旅のひと時

高梨結有

旅のひと時

 大きな木の枝に座って休憩していると、同じように隣で休憩している彼女が言った。

「結構遠くまで来たわね。私、今までこんなに長い距離を移動したことなかったから、少し疲れちゃったわ。あなたも、疲れたでしょ?」

 そう言って彼女は、僕の身体にそっと身を寄せてきた。

 僕はそんな彼女の仕草に内心ドキドキしていたが、性格が意地っ張りなので、そのことを悟られないようにあえて声を張り上げた。

「確かに遠くまで来たけど、僕は昔、もっともっと遠くまで旅をしたことがある! だからこのぐらいの距離、どうってことないよ! もちろん、疲れてもいないしね!」

 そんな僕の言葉に、彼女は「ふふっ」と優しく微笑んだ。

 いたたまれなくなった僕は、なんとなく空を見上げた。

 視界いっぱいに広がる青空には雲一つなく、どこまでも澄み渡っており、飛んでいる虫の一匹さえも見当たらなかった。そんな空だからか、どことなく太陽が遠く感じられた。

「そっか。もうすぐ、冬がくるのか……」

 僕はぽつりと言葉を漏らした。

 そんな僕の言葉に、彼女は忘れかけていた寒さを思い出したのか、体温を上げようと身体を擦りつけてきた。

 そんな彼女の姿がたまらなく愛おしくて、僕も彼女の身体に身を擦りつける。

 すると突然、目の前にある家の窓が勢いよく開かれ、中から小さな女の子が顔を覗かせた。

 女の子は、

「あっ!」

 と大きな声を上げると、僕たちを指さし、

「ラブラブがいる!」

 と言った。

 ラブラブ――その言葉の意味を僕は知らなかったが、おそらく、今の僕と彼女の関係を示した言葉なのだろうと思う。

 もしそうだとしたら、少し照れ臭いけれど、どこか心温まるものを感じる。

 僕たちは、ラブラブ……。

 女の子は僕たちの方を見ながら嬉しそうに飛び跳ねると、

「ママ! ママ! お外にママとパパみたいなラブラブがいるよ!」

 と、家の中に向かって叫んだ。

 すると直ぐに、慌てた様子の母親らしき人物が窓際に現れ、

「こ、こら! そんなこと大声で言っちゃダメでしょ。ご近所さんにも迷惑だし、それに私とパパはそこまで――」

 母親は何かをごにょごにょと呟くが、途端に恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にしながら、

「ほ、ほら! 明日はお友達のエリカちゃんと『角川武蔵野ミュージアム』に行くんでしょ? ママが明日持っていくおやつを買っておいたから、今すぐリュックに詰めちゃいなさい!」

 女の子は、はーい! と元気よく返事をすると、嬉しそうに飛び跳ねながら家の中へと消えていった。

 そんな娘の後ろ姿が見えなくなると、母親はまだ赤らむ頬を僕たちの方へ向け、少し困ったような笑みを浮かべてから、そっと窓を閉じた。

 そんな光景を僕の隣で微笑ましそうに見つめていた彼女は、

「ふふっ。私たち、ラブラブですって。あなた、ラブラブって言葉の意味、知ってる?」

 と、嬉しそうに訊いてきた。たぶん彼女は、「ラブラブ」という言葉の意味を知っていて、わざと僕に訊いているのだ。

 僕は何だか恥ずかしくなって、

「そ、そんな言葉の意味、知らないよ!」

 と、冷たくあしらった。

 でも彼女にはバレているだろう。それはそうだ。こんなに身を寄せ合っていたら、誰だって気がつく。

 僕の身体と心が、とても温かくなっていることに――。


 寒さをまとった風が、ヒューっと音を立てながら、僕たちの身体を揺らしていく。

「そろそろ行こうか」

 そう言って僕は立ち上がった。

「ええ、そうね。冬が来る前に、動けるうちに、この寒さをしのげるところを見つけなくちゃね。この家の人たちのように、暖かい場所をね」

 そう言って彼女も立ち上がった。

 じゃあ、行くよ――。

 うん――。

 僕たちは互いに大きく翼を広げると、勢いよく飛び立った。そして、長い長い旅へと、また戻る――。

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旅のひと時 高梨結有 @takanashiyu

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