中に収められている、この建物の鍵を取り出すと、俺は鍵を閉め、焼け爛れたボロ宿へと向かった。

 ボロ宿に向かうと、そこには絶望した表情を浮かべるボロ宿の管理人がいた。


「ああ、私の宿屋が……」


 俺は宿の管理人の肩を叩くと、管理人の目の前に一億コルを積み上げる。

 すると、管理人は目を見開いた。


「こ、これは!?」

「これ、宿屋の再建に使って下さい。多分、あいつが宿に火をつけたのは俺が原因でしょうから……。あと、この土地や建物の権利書も差し上げます」


 手間賃代わりに、俺専用の一番いい物件を確保しているのは内緒だ。

 地上げ屋というだけあって、かなりの資産を手にする事ができた。


「それでは、俺はこれで……」


 焼け爛れたボロ宿の前にいても仕方がないし、面倒事に巻き込まれるのも嫌な俺は、そそくさとこの場から離れる事にした。


 あの地上げ屋の資産の中に、宿屋がある事は確認済みだ。今日からその宿に泊まっている体でDWを楽しもう。

 なに、満員ならオーナー特権を発動させればいい。


 そんな事を考えながら、立ち上がると、グイッと袖を引かれる。

 なんだ? と、思いながら、視線を向けると、そこには涙を流しながら頭を下げる管理人の姿があった。


「カケル様、この御恩、絶対に忘れません……」

「い、いや、忘れていいよ? 大した事、やってないから……」


 俺がやった事といえば、課金装備、モブ・フェンリルシリーズを身につけて怒りのままに特攻しただけだ。

 課金装備のスペックが高くなければ、そもそもやろうとしない感情に任せた行動だった。

 だから、そんな畏まられても困ってしまう。


「カケル様の為に、次、建てる宿屋はいつでも空けておくようにします。是非、またいらして下さい」

「あ、ああ、わかったよ……」


 一週間後、ボロ宿のあった場所に、再びボロ宿が現れる。そもそも、よく一週間で建物が建ったなという事も気になるが、一番気になるのは、放火される前と全く変わらない建物が建てられた事だ。

 この宿の管理人は後になってこう言ったという。


 私の大切なお客様の中に一人、昔のままの宿を愛してくれたお客様がいる。

 そのお客様は、一度、宿を焼かれた際、こう言った。


『俺の大好きなこの宿を燃やすなんて許せねぇ! 待ってろ、宿を燃やしてくれた恨み、晴らしてくれるわ』


 その時、思ったのです。

 ああ、こんな宿屋でも愛着を持って下さっている人がいるんだなと……。


 その人は、宿を燃やした悪漢に天誅を下すと、一億コルをポンと出し、私に希望と新たな道を示して下さいました。


 ですので、私は、その一億コルを使いボロ宿を建て直すことにしたのです。

 たった一人、あのボロ宿を愛してくれるお方の為に……。


 えっ? 私は今どこに住んでいるか、ですって?

 そんな事は決まっているでしょう。

 他の宿を知ってしまったら、もうボロ宿になんか住めませんよ。

 今はあのお方が下さった他の物件に住んでいます。収入も前の数十倍になりウハウハです。


 あの方には、感謝の念しかありません。

 頂いた一億コルはあの方の為に使いました。

 早くあの建物から解放……いえ、失礼致しました。

 早くあのお方には建物を引き取りにきてほしいものです。

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